どーでもいいんだけれど(日々のアホ話)
2歳の娘のマイブーム。
《ルイボスティ》
まだ赤ちゃんの面影も残る年齢で、私から奪った《ルイボスティ》が、美味しかったらしく、《ルイボスティ》を要求してくる。
しかも、どや顔で。舌っ足らずなのが、まだ救い。
で、私は調子がよいときに、写真のモノを買ってきた。
《ルイボスティ》と信じて。
そして、そのときはやってきた。
《ルイボスティ》を水出ししようと、袋を開けようとパッケージを見たとたん、笑いが止まらなくなった。
それは《ルイボスティ》ではなく確かに《烏龍茶》と、書かれていたからだ。
心の中でツッコむ。
イヤイヤイヤー!赤は《ルイボスティ》でしょ。
《烏龍茶》は、黒だってー。
ユニバーサルデザインからいくと、そうじゃない?
返すこともできず、少しずつ消費していこうと、胸に誓った昼。
そして夕方過ぎ、夫と娘が帰宅。
ニコニコしている娘の手に持つものを見て、私爆笑。
娘が持っていたのが《烏龍茶》だったからだ(笑)
夫に昼の惨劇を伝えていたので
『意図的に?』
と、思わず聞く。
『ほかのお茶も飲んでみたいって、手を出したのがこれだった』
変なところでシンクロすなっ!
心の中でツッコむ私。
《烏龍茶》は、カフェイン入っているので、私がガブガブすることに、なるでしょう。
ほかにとてもどーでもいいんだけれど、良く目や耳にする言葉なのに、頭の中で返還された、絵図らが浮かぶことがある。
“お風呂がわきました”
これ毎日聞いているのに頭の中で、湯船のお湯が飛び跳ねたり、回ったりしている図が、毎日うかんでくる。
そのたび、たいして面白くもないことを、心の中で笑ってしまう。
で、そのあと自分に自分で
なにわろってんの?
と、またしてもツッコむ。
あと、車についている“赤ちゃんが乗ってますステッカー“をみる度に、クラブで赤ちゃんたちが、集結して踊り狂い、歌いまくる姿が浮かんできて、また1人でニヤリ。
こういう、日常に潜むどうでもいいことって、本当にどうでもいいから、難しく考えないし、笑えるからわりと好き。
きっと、こんな経験あるあると、お仲間がいることを願いながら、書いてたりする。
笑えて、泣けて、怒って、かなしんで、辛く思って……。
それ感じられるの幸せだ。
どーでもいいんだけれど、そんな日々がなんとなく幸せだ。
