今ではあまり聞かれなくなった「男らしさ」や「女らしさ」の呪縛について

「男性は女性ではなく女体が好き」という言葉をネットで見かけて、うまいこと言うなと感心してしまった。
賛同したわけではないが、男性の性欲が視覚優位であることを端的に風刺した言葉だと思った。

ところが、ネットでちょっと調べると、本当に「女体は好きだけど女性は嫌い」という人が見つかる。ミソジニーの文脈で。
ここで嫌われている「女性」とは、「女体」の対比としての「女心」という意味だろう。

そうすると、心は「女」で体は「男」のMtoFのトランスジェンダーなんて、どちらも嫌われてたまらない。
まあ、誰だって一定数の人間からは嫌われるのは当然なのだけど。

それはともかく、紀元前のプラトン以来の「心身二元論」は、今でも力を持っているというか、トランスジェンダーの問題がかまびすしい今だからこそ、ますます幅をきかせている。

生理学的にいえば、心と体は別々に切り離せない。
心を作っているのは体の一部である脳なので、互いに無関係とはいえない。

YouTuberの青木歌音さんが自身の「性分化疾患」について語っている。
通常、男性はXY染色体、女性はXX染色体を持って生まれるところ、彼女はXXY染色体で生まれた。いわゆる半陰陽だ。
そのため、男性器を持っていたけれども、第二次性徴で女性ホルモンが大量に分泌されて胸がふくらんでいった。
だから、子どもの頃は男の子で満足していたけれども、女性ホルモンにさらされて心も女性化して、20代で体の性転換手術を受けて女性として生きている。
体が心に影響を与えた例だ。

とはいえ、「性分化疾患」ではない多くのトランスジェンダーも「心」と「体」の不一致を主張しているので、いまだ科学では発見できていない、染色体以外の男性因子や女性因子のようなものはあるのかもしれない。

性転換手術を受ける前には、心の性別が体の性別と不一致であるという、医師による診断が必要だ。
医師の友人に聞いたところ、体はそれこそ染色体とか性器とかで明確に男女の区別ができるが、心の性別はあいまいだ。

男装をしたい、女装をしたいだけでは、ただファッションの問題になってしまう。
際立った男装や女装には世間の目が厳しいが、ズボンが発明される前は男性もスカートをはいていたし、16世紀のヨーロッパの男性はストッキングをはいて脚線美を誇るのが一般的だったのだから、どんな格好も時代によってはありになる。

だが、男装や女装が、「男性に見られたい」「女性に見られたい」欲望の反映だとすると、話が複雑になる。
その場合「心」の性別というのは、社会的にどのように扱われたいかの問題になる。

ところで、私たちは他人の性別をそこまで気にしているだろうか。
都会のホワイトカラー職種においては、男女雇用機会均等法の成立から40年近く経ち、建前上は男女の扱いに差をつけることは少なくなった。
会社によっては、男性がネクタイやスーツを着なくても、女性が化粧をしなくても何も言われない。
仕事の上で「男だから~」とか「女だから~」とか言われることも少なくなった。
心の性別で悩む機会は、昔に比べれば減るはずなのだ。

それでも男女の差は厳然と存在する。
まず体が違う。
街を歩いていても見た目で男女はたいてい見分けられる。
そうすると扱いも異なってくる。
私たちはやはり無意識に男女の扱いに差をつけているっぽい。
たいていの人は異性に親切だ。逆にいえば他人行儀になる。
同性に対しては、身内意識があるから遠慮がない。
だから、男性ばかりのグループに女性一人では参加しづらい。その逆もしかりで、女性ばかりのグループに男性一人では入りづらい。
それこそミソジニー(女嫌い)やミサンドリー(男嫌い)の人もいる。

それではやはり男性の「心」、女性の「心」があるのかといえば、いまひとつはっきりとしない。
心というあいまいなものはよくわからないまま、なんとなく体の性別に合わせて生きている人は少なくない。
逆に、トランスジェンダーのほうが「男らしさ」や「女らしさ」にこだわっているように見える。

男女の「心」の性差は明確にしないほうがいいかもしれない。
「心」の性別を定義してしまうと、「男らしさ」や「女らしさ」に悩む人が今よりも増えてしまうだろう。
男らしくあったり、女らしくあったりするよりも、自分らしくあることのほうが大切だ。

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