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秘密

私は、柳川“やながわ”という生徒が苦手だった。
特別何かをされたわけではない。ただ絡みつく視線と、薄く笑った唇、どことなく近寄り難い雰囲気がどうにも気味が悪いのだ。
2年生になる時のクラス替えで同じクラスになってしまい、本当に嫌だった。嫌で嫌でしょうがない。気持ち悪い女だ。風に靡く長く美しい黒髪もこの女では台無しだ。気持ちが悪い。見ているだけで吐きそうだ。消したい、消してしまいたい。
近づいてはいけないと、私の本能がそう訴えている。

この女は蛇だ。気づいた時にはもう逃げられないぞ、と。

「ねぇ、知ってる?」
クラスメイトの本宮 遥“もとみや はるか”が唐突にその話をしたのは梅雨入りも間近に迫った6月のことだった。彼女はそっと己のスマートフォンを取り出してSNSを立ち上げ、いくつか操作をしたかと思うと、とあるアカウントを見せてきた。
「【名無しの密告者】ってアカウントなんだけど…」
「密告者?」
「フォローするとね、誰かの秘密を教えてくれるっていうアカウントなの」
そのアカウントは5月に作成された物で、説明文には2年2組の秘密とだけ書かれていて、フォローは0人。フォロワーは29人。
クラスメイトとSNSでの繋がりがない私にはその29人が誰なのか分からない。
「誰かの秘密ってどういうこと?」
「毎週金曜日に、フォローしてる誰かのアカウントにランダムでクラスメイトの秘密がDMで送られてくるんだって。まだ私のところには来てないんだけど…実際に届いた人に聞いたら、山田くんが万引きをしたことがある、とか、鈴木さんが実は料理めちゃ下手とか、中島くんが中学の時はいじめの主犯だったとか…」
「随分…秘密の内容に差があるね」
「人には大小いろんな秘密があるからねぇ〜本当かは分からないけど…でも、そのDMが届いてからまぁ、受け取った人は黙ってるわけないじゃん?それでクラス内でどんどん噂が巡って本人の所にも届いたんだろうね。それから暴露された人の様子が少しおかしくて…気づいてた?」
その問いに私は首を真横に振った。クラスメイトの様子など全く興味もなく気にも留めていなかったからだ。だが、確かにここ数日少しだけ空気が張り詰めているような感覚的な違和感はあった。もう少しで行われる期末テストが目前に迫っているからだとばかり思っていたのだが…。
「それで、秘密は本当なんだってみんな思い始めてさ、それから今じゃクラスのほとんどの人があのアカウントをフォローしてるの。で、で、今日がその金曜日じゃん?だから余計にピリピリしてるんだよね。今日は誰の秘密が?って」
「でも、うちのクラスの人間だけとは限らないよね。あのアカウントをフォローしてるの。この学校とは全く関係ない人間の元に届く可能性だってあるんじゃない?」
匿名性の高いSNS。たとえ本名で登録されていても、他の誰かが代わりに登録することだってできる。確実に2年2組の人間がそのアカウントをフォローしているとは限らない。
「確かにねー。でもみんな秘密は知られたくないからねぇ…」
そう言って本宮はそのアカウントが唯一呟いている投稿画面を私の目の前に出した。
そこには【2年2組だけの秘密】とだけ書かれていた。そんな言葉が抑止力になっているのかは知らないが、もしこの言葉通りに全員が動いている、否、動かされているとしたら、このアカウントをフォローしているのは2年2組のクラスメイトだけという可能性は充分に考えられるのかもしれない。

「何時に投稿されるの?」
「午後1時。あと5分だね…今日は誰の秘密が誰に届くのかな〜!」
自分の秘密が暴露されるかもしれないという状況だというのに、本宮はどこか他人事で楽しそうであった。変わり映えのしない毎日に起きたこの“刺激“に彼女は恐怖や不安ではない感情を見出している。
教室にいるクラスメイトもみな、手元に目を向けている。その顔は怯え、不安、興奮、好奇心、様々な色が浮かんでいて、それを眺める自分自身も少し気持ちが昂っているのを感じた。窓の外の変わらない景色も嫌いじゃないが、今日はこの空気を楽しむのも悪くない。
黒板の上に設置された丸い時計、針の動きを目で追う。昼休み中だというのに教室は妙な静けさが漂っていて廊下で騒いでいる声、走る音、どこからか流れている音楽よりもこの教室では針の音だけが響き渡っている。
少し前まで会話をしていた女子もふざけ合っていた男子も、今か今かと食い入るように画面を見つめている。
カチ、カチ、カチ、カチ。
時計の針が止まったように見えた。もちろん実際に止まってはいないが、その瞬間だけその時間を強調するように針が遅く見えたのは、錯覚ゆえか。
誰も声をあげてはいない。ただ、秘密が届いていない者は画面から目を離して周りを見渡し始める。誰の秘密が誰の元に届いたのか。それが知りたくてたまらない様子だった。
クラスメイトへ向けていた視線を前にいる本宮へ向けると、彼女も私を見ていた。
彼女は乾いた声で「わっ」と言って、スマートフォンの画面を私に向ける。そこにはメッセージが届いていた。

