【創作大賞・エッセイ部門】”ありのままの自分”を知るための、本の読み方
※この記事では、著者である僕の主観がたっぷり含まれています。あくまで一個人の意見としてお読み頂けると幸いです。
本を『読む』とは、どういうことか?

改めて考えると、本を『読む』とはなんでしょうか?
一般的には本や資料に目を通すというイメージがありますが、ただ文章を目で追うだけの作業ではないでしょう。
また巷では、有用な情報を得たり想像力を豊かにするためのツールとして本を『読む』ことが推奨されています。確かに、役に立ちそうだったりタメになりそうな情報が詰まっていたり、新たなアイディアが生まれやすくなったりするというのは事実かもしれません。
が、これらの考えはビジネス寄りに偏りすぎていて、逆に有用でもない本は駄作であり読む価値はないというニュアンスが含まれているように思えてなりません。
そうした世間の風潮から、『読む』とはそんな打算的なものではなく、もっと重要なものがあるのではないかと僕は思うようになりました。
では、本を『読む』ことの何が重要なのか?
これは僕の持論ですが、本を読む重要性は、”ありのままの自分”を知るためだと思っています。
なぜ、本を『読む』ことが”自分”を見つけることにつながるのか?
そう『読む』にはどうすればいいのか?
今回はそれらを中心にしつつ、読書の奥深さや読書が楽しくなるかもしれない読み方をみなさんにお伝えできればと思います。
”ありのままの自分”の個人的な定義
持論になりますが、ここではまず『”自分”とは何か?』について触れておきます。
以前に別記事でもお伝えしましたが、僕が思う『自分』とは、唯一無二で一生変わらないものではなく、むしろ仮面をつけかえるようにその時の状況と環境で簡単に変わってしまうものだと思っています。
もっと言えば、自分の本音ともいえる"ありのままの自分"を持ちながらも、家族・友人関係、職場やコミュニティなど周りの環境や期待に適応するため"表面的な自分"を演じていると言えるかもしれません。
もちろん、社会に適応する上で”ありのままの自分”と”表面的な自分”を使い分けることは必要ですが、"表面的な自分"を演じ続ける中では"ありのままの自分"が抱える感情や本音を抑え込んでしまうことが多いです。
そして、”ありのままの自分”と”表面的な自分”は密接に繋がっているため、”表面的な自分”を演じ続ける中で”ありのままの自分”も次第に変質してしまう可能性があると考えています。
別の記事でも書いたことですが、自分を見失うとは、”演じている自分”と”社会的な自分”の境界が分からなくなる状態と言えるかもしれません。
僕にとっての読書とは、『その時点における”ありのままの自分”』の輪郭を掴む手段だと思っています。
『その時点』といったのは、自分の置かれた環境や状況・体調などにより、”自分”という人間もまた変化してしまうからです。
何かしらのトラブルに見舞われたり病気をこじらせたり、あるいは結婚などで家族構成が変わったり年齢を重ねたりなどして、価値観や考え方が変わってくるのと一緒だと言えるかもしれません。
ですので、ここでお伝えする『”自分”を見つける』とは、『唯一無二である真実の自分を探す』のではなく、『現時点での”ありのままの自分”が、どんな事に好奇心を抱いたり喜怒哀楽を覚えやすいのか』という傾向をつかむための手段だと思ってください。
自分を知るための読書方法
では、『”自分”を知るための読書』とはどうすれば良いのでしょうか?
