水道管爆破。本屋の2階に【滝と沼地】エリアを爆誕させてしまった話。
店舗のすぐそばの路上で、一眼レフを構えたおばあさんが雨上がりの紫陽花に狙いを定めているのを見かけた。腰が曲がったエプロン姿のおばあさんを見つめながら、豊かさとはこういうことだと思った。
そんな、穏やかな一日の始まりだった。
穏やかな一日になるはずだった。

わたしは大工と建築士の力を借りながら、本屋をDIYしている。
radikoを起動し、昨晩聞き逃したラジオをかける。軽快な音楽が始まるのと同時に、モップを手にして作業を始める。
『みなさんこんばんは、パンサーの向井慧です。2025年6月10日、東京から生放送でお送りしたいと思います。』
異変にはすぐに気づいた。昨日まで二階にあったキッチンが、いつの間にか撤去されていたのだ。昨日の午前中も私は一人でここにいたので、おそらく、昨日の午後の大工の仕事であろう。

とにかく、7月19日のオープンに向けて作業を急いでいる。一階に本棚を入れたり、様々な補強をしてもらったりという工程の前に、二階をなんとか形にしなくてはならない。
目に映るもの全てを素早く破壊する必要がある。今の私の頭には、破壊行動に特化されたコードがセットされている。破壊して、きれいなものを上から貼って、新しい価値を、新しい場を造ろうとしているのである。
全てを真っ平らにしたい。
床を、壁を、ツルツルに磨き上げ、真っ平らにしたい。オレ…マッタイラニ…スル…

ハカイセヨ、ハカイセヨと、脳から信号が発信される。
出っ張りが許せないんだ。キッチンがなくなった以上、こんなにも出っ張った蛇口は必要ないのだ。一寸の迷いもなかった。わたしは、大工が残していった銀色の蛇口をむんずと掴み、ぐりぐりぐりとねずみ色の水道管から、こいつをねじってはずしたのだ。ワイルドだろぅ?

じょぼじょぼじょぼじょぼじょぼ!!!
ひひぃぃぃぃぃぃぃいいい!!
この水道管は生きていたのだ。
生きているから大工は残していったのだ。
水はもう流れてこないもんだと勝手に思い込んでしまっていたのだ。
突然店内に現れた滝。
どぼどぼと水が溢れ出てくる。
地べたにはみるみるうちに水が広がり、粉塵と絡まって沼地のようになっている。本屋の二階に沼地ができた。実に不思議な本屋である。店内奥には滝と沼地。「何かに特化した本屋」が流行っているけれど、こういうことじゃないはずだ。

じょぼじょぼじょぼじょぼ!!
『スタバが、ホットハニーという辛ぁ~いハチミツがあるらしくて、それをかけた、辛フラペチーノっていうのを出したんですよ。フフフ。』
必死な私と正反対のところにあるラジオブースから聴こえる声があまりにも平和な音だったから、余計に私の不安を駆り立てた。地球上で、こんなにも窮地に陥っているのは私一人だけだと錯覚し、誰にも気づかれていないという恐怖に震える。
水道管に銀色の蛇口を押し当てて、なんとか水を止めようとする私。
力を込めれば水圧がかかり、まるで口先を押さえたホースのように四方八方へと水が飛び散る。ぷしゃああああと浸水する水に恐れおののくこんなシーンが『タイタニック』にあった気がする。まるでここは沈みゆく船室。ああ、せめて開店の日くらいは迎えたかった。

水は私の頭から足先まで、全てを濡らした。
身にまとっているものは全て水に浸った。
水温も低く、このままではどうにかなってしまうという不安と共に水は私の胸を襲い、うまく空気を吸うことができなくなった。学校のプールに入る前の冷たいシャワーの中で息ができなくなるそれによく似ていた。
最悪、このままでは、映画『天気の子』のラストシーンよろしく、笠寺の街自体が全て水に浸かってしまう。ここが船室ならば、私は『海猿』の伊藤英明だ。みんなを、笠寺の街を、ブタコヤブックスを、この真下にある分電盤を、水から守らなくてはならないのだ!!!

「いっけえええ!!!!」
コナンよろしく持てる力を振り絞り、なんとかねじ込みに成功した。
しかし。

水漏れが止まらない。沈没はまぬがれたものの、ちょろちょろと水が止まらない。
そして水を汲む物がない。手元にあるのはこのサイズ感の、塗装用のプラスチックカップのみ。
でもまあ、最悪の事態はまぬがれた。よかった。

しかしだ。一件落着…という訳にはいかないのだ。「物語」を愛している人間なら、この後にはどんな展開が続くかなんて容易に想像がつくだろう。
ミシ…ミシ…という音の後、小刻みに大地が揺れ、何かが爆発して新たな脅威が現れるというのがおきまりのパターンである。水道管大爆発だなんてことになってしまったら、それこそニュースである。
大急ぎで大工・建築士にヘルプの電話を入れる。水道トラブル5000円だろうがなんだろうがとにかく誰かに助けてもらいたかった。
プロの判断は至って冷静だった。
「元栓を締めましょう」
ああ、そうか…

元栓のところまで行く間、ちょろちょろと垂れる水が土壁を伝うのが嫌だったので、水収集システム(ほうきを伝わせる)を構築して外へ走るなどをした。

いっぱいになったプラスチックカップの水を捨てる場所がなく、どうせ外は雨降りだったのもあり、窓から豪快に水を投げ捨てたりなどもした。

ぐにゃりと元栓をひねると、無事に水が完全に止まった。
ああよかった。
沈みゆく船は、なんとか助かった。
大工が直してくれることも決まった。
親譲の無鉄砲で小供の時から損ばかりしている。
申し訳ない。
電話を切って戻った二階は、水浸しだった。
プールサイドみたいなにおいがした。

今日も笠寺や名古屋の街には、いつも通りの平和な時間が流れている。笠寺の古い店舗のニ階で、こんな戦いが繰り広げられていたことは誰も知らない。
ああ、とにかくよかった。
興奮状態で聴こえなかった、ずっと流れていたはずのパンサー向井のラジオの音が、ようやく耳に入るようになった。
『聴いていただきたいと思います。JUDY AND MARYで、ラッキープール。』
やかましいわと呟きながらradikoの停止ボタンを押した指の跡に、泥にまみれた水滴がぽつんとひとつついていた。