【ーーは、人を殺したことがある】

「あー、えっとね」
窓の外に向けていた視線を教室に戻すと、本宮とクラスメイトの鈴木さんが話しているのが見えた。適当に買ったサンドイッチを機械的に口に運ぶ。
今日は例のメッセージが届いてから1週間経った金曜日の午後12時45分。そろそろ昼休みも終わるだろうという時に、話を終えた本宮は私を振り返って机を薙ぎ倒すような勢いで駆け寄ってきたかと思えば、唇が触れ合いそうな距離まで詰め寄って問いかけてきた。
「で、で、実際のところどうなのー!?」
「…人を殺したかって?」
それまで適当に流していた私が初めてそう問い返すと、教室の空気がピンと張り詰めたような気配を感じた。皆は会話をしながら、お弁当を食べながら、本を読みながら、スマートフォンをいじりながら、私の発言に耳を傾けている。本宮がクラスメイト達にメッセージの内容を伝えているのだろうから、それも無理はないのかもしれないが。
本宮はあの日から特に変わった様子はない。初めて会った時から今日までの間、彼女はずっと同じままだ。
「お!直球ですね!」
「どっちが直球なんだか」
「それでそれで?実際は?」
チラッと彼女の背中越しに時計を見ると、また午後1時が近づいていた。私の声に耳を傾けている者達も続々とスマートフォンを取り出して画面を見つめ始める。
「今日は…誰の秘密が届くんだろうね」
私が静かにそう呟くと、本宮はニコニコと笑いながら「話をそらした〜」と私の肩を叩いた。彼女は今日送られる筈の新しい秘密には興味がないようだった。

カチ、カチ、カチ、カチ。
時計の針がゆっくりと進んでいく。私は時計を本宮は私をクラスメイトたちは画面を。
午後1時ちょうど。ピコンッという小さな音が鳴り響く。
「あ、今日は私だったみたい」
私が驚いたような声をあげてみせると、クラスメイト達は一斉に私を見る。絵に描いたように目を丸めて、私が次に何を言うかを待っている。
「…は?」ただ、本宮だけは他の人とは違う反応で、眉間に皺を寄せて怪訝な表情で私を見ている。そんなわけはない、そんなはずはない、と顔に書いてあるようだった。
「名無しの密告者からのメッセージだよ、今日は私の番………へぇ。」
言葉を続けながら操作してメッセージを開いて、中の文章を読んだ私は笑いながら少しだけ声のトーンを上げて耳を傾けているみんなへ聞きやすいように調整した声でハッキリと告げた。
「【名無しの密告者の正体は本宮遥である】…だって。ほんと?」
皆の視線は私から本宮へ移行する。疑い、不安、恐怖。今まで不明瞭だったものの形を把握すると、今までとは違った恐怖がやってくる。見えない物よりも見えてしまった後の方がずっとずっと恐ろしいものもある。人間関係などは特にそうだろう。
傍にいる存在が自分の秘密を知り、自分を守るために今度は誰かの秘密を知り、お互いの均衡を保つ。それぞれを守るための本能的な契約とでもいうのだろうか。彼女
、彼らはそれを無意識に行っていく。秘密は盾にも、時には武器にもなる。
そうやって見えない何かに支配され、操られ、掌握される。
「…っ嘘だ、お前に届くわけない!だって、」
「だって?私に届くように“設定“はしてないって?」
「ちが、」
本宮が反論をする前に呆気に取られていたクラスメイト達は、彼女に詰め寄った。
本当にそうなのか、お前がやったのか、様々な声があちこちで響いて教室は軽いパニック状態となる。騒ぎを聞きつけた他のクラスメイトが廊下から教室を覗き込み、教師達が数人駆けつけて事態を落ち着かせようと声を張り上げるが、誰もその声を聞いてはいない。皆が知りたいのは、本宮遥が自分の秘密を知っているのか、どこまで知っているのか、それだけなのだから。
私はその様子がおかしくて、声を上げて笑った。誰も私に注目などしていない。
蚊帳の外で傍観者としてこの状況を最大限に楽しめて最高に満足だ。
ああ、楽しい。


