誰が為の世界で希う-21

「――お前は亮のことになると冷静さを欠くな。前にも言っただろう。『魔術師は冷静であれ』。思考を放棄しやすくなるし、感情任せになって正しい判断を下せなくなる。魔法が暴走することだってあるんだ。お前は冷静さを欠きそうなときには足を突っ込まないという判断が必要だということを覚えるべきだな」
「……すみません」
 豊島区立中央図書館のある建物の、だだっ広い一階ホール。その隅で、二人はガラス張りの壁に背を預けながら話していた。ひとけのない空間に、二人の声が反響する。
「で、笹原はなにを話していた? いろいろ訊きたいけれど……そうだね。蓮人の記憶を見せてもらってもいいかな」
「それは、大丈夫です。あ、でも……」
「……ああ、魔力切れか」
 気まずそうに自分の手を見つめる蓮人に、巷一はあきれ顔で微笑んだ。
「さっきの呪い――首やら手足やらを縛っていた魔法。あの程度なら、蓮人が抵抗したり解いたり出来ないわけがない。なのにされるがままだったということは魔力がないんだろう。なら、おれが蓮人と記憶を共有すればいい。――おれがなにをしたいか、分かるね?」
 なんてことないように巷一は口にするが、蓮人は目を大きく見開いた。心がやすりで削られるようなざらりとした感覚があって、思わず顔を伏せてしまう。
「……同化の魔法、ですよね。相手の許可をもらえれば記憶の共有もできるって、おっしゃっていましたから。けど……今回に関しては記憶の共有をしてもいいんですけど、でも、記憶の共有までしたら、自分に戻ってくるのはかなり難しいんじゃないんですか。それに、さっきまであんなに魔法を使っていたんですよ。師匠まで魔力切れを起こしちゃうんじゃないですか」
「大丈夫だよ。ちゃんと戻ってくるし、魔力切れにもならない。無茶をするつもりもないよ。でも、もし前みたいに戻ってこれなくなりそうだったら……そのときは、頼んだよ」
 心もとなげな蓮人の手を取り、反対の手をかざす。そして巷一は微笑んでみせたが、その表情はどこかぎこちなく、時が経つにつれてそぎ落とされて消えていく。
 緊張感が、張り詰める。体感温度が数度下がり、蓮人は雰囲気に吞まれて、なにもできずに立ち尽くした。
 巷一の深呼吸。
 そして、魔法ははじまった。
『同化』というだけあって、目の前で師匠の手が青く小さな粒となって自分に溶け込んでいるのを見ているにもかかわらず、なんの違和感も覚えない。以前と同じように眠るように目を閉じた巷一を見つめながら、蓮人は尊敬しているのか心配しているのか分からない、複雑な思いでそこに立ち尽くしていた。
 どれだけ、そうしていただろう。
 蓮人はふと、自分の手から青く光る粒が浮かび上がってきていることに気がついた。しばらくそれは続いたが、やがてなんの変化も起こらなくなり、そして、巷一は瞼を開いた。
 今回は、ちゃんと戻ってきた。自分を見失わなかったのだ。
 安堵の表情を浮かべた蓮人に、巷一はなにかを言いたげに口を開く。けれど、ふっつりと瞼を閉ざし、糸の切れた操り人形のように頽れた。
 半ば反射的に、その体躯を蓮人は受け止める。
「師匠!?」
 自分でも驚くほどの大声が出たのに、巷一はなんの反応も示さない。全身から力が抜けているせいかすべての重みがかかってくるのを感じ取り、蓮人は冷たい汗をかいた。
 ガラスの壁に背を預けるように巷一を座らせて、耳元で名を呼んだ。肩を叩いた。しばらくそうしていたにもかかわらず反応がなく、蓮人は隣にうずくまって膝に顔をうずめた。
 どうしたらいいものか分からないまま、なにもない、空白の時間がすぎていく。
「――どうした、蓮人」
 けれどそれは、聞き慣れた声とともに終わりを告げる。
 顔を上げて振り返ると、巷一が穏やかな表情でこちらを見つめているのが見えた。
「どうした、って……急に師匠が倒れるから! おれ、心配で……!」
