読書|『テクノ封建制』──「商品労働」と「経験労働」
「労働」って、ひとことで言っても、実は二つの顔があるのです。ひとつは、お金と引き換えに売り買いされる「商品労働」
もうひとつは、人の思いや温かみ、そして喜びを生み出す「経験労働」
私たちが手にするパンや服などの製品、映画や小説などの作品、カフェなどの空間サービスの一つひとつも、この「経験労働」で成り立っています。
でも不思議なことに、それは数値で測ることができないがゆえに、賃金というかたちでは報われにくくて…。
目に見えないこの“もうひとつの労働”とは、いったい何なのでしょうか。
今日は、そのことを少し考えてみたいと思います。
経験労働(experiential labor)
経験労働は、人間の労働の捉えどころがなく、数量化できない、流動的で、時の魔法のような側面であり、最終的な製品やサービスを消費したり経験したりする人々に経験価値を与える能力を、モノやサービスに吹き込む。(販売用に生産された)商品に焦点を当てると、経験労働とは、生産過程において商品に交換価値をもたらす人的投入である。
*バリファキスの言う「経験労働」は、マルクスが単に「労働」と呼ぶものです。
1. 「経験労働」は“目に見えない人間的な働き”のこと
経験労働とは、数量化できず、形にしにくい人間的な働きを指しています。
たとえば──
・バリスタの笑顔や会話、ホールスタッフが醸し出す雰囲気が、コーヒーを「おいしい」と感じさせるとき
・介護士の優しい声かけで、利用者が安心を感じるとき
・職人が細部まで丁寧に磨くことで、製品に温かみが宿るとき
・声優さんが、アニメに命を吹きこむとき
こうした「心や雰囲気」「思いやり」「感性」など、人間ならではの“目に見えない働き”が経験労働です。
そこに、ただ単にモノを消費しただけでは、触れることのできない、感動、優しさ、誠実さ、喜び、威厳、スピリチュアル、安心──もっとたくさんありますが──などなどの価値が生まれます。これが「経験価値」と呼ばれるものです。
前に記事で書いた「果樹」という小説は、
「所帯を持ち、引っ越し、草木の多い借家に住み、火鉢を買い、子どもを授かり、柿を食べる」それだけの物語です。
でも、そこに作者の「経験労働」、つまり時間の積み重ねや、人間の細やかな心の動き、登場人物たちへのまなざしが込められている。だから読者の心が温まり、「幸せな気持ち」になるのだと思います。
*このときの書籍の代金は「経験価値」ではなく「交換価値」という形で区別できます。
3. 商品生産の観点から見ると…
(販売用に生産された)商品に焦点を当てると、経験労働とは、生産過程において商品に交換価値をもたらす人的投入である。
ここでは、「資本主義的な視点」で見た場合の説明になります。
つまり、資本主義の立場から見ると、経験労働も「商品に価値をつけるための労働」として扱われる、ということです💦
例えば「手作り」「丁寧」「おもてなし」などの言葉でマーケティングされるように、
経験労働が“交換価値(価格)”を高める要素として利用されてしまうのです😥
🪄まとめ
「経験労働」を簡単にまとめると——
人間的な視点では、他者に「温かみ」や「共感」などの経験価値を与える、人間の創造的・感情的な働き。
資本主義の視点では、商品に「付加価値」を与える人的投入(=売れるようにするための労働)。
つまり、「経験労働」は本来、人間の豊かな関わりから生まれる“生命的な働き”なのに、
資本主義のもとでは、それが“交換価値を生む手段”として取り込まれてしまっている——という二重性を示しているんですね💦
商品労働 (commodity labor)
商品労働とは、労働者が雇用主に貸し出す「労働時間」と「技能」の総和のことだ。商品労働の交換価値は、賃金労働者の賃金で購入できる商品に、他の労働者たちが投入した経験労働の総量に等しい。
「商品労働」とは、労働そのものが商品になっている状態
*マルクスでは「労働力」
つまり、労働者は自分の「働く力(労働力)」をお金(賃金)と引き換えに雇用主へ“売って”いるのです。
「わたしは、一定時間、自分のスキルと時間を提供します。その代わりに賃金を払ってください」と。早い話が、職場での拘束時間ですね💦
でも、ここで注意したいのが、労働者は、自分の“人間そのもの”を売っているのではなく、“労働力”という一時的なサービスを商品として売っている、ということです。
「商品労働の交換価値」とは?
