【防災法話】いざという時こそ、平常心を携えて
心の平安が、実際の行動力の根になるように。
「大丈夫。落ち着いてください。」
災害現場で、この言葉を何度口にしたか、思い出せないほどです。
けれど、不思議なことに、「落ち着いてください」と言えば言うほど、現場の空気は緊張し、心はかえってざわつく。
それが人間というものでしょう。
だから私は思うのです。
いざという時に本当に必要なのは、「落ち着こう」と頑張ることではなく、
平常心という“習慣”を、日々の暮らしの中で育てておくことなのだと。
平常心とは、心をなくさぬこと
仏教の言葉に「不動心(ふどうしん)」というものがあります。
これは、どんな状況においても心が乱されない、という意味ですが、
それは「冷たくなること」「無感情になること」では決してありません。
むしろ、心があるからこそ、動かされないという境地なのです。
人は、恐れや不安に直面すると、思考が止まり、行動が鈍ります。
避難すべきか、家に留まるべきか。
家族を迎えに行くべきか、ここで待つべきか。
そんな判断の一つ一つが、命の分かれ道になることもある。
でも、心が動揺していれば、冷静な判断はできません。
だからこそ、災害時に必要なのは、落ち着いた心=平常心なのです。
体験:慌てる人ほど、助けを呼べなかった
ある地震の被災地で出会ったご婦人が、私にこう語ってくれました。
「揺れた瞬間、頭が真っ白になって、何もできませんでした。
娘に“お母さん、逃げるよ!”って言われて、やっと動けたんです。
あの子がいなかったら、私はまだ家に座っていたかもしれません」
このように、災害時には“心”が行動のブレーキにもアクセルにもなります。
では、どうすれば「動ける心」を育てられるのでしょうか。
仏教では、「観念(かんねん)」という修行があります。
これは、事前に起こりうる事象を思い描き、心の中で反復練習をすること。
これを防災に応用すれば、「避難のシミュレーションをしておく」という備えに通じます。
たとえば…
夜中に大きな揺れが来たらどう動くか?
台風のとき、家族と連絡が取れなくなったら?
隣人が困っていたら自分は何ができるか?
こうした問いを心に置いておくことが、
「非常時に心をなくさない訓練」になるのです。
備えは心を静かにする
もうひとつ、大切なことがあります。
それは、「備えが、心の平安をつくる」という事実です。
私たちが不安になるのは、「分からない」「準備がない」という状態から生まれます。
もし懐中電灯の場所が分かっていたら。
もし非常食が用意されていたら。
もし家族との連絡方法が決まっていたら。
その「もし」が積み重なっていくことで、心は静かになっていきます。
これは仏教でいう「安心(あんじん)」と近い考え方です。
“自分の心の拠りどころ”が整っていることで、人は混乱しないのです。
つまり、心の平常は、備えという具体的な行動から生まれるのです。
日々の中に「いざ」を忍ばせる
私はよく、「備えは“騒ぎ”ではなく“静けさ”で行え」と話します。
テレビで特集があったときだけ、水を買いに行く。
防災の日だけ、避難所を見に行く。
それももちろん大切ですが、本当の備えは、日常に忍ばせるように行うのが理想です。
・お茶を淹れながら、水の備蓄量を思い出す
・朝の支度のついでに、非常袋の場所を確認する
・帰宅途中に、避難経路を歩いてみる
こうした習慣が、いざという時の平常心につながるのです。
いわば、「備え」とは心を整えるお稽古のようなものです。
おわりに:平常心という灯火を、心にともして
私たちは「いざという時」を選べません。
災害は、前触れもなく、静かにやってきます。
でも、私たちには「日常」があります。
その日常の中に、少しだけ“いざ”を意識することで、
心は静かに、しかし確かに、強くなっていくのです。
平常心とは、備えを重ねた人だけが手にできる仏の心。
それは、恐れに負けない強さではなく、
“いのちを大切にする覚悟”がもたらす、穏やかな灯火です。
いざという時こそ、その灯火が、あなたの道を照らしてくれるでしょう。
合掌。
