〔ナンセンス劇場〕 語尾が変かね――変調語尾の系譜――
1
私は井戸端和彦かね。中堅の広告代理店で管理職を務めているかね。年齢は四十七歳かね。
お気づきかと思うが、私の話し方は変だかね。語尾に「かね」という余分で無意味な言葉が付いているのだかね。べつに付けたくて付けているわけではなく、自然に、そして否応なしに付いてしまうのだかね。付けまいと思っても、自分の意志とは関係なく付いてしまうのだかね。
「かね」が付くのは話し言葉だけに限らないかね。悲鳴やうめき声にも付いてしまうかね。たとえば、転んだときなどは「うわっ、痛てててかねっ」となってしまうのだかね。
「かね」を発音しまいと、いままでに何度となく解決策を試みてみたが、すべて徒労に終わったかね。
「かね」の発声を我慢しているとたちまち息苦しくなるし、それでも我慢していると、ちょうど嘔吐をこらえているのと同じような不快な気分になり、ついには耐えきれなくなって、「かねっ」などと、かえって大きな声を出してしまうのだかね。そしてそのあとはすっきりするのだかね。
なぜこんなことになったのかはまるでわからないかね。遺伝や体質などの先天的なものなのか、あるいは生活習慣や環境の影響による後天的なものなのか、まったくわからないのだかね。
両親の話によれば、私が言葉を覚えはじめたころから、すでにこの現象が起きていたというかね。ハイハイをしながら「マンマかね、マンマかね」などと言っていたそうだかね。
マンマはともかく、「かね」は、その時期の子供の発声機能からいって、そもそも物理的に不可能な発音なのだからいっそう奇異な現象だかね。
しかし、家族の者は誰も驚かなかったかね。というのは、こうした現象は私だけではなく、井戸端家の先祖代々から連綿と続いているからだかね。つまり、井戸端家特有の、血統的な現象であるといえるのだかね。
こういうと、「それなら遺伝じゃないか」と思われる方もおいでかと思うが、そうとは言いきれないのだかね。それはこのあと述べるので、先をお読みいただけばおわかりいただけると思うかね。
井戸端家の血を引く者にはすべてこの現象が現れるが、語尾の発音は皆が皆、すべて異なっていて、同じ語尾は二人といないかね。
たとえば、私の父は「ぞい」であるし、祖父は「さて」だかね。父の姉、つまり私の叔母だが、彼女の場合は私より悲惨で「わい」が付くかね。だから、「ちょっと買い物にいってきますわい」とか、「お食事のしたくができましたよわい」などとなって、まるで色気がないかね。叔母は近所でも評判の美人なのだが、それがよけいに違和感を強調して妙な感じを醸しているかね。
この変な語尾には、言語として意味があるものもあれば、まったく無意味なものもあるかね。私の「かね」のように疑問詞じみたものや、祖父の「さて」のように感動詞ともとれるようなものもあるかね。かと思えば、甥の「ぬ」のように、言葉としてまったく意味をもたないものもあるかね。
また、一音や三音の場合もあるかね。前述の甥もそうなのだが、兄の場合は「よ」だし、妹の場合は「あれれ」だかね。
特殊な例としては姉の次男の場合があるかね。これは吃音を含めて、字数にすればなんと六文字であるかね。姉の次男の語尾には「なんちゃって」が付くかね。
いたずらをして叱られたときなど、本気で謝っているのに、「ごめんなさいなんちゃって。二度としませんなんちゃって」などとなるものだから、慣れている身内はともかく、まともに受け入れられなくて大変な思いをすることになるかね。
2
こういうぐあいだから、日常生活や仕事でも支障をきたすことになるかね。私の場合、会社で部下と会話するときなども、
「田中くん、この問題はどうしたら解決できると思うかねかね」
などとなってしまうかね。
初対面の人に自己紹介するときも、
「はじめましてかね。井戸端和彦と申しますかね」
となるから、相手は驚いたり困惑したりすることになるかね。
兄の場合だったら、
「井戸端と申しますよ。よろしくお願いしますよ」
となって、ふざけているようにとられてしまうかね。
父なら、
「井戸端ですぞい。よろしくお願いしますぞい」
というぐあいで不遜な態度にとられてしまい、やはり相手の心証を悪くしてしまうかね。したがって、自己紹介のあとにはすかさず事情を説明することになるのだが、理解してもらうまでにはけっこう時間と労力を要するので面倒だかね。