まず大前提として、あくまで『こう読むといいかもしれない』という一つの参考として捉えてください。
というのも、文章の理解力や読むスピードは個々で違いがあり、結果、読み方も人それぞれだからです。
何より僕としては、誰にも強制されず自分のペースで本を読むことこそ、読書にとって一番重要だと思っています。
読書の読み方は、自由でいいのです。
なので、ここに書かれている内容を全て実践するというより、「自分の読書に取り入れられるかも」と思った箇所を抜粋し、自分なりにアレンジしながら実践してもらえればと思います。
そして自分の心を探る読書の方法は、以下の通りです。
「気づきを認識する⇨気づきへの疑問・深掘り⇨(推論)⇨結果と推論の確認⇨全体を振り返り⇨(アウトプット)」
それでは一つずつ説明していきます。
気づきを認識する
本を読む中でふと気づいた箇所、具体的には、読み進める中での登場人物の言動・行動、あるいは文章の書き方などにたいして「あれ?」「え?」という感情を抱いたら区切りのいいところで立ち止まってください。
抱いた疑問の内容や箇所を忘れなければ、立ち止まる箇所は節や章の終わりなど自分好みで構いません。
気づきへの疑問・深掘り
疑問を抱いた箇所に対し、疑問を、腑に落ちなかったのか、その疑問に対して自分がどう感じたのかを言語化します。
ex.「どうしてこうなのか?」「なぜこんな書き方をしたのか?」「きっとこんな理由からこう書いたのか?」など
深掘りのやり方が分からない場合、小説によっては巻末に解説が載っているので冒頭に書かれた内容などを参考にしてみるとスムーズです(ただ、解説によってはネタバレが含まれているので、読み始め・読み途中に目を通す際は、最初の箇所など少しだけ読む方がいいでしょう)。
(推論)
記録した疑問に対して自分の言葉で情報を整理しながら、少し先の内容を予想してみましょう。「今後はこんな展開になるのかな?」など
なお、推論をする上では、根拠を念頭にしながらその先の展開を予想しましょう。
必須では無いのでやらなくても問題ないが、自分の予想を挟むことで記憶や印象に残りやすくなりますので、できるなら実践してみてください。。
推論と結果の確認
先ほどの『推論』と『実際』の内容を確認します。『実際の内容』とは、小説などの物語ならその後の展開を読んでいくこと、短歌や詩作など読者に想像の余地があるような作品なら、一般的に言われている解説などで確認しましょう。
一般的な解釈は解説サイトだったり、見つからなければ『ChatGPT』や『Gemini』などの生成AIで調べると手っ取り早いです。

全体の振り返り
これまでを踏まえて、自分が抱えた『疑問・推論』と『実際の結果』との差異に対して、自分がどんな感情や思考を抱いたのか振り返ります。
具体的には、自分がどういった思考をしやすいのか、どんなことに喜怒哀楽を覚えやすいのかをはっきりさせる作業だと思ってください。「自分ならこんな展開の方がいい」「もっといい展開はなかったのか」など。
より良い物語にするための改善案を自分なりに考えてみてもいいでしょう。
ただし、決して著者や本の内容を評価しないようにしましょう。あくまでも優劣をつけることではなく、思考や感情を振り返り自分の輪郭を認識するための作業です。
(アウトプット)
これも余力があったらで構いませんが、振り返りが済んだら、記憶に残すようにするうえで日記やメモ帳に記録することをオススメします。
記録の方法はデジタル・アナログ含めてやり易い方で構わないが、実際に書いたりする方が記憶に留まりやすいと言われてますので、個人的には紙など自分の手で記録する方がいいかなと思います。
実際にやってみた
ここまでが”ありのままの自分”を見つける読書の方法ですが、ためしに、僕が好きな中原中也さんの詩『汚れちまった悲しみに』を例に以上のコツを当てはめてみます(文字数がかさむため原文は割愛します。原文は様々なサイトに掲載されてますので、参考までに下記にURLを載せておきます)
(気づきの認識)
・読んでいてとても物憂げになる。雪の降りしきる夕暮れ時にこの人はいるのだろうか。
・この人物の切なさと絶望が、痛いほど伝わってくる。
・それにしても書き方も妙に荒っぽい。
(気づきへの疑問・深掘り)
・どうして「汚れちまった」なんて粗い書き方をしているのだろう?
・この悲しい感情はどこからきているのだろう?
・小雪がかかって寒いはずなのに、縮こまるほど何に絶望したのだろうか?
(推論)
・言葉遣いからして著者の中原中也さんか、あるいは登場人物は荒くれ者だったのか?
・ここでの人物は誰かを亡くしてしまったのだろうか?
