誰が為の世界で希う-19
――笹原と、会う。
そう考えると、どうしても気持ちが落ち着かなくなる。まだ日曜日にもなっていないのに、と蓮人は一人、頭を抱えた。ゼミの前、講義開始十分前のことだ。
「どうしたの? さっきからずっと悩んでるみたいだけど」
いつの間にやってきたのだろう。蓮人の様子を見かねたらしい風花が声をかけてきた。
「あ、いや……別に。なんでもない」
「そう? あ、そういえば、この間言ってた後輩とはどうなの?」
軽い調子で図星をつかれて、思わず「うっ」と声を漏らしていた。そのままなにも言えなくなった蓮人に、察した風花は眉を下げたまま微笑んでみせる。
「……あんまり、状況はよくなってないみたいだね」
「うん。……むしろ、悪化したよ」
最後に亮と会った日のことを思い出すと、胸が締め付けられたかのように苦しくなる。きりきりと頭が痛んで、思わずため息をひとつついた。
「おれ、さ。この間、亮くんと会ったんだけど、そのとき……亮くんを傷つけるようなこと、しちゃって。だから多分、嫌われちゃっただろうなって、思ってる。……別れたとき、様子が少しおかしかったから、大丈夫かなって不安なんだけど。でも……」
でも、かといって、本人がひとに知られたくないと思うことを無理に聞き出すわけにもいかない。
事情を全て話すわけにもいかず、上手く自分の気持ちを言語化できないまま曖昧に話を終わらせてしまった蓮人だったが、風花はなにか思い当たる節があるかのように手を口元にあてて考えるそぶりを見せた。
「……いま、さ。『亮くん』って言ったよね」
「――!」
蓮人の頭が、真っ白になる。けれど胸の中は焦りと後悔でいっぱいだ。
亮の名前を、口にしてしまった。絶対に言わないようにしようと決めていたのに、こぼしてしまうなんて。
「えと、それは、あの」
どうにかごまかそうと、意味のない言葉が口をついて出る。けれど、そんなことはお構いなしに、風花は「うーん」と小さく唸った。
「その子って……もしかして、二年生の、清水亮君?」
ゆっくり、確かめるように、耳に染み込ませるように。そう問いかけた風花に、蓮人の動きが、止まる。
蓮人だけ時間が無限に引き延ばされたかのように、思考が止まり、感情が追い付かなくなり、声が出なくなった。
「よくある名前だから違うかもしれないけど……すごく背が高い子じゃない?」
首を傾げながら風花がそう言葉を続けたところで、引き伸ばされた蓮人の時間が、輪ゴムでできた鉄砲のように現在に追いついた。
言われたことをようやく理解し、はっと我に返ると同時に風花へと縋りつくように、口から震えてかすれた声が勢いよく飛び出していく。
「そう、そうだよ。……でも、どうして」
「清水君は私が所属してるサークルの後輩の友達で、最近、三人でよく顔を合わせるんだよ。でも後輩も様子がおかしいって思ってるみたいで。……なにか、悩み事があるのかもしれない、って、後輩は心配してた」
食いつくようだった蓮人に風花は最初驚いていたが、すぐに物憂げな表情へと変化した。薄桃の唇を軽くかむと、口紅が落ちて紫がかった血の気のない本来の色が見える。
「私は清水君のことをそんなに詳しく知ってるわけじゃないんだけど、サークルの後輩は高校以来の付き合いだって言ってたから。そんな彼が清水君のことを心配するのなら、きっと後輩の予想は当たっているんだと思う。……もしかしたら、清水君が柏木君を避けてた理由も、そこにあるのかもね」
タイミング悪く、講義開始のチャイムが鳴り響いた。ゼミの担当教員もすぐに現れたので話を続けることなどできるわけもなく、風花は自分の荷物のある席へと戻っていく。
亮がなにを抱えているのか、誰にも分からない。けれど、やはり蓮人には、『記憶の欠片』で一瞬だけ見た笹原の姿が鍵になっているような気がした。
たくさんの不安がかき混ぜられて、確実に胸の奥底に沈殿していく。心をじわじわとむしばんでいく。講義がはじまったというのに、教員の言葉がなにも入ってこない。耳から耳へと通り抜けていってしまう。
