次期・日本代表監督を考えていたら、日本サッカーの仕組みまで気になってきた
本田圭佑さんの代表監督待望論から考えたこと
本田圭佑さんが「日本代表監督をやりたい」と手を挙げている。
ただ、そこに必ずセットで出てくるのが、指導者ライセンスの話だ。
本田さんは以前から、ライセンス制度に対してかなり否定的な発言をしている。
「ライセンスなんて不要ではないか」
「取りたい人だけ取ればいいのではないか」
そんな主張に対して、SNSでは当然のように反発も出る。
「まずライセンス取ってから言えよ」
「ルールを守らない人に代表監督は無理」
「制度の中に入らず外から文句を言うな」
まあ、そう言いたくなる気持ちも分かる。
でも、個人的にはこの話、そんなに単純なものではないと思っている。
ライセンスがあるから名監督になるわけではない。
でも、ライセンスが不要という話にもならない。
ここを混ぜてしまうから、議論がややこしくなる。
ライセンスは名監督の証明ではない
ライセンスという言葉の通り、これは「免許」だと思う。
車の免許と同じで、免許を持っているから運転が上手いとは限らない。
めちゃくちゃ下手なドライバーだって普通にいる。
でも、だからといって、免許なしで公道を走っていいかと言われると、それは違う。
代表監督も同じだと思う。
ライセンスを持っているから名将とは限らない。
資格を持っているから勝てるわけでもない。
でも、日本代表という公的なチームを率いるなら、最低限の指導理論、倫理、チーム運営、安全管理、育成への理解を通っていることは必要だろう。
つまり、ライセンスは「この人は名監督です」という証明ではない。
「このレベルの現場に立ってよい最低条件を満たしています」という免許に近い。
ここは、さすがに軽く見てはいけないと思う。
むしろ育成年代の指導こそ、ライセンスは重い
特に大事だと思うのは、育成年代の指導だ。
トップ代表の選手たちは、すでにプロであり、自分の身体や考えをある程度持っている。
もちろん代表監督の責任は重い。
でも選手側にも、判断力や経験がある。
一方で、アンダー世代は違う。
子どもや若い選手は、指導者の言葉をそのまま受け取りやすい。
間違った指導者に当たれば、技術が伸びないだけでは済まない。
怪我をする。
サッカーが嫌いになる。
自己肯定感を壊される。
早熟な選手だけが評価される。
怒鳴る、走らせる、根性論が正義になる。
短期的な勝利のために、将来性が削られる。
そう考えると、指導者ライセンスという免許は、トップチームよりもむしろ育成年代でこそ重要なのではないかと思う。
「勝てる監督を作る」より先に、
「選手を壊さない指導者を増やす」こと。
これがライセンス制度の本質であってほしい。
だから、本田さんのライセンス不要論に全部は賛成できない。
ライセンスは名監督を保証するものではない。
でも、選手を預かる以上、最低限の免許として必要だと思う。
ただ、本田さんの問題提起にも分かる部分はある
一方で、本田さんの言っていることにも分かる部分はある。
ライセンスを持っていることと、監督として優秀であることは別の話だ。
世界を見れば、名選手ではなかった名監督はいくらでもいる。
クロップも、モウリーニョも、選手として世界的スターだったわけではない。
むしろ、観察力、言語化能力、戦術理解、人心掌握、スタッフを動かす力で上がってきたタイプだと思う。
逆に、名選手が名監督になるとも限らない。
これはサッカーに限らず、どの世界でも同じだ。
名プレイヤーと名指導者は違う。
現場で圧倒的な成果を出した人が、教える側に回った瞬間に苦戦することはよくある。
自分が感覚でできていたことを、他人に言語化して伝えるのは別能力だからだ。
そう考えると、ライセンス制度が本当に「優秀な指導者を育てる仕組み」になっているのかは、ちゃんと問われるべきだと思う。
入口が狭い市場から、名指導者は生まれるのか
本田さんの主張で、もうひとつ大事だと思うのが「競争」の話だ。
ライセンス制度によって監督になれる人の入口が狭くなる。
入口が狭くなれば、監督候補の母数は増えにくい。
母数が増えなければ、競争も起きにくい。
競争が起きなければ、指導者市場は活性化しない。
たぶん本田さんが言いたいのは、ここなのだと思う。
これはサッカーに限らず、どの業界でも同じだ。
参入障壁が高すぎる市場は、既存の人たちが守られやすい。
その代わり、新しい発想や異質な才能は入りにくくなる。
もちろん、誰でも簡単に代表監督になれればいいという話ではない。
そんなものは無責任すぎる。
ただ、挑戦する前の段階で、資格、時間、お金、人脈、所属先によって入口が狭くなりすぎると、才能を取りこぼす可能性はある。
そしてこの話は、クロップやモウリーニョのような監督が日本からなかなか出てこないこととも、セットで考えるべきだと思う。
日本にも、選手実績が薄くても優秀な指導者はいるはずだ。