(結果と推論の確認)
・調べると医師の長男として生まれ、少年期は神童と呼ばれる秀才だった反面、プライドが高く短気な激情家でもあったようだ。文芸評論家・小林秀雄との友情や確執、そして最愛の長男の死という深い喪失は、彼の人生と創作に大きな影響を与えたという。
・そしてこの作品は、生きる中で純粋さを失い、変質してしまった「悲しみ」そのものへの哀悼を歌った詩として解説されており、著者の失恋の実体験を元にしているとされる。
・魂の痛みであるはずの悲しみすら、日々の生活や世俗の垢にまみれて新鮮さを失くし、そのどうしようもない諦念と焦燥感を「汚れちまった」と独創的な言葉で表現しているという。
・繰り返されるリフレインが音楽的な効果と共に、無力感と絶望を深く印象づけ、降りしきる「小雪」の白さが、失われた純粋さとの痛切な対比となって胸に迫る表現となっているというのが一般的な解釈のようだ。
(全体の振り返り)
・荒くれ者の要素はあったようだが、それは繊細な感覚の裏返しなのかもしれない。「汚れちまった」という言葉遣いもその性格の結果なのだろう。
・子供を亡くしたことによる詩かと思ったら、年代をみるとまだ最愛の長男を亡くす前に書かれたものだから、どうやら違うみたいだ。
・子供の死というエピソードを生半可に知っていただけに、他の可能性を考えていなかった。先入観は作品の曲解につながるから、昔の作品はある程度作者の背景など事前に調べるようにしよう。
・大人となり様々な人間関係を見てきたことで自分が汚れてしまったという解釈は、全然想像していなかった。
以上が自分を見つける読書の方法です。
あくまで一例みたいなものなので、自分のやりやすいようにアレンジしても構いません。
疑問を創り出すためのコツ
ただ、疑問をどのように作り出せばいいか分からない、あるいは疑問を作るのが苦手という人もいるかもしれません。
そこで一つ参考になりそうな読み方を紹介します。それは、『嫌われる勇気』で有名な古賀史健さんの著書『取材・執筆・推敲ーー書く人の教科書』で書かれていたある言葉です。
インタビューするように読む
具体的には、読んでいる本の著書をイメージしながら、「どうしてこのような展開にしたのか?」「自分ならこういう書き方をしてもいいと思ったが、こう表現した理由はなんですか?」というように、仮想の著者へ質問することを前提に本を読んでみることです。
こうする事で本を精読する姿勢が生まれ、さらに誰かに伝えようとする過程で自分が何に対して疑問を抱くのか明確にしやすくなります。
そのうえ、誰かに教えることを前提に作業をすることで集中力や記憶力が高まり、生産性向上にもつながるとも言われています。
それと少し勝手な宣伝になりますが、この著書はライターとして重要な心構えなどが記載されていて、非常に有用な本です。この読書法を思いついたのも、著書の影響を強く受けたからといっても過言ではありません。
記事や物語を描くライターさんでまだお持ちでない方は、ぜひ一度読んでみることをオススメします。
他者からの反応により、”感情”は生み出されていく
これまで僕なりの読書術を記載しましたが、この一連の流れがどうして”自分”を知る事につながるのか?
それは物語上の人物への共感や、著者の意見に触れて喜怒哀楽を覚えることで、自分の感情を能動的に動かすからだと思っています。
『自分を描く』とは、イラストを描くことと少し似ているかもしれません。
白紙に人や物体を描く時、普通はペンや鉛筆で下書きの線を描き、そこから少しずつ細部を形作ったうえで色彩をつけていく。
”自分”を描くのもそれと同じで、日常の出来事に対する喜怒哀楽・不安や恐怖・辛苦が心の”輪郭”を形づくり、自分というものが形作られると思っています。
そして、感情やその集合体とも言える”心”というものは、他者との接触によって生じるもの。より踏み込むと、他者から受け取った反応(リアクション)から感情が生み出されるものだと思っています。
ここでの”他者”とは、人だけではなく、自然や動物など自分以外のあらゆるものだと思ってください。
他者からの反応は直接顔を合わせただけでなく、たとえばSNSによる文章や動画でのやりとりでも生じるし、芸術作品に対する感動も広く視点で捉えれば創作者の心に触れることと言えるでしょう。
そして、心を形づくるうえではプラスとマイナスの感情の両方が必要で、一方に偏りすぎてはいけないと思っています。
苦しみや悲しみのない明るい生活は白紙に白ペンで線を描くようなもので、逆に、喜びも幸福もない黒色だけの生活も、黒地の紙に黒ペンで輪郭を描くようなものだと言えるかもしれません。
この感情の起伏がない状態は、心には良くありません。
少し話は逸れますが、みなさんは『トロクスラー効果』という錯覚をご存知でしょうか?