「倒れた? ……ああ、そういうことか」
 必死になって言い募る蓮人の頭に手を乗せて、巷一は「すまんね」と口を開く。
「なにせ得た記憶の情報量が多かったものだから、処理落ちに近い状態になっていたんだよ。個人差はあるけれど、おれは結構こうなりやすくてね。ちゃんと自分のものにするためには時間がかかったけど、もう大丈夫。心配かけてすまなかったね。ありがとう、蓮人」
 ようやくほっとしたように笑みを浮かべた蓮人だったが、「ただし、」と重い口調で語りだした巷一に表情が凍りつく。
 巷一の声が、いつにも増して鋭利で冷たい。蓮人をまっすぐ見つめる目も、奥で凍えそうなほどに熱い感情が透けて見える。
「今日の行動に関しては、ちっとばかし説教をしなくちゃいけないところが多すぎる。総括的なことはもう言ったから繰り返さない。その代わりにひとつ質問をしようか。
蓮人。お前はさっき、笹原に対してどんな魔法を使おうとした?」
 同化の魔法により蓮人の記憶を得た以上、巷一は訊かずとも答えを知っている。
「……傷つける魔法です。強さによってはひとを……ひとを、永遠に眠らせることができるような」
「どうして使った?」
「……」
 俯き、首を振った蓮人に、巷一は深いため息をつく。
「あの場に亮がいてよかったな。亮がどうして対抗魔法を使ったのか理由は分からないが、亮がお前の魔法を打ち消してなければ、まあ笹原は無事じゃなかっただろうね。さすがに反省はしているようだし、魔法の暴走が恐ろしいものだと実感しただろうから、もう言わない。けれど、次はこんな幸運はないと思っておいた方がいい」
「……はい」
 頷いて、蓮人は小さく呟いた。刻み付けるように、ゆっくりと。
「〈魔法で人を傷つけてはならない〉」
「……まあ、それを破ったのは亮も同じなのかもしれないな。少なくとも、亮自身にはその自覚があるんだろう。亮が前に蓮人と会ったとき、見せようとしなかった記憶はそのあたりのことなのかもしれないね」
言いながら、遠い目でガラスの壁の向こう、公園のある方を見つめた。
「でもな、亮」
 ここにはいない、もう一人の弟子に語りかける。
「誰だって一度や二度、失敗はおかすもんだ。おれたちだって魔術師とはいえ、魔法が使えるただの人間だ。誰だって完璧じゃない。反省して、次に生かせればいい。同じ過ちをしなければいい。だから、自分を諦めないでくれ。抱え込むんじゃない。……大丈夫。おれもいるし、蓮人もいるから」
 巷一の言葉につられたように、蓮人も口を開いた。
「わがままかもしれないけれど、お願い。――魔術師であることを、捨てないで。諦めないでいて。しんどいこともいっぱいあるけど、でも……その分、いいことだってたくさんあるから。魔術師だからこそできることだって、いっぱいある。だから……」
 ふわり、と。
 風もないのに、二人の髪が、ゆらり、揺れた。

「どうして……お二人に会ったんですか。俺と行動を一緒にする限り干渉しないって約束でしたよね」
 巷一と蓮人のいなくなった日出町公園。亮は目元を拭って、声が震えそうになるのを抑えながら声を張った。
「今回は向こうが先に会いたいって言ってきたからね。オレが進んで干渉したわけじゃあない。ところで、久々に二人に会ったんだろう? どうだったかな」
 感情の読めない笑みのまま首を傾げて見せた笹原に、亮は一言、目を伏せながら吐き捨てる。
「――会いたくなかった」
「あれ? 意外だね。どうして?」 
 俯いたまま無言になってしまった亮に、笹原は歩み寄っていく。十センチ以上は背の高い亮を見上げて、眼鏡の向こうの目を細めた。
「話したくないのかな」
「理由が分かっていて訊いているんじゃないですか」
「いいや、分からないね」
 一瞬、笹原の声から温度が消えたような気がして、亮ははっと笹原を見つめ返した。
 表情はさほど変わらない。けれど、ついさっきまでとは、なにかが違う。