そんな蓮人の様子を、風花は離れた席から見ていた。
数時間後。
よく晴れた青空の下、大学の敷地内をカメラやマイクを持った集団が歩いていた。撮影があるのだろう、香盤表や台本を手にしている人も見える。その中には、風花や海弥、そして亮の姿もあった。けれど、亮は友人のそばにはおらず、台本に目を落としながら一人で背を丸めて歩いていく。足が長く歩幅が大きいからか集団に置いていかれることはないが、その歩みはどこか重々しい。
「清水君、なにがあったんだろうね」
そんな亮に気づいたのか、台本を片手に持った風花は、隣を歩く海弥に呟きかける。
「――どうしたの、急に」
「実は、清水君の知り合いが同じゼミにいてね。彼も清水君のことを心配してたから」
風花の言葉に、少し離れた場所にいる亮を振り返って、海弥は目を丸くした。
「……あいつ、この大学で年上に知り合いなんていたのか」
「意外だった?」
「うん。……清水は、むやみやたらに交友関係を広げるやつじゃない。交友関係を広げすぎたら面倒になる、手に負えなくなるって言ってたよ。だから清水は同じ学科の人とも必要最低限の連絡しか取り合ってなくて、サークルにも所属してない」
「そうなんだ。じゃあ、どこで知り合ったんだろうね。私も、さすがにそこまでは訊かなかったから分かんないや」
二人で心ここにあらずといった様子の亮を見つめて、顔を見合わせた。
「今日からドラマの撮影が始まるけど、大丈夫なのかな」
「分からない。やってみないと、って感じかな。でも……」
海弥は言いながら、ふと、ため息をついた。
「なんか似てるんだよな。最近の清水と、この台本の主人公」
そのときは首を傾げていた風花だったが、実際に撮影現場に到着し、撮影を開始したところで、海弥の言葉の意味がなんとなく分かったような気がした。
少し前に、海弥が『清水の演技が演技に見えない』と口にしていたことも。
ドラマの主人公は、大切な人を失ったことを受け入れられないまま、大切な人のいない世界を生きていく。現実を信じたくない苦しみを、恋人のいない悲しみを、現実と自分の求めていた世界との乖離を、乖離の生み出した幻に悩まされ続けていることを、すべて自分の胸の内に閉じ込めたまま。なんでもないと笑いながら、人前では『いつも通りの自分』でいようと心掛けながら。けれど、ずっとそれを続けられるわけもなく、少しずつ、作り物の表情にほころびができて素の感情が飛び出していく。
風花が『主人公の恋人の幻』として亮と向かい合うとき、目の前にいる人が『主人公』なのか亮自身なのか、風花はときどき分からなくなった。それほどに亮の口にした台詞は演技らしくなく、素の感情を吐き出したかのような、真に迫ってくるものだった。
「清水君、本当にすごく演技上手いね」
撮影後、そう声をかけてみると、亮は汗をぬぐいながらへにゃりと疲れたような笑みを浮かべた。
「そうですかね? 一番近くで俺の演技を見てる本間先輩が言うならそうなのかもしれないですけど、俺はあんまり自信ないですよ」
「もっと自信もっていいよ!」
亮の肩を軽く叩いて笑いながら、風花は違和感を覚えていた。
以前はまっさきに否定の言葉が出てきていたはずなのに。そして、否定をしながらも自信はありそうな声色だったのに。
長く一緒に過ごしたわけではないけれど、それでも、亮の異変に気づくことはできた。
「ねえ、清水君」
撮影集団から少しずつ離れるように二人で歩いて、ひとけがなくなったところで、風花は思い切って口を開く。
「はい?」
にこりと口角を上げて応じる亮の表情は、風花の目には作り物のように映った。海弥がそばにいたら、彼もきっと同じことを言うだろうという確信があった。
「最近、なんか悩んでることない?」
亮の目が、ゆらり、揺れる。
「私でよければ、話、聞くよ」
(続く)
*この物語はフィクションです。実在の地名・人物とは一切関係ありません。
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