モラヴィアの『軽蔑』を読んで。
君の態度が変わったとキスを避けるしぐさで気づく
これはSMAPの「青いイナズマ」の歌いだしの部分だが、多少恋愛経験を経た今見ると、思い当たることがあって身につまされる。
モラヴィアの『軽蔑』もまさにこのような、ある夫婦に訪れた不和の残酷さを描いた小説だ。
劇作家である男は、あるとき映画プロデューサーからシナリオライターの依頼を受ける。そのとき、夫婦は新しいアパートに引っ越していて、何かと収入が必要であった。男はあまり乗り気ではなかったのだが、アパートのため、さらに妻のために引き受けることにする。
その映画プロデューサーに夫婦は食事に誘われる。プロデューサーの車は運転手を含んで二人乗りで、プロデューサーは妻を乗せるから、男はタクシーで来なさいという。男もそれを了承するが、妻はプロデューサーの車には乗りたがらない。しかし、強引なプロデューサーと男の説得により、妻は渋々車に乗ることになる。
男はタクシーを拾って後を追うのだが、そのタクシーが別のタクシーと衝突事故を起こし、運転手同士の口論に巻き込まれる。男は仕方なくまた新たなタクシーを拾ってプロデューサー宅へと向かうが、彼らの到着から遅れること三十分経って到着する。
遅れたことを謝罪する男だが、妻の態度は冷ややかなものだった。
それからというもの、妻の男への態度は以前とは打って変わってしまう。男は「妻はもう私を愛してはいないのではないか?」と疑うようになり、その原因を聞き出そうとするが、妻の答えも要領を得ない。
そして二人で激しい口論になり、男は妻に手を上げてしまう。そこで妻はいう。「あなたを軽蔑するわ!」
それからもギスギスしたやり取りをしながら、一応形だけの夫婦関係は続いていくことになるが、男は妻からの愛を回復しようとしてもがけばもがくほど、裏目裏目になってしまう。
最初に受けたシナリオライターについても、自分のことを愛さなくなった妻のためにやる意味あるのか?と自問自答する場面もある。
そんななか、映画プロデューサーから新たに仕事を依頼され、それは「オデュッセイア」の映画のシナリオを書くことだった。
しかし、プロデューサーと監督で、どういう映画にしたいのか、その構想がバラバラなのだ。
プロデューサーはユリシーズの冒険譚にしたいと思っているが、監督はユリシーズとペネロペの夫婦間に焦点を当てた心理劇にしたいという。
この監督が語る、彼のなかのオデュッセイア論が、まさに現状の男と妻の関係を的確に表わしたもので、そこがなんとも面白い。
シナリオ製作のためにやってきたカプリ島で、プロデューサーと監督のあいだに挟まれて厄介な役回りをさせられたり、ますます妻との溝は開いていくばかりであったり、男は苦悩に苦悩を重ねていく。
モラヴィアはーーと言っても数作しか読んでないので明言は出来ないがーー、語り手の心理を巧みに語るのが上手い作家だと思う。
しかもロジカルに、解きほぐすように順序立てて語っているように思う。
この『軽蔑』では、男のロジカルな思考というのが、とても良い味を出している。
男は妻が自分を愛さなくなった理由をきちんと“説明”させようとする。それはこの男の論理的思考に基づいてだと思うが、妻はそういった論理的に原因を語ることはない。逆に言えば、明確に言葉にすることを避けているような節もある。
ただ、自分がもう男を愛していないのだという事実は妻も重々承知している。だから「もう愛していない」のだと男に向かって言うことはある。しかし、なぜ愛していないのか?という問題については妻も明確な答えを持ち合わせていない。
男にしても、これこれこういう理由で愛さなくなった、と言われれば、ショックだとは思うが理解は出来る。しかし妻からはただ「愛していない」という言葉だけを向けられ、ますます憔悴していってしまう。
だが、この言葉にならない感覚的なものについては、プロデューサーと監督がともにオデュッセイアを論理的な解釈で映画化しようとしたのに対し、男はオデュッセイアの持つ詩情を大事にしようとしたように、男にも言葉にならない感覚的なものは備わっている。
そしてこの男の持つ詩情がまさしく現れた場面がラストに待っているのだが、その美しさは計り知れない。
人によっては男の単なるエゴイズムによるものだと言い切ってしまうことも可能だとは思う。
しかしこの真っ直ぐなまでに妻からの愛を取り戻そうとした男のある種の結実であるこの場面に、私は感動を覚えたのである。
この『軽蔑』を読み終わって分かったことは、自分はこのような愛する相手に異様なまでの執着をする男の物語が好きだということだった。
名刺代わりの小説に毎回入れてるパムクの『無垢の博物館』であったり、今年の五月に読んで上半期ベストに入ったビオイ=カサーレスの『モレルの発明』も、再読してその面白さを改めて認識したモラヴィアの『倦怠』も、どれも恋した女性に執着する物語であり、どこか自分の恋愛観と重なるところがあるのかもしれない。
逆に言えば小説の人物まで自分は行ききれないから、ある意味で憧れを抱いているのかもしれない。
『軽蔑』はフランスの映画監督、ジャン=リュック・ゴダールによって映画化されている。私は原作を読み終わってから、アマプラのレンタル配信で観た。
ゴダールによる脚色もあるが、概ねストーリーラインは原作をなぞっている。カットが美しく、冒頭に出てきたカミーユ役のブリジット・バルドーが裸でうつ伏せになっているところの、背中からお尻への映し方が官能的だった。
調べたところによると、どうやらこの映画の製作中、ゴダールは妻のアンナ・カリーナとの関係に悩んでいた時期らしく、作中の夫婦と自分らを重ねていたとかどうとか。
『軽蔑』はオールタイムベスト級に良かった小説だったので、こうやってざっとではあるが感想をまとめてみた。
本当はnoteから「10月31日までに投稿すると12ヶ月連続投稿になります」と発破をかけられたからというのはナイショ。軽蔑しないでね。
