【第0話】 「ジョージア🇬🇪の監獄で過ごした5年──人生が壊れた日と、ゼロから始まる希望」 |はじめてのnote
【地下室に落ちた四角い夕陽の光が、鉄格子の隙間から差し込んでいた。
その光を見つめながら、ぼくは思った──「ああ、まだ生きてるんだ」と。
でも、ここからが本当の地獄の始まりだった】
はじめまして。
bonsaiといいます。
1986年8月28日、京都府、宇治市生まれ。
2018年日本を飛び出し、旅をしながら西へ西へと進む。
それから1年半後にたどり着いたのが、コーカサスのジョージア🇬🇪。
2019年8月15日、あの国の風と、人と、大地に魅せられた日を、今でもはっきり覚えている。
≪当時の私はSNSを通じて、「暗号資産で旅をする方法」や「大麻にまつわる歴史と事実、公正で偏見のない知識」を発信していました。≫
≪日本ではまだ偏見が多く、タブー化されているテーマ。だからこそ、リアルを伝える意味があると思って活動していました。≫

運命の分岐点:自由と狂気のはざまで
ジョージアに入国してからの私は、西へ西へと移動を続けていた。
トビリシからクタイシ、セナキ、ノカラケビ、ズグディディへ──
都市ごとの空気や人の温度、風景に刻まれた歴史を肌で感じながら。
そんな中で出会ったのが、ソビエト時代に広大に広がっていた大麻畑の存在だった。
それはただの雑草ではなく、ジョージアの土地と文化に深く根差した「生活の一部」であった。
そこに生きる人々の姿、語られる昔話、そして今も密かに続く栽培文化──
不思議なご縁が重なり、私は2019年12月、実際に大麻栽培を始める決意をした。
その当時のジョージアの法律では、個人の栽培量(約70〜100g)には罰則がなく、
トビリシ市内には堂々と営業する大麻ショップが複数存在し、
種も道具も、ホームセンターの園芸コーナーのように簡単に手に入った。
法律と現実のギャップに戸惑いながらも、私はその日々をツイッターのLIVE配信でありのままに発信していた。
その活動には徐々に共感が集まり、Zoomの会話に何十人のメンバーが同時に参加する日もあったぐらいだった。最終的には約30人の仲間たちと一緒に育てるようになった。
ところが、2020年、世界が止まる。
新型コロナウイルスが猛威を振るい、ジョージアにも外出禁止令が出された。
最初は夜間のみだったが、やがて完全外出禁止へ。
街は静まり返り、人と会うことも許されない日々。
だがその間にも、栽培していた大麻は育ち続けていた。
6月、収穫量は5000gを超えていた──
これは明らかに「一人用の量」ではない。
だが、それを捨てる勇気も方法もなかった。
そんな時、人生が一変する出来事が起きる。
2020年6月23日 午後2時。
突然、警察官が2人、玄関を叩いた。
令状も見せず、当然のように部屋へと上がり込む。
大麻を目にした瞬間、すぐに無線で応援要請。
30分もしないうちに、約30人もの警察が家の中を引っ掻き回し始めた。
冷蔵庫を開け、オカズやお菓子を勝手に食べる者。
本棚から雑誌を取り出し、立ち読みする者。
そこにあったのは、職務とは程遠い、野次馬の群れのような空気だった。
午後3時、日本語通訳のグラミさんと刑事が到着。
短い尋問のあと、刑事が放った一言が耳に残っている。
「現金で20万ドル払えば、見逃してやる」
その言葉は、部屋の空気を一瞬で凍らせた。
私は驚きで声が出せず、ただ「無理です」とだけ、絞り出した。
当然、そんな大金は手元にない。
無理と答えた私に返ってきたのは、逮捕という現実だった。
その日の夜7時、私はパトカーで警察署に連行された。
48時間の拘留後、オンラインによる初公判。
裁判はわずか2分で終わり、次回の日程だけが告げられた。
そのまま移送されたのが、ジョージアで最も悪名高い「グルダニ刑務所」だったのであるが……
パトカーの中で信じられない出来事が起きた。
車内のスピーカーから流れていたのは、爆音のラップ──
Snoop Dogg - "Smoke weed everyday"
パトカーを運転している警察、それから後部座席で私を挟んで座っていた二人の警察も、顔をみるとニヤニヤと笑っているではないか。
その音楽と、刑務所の門が開くタイミングが重なりすぎていて、疲労と混乱の中、私は思わず吹き出してしまった。
刑務所に到着すると、まず全裸にされて身体検査。
人としての尊厳が剥がされるのを肌で感じながら、渡されたのはメガネ、シャツ、短パンだけ。
そのまま案内された先は、陽の差さない地下室だった。
6畳ほどの薄暗く不衛生な空間に、小さな2段ベッドが3台、そして便器が1つ。
防寒具も毛布も与えられず、シャツと短パンだけで、極寒の地下に放り込まれた。
言葉が一切通じず、同室の男たちの会話も何も分からない。
孤独は音を立てずに、だが確実に心をむしばんでいく。
壁に書かれた落書き、誰かの爪痕のような傷、
空腹よりも、寒さよりも、「このまま忘れられるかもしれない」という恐怖が支配していた。
5日間──
眠れず、喋れず、震えながら、ただ時間の経過だけを睨んでいた。
5日後、ようやく名前が呼ばれ、別の地下室から出てきた数人と一緒に、私はE棟310号室に移された。
部屋は地下室よりも狭かったが、
西日が差し込む小さな窓があった。
その窓に打ちつけられた鉄格子の隙間から、四角く切り取られた夕陽が床に落ちる。
その光と影の模様を、ただ黙って見つめていた。
その時に、「ああ、まだ自分は生きてる」と感じることができた。
とはいえ、ここからが本当の始まりだった。
言葉も、習慣も、日本で身についた常識が通じない土地で、
“外国人受刑者”としての長い時間が、容赦なく流れはじめる──。
―――続く。
追記 : このnoteではまだ語りきれていませんが、2025年4月16日に出所後、自分の全財産が消えていることが発覚。友人、知人の連絡先、SNSアカウント、すべてを失い、今はトルコ・イスタンブールに放り出された状態です。
ゼロから、人生をやり直すために必死で前を向いています。
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