「……なら、話しますけど。あなたに力を貸して人を傷つけた自分を、二人に見られたくなかったんですよ。魔法で人を傷つけてはいけないという約束を破った以上、顔向けできないって、ずっと思っていました。せめて二人の中では綺麗な思い出のままで終わってほしかった。……いや、そんなの嘘です。単純に、俺が嫌だったんです」
「そのわりに、オレのことは助けてくれたんだね。あの少年の魔法を止めなければ、あの威力からして多分オレはここに立っていなかっただろうし、キミはオレから解放されたはずだよね」
「それは、」
 一瞬、亮の言葉が詰まった。
「……柏木先輩には、同じ思いをしてほしくないから」
「というと?」
「……相手が誰であれ、ひとを傷つけてほしくなかったんですよ。俺はひとのことを明確に傷つけたことがあって、その苦しさも、辛さも、罪悪感も……全部、知ってます。それを抱えながら毎日を過ごすことが、どれだけ、しんどいかってことも。だから先輩には、それを知らないでいてほしかった。だから、あの対抗魔法はあなたのためじゃない。柏木先輩のためで、俺のためです」
 ふと、亮は笹原から目を逸らす。
「俺のため――そう、俺は、先輩が人を傷つけて絶望するところを見たくなかった」
 巷一からもらったネックレスを、握りしめた。手の中が熱を持って、じわりと痛む。
「……もし、あのとき」
 呟いてすぐ、続く言葉を飲みこんだ。けれど、あまりに多すぎる『もしも』は頭の中を駆けまわって離れてくれない。
 もし、あの梅雨の日に事故を起こさなければ。
 もし、人々の記憶を消さなければ。
 もし、笹原の差し伸べた手を取らなければ。
 ――もし、自分が魔術師として生きることを選ばなければ。
 選ばなければ、こんなことは起こらなかったのだろうか。
 ゆるゆると亮の手が動き、ここ最近ずっと身につけたままだったネックレスを外した。しばらくぎゅっと握りしめていたが、目に涙を浮かべ、歯を食いしばりながらそれを地にたたきつける。勢いに任せて踏みつければ、靴裏から硬い感覚が伝わってきた。
 笹原は状況が読めないのか、一切の感情が消えうせた顔で亮をじっと見つめている。
「……魔術師に、ならなければよかったのかもしれない」
 絞り出すような声。
「ならなければ、誰も傷つけずに済んだのかもしれない……」
 滴が散って、地面に黒々とした染みを作った。
 けれど、その瞬間。
 温かな風が、亮の髪を揺らした。
 夏らしくない、そう、例えるならば、春風のような――。
『――教えてください』
 聞き覚えのある言葉が、聞こえた気がして振り返る。
『俺は、魔術師のことも、魔法の使い方も、多少自分で調べたとはいえ、無知に等しいと思っています。だから……お願いします』
 巷一と蓮人をまっすぐに見返す、過去の自分を、見たと思った。
『俺に、魔術師としての生き方を教えてください』
 はっきりとした、力強い声だった。
 礼儀正しく頭を下げた亮に、巷一と蓮人はすぐに笑みを浮かべる。
 幻だ、と。
 分かっているのに、目を離すことができない。
『もちろんだよ』
『ようこそ、魔術師の世界へ』
 あのとき、こちらにおいでと差し伸べられた手を、たしかに亮は握った。そして、二人は握り返してきた。そんな感覚に陥っていたことを、昨日のことのように思い出す。
 咲いていないはずの、桜の花びらが舞っていた。そして、強い風と共に幻をかき消して、新たな幻が浮かび上がる。
『時には知りたくないことを知ってしまうこともあるし、魔法だっていいことばかりってわけじゃない』
 初めて魔法の練習をした日の、蓮人の声。
 ポケットの中にあるネックレスを握りしめ、地に視線を落としながら考えたこと。
 ――良くも悪くも変わってしまう。知る前にはもう戻れない。
 そんな覚悟を、あのときしていたのではなかったか。
『まあ、でもおれは、自分が魔術師でよかったと思ってるよ』