入学や入社時などはもちろん、とにかく新しく接触する人ができた場合にはすべての人にいちいち説明しなければならないのだかね。
こういったわずらわしさには、まさに言語を絶する苦労があるのだかね。
正月や盆などには親族が私の家に集まるのだが、そのときは、慣れている私でさえ異様な雰囲気にとまどうことがあるかね。なにしろ、妙な語尾が飛びかうのだかね。だいたいこんなぐあいになるかね。
「お義父さん、会社の業績は順調ですかむほ」
「うんち。ぼちぼちってとこかなち。ところで健一、受験勉強ちゃんとやってるかち」
「だいじょうぶだよあほ。ばっちりさあほ」
「あら真理子姉さん、お雑煮食べないのげげげ」
「はいどん。今朝食べ過ぎちゃったみたいどん。お腹がいっぱいなのよどん」
「洋子ずらずい。ほら、おじいちゃんがお年玉あげるからおいでずらずい」
「わあいぴゅっ。ありがとうぴゅっ」
「まあよかったわね洋子ちゃんぴょん。じゃあ、おばあちゃんもあげましょうかねえぴょん」
とまあ、こういう調子なのだかね。たまたま年始の挨拶に訪れたよその人などはおもしろがっているようだが、私たちにとってはそれどころではないかね。
また、これらの語尾を連発することもあるかね。私の長男が幼稚園児だったときは、叱られているときなどに小声で「ずびずび、ずびずび」とつぶやくし、九州に引っ越した次兄の長女芳美は、洗濯や料理をしながら「ぷ」を連発して鼻歌のように歌うかね。文字では雰囲気を伝えにくいが、たとえば芳美の好きなずいずいずっころばしの一部を書いてみれば、
「ぷぷぷぷぷっぷぷぷぷぷぷぷぷぷぷ、ぷぷぷぷぷぷぷっぷぷぷぷぷっ」
となるかね。この調子であらゆる歌をやるのであるかね。
3
こうした現象は話をするときだけでなく、文章を書くときにも現れるかね。
私が手紙を書くときなど、「拝啓かね」となってしまうし、「私は元気ですかね」などとなるから、自分に対して尋ねているようで変な感じになってしまうかね。
本社へ出す報告書なども同様で、「という結果を確認したかね」などとなるし、自分の署名でさえ「井戸端和彦かね」となってしまうから、報告書としての意味や体裁をなさなくなってしまうかね。
これは手書きでもパソコンでも同じだかね。したがって、手紙にしろ報告書にしろ、まともに書きたかったら代筆に頼るしかないことになるかね。
先日、次男の丈介が新聞のクイズに応募したが、答を書くときに「問題2の答=Aかもね」などと書いていたから、もし正解だったとしても抽選には加えてもらえないだろうかね。
ついでにもう少し例をあげれば、カラオケで歌うときも不都合であるかね。私は自分の歌唱力には自信があるが、残念ながらそれを生かすことはできないかね。
歌に限らず、俳句や短歌などでも同じことになるかね。俳句の五七五は五七七になり、短歌の五七五七七は五七五七九になるから字余りになるし、意味だって通らなくなってしまうかね。したがって、これらは作ることも詠むこともできないのだかね。
この現象は、不思議なことに、血がつながっていなくても、私たちの血筋の者に恋愛感情をもつと発現するかね。私は先に、この現象は遺伝が原因とは言い切れないと言ったが、それはこのようなことがあるからなのだかね。
私の妻の語尾には、私と知り合ったその日から「ぽん」が付くようになったかね。「素敵なネクタイですねぽん」が最初のぽんだったかね。以後、結婚してからも、「行ってらっしゃいませぽん」とか、「お風呂、先にしますぽん?」というぐあいなのだかね。
妻の場合は姪の「げげげ」などとは異なって軽快な感じがするから、会話をしているとなんとなく気分が明るくなるという妙なメリットがあるが、それがせめてもの救いだかね。
ただ、反対に、深刻な話のときには困るかね。先日行われた恩師の葬式のときもそうだったが、「ご冥福をお祈りいたしますぽん」とか、「奥様、気を落とさないでくださいねぽん」などとなって不謹慎に思われてしまうかね。
弟の長女が通う高校では、長女が入学してたった一か月ほどで、「ずるり」とか「ぎゃ」とかを発する男子学生が十人ほど現れたそうだし、今年の年賀状には、「謹賀新年ねち」とか、「二年生になっても同じクラスだといいねちょいな」など、変な語尾のものが五十通ほど見受けられたそうだかね。
