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食べたいものを食べることは、体に悪いのか

妻は、過去に、食べることができなくなる病にかかった。

少しずつ食べられる量が減り、やがて固形物を口にできなくなり、最後には水を飲むことすらできなくなる。そんな病だ。

今は退院しているが、最終的に、正式な病名すらなかった。

体は痩せ細り、何度も脱水症状を起こした。

それでも病院で検査をすると、身体には明確な異常が見つからなかった。

検査上は健康。

けれど、目の前の妻は食べることも飲むこともできず、日に日に衰弱していった。

病院では点滴を受けたが、身体に異常がないという理由で、そのたびに家へ帰された。

妻は、その症状がはじまってから救急車で三度搬送された。
三度目は中学生の娘が救急車を呼んだ。

面白いもので、こちらは必要だと思って呼んでいるのに、
二度目からは、救急隊員の視線にも冷たさを感じるようになった。

何度運んでも「異常なし」との連絡が救急隊員に届いていたのかもしれない。

三度目の搬送時、妻は命の危険を心配されるほど衰弱していた。

そこでようやく医師は入院を勧めてきた。

何度検査しても、検査結果は「異常なし」。
食べていないことでのダメージが多少臓器に見られるが、極めて健康…

しかし、その医学的に健康なはずの妻は、水すら飲めず、命を失いかねない状態になった。

食べたいと思えること。

食べたいものを食べること。

おいしいと感じられること。

食べて満たされること。

当たり前と思われるだろうが、
食べるということは、人が幸せに生きていくための力なのだと
改めて思った。


食べたいものより、正しい食べ物が優先される

肉厚のハンバーガーが食べたい。

こってりしたラーメンが食べたい。

唐揚げやケーキが食べたい。

そう思っても、すぐに別の声が割り込んでくる。

「カロリーが高い」

「体に悪い」

「同じ金額なら、もっと良いものが食べられる」

食べたいという感覚よりも、正しいとされる食事が優先される。

千円のハンバーガーを食べるくらいなら、同じ金額で野菜や肉を買い、自炊した方が安くて健康的だと言われる。

金額や栄養だけを見れば、その通りなのだろう。

しかし、そこには「本当に食べたかったものを食べた満足感」が含まれていない。

私は食事を選ぶとき、体に良いか悪いかよりも、満足できるかどうかを重視している。

体に良いとされる料理でも、食べたいと思えず、義務のように食べるのであれば、心は満たされない。

高カロリーと言われる料理でも、本当に食べたいと思い、おいしいと感じられたなら、その食事には十分な価値がある。

食べたあとに、

「あぁ、おいしかった」

「食べてよかった」

と思える。

私は、その感覚を大切にしたい。


食べるたびに自分を責める

ジャンクフードや甘いものを食べたあと、

「また体に悪いものを食べてしまった」

「我慢できなかった」

「明日は食事を減らそう」

と自分を責める人は多い。

せっかく食べたいものを食べても、満足より罪悪感が残る。

おいしいと感じた直後に、自分への否定が始まる。

もしかしたら、食べたいとは思っても、
ただ腹を満たすだけが目的で、本気で「おいしい」とは思えていないのかもしれない。

もしかしたら、食べたいそれに対して、
おいしいと感じることが罪だと無意識に感じているのかもしれない。

そんな風にも思う。

私は、食べたモノの種類や内容以上に、この罪悪感の方が体に悪影響を与えているように感じている。

食べたいものを食べたのなら、おいしかったと受け取ればいい。

その満足まで否定する必要はないと思う。


体が健康なら、心も健康になるのか

運動をする。

睡眠を取る。

栄養バランスの良い食事をする。

体を整えることが、心にも良い影響を与えることはそのとおりだと思う。

それでも、身体が健康な人が、必ず幸せに生きられるわけではない。

検査に問題がなくても、生きる気力を失う人はいる。

妻も、検査では健康だと言われていた。

それでも、食べることも飲むこともできなかった。

表面上の健康と、その人が実際に健康に生きられているかは、同じではない。

私は、体を健康にすれば、その先に心の健康や幸せが待っているという順番だけでは、人は幸せになれないと思っている。

食べたいものを我慢する。

楽しみを削る。

体に悪いと言われるものを避け続ける。

それで長く生きられたとしても、毎日の喜びまで失ってしまえば、何のための健康なのか分からない。

健康は、幸せに生きるためにある。

健康になるために、今の幸せを差し出すものではない。


満足から健康をつくる

私は、自分が何を食べたいのかを大切にしている。

食べたいものを選び、おいしいと感じ、心が満たされる。

心に余裕が生まれれば、食べたあとの体の反応にも自然と目が向く。

体が軽いのか、重いのか。

また食べたいのか、もう十分なのか。

食べたいものを我慢していると、こうした反応も分かりにくくなる。

食事には、栄養以外の役割がある。

疲れ切った日のカップ麺に救われることがある。

忙しい日に買ったハンバーガーが、その日唯一の楽しみになることもある。

誕生日のケーキには、糖質や脂質では測れない価値がある。

食べるもの自体もそうだが、食べ方、食べるときの在り方も大事だと思う。

食べたいものを食べ、おいしいを噛みしめ、心の底から満足すること。

食べたいものを食べるということは、健康の一部なのだと思う。


幸せになるために健康でいたい

健康は、人生の目的ではない。

幸せに生きるための土台だ。

私は、体に良いか悪いかよりも、まず満足できるかどうかを大切にしたい。

食べたいものを食べる。

おいしいと感じる。

自分を責めない。

その心の健康が、体の健康にもつながっていく。

体を健康にすれば、いつか幸せになれる。

そのいつかを待つよりも、今日の食事で幸せを感じたい。

幸せを感じられる食べ方から、健康をつくっていく。

私は、その順番で生きていきたい。

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