 その蓮人の言葉が本当なのか、強がりなのかは分からない。
 それでも、鼻にかかった声は笑ったのだ。ふふっと楽しげに、歌うように。
『自分の力で誰かを助けられるし、なにより、日常生活の中で役に立っているからね』
 薬と毒が紙一重なのと同じ。人を傷つけるも救うも、それは魔術師次第だ。
 いまはもうしないはずの、新緑の香りが鼻をさす。思わず目を閉じ、深く息を吸い込むと、古い本の香りが鼻腔を満たす。
 はっと目を開くと、幻は公園ではなく図書館を映し出していた。
『これだけは覚えておいて。世の中にはたくさんの考えを持った人がいる。二人とは違った主張を持っている人もいるってことをね。――どれが正しいとか、間違ってるとか、そういう話じゃなく』
 ぱたり。ささやかな音を立てて本を閉じた巷一は、どこか陰のある笑みを浮かべていた。
 そう。これは、認識改変の魔法の話を聞いた日のこと。いや、それだけではない。魔術師として大切なことを、たくさん教わった。『魔法は、魔力と想像力があり、ひとにできることの範疇を超えない限り、望むことを為すことができる。ただし、魔法で人を傷つけてはならない』『魔術師は常に冷静であれ』――覚えている。
覚えている。けれど、破ってしまった。
『まあ、この魔法を使うにしろ、使わないにしろ、知っているということはとても大事だからね。知らないから使えない、無意識で使ってしまった――というのではなく、自覚的になることが大切なんだよ』
 巷一はどんな思いで、この言葉を口にしたのだろう。
 分からない。
 ただ、ひとつだけ言えることがあるとするならば。
「……いまさら逃げ出すわけにはいかない、ってことか」
 いくら『もしも』の話をしたところで、過去は変えられない。そして、魔術師であることを捨てたとしても、過去の過ちが消えるわけでもない。
 踏みつけていたネックレスを、拾い上げた。砂埃を拭って、握りしめる。
 幻はもう、消えていた。

「師匠、おれの記憶を共有したなら、知っていますよね。おれがここに来る前に予知した未来を」
 ビル群にさえぎられて見えない公園の方を見つめながら、蓮人はふと、口を開く。
「知っているよ」
 巷一も同じ方を向いていた。けれどその目は、どこか遠くを眺めている。
「亮が笹原の隣に立っている。そして、苦しそうな表情を浮かべて……おれが渡したネックレスを魔法で壊す」
 酷い話だよ、と巷一は呟いた。
「魔法を捨てようと思ってしまうほどに、亮は悩んで、思いつめていたんだろう。……人を苦しめて、なにが楽しいんだろうね」
「本当にそうですよね。笹原は一体なにがしたいんだろう、って思いますもん」
 顔をしかめた蓮人に巷一は曖昧な笑みを浮かべて、ずっとつけたままだった首輪をようやく外した。投げて受け止めて、を数度繰り返そうとして、何度目かで首輪を取り落とした巷一はひとつため息をつくと口を開く。
「〈首輪をもとの腕時計に戻せ〉」
 青い光に包まれて元の形に戻った腕時計を、巷一は身につける。その様子を見ていた蓮人はふと、訝しげに師を見上げた。
「……師匠」
「どうした?」
「……魔力切れが起きないのは、なんでなんですか?」
 話の続きを促すように、巷一は無言でわずかに首を傾げる。
「さっきから、師匠は立て続けに魔法を使い続けていますよね。多分、最初に腕時計を首輪に変えて、瞬間移動で公園まで来て……それから、おれと亮くんにかけられた魔法や、亮くんの認識書き換えの魔法を解いて、俺を連れて瞬間移動をして、同化の魔法を使って、いま、首輪を腕時計に戻しましたよね」
「うん。そうだね」
「おれよりも魔力量が少ないのにこれだけの魔法が使えるなんて、ありえないですよ。特に亮くんの認識書き換えの魔法は、大規模なものだったはずです。魔法を解くには、かけたときに使われた量と同等か、それ以上の魔力が必要なんですよ。師匠の魔力量であれば、この時点で魔力切れを起こしたっておかしくないはずじゃないですか?」
