『無垢の“労働”』①──赤ちゃんと「経験労働」、「経験価値」
これまで、「経験労働」とか「経験価値」について書いてきました。
「経験労働」っていうのは、製品とかサービスに“感動”とか“優しさ”“思いやり”みたいな、人のぬくもりを吹き込むこと。
そして、その結果として生まれるのが「経験価値」でした。
ここではちょっと思い切って、「赤ちゃん」で、考えてみたいと思います。
どうか気を悪くしないでくださいね。
限りなく無垢な存在、赤ちゃんという存在を通して、大事なことが見えてくる気がするんです。
赤ちゃんが、にこっと笑います。
もしそこに「経験価値」がなかったら、「あっそ」で終わってしまうかもしれません。
赤ちゃんが初めて立ち上がりました。
これも同じように、「まあ、そりゃあね」で終わってしまうかもしれません。
でも、そうはならないんですね。
じゃあ、このときの赤ちゃんの“経験労働”って、なんなんでしょう?
「赤ちゃんの経験労働」なんて考えると、ちょっと不思議ですけど、
これこそまさに、バリファキスの言う“経験労働”の本質を、人間の根っこのところまでたぐり寄せる試みなんじゃないかなと思うんです。
まず整理して言うと、赤ちゃんはまだ「労働者」じゃありません。
だから、交換価値を生み出す「商品労働」からはまったく自由です。
でも、赤ちゃんが笑ったり、立ち上がったりすると、私たちはなぜか胸があたたかくなります。
「あっそ」で終われないのは、そこに確かに“経験価値”があるからです。
じゃあ、その源はどこにあるのでしょう🤔
私は、赤ちゃんの“経験労働”って、
存在そのものがまわりに生命的な働きを与えていること
なんじゃないかと思うのです(善人ぶった言い方ですが😖)。
赤ちゃんは何かを“しよう”としているわけじゃありませんよね、きっと💦
でも、笑ったり、泣いたり、立ち上がったり、目をじっと見つめたり――
その一つひとつが、まわりの人に「生きること」への感受性を思い出させてくれるように感じます。
つまり、赤ちゃんは意図せずして、「生きるエネルギーを分かち合う労働」をしているんじゃないかなと思うんです。
これは、“働く”という言葉のいちばん根っこの意味――つまり「他者に何かを及ぼす」というレベルでの“労働”と呼べるかもしれません。
赤ちゃんはお金も知識も持っていません。
でも、存在するだけで、人を動かし、笑わせ、育てようという気持ちを呼び起こす。
この「存在そのものによる貢献」こそが、赤ちゃんの経験労働なのではないかと、わたしは思います。
だから、赤ちゃんが笑ったり、立ち上がったりするその瞬間に、世界が少し光を帯びて見えるのかもしれませんね🥰
それは、交換価値では決して測れない、いちばん純粋なかたちの経験価値❤️
価値が単なる賃金の「交換」ではなく「共鳴」から生まれることを示しているんじゃないかと感じます。
そして、それを生み出している“労働”とは、
赤ちゃんが無意識のうちにしている――まさに、生命が生命として“はたらく”姿。
経験労働とは、存在が他者の心に触れ、
世界を少しだけ光らせること。
赤ちゃんは、まさにその最も純粋なかたちを体現しているのかもしれません。
そしてこの視点は、わたし自身の「はたらきかた」をも問いかけてくるように感じます。
「何かを生産することだけが労働なの?」
「誰かの心に触れることもまた、労働でいいんじゃないか?」
「見返りばかりを期待していないだろうか?」
見返りを期待せずに、仕事に取り組まなくちゃ――そう思うけれど、でもそれもまた「自我」ですね。
結局、見返りを求めてしまう。
イタタ……難しいですね。
続きます。
参考図書:『テクノ封建制』 ヤニス・バルファキス(著)
斎藤 幸平 (解説) 関 美和 (翻訳)、集英社2025/2/26