商品労働の交換価値は、賃金労働者の賃金で買うことができる商品に、ほかの労働者たちが投入した経験労働の総量に等しい。
この部分は少し複雑ですが、面白いです。
自分の労働力の価値(賃金)は、他人の経験労働とつながっているということ。
つまり、労働者がもらう賃金(=交換価値)は、「他人の労働(経験労働)」をどれだけ“買える”か、という尺度で決まっているということです。
もう少し具体的に言うと…
たとえば、1日働いて1万円を得たとします。その1万円で買えるのは…
食品を作った人の労働
服を縫った人の労働
電気を供給する人の労働
カフェで接客する人の労働
───など、他の人々の経験労働によって支えられている商品やサービスです。
つまり、「1日の労働の価値(=1万円)」は、「他人の労働(経験労働)とどれだけ“交換”できるか」という関係で定まっています。
ここで示されているのは、労働=社会的な関係そのものである、という洞察です。
まとめると
労働者は、自分の労働時間と技能を商品として雇用主に提供する。
その労働の「交換価値」(=賃金)は、自分が稼いだお金で買えるモノやサービスに込められた、他の人々の経験労働の総量によって決まる。
つまり、「私たちの労働の価値は、他者の労働(経験)とつながって成り立っている」という、人間同士の相互依存を示唆しています。
労働の価値も、私たちの生活も、他者の経験労働の網の目の中で成立しているということです。
なんだか、あったかいですね❤️
補足:裏読みすると…
「労働者が働いて得る賃金は、自分の労働の“全価値”ではなく、
生きていくために必要な最低限の再生産費(他の人の労働によって作られた生活必需品の価値)にすぎない」ということです。
つまり──
あなたが「労働力」という商品を売っているとき、
その“商品”の価格(=賃金)は、
「あなたの人生を再生産するために必要な分」だけに設定されている、
という意味なんです。
もう、資本家から見たら、労働者は、しょせん商品なんですよね(>_<)
プロレタリアート proletariat♪
プロレタリアート proletariat♪
🧩もう少し詳しく:
① 労働そのものが商品になる社会
マルクス以降の思想では、資本主義の社会では
「労働そのもの」が市場に出され、売買されると考えます。
労働者は自分の「時間」と「能力」を会社に売る。
つまり、「労働力」という商品を市場に出しているわけです。
② その価値(価格=賃金)は、どう決まるのか?
労働力の価格は、「労働者が生きて、明日もまた働けるようにするために必要なコスト」で決まります(早く賃上げして~💦)。
たとえば、食費、住居費、教育費(次の世代の労働者を育てる)
などです。
この「生活維持コスト」が、他の労働者たちによって生産された商品の価値と一致する。
だから、「賃金で買える商品に含まれる他人の経験労働の総量」と言っているのです。
労働者間での循環が出来上がっているのです。
だから、働いて貰う賃金は、交換価値を反映したものと言えるのです。
③ それが何を意味するか?
それはつまり──
労働者が自分の生み出した価値のすべてを受け取っていないということです。
労働者が一日働いて生み出す価値は、
自分がもらう賃金(=生活維持コスト)よりも大きい😱
その“差額”が、資本家の利潤(利益)になります。
これをマルクスは「剰余価値(surplus value)」と呼びました。
搾取ですね。
なんだか、「経験労働」は人と人との心の籠った繋がり❤️のはずでしたが、
資本主義の視点から見ると、急にダークサイドに入ってしまいますね💦
続きます。
参考図書:『テクノ封建制』 ヤニス・バルファキス(著)
斎藤 幸平 (解説) 関 美和 (翻訳)、集英社2025/2/26