担任の男性教師はこのあいだ、
「いよいよ冬休みだずどど。ちゃんと宿題をやれよずどど」
などと言っていたそうだかね。教師が自分の教え子に恋愛感情をいだいてはよろしくないかね。これは弟の耳に入れておく必要があるかもしれないかね。
そもそも弟自身もそうであるかね。私が知っているだけでも、弟の勤務先の女性社員が五人、町内の独身女性が六人、主婦が十三人、語尾が変なのだかね。
弟の家の右隣の奥さんは、先日私が通りかかって挨拶したら、
「今年も暖冬みたいですわねぶひょ」
と言っていたし、昨年某大手商社に入社した近所の娘は、
「社会人って、大変ですけどけっこう楽しいですべべべ」
と言っていたかね。
いつだったか、犬の散歩をしていた雑貨屋の江里子さんは、
「井戸端さん、うちの犬ったら最近鳴き方がおかしいんですよずっぽ」
と言っていた。いくら私が二枚目でも犬に惚れられるわけはないから、鳴き方が変なのはほかに原因があるにきまっているかね。私としては、それよりも江里子さんの語尾のほうが気になっているかね。私も江里子さんには少しばかり魅力を感じているのだかね。あ、そんなことはどうでもいいかね。
4
私自身も、弟やその長女のことをとやかく言える立場ではなく、似たようなものだかね。雑貨屋の江里子さんだけではなく、会社の同僚やら取引先やら、私が把握しているだけで七十人ほど、語尾が変な女性がいるかね。昨日商談で私の会社を訪れたサンセット商事の女性営業主任は、「井戸端部長さん、弊社は御社を最優先したいと考えておりますごんち」などと言っていたかね。
弟や私に限らず、井戸端家直系の者は男女を問わず、おそらく同じような行状をとっているに違いないのだかね。
ところで、井戸端家の血筋は、例外なく美男美女であるうえ、均整のとれた美しい体型を持っているかね。これは、語尾に意味不明な言葉が付いてしまうために世間から白い目で見られ、配偶者を獲得するのが困難というハンディを埋め合わせるための、天の配剤であろうと私は推測しているのだが、その容姿の美しさが、相手側にとっては私たちに対して好意をいだかせることになり、私たちの側には奔放な行動に走らせる原因のひとつになっているのかもしれないかね。
そして、井戸端家の血をひく誰もが、たとえどんな容姿の者と結婚しても、生まれてくる者は必ず美男美女なのだかね。
この変な語尾の現象は、遺伝と思われる先天的原因のほかに、恋愛感情の発現や、風邪や麻疹のように、伝染によって発現することもあるのではないかということも考えられるかね。
つまり、第三者にも「語尾変」現象が現れるのであるかね。「伝染説」で言えば、生まれた子供に発現するのは母子感染と説明できるかね。ただ、いくつか不可解なことがあるかね。
第一は、二次感染しないことであるかね。たとえば、私からうつされた女性社員が第三者と恋愛関係になっても、その第三者には感染しないのだかね。
そして第二は、第一次感染者である女子社員は、半年ほど経過すると自然に治ってしまうことであるかね。恋愛感情をもちつづけていてもであるかね。
第三は、同じ第一次感染者でも、配偶者の場合は治らないのであるかね。たとえば、私の父母にはもう恋愛感情らしきものは皆無だそうだが、母はいまでも「きょうは寒いわねぷりん」などと言っているかね。
このあいだ見かけた女子高生は、
「あしたから冬休みみみみみ~んちゃ」
などと独り言を言っていたが、あれはおそらくただの便乗犯で、頭が少々平和すぎるだけのことだろうかね。
先祖の代から何度となく、病院やら専門の研究機関やらで調べてきたが、遺伝子はもちろん、血液も細胞も、脳もなにもかもまったく普通で、異常などは塵ほども確認されていないかね。もちろん、ウイルスや寄生虫などもいないかね。
このようなわけで、これまでに原因はもちろん、治す方法も解明されず、不明のままなのであるかね。
今後も井戸端家では、子々孫々この現象が現れていくことは疑う余地もないと思われるのだが、このことを広く知らしめれば、治す方法がなんとか見つかるのではないかと思い、一縷の望みを託して筆をとった次第なのであるかね。
治す方法、どなたかご存じありませんかねかね。