ある一点を凝視し続けていると次第に凝視していた対象が消えるように映る錯覚ですが、これは同じ刺激の続く情報を脳が”不要なもの”として処理するために起こるそうです。
また人の体は、感覚器や神経においてある刺激に晒され続けることで反応が弱まる順応(適応)という性質も有しています。
医者や研究者ではないのでここも持論ですが、同じ刺激が不要な情報として処理されたり反応が弱まったりするなら、感情など広範に当てはまるのではないかと思っています。
たとえば、世間では幸福追求の名の下に苦痛となる事柄を一切合切取り除こうとする傾向にあるかと思います。
もちろん苦しみは心に深いキズを刻むものが大半なので過度な苦しみが無いに越したことはありませんが、あらゆる辛苦から目を背けて楽しいこと尽くめの生活に浸り続けることは、同じお菓子を毎日食べ続けて飽きるのと同じで、それまで味わえていた幸福をかえって感じにくくなる可能性があると言われています(これは『幸福追求のパラドックス』として知られています)。
先ほど『自分が分からなくなる』とは、”表面的な自分”を演じ続ける事で”ありのままの自分”が分からなくなることだとお伝えしましたが、もっといえば”表面的な自分”として生きる中で喜怒哀楽を抑え続けた結果、何にどんな感情を覚えるのか自分自身で分からない状態なのだと言えるかもしれません。
なぜ喜怒哀楽を抑えるのかといえば、ネットやSNSの発達でコミュニティや人間関係が構築しやすくなった反面、コミュニティ内の空気を壊したくないという意思が働いた結果なのかもしれません。
「本当はやりたくないけど、この仕事をしなきゃ」 「疲れているけど、人前でそんな姿は見せられない」 「『いいね』が欲しくて、ちょっと話を盛ってしまった…」
人間関係を壊したくない、他人の目が気になるという理由から”ありのままの自分”の本音を抑えて大なり小なり無茶した経験がある人は決して少なくないと思います。
また、SNSや動画サービスの発達は新たな娯楽を開拓しましたが、同時に、自分にとって『つまらない』『不快』と感じる内容や興味の無い内容に触れなくて済むようにもなりました。
その結果、不快感や辛苦という負の感情に触れる機会が減り、”自分”という輪郭が曖昧になっているような気がしてなりません。
これも持論ですが、負の感情に触れなくなったことで些細な苦しみや辛さにも敏感になり、その結果が『幸福追求のパラドクス』のように幸福感を味わい辛くしているのではないかとも思っています。
喜怒哀楽のうち『怒』『哀』だけの毎日はもちろん、『喜』『楽』だけの日常も、幸福とは決していえません。
赤・青・緑による光の三原色やシアン・マゼンタ・イエローによる色の三原色の絶妙なバランスによって様々な色彩が生み出せれるのと同じで、自分という心もまた、様々な正と負の感情に触れることで形成されるものだと信じています。
”自分”を知るための読書には、本の選び方も重要
自分を見つけるための本の読み方を紹介してきましたが、残念ながら全ての本に使えるわけではありません。
実践する上で、本の選び方もまた重要になってきます。
では、自分を探すうえでどんな本がいいのか? 結論から述べると以下の通りです。
【自分を知るための、本の選び方】
・ジャンルや分野、本の種類は何でもOK
・簡単すぎず難しすぎない内容であること
・読むペースは自分の速度でOK。ただし内容を忘れないように
では、一つずつ詳細を書いていきます。
ジャンルや分野、本の種類は何でもOK
本については恋愛ものやファンタジー、伝記や時代劇などジャンルは何でもよく、さらには小説に限らず実用書や専門書など何でもいいです。
ただ読書に慣れない中で全く興味のないものを読むのは辛いと思いますので、初めのうちは自分に興味のあるもの、自分の職業や専門学科に沿った内容など、身近なものにしておくと無難です。
そして欲を言えば、少しずつ慣れてきた段階で、今度は自分に関わりのない内容へ裾野を広げていきましょう。
無関係のジャンルに触れるのは読み解く上で少し苦労しますが、慣れ親しんだ分野よりも、何が苦手で何が嫌いかにより触れやすくなるからです。
もちろんそこは自分好みにカスタマイズしてもらって構いませんので、読書が嫌いにならない範囲で参考にしてみてください。
簡単すぎず難しすぎない内容であること
特に専門書などでは、前知識がないと文章の意味が分からない事が往々にしてあります。
また小説でも、明治・大正など昔の純文学や洋書の小説は、ものによっては当時の時代背景や価値観、書かれた国の文化や慣習・価値観などを理解していないと、文章がスラスラ頭に入らなかったり、登場人物の心情や行動にピンと来ないこともあり得ます。
もちろん、それを疑問の取っ掛かりとして深掘りするのもいいですが、あまりに難解だと意味を理解するだけで疲れてしまいます。
自分の意見や感情に触れられるようにするためにも、頭の中でイメージできる文章レベルの本にしておくといいでしょう。
読むペースは自分の速度でOK! ただし内容を忘れないように
読書のスピードは人それぞれなので、自分のペースで読んでもらって問題ないが、あまりに日を置き過ぎるとこれまでの内容を忘れるリスクがあるので、できれば数日で読める内容が望ましい。