 額にしわを寄せながら腕を組んで考え込み、蓮人は巷一のことをじっと見つめる。
 ふっ、と。
 巷一は不敵な笑みを浮かべた。
「気づくのが遅かったね」
「えっ」
 戸惑い、思わず声をあげた蓮人の手を、巷一はそっと取る。その途端、手からなにかが流れ込んでくるのを感じ、蓮人は思わず息をのんだ。
 体全体に温かな力が染みわたっていく。
「これ……まさか!」
「落ち着け。大丈夫だよ」
 慌てた様子で手を離そうとした蓮人だったが、巷一の力が思いのほか強く、振りほどくことが叶わない。
 そして、巷一が手を離したとき、蓮人は「なんで」と師匠にすがるように問い、叫んだ。
「なんでいま、魔力を渡してくださったんですか。しかも、量が……おれの魔力量が魔法を使う前と同じになるくらいになるまで、分けてくださいましたよね。師匠の魔力量は、おれより少ないはずなのに……どうしてそんなことができるんですか」
「とりあえず落ち着こうか。魔力を分けたのは、魔力が回復するまでには時間がかかるからだよ。そのくらい、蓮人なら分かるだろう? このあと魔法を使わなきゃいけない場面に遭遇しても大丈夫なようにね。そして、まあ、あからさまにやりすぎたかなとは思ったけれど、たしかに蓮人の言う通りだってことを伝えたかったんだよ。おれは蓮人よりも持つ魔力量が少ない。けれど、自分の持つ魔力量の制限なしに魔法を使えている」
 弟子をなだめながら、巷一はさも不思議そうに首を傾げる。
「そもそも、おかしいと思わなかったんだね。自分の力では記憶を読むことも書き換えることもできない魔術師が、空間情報を書き換えて腕時計を首輪に変え、自分を他のものに同化させるなんて世界の理を変えることにもなりそうな、人にはできないはずのことを魔法で実現させられる――そんなことが、起こりえると思うかい」
「え……師匠は空間認識が得意だから、こういう魔法が得意なんだって、」
「それはひとつの理由としてあるだろうね。でも、そんなことを言っていたら空間認識の得意な魔術師は皆、この魔法を操れるという話になってしまう。いや、特性がなくても魔力を多く持つ魔術師であれば、細かいところを魔力量でカバーすることで同化の魔法が使えてしまうかもしれないね。でも、一度でも、空間情報を書きかえられる魔術師や魔法の話を聞いたことがあったかな。こんな魔法が存在することを、本の記述で読んだことはある?」
 ――ない。
 蓮人が首を振ると、巷一はそうだろうね、とでも言いたげに頷いた。
「空間情報を書き換えるのには、実は莫大な魔力が必要なんだ。亮が持っている魔力量でも足りないんじゃないかな。もしかしたら、存在しているけれど誰も使えない、存在を知られることすらないはずの魔法なのかもしれないね。……そんな魔法をおれが使えるのはどうしてだと思う?」
「……教えてくださらないんですか」
 納得のいかない表情を浮かべる蓮人に、巷一は「教えないよ」と苦笑い。
「笹原は簡単に手の内を明かしてみせたけれど、おれはそうするつもりはないんだ。本当に大切な切り札は、誰にも教えないって決めているからね。たまには自分で考えてみるといいよ。ヒントなら、少しずつ伝えてきたからさ」
 言いながら、巷一は蓮人ではなくガラス壁の向こうを眺めていた。
 わずかに見える空を見上げるようにして、ここではない、どこか遠くを。

「どうして、キミの『色』が見えなくなった?」
 笹原の、感情の薄い声が耳に飛び込んでくる。
 亮は振り返ると、目を細めている笹原の目の前に立った。
「そうですね。笹原さんもひとつ手の内を明かしてくれたことですし、俺もひとつだけ手の内を明かしましょうか。俺は、もともと魔力が封印されていて魔法が使えない魔術師なんですよ。今までは神田さんのかけた封印無効化の魔法のおかげで、魔術師として過ごすことができていたんですけどね。神田さんの魔法を解いてしまいました。いまの俺は、魔術師でもなんでもない、利用価値のないただの人間ですよ」