育成年代、大学、街クラブ、Jクラブのアカデミー、分析担当、コーチングスタッフ。
表に出ていないだけで、現場にはたくさんいるのだと思う。
でも、外から見ていると、どうしても表舞台に出てくるのは、元代表、元Jリーガー、有名OB、協会に近い人たちに見えやすい。
そうなると、ライセンス制度は「優秀な指導者を発掘する仕組み」ではなく、
「すでにサッカー界の中にいる人を順番に通す仕組み」に見えてしまう。
ここが、個人的には一番ぼやきたいところだ。
厳しい制度と、閉じた制度は違う
ライセンス制度は必要だ。
でも、その制度が本当に競争を生んでいるのか。
本当に無名の指導者を引き上げているのか。
本当にクロップやモウリーニョ型の人材が上がれる道になっているのか。
そこはもっと問われてもいい。
厳しい制度であることと、閉じた制度であることは違う。
厳しくても、挑戦できるならいい。
でも、挑戦する前から入れないなら、それは競争ではなく選別だ。
本田さんのライセンス不要論に全部賛成するわけではない。
でも、「監督候補の母数を増やして競争させるべき」という問題提起は、かなりまともだと思う。
むしろ日本サッカーが本気で世界一を目指すなら、元スター選手を監督にするかどうかだけではなく、
「名選手ではなかった名指導者」をどう発掘するのか、
そこまでセットで考えないといけない。
必要なのは、免除ではなく接続だと思う
本田圭佑さんのような元トップ選手には、制度の中に入れる特別ルートがあってもいいと思う。
国際経験、W杯経験、クラブ運営、代表での修羅場。
そういう経験を、一般の指導者とまったく同じものとして扱う必要はない。
ただし、免除ではなく、接続だ。
制度を壊すのではなく、制度の中に入れる。
短縮講習でもいい。
実績認定でもいい。
代表スタッフからでもいい。
ただ、責任ある立場に立つ以上、最低限の共通言語と教育は通るべきだと思う。
同時に、元スター選手ではない指導者にも、もっと上がっていけるルートが必要だ。
育成の現場で選手を伸ばしてきた人。
戦術分析に優れた人。
選手としては無名でも、指導者として才能がある人。
そういう人たちが、ライセンス制度を通じて発掘され、評価され、表に出てくるようにならないといけない。
本田圭佑さんのような異質な元トップ選手を制度の中に接続する。
同時に、選手としては無名でも指導者として優れた人材が上に行けるルートを作る。
この両方がなければ、ライセンス制度は「質を守る免許」ではなく、
ただの「サッカー村の通行証」に見えてしまう。
こういう議論が起こること自体は、きっと良いことだ
代表監督に誰がなるか。
本田圭佑さんがふさわしいのか。
ライセンスを取るべきなのか。
それも大事だ。
でも、もっと大きな問いはこっちだと思う。
日本サッカーは、名選手ではなかった名指導者を、本気で育てる気があるのか。
そして、そういう人材が競争に参加できる仕組みを持っているのか。
ライセンス制度は必要だ。
でも、その制度が競争を狭め、既存の人材だけを守るものになってしまえば、本来の意味を失ってしまう。
必要なのは、制度を壊すことではない。
制度の中に、もっと多様な入口を作ることだ。
元トップ選手も入れる。
育成畑のコーチも上がれる。
分析型の指導者も評価される。
選手としては無名でも、指導者として優秀な人が表に出られる。
そういう仕組みがあってこそ、ライセンス制度は「通行証」ではなく「育成装置」になる。
本田圭佑さんの言い方は極端だ。
正直、全部に賛成はできない。
でも、あの極端な言葉によって、見えにくかった問いが表に出てきたのも確かだと思う。
そして、こういう議論が起こること自体は、きっと良いことだ。
日本サッカーが本気で上を目指すなら、代表監督の名前だけで盛り上がるのではなく、指導者をどう育てるのか、どう競争させるのか、どんな人材を表舞台に上げるのかまで話した方がいい。
そういう意味で、本田圭佑という存在はやっぱり面白い。
ちなみに、個人的には本田圭佑さんは好きだ。
特にVVVフェンロ時代のPSV戦は、いまだに印象に残っている。
「日本人選手が海外でここまでやれるのか」と、見ていて素直にワクワクした記憶がある。
だからこそ、今回のライセンスをめぐる発言にも、単純に賛成・反対だけでは終わらせたくない。
本田圭佑さんが正しいのか。
JFAが正しいのか。
ライセンス制度が正しいのか。
そういう白黒の話ではなく、この議論をきっかけに、日本サッカーの仕組みそのものを考える人が増えるなら、それは悪いことではないと思う。
日本サッカーは、指導者を本当に競争させているのか。
クロップやモウリーニョのような、名選手ではなかった名指導者が生まれる余白を持っているのか。
次期・日本代表監督を考えていたら、そんなところまで気になってきた。
まあ、いつものように話が膨らみすぎただけかもしれないけど。
