瞬きの映像手帖 Part3: John Lennon Session: ラリー・カールトンがジョン・レノンのレコーディング・セッションを辞めた理由
😮…ロックンロール というJOHNのALBUMは真剣にやっていればもっともっと"凄いアルバム"になっていたという証明の発言でした。印象に残りましたので、配置させて頂きます。お時間が許されましたら… 時間が経過するごとにこういう発言が出てきて実に興味深いと感じている今日この頃です。
ギター界のレジェンド、ラリー・カールトンがジョン・レノンのレコーディング・セッションを辞めた理由
以下記事としてもまとめさせて頂きます。


「ラリー・カールトンが語る真実:ジョン・レノンのセッションを辞めた理由と音楽界の裏側」
はじめに
世界的なギタリストであるラリー・カールトン。彼は数々の名盤を彩ってきた存在ですが、実はジョン・レノン名義の最後のスタジオ・アルバム「ロックンロール」のレコーディングに“参加しなかった”という逸話があります。なぜそのような決断を下したのか——今回はその背景を深く掘り下げます。
レノンとのセッションに呼ばれた夜
1975年、フィル・スペクターがプロデュースするセッションに招かれたラリー・カールトン。毎晩19時に集合という予定でしたが、肝心のジョン・レノンもフィルも現れないまま、時間だけが過ぎていきました。
21時半を過ぎても現れない二人を待ちながら、カールトンとレオン・ラッセルはスタジオで軽くジャムをして時間を過ごします。
遅れて始まった「ボニー・マロニー」
ようやく22時頃になってレノンとスペクターが到着。しかし、その夜の空気は決してプロフェッショナルなものではありませんでした。 レノンは酒に酔いながら、シンプルな3コードの曲「Boney Maroney」を大声で指示しつつ進めていきます。
カールトンにとっては、12歳の頃に弾いていたような曲を、巨匠レノンとその状況で演奏することは「楽しい体験」には程遠いものでした。
レオン・ラッセルとの帰り道
セッションを終えた帰り道、カールトンはラッセルをホテルまで送りながら「今夜は本当に退屈だった」と漏らします。するとラッセルは笑いながら「明日の朝にはタルサに帰るよ」と言い残しました。彼にとっても、このセッションは魅力を失っていたのです。
決断の瞬間
その夜、自宅に戻ったカールトンは深夜にフィル・スペクターの事務所へ電話を入れ、「残りのセッションはキャンセルします」とメッセージを残しました。彼は「自分の時間をこういう形で使いたくない」と強く感じていたのです。
レノンへの敬意と複雑な思い
カールトンはインタビューの最後に「私はジョンの音楽を尊敬している」と語ります。しかし、このセッションは彼にとって“正しい環境”ではありませんでした。決してレノンの音楽性を否定するものではなく、むしろ「敬意を持っているからこそ距離を置いた」という姿勢が浮かび上がります。
まとめ
この逸話は、華やかな音楽業界の裏に潜む「現実」を映し出しています。どれほどのレジェンドであっても、人間的な葛藤や迷いがあり、プロとしての姿勢を貫くために勇気ある決断を下すことがあるのです。ラリー・カールトンの選択は、音楽に真摯であり続けるアーティストの姿を象徴していると言えるでしょう。


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