 少しばかり違うところもあるが、きちんと説明をする気は起きなかった。幸いにも笹原は納得したのか、「ああ」と小さく声を漏らす。
「それで、か。そういう魔術師がいるっていう話は聞いたことがあるよ」
 ふっ、と。
 笹原はわずかに、鼻で笑った。
 亮の腕を力強く摑み、笑みの混ざった真顔で、黒々とした目で、亮を見上げる。
「キミは自分のことを利用価値がないなんて言うけれど、そんなことはない。もうどうせ気づいているだろうけど、オレはね、人を不幸にしたいのさ。実際、そのためにキミを利用してきたよ。魔法の力があれば一般人のオレには出来ないこともできるからね。
 でも、魔法を使わなくたって人は不幸にできる。そして、ひとつの不幸はたくさんの不幸を呼んで、波のように広がっていく。不幸が街中、国中、世界中に広がったらどうなると思う? ――いつか、世界は荒廃するだろうね」
 摑まれた腕が痛み、そして聞いていて気分のいい話ではなく、亮は顔をしかめた。
 けれど、それを気にした様子もなく、饒舌に、笹原は話し続ける。
「オレはね、世界の荒廃が見てみたいんだよ。この世界が滅ぶ、そのときを見たい」
 その言葉に、亮は顔をひきつらせた。なにかを言おうとして、けれど喉の奥で詰まってしまって、声にならない。
「一人じゃそんなの無理だって思うかもしれないけど、一人じゃないんだよ。同じように考えて行動している同志がたくさんいる。名もない組織だけど、ときに集まって、力を貸しあって、世界の荒廃を呼ぼうとしている。オレも、その一員なんだよ」
「……なんで、そんなこと」
 ようやく亮の口から飛び出した声は、かすれて震えている。固く握りしめられた手の爪は白く、手のひらに食い込みそうだった。
「どうしてだろうねぇ」
 けれど笹原は、世間話でもするように穏やかな口調を崩さない。
 摑んだままだった亮の腕を放し、ゆったりと亮の周囲を歩きはじめる。
「理由は、ありすぎて全部覚えていられないほどたくさんあるんだよ。困ったことにね。
 ――平等じゃないから壊して初めからやり直したいという考え方もあれば、全員が幸せになれない世界でも全員が同じように不幸になることはできるから、世界の荒廃を呼んで平等にしたいという考え方もある。もしかしたら、幸せになれないからとこの世界を憎んだのかもしれないね。この世界を愛するがあまり、綺麗な思い出だけを残して終わらせてしまいたいって考える人もいるみたいだし、未来が不安で仕方がないから、その未来が来る前に世界を終わらせてしまえって思う人もいる。……本当に、たくさんの理由がある」
「それなら、笹原さんが……世界の荒廃を見たい、と、そう思う理由はなんなんですか」
 へらへらと笑いながら、親が子供になにかを言い聞かせようとするように、そしてどこか他人事のように語った笹原を、亮はまっすぐに見返した。
「全部、笹原さんの考えじゃないですよね」
「どうしてそう思ったのかな?」
「話し方と、口調と、……魔術師としての、勘です。こう言っても信じてもらえるかどうかは知りませんけど、俺、昔っから勘は働く方なんですよ。そしてだいたい外れないです。魔術師だから、なんでしょうかね」
 笹原が、固まる。
 操り手のいなくなった人形のように、身動き一つしない。
「どうして笹原さんは、世界の荒廃を呼びたいんですか」
 表情という名の仮面が落ちる音がした。
「そうだね」
 抑揚のない、笹原の声。黒々としたうつろな目で亮の方を眺めて、呟いた。
「君は、どう思うかな――」

(続く)

*この物語はフィクションです。実在の地名・人物とは一切関係ありません。
*全話をマガジンにまとめています→【長編小説「誰が為の世界で希う」】