その後も騒ぎは収まらず、授業どころではなくなり、2年2組は数人ずつ面談という形で別の教室に連れて行かれ、話をした後は早退させるという形を取ることになったようだ。
教師からの質問に適当に答えた後、真っ直ぐ帰るようにという指導に会釈をして、そのまま図書館に向かった。せっかく授業が潰れたのだからその代わりの暇つぶしがしたい。
10〜17時まで開放されている図書館には司書が在中しているが、何度も入り浸っている間に親しくなって授業中に私が現れても匿ってくれるので、この学校では貴重な存在だ。
「あら、今日は2年2組は早退って聞いたけど?」
首を傾げわざとらしい困った顔を作っているが、黒縁メガネの奥にある瞳は共犯者の色を纏っていて、見つめあってお互いに笑った。
「暇なので、いつも通り見逃してください」
「はいはい〜先生が来たら適当に誤魔化しておくけど、見えないところでね」
「ありがとうございます。ポニーテールとってもお似合いです」
「やだ、褒めても本しか渡せないわよ!」
会釈して奥へ進んでいく。高い本棚の間をすり抜けて奥へ奥へと進んで行くとテラスに出ることができる。扉に手をかけると誰かがテラスにいるのが見えた。
無意識に口角が上がって、わざと音を立てながら扉を開け放つ。本宮はその音に振り返り、瞬時に私を認識して睨みつけた。
「早退しなくていいの?」
「………」
本宮は問いに答えない。ジッと私を睨みつける瞳は私への嫌悪に満ち溢れていて、拒絶と憎悪を感じる。
グラウンドでは、部活動に青春を捧げている人たちがやる気に満ちた声を上げて練習に励んでいる声が響いている。あの人たちと私たちの差はなんだろうか。そんなことをぼんやりと考えながら、答えない本宮に向けて言葉を続けた。
「クラスメイトを支配できなくて残念だったね。SNSでの支配は現代的で面白かったけど、あれだけじゃそのうち綻びが出て管理できなくなる。やるなら細部まで綿密にしないと意味がないよ。杜撰。最初から何もかもが杜撰で幼稚。」
「…なんで」
「難しいことはしてないよ。スマートフォンのロック解除のパスワードを盗み見て、本宮が気づいてない隙にちょっと本体を拝借して【名無しの密告者】のアカウントにログインしてDMの設定を私に送るよう変更しただけ。ログイン情報は保存しない方がいいよ?触っただけで全部見えちゃうなんてセキュリティ低すぎだもの。」
グッと歯を噛み締めている。握られた拳は白くなっていて、指摘されたことが悔しいのか私と話すことが苦痛なのか、どちらにせよ彼女の怒りは伝わった。
「いつ、やったの」
「今日だよ。事前にやっておいたらバレちゃうかもしれないし。お昼休みに鈴木さんに声をかけられたでしょ?その時、他の人に盗んでもらったの。鈴木さんには時間稼ぎをお願いしてね」
「……おま、」
「私が人殺しだって秘密を流して吊し上げて排除したかったのかもしれないけど、本当に残念。邪魔者は吊し上げるだけじゃダメなの。吊し上げた後に足掻こうとするなら足を切り落とすんだよ。それでも足掻くなら今度は腕を。最後は頭を。そうしなきゃ本当の排除にはならない。…詰めは甘いけど、本当に支配されている人もいるようだったから効果はあるってことだし、次はもっと頑張ってね」
「お前、なんなの、盗ませたって、時間稼ぎって、なんなの、なんなんだよ!なんでみんなお前の言うこと、聞いて…」

本宮の問いに私は笑顔を向けた。
「さぁ?私はお願いしただけだから…」
お願いをしただけ。それ以上でも以下でもない。お願いをした後に動くのは彼女、彼らの意思だ。優しい優しいクラスメイト。友達思いって素晴らしい。
そろそろ下校の時間が近づいてきたのか、グラウンドで部活動をしていた人達も片付けを始めている。
「…あんたが怖い…消えてほしかった。だからクラスを支配してみんなに排除してもらうつもりだったのに…」
「人任せはよくないよ。みんなには手伝ってもらうくらいがちょうどいい。本当に消したいなら最後は自分が始末をつけなくちゃ」
再度笑いかけて、歩き出す。下校の時間を過ぎてしまうと教師や司書さんに迷惑をかけてしまう。それは良くないことだ。
図書館に戻る為の扉に手をかけたところで、あっと声をあげて振り返る。
「そうだ、最後に質問していい?」
本宮は何も言わずにこっちをジッと見ている。どこか怯えていて、まるでこちらがいじめているような、追い詰めているようなそんな瞳で、彼女は私を見ている。もしかしたら目を逸せないのかもしれない。
蛇に睨まれた蛙のように。

「私の秘密、どうやって知ったの?」


本宮遥が退学をした、という話はあっという間に広まった。
なぜ、彼女が名無しの密告者になったのかと言う話は2年2組だけでは収まらず、他のクラスメイトも興味を持っているようだった。なぜ、どうして、どんな意図があったのか。妄想と憶測で話はどんどん創り上げられていく。
ただ、彼女が送ったDMの真意は不明ということの方がみんなには都合が良く、頭のおかしい女の妄想だということでその部分に関しては収まりがついたようだった。
少しだけ残念だと思った。もっと面白いことをしてくれるんじゃないかと期待をしていたのもあって、勝手に裏切られたような気持ちになる。

私自身、彼女の真意は分からない。なぜ彼女はあんなにも私に怯えていたのだろう。
あえて話しかけてきたのも、その恐怖に立ち向かうためだったのだろうか。そこまで嫌われ怯えられるようなことはしていないと思うのだが…と、うんうんと唸りながら窓の外を見ていると、クラスメイトから不意に声をかけられた。

「なぁ、柳川はどう思う?」

私はさぁ?とだけ答えて、また窓の外に視線を向けた。


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