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#1073 TV論53|進め(進ぬ)!電波少年

本日は僕らが中学校の頃に劇的に流行ったバラエティ番組・電波少年について紹介しましょう。


電波少年とは?

電波少年が放送されていたのは日曜の22時半ですね。
おしゃれカンケイ」~「電波少年」~「ガキ使」を見るのが、当時のキッズたちの必勝コンポだったと言われておりました。

元々は「進め!電波少年」だったのが、途中から「進!電波少年」のタイトルになったタイミングとかは全然覚えてなかったですが、98年1月までが「進め」、98年1月からが「進ぬ」だったようです。
ちょうどこの過渡期を一番見ていた気がしますね。


電波少年の魅力

1 .頭を使わず見れる構成

最近では「イッテQ」が割とその系譜を受け継いでいる印象がありますが、名の知れていない芸人が番組の企画力でバラエティが構成されるという感じで、安定して面白いので、何も考えずに見ることができるのが特徴でした。
故に、あまりインパクトには残らないので、時代が経った今当時の詳細内容はほぼ思い出せないんですけど、当時は非常にワクワクして番組を見てました。
複数企画を同時進行で進めていたのも良かったですね。


2. マイナーな芸人が羽ばたく瞬間を見れる

マイナーな芸能人が、この番組を契機にブレイクしていきました。
特に猿岩石ですが、あの人気っぷりはエグかったですよね。
なんとなくですが、この番組を通じて「ワシが育てた」的な感覚を覚えられえて、時には感動の涙も流せたりして、とにかく出演者に感情移入出来て、推すことで時代を創ることもできる番組でしたね。


3. 多くのフォロワーを生んだ

今考えてもかなりクリエイティブな番組だったと思い思います。
オープニングとかも松村と松本明子の顔を切り出すだけの構成もクソシンプルですが、セット代も掛からなくて、その分を制作費に回せたり非常に良い方法だと思いましたね。
あとは僕が知らないだけかも知れませんが、後述のサムエルなどの「番組とオリコンのコラボ」とか、前衛的な企画も多かったですね。


電波少年で思い出に残っている企画

ヒッチハイクでユーラシア大陸横断|猿岩石

この猿岩石のヒッチハイクがブレイクして、この番組もブレイクした印象があります。
中1の頃、みんながこの番組を見て「猿岩石」「ヒッチハイク」と言い出すようになり、このビッグウェーブに乗るしかないと思って便乗し、そこからハマった記憶がありますね。
詳細はほぼ覚えてないですが、ここで猿岩石はブレイクし、後に低迷ししますが内Pでの猿岩石は大好きでしたね。

あとは何と言ってもこの爆風スランプのテーマソングですね。
これも流行りましたし、友達がギターで弾いていたものでした。


ヒッチハイクでアメリカ大陸横断|ドロンズ

猿岩石のヒッチハイクは途中からでしたが、ドロンズは最初から見た記憶があります。とにかく長かったですね笑
そしてあれだけ見ていたのにほぼ覚えてないというのが哀しい所です笑


ヒッチハイクでアメリカ大陸横断|朋友

そしてこれも流行りました。
僕等の世代はこの「朋友」という漢字を見て、ほぼ全員が「パンヤオ」と読むことができる、と言っても過言では無いでしょう。
このパンヤオはもはや芸人ではなく、俳優志望と香港のDJなのですが、この香港のDJことチューヤンがメチャクチャ流行りました。
僕等のサッカー部の顧問のメガネが、安直に「チューヤン」と呼ばれてましたね笑


無人島脱出~スワンの旅|ロッコツマニア

これもメチャクチャな企画でしたね笑
無人島を脱出し、脱出したと思いきや「スワンボートで東京まで来い」と言い、その後また企画延長したりしてましたよね笑
この2人も長期ロケでヒゲボーボーになり、メチャクチャ有名になりましたが、この番組以降はあまり活躍は無かったようですね・・・


懸賞生活|なすび

これも流行りました。
懸賞で100万円当たるまでひたすら監禁されるという地獄のような番組でしたが、芸人のなすびがクソポジティブなので、何も考えずに見れた記憶があります。
この時期大抵、ヒゲでロン毛は「なすび」と呼ばれてましたね笑


東大一直線|坂本ちゃん&けいこ先生

実はあまり覚えていないんですけど笑
アホな芸人が勉強して大学を目指すという、ガチンコ大検ハイスクールのプロトタイプになったとも言われている企画です。
ただ、後者の講師が大和龍門というクレイジー・ダイヤモンドだったのに比べて、この企画は東大卒のけい子先生が教えてくれるというナイスな企画でした。


外国人を笑わせに行こう~サスケ|松本人志

この時期はもう電波少年を見たり見なかったりしていた時期で、実はそんな覚えてないんですけど、アメリカ人を笑わせに行こうという企画で松ちゃんに白羽の矢が立ち、チャレンジしたのはさすが松ちゃんでしたね。
多分国によって笑いのツボって全然違うと思いますし、多分日本よりアメリカの方がシンプルな笑いが好まれる気がしますが、しっかりそうした需要をくみ取り、制作したのは流石でしたね。

YouTubeでも落ちていたので是非チェックして見てください。


売れなければ解散|Something ELse

この番組は「雷波少年らいはしょうねん」だったようです。派生番組を作っていた辺りが、電波少年という番組がブイブイ言わせていた証左ですね。
で、タイトルの通り、こんな感じの地獄の企画が用意されたのですが、この番組という最高のプロモーションを行い、更には元々の曲が非常に良かったということもあり、このシングル「ラストチャンス」はオリコン初登場2位で解散も回避でき、その翌週は1位、更にはミリオン達成と大ブレイク。
まさに時代を創っている瞬間でしたね。


まとめ

他にも真中瞳のハルマゲドンとかも覚えてますし、色々な企画があったのも覚えてますが、とにかくそんな感じで非常に良い番組でした。
久々に振り返りましたが懐かしいですね。

次週以降も90年代後半のバラエティを振り返っていきたいと思います!

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