そしてここが肝要ですが、無理して早く読もうとしないでください。
昨今コスパ・タイパなどから効率的に情報を取り入れる事が重視されていますが、この読書はいわば”ありのままの自分”を棚卸しするためのもので、自分の感情や思考の傾向を読み解くにはそれなりに時間がかかります(少なくとも、5分や1時間そこらでは到底説明しきれないくらい、みなさんは豊かな人生を送られているはずです!)。
自分を知るための読書をするなら、少なくとも効率という言葉を忘れて、本に集中しましょう。
参考までに、日本人の読む平均スピードは400〜600文字/分とされ、ざっくりですが、15万字(約300ページ)の本なら数時間〜半日で読み終える計算になります。
もちろん使用される文章や表現が難しければより多くの時間を要するので、自分のペースを保ちつつも、本の内容を忘れる前に読了できる分量にしましょう。
”読む”力は、様々な分野にも応用が利く
ここでは本を読むという行為に焦点を絞りましたが、この『読む』という習慣は、絵画や音楽鑑賞など他の分野でも応用が利くと思っています。

ためしに、世界で美しい絵と称される『モナリザ』を例にとってみます。
ただ、恐れながら僕自身本物の『モナリザ』を直接見ておらず、あくまで絵画関連の本に載っているものを眺めての感想であることはご了承ください(いつかは本物を見てみたいです)。
以下が、僕が『モナリザ』を読んだ時の大まかな流れです。
(気づきを認識する)
・書かれている女性は確かに美しい。額縁の中に本物の人間が生きているみたいだ。
・500年以上前の作品なのに、ここまで立体感が出るんだな。
・でも、なんか他の絵画とかとちょっと立体感が違う
(気づきに対する疑問・深掘り)
・この絵のモチーフは誰なのかな?
・この立体感はほかの絵画とどう違うのか?
・なぜ、こんな立体感が出ているのか?どんな技法を用いたのか?
(推論)
・美しく描いたってことは、モチーフはダヴィンチの奥さん?
・濃いところと薄いところがあるから、光と影の色使いによる錯覚で起きているものなのだろうか?
(結果と推論の確認)
・解説書で調べてみると、モチーフは様々な説があるが、当時フィレンツェの裕福な絹商人の妻・リザ・デル・ジョコンドであると有力視されているようだ。
・そして美しさの正体はスフマートという技法で輪郭線をあえてぼかすことで、自然の立体感を生み出しているらしい。
・また口角や目尻でも境界を曖昧にすることで真顔なのか笑顔なのか分からない表情を醸し出しているようだ
(全体の振り返り)
・予想は外れたけど、輪郭線も描かずにぼかすなんて離れ業すぎる……。
・天才と言われる所以も納得だ。濃い部分と薄い部分があるから光と影の使い分けがあるのかなと思っていたけど、輪郭線をぼかしているというのは知らなかった。
・モチーフや背景の色使いに目を向けがちだっただけに、輪郭線はあまり注目していなかったな。今後は絵画を目にする際、輪郭にも注目してみよう
また音楽に当てはめれば、「この曲、なんかエモくていいな」「ここのドラムはどうしてこのリズムにしたのか?」「曲から伝わるこのエモい感じはどんなコード進行なのか」という風に気づきや疑問、そこから他で紹介されている解説などとすり合わせながら、自分の『推論』と『実際』との差異に対する感情の起伏を捉えていくことで、一つの曲をより深く楽しめると思います。
このほかでも会話の内容や時事ニュースなど、『読む』力は様々に応用できるので、違和感を覚えたら疑問・推論・結果に対する感情の動きを読む、という一連の流れをぜひ習慣づけしてみてください。
まとめ
近頃はタイパという考えから多くの本を読んで有用な情報を多く取り入れることが持てはやされていますが、役に立つ情報を効率的に抜き取ることが読書では決してありません。
これは三宅香帆さんの著書『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』で書かれていたことですが、本とは自分が望まない不必要な情報(ノイズ)が多分に含まれているが、そのノイズに著者の思考やテーマが詰まっており、それに触れることによって新たな知識や教養が生まれるだけでなく、豊かな思考や想像力を働かせる手助けにもなるそうです。
こうして考えると、読書とは、登場人物や著者に触れることと一緒だといえるかもしれません。
再三繰り返しますが、ここで書いたことはあくまでも僕個人の感想ですので、すでに自分の読書のやり方があるならそれを重視してもらって構いません。
それでも、もしこの記事を読んだことで、あなたの読書が少しでも楽しい方向に向かうなら、作者冥利に尽きるというものです。
長くなりましたが、ここまでお読みいただきありがとうございました。
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お忙しい中、最後までお読みいただきありがとうございます。
今後も『非日常的なソロ活動』をもとに、あなたの人生を彩るような体験やノウハウを届けしたいと思っています📕
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