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ありがとうシゲ、平成・令和のミスターラガッツ。【勝手に人物往来】

シゲは、あの頃のチームに射した「一筋の希望の光」だった。

2009年2月、会社から突如として強化中止を宣告されたセコムラガッツは、日夜苦しい戦いを余儀なくされていた。「仕事100%、ラグビーも100%」をモットーに経営からの理解を得て、廃部という最悪の事態こそ免れたが、

・2009年 1勝10敗   11位(入替戦勝利でDiv.1残留)
・2010年 3勝8敗 11位(入替戦勝利もリーグ再編でDiv.2降格)
・2011年 3勝3敗 4位(Div.2残留)
・2012年 7勝0敗 1位(入替戦勝利でDiv.1復帰)
・2013年 1勝8敗 10位(最下位、入替戦勝利でDiv.1残留)
・2014年 0勝9敗 10位(最下位、入替戦勝利でDiv.1残留)


下部のトップイーストリーグでもどん底のシーズンは続いていた。

ルーキーイヤー公式戦10戦8トライといきなり爆発

大学ラグビー界の名門、明治大学のレギュラーメンバー、NO.8山下誉人がやってきたのはそんな時だった。トップリーグ在籍時の貯金はとうに使い果たし、主力は高齢化、戦力的にも危機に瀕していたラガッツにとって、喉から手が出るほど欲しかった即戦力。無論、本人が強く志望したわけではなく「正直にいえば、トップリーグのチームしか知らなかったので、地元の神戸や誘ってもらっていた九州のチームに進むことを考えていた。けど、最終的には社会人でラグビーを続ける上で、他に選択肢がなかった」(山下)

当時の明治の監督は面倒見のいい丹羽政彦さん。
チームマネジメント業務と併行してリクルートも担当していた筆者が「ラガッツを復活させるためには、母校である紫紺の血は必要不可欠。明治のDNAをください」と八幡山のグラウンドを訪れ、しつこくお願いに上がる中で「セコムのような体力のある企業が、もう一度ラグビーに力を入れるようになってほしい」という期待もこめて、丹羽監督に大切な教え子の将来を預けていただいた形だ。

2015年春、入社間もない5月のオープン戦初戦から8番を背負ったシゲは、そこから不動の存在として10年間、チームの大黒柱に君臨した。

・2015年 0勝9敗  10位(最下位、入替戦勝利でDiv.1残留)
 ∟山下誉人 10戦出場、8トライ

チームの戦績がすぐに上向くことはなかったが、シゲはチームトップの8トライをマーク。一人だけモノが違う、日本人しかいないラガッツにおける外国人役、 “和製ぺネトレーター” として柔らかく、粘り強さと馬力のある恵まれた体躯を存分に生かして、勝てないながらもチームを牽引した。

入社ほどなくで壁にぶち当たった夜勤の呪縛

入社直後は練習時間の取れない夜勤生活に
心が折れそうになったことも

無論、平坦な道のりではなかった。当時のラガッツは仕事上の優遇措置はなく、フルタイムの勤務。特に入社間もない部員たちは一様に警備員の制服を着て、夜勤の配置に就いていた。
「月曜から夜勤、夜勤、明け(半日休)、夜勤、夜勤、明け、公休(全日休)だった。試合の日を休みにしてもらおうと思うと、週に4日夜勤やって、明けで隙間に練習するスケジュール。話には聞かされていたけど、あまりにも想像を超えすぎていて。戸惑いを隠せなかった」(山下)

これから強化して上を目指すチーム?聞いていた話と全然ちゃうやんけ。
試合で活躍して、大勢のファンが湧き立つ姿に励まされながらも、思い悩む日々は続いた。そして入社してから3か月ほどが経ったある日の深夜、シゲは筆者に一通のメールを送ってきた。
「小谷さん。もう精神的にきついです。ラグビーの練習ができないストレスと自分の能力が衰えてるのが情けなくて。夜勤で週にたった2回の練習で試合に臨んでも成長を感じられません。自分は順位が落ちていってるラガッツを上げたい気持ちで入社したのですが、この参加量なら正直自分の能力は上がらないですし、落ちていくのをわかりながら時を過ごすのは辛いです」

成長できていないんじゃないか?衰えていくばかりじゃないか?
こんな気持ちがあればこそ、人は成長できるもの。
限られた練習でも、100%以上の努力をすれば絶対に成長できる。
採用した張本人で、チームスタッフの一人だった自分も、そんなことしか言ってあげられなかった。なにせ経験したことのない挑戦だったから。
「シゲは人一倍ラグビーに真剣に取り組んでいたから、自分のパフォーマンスが許せなかったんだろうと思う」(山賀敦之 総監督、現・チーム統括)

そのときは同期にも相談し傷を舐め合いながら、筆者が寿司をたらふく食べさせることでどうにか踏み留まらせることはできたが、夜勤が完全になくなるその日まで、本人の中での深い葛藤は続いた。
「どうやって勝つねんて、当時は不満だらけでしたね。でも、環境をよくするために戦うしかないんだって言われて。実際スタッフはめちゃめちゃ良くて。各セクションの一流が揃ってたし。S&Cは見山さん(=範泰氏、現・東京サントリーサンゴリアス)がいて、ジャパンにも帯同していたトレーナーの青野さん(=淳之介氏)がいて。ほんまなんやねん、このチームって思ってましたよ。どこに金使ってんねんて(笑)」

それから程なく、晴れて?夜勤の呪縛から解放されチーム練習にコミットできるようになると、シゲのパフォーマンスは再び上がっていった。「筋トレが趣味」というほどトレーニングに没頭し、親のおかげで丈夫な身体に育ったから、セーブするなんてことは考えず、思う存分、身体を苛め抜くと強靭な肉体は熱を帯びた。

背中を追って後輩も入社、押しも押されもせぬチームの顔に

「ラガッツにシゲあり」をプレーで体現し続けた

・2016年 1勝8敗  9位(入替戦勝利でDiv.1残留) 
 ∟山下誉人 全11戦出場、2トライ
・2017年 3勝6敗  7位(9年ぶりに昇降格順位決定戦を回避)
 ∟山下誉人 全9戦出場、3トライ
・2018年 6勝3敗  5位
 ∟山下誉人 全9戦出場、12トライ(リーグトライ王)
・2019年 6勝3敗  4位
 ∟山下誉人 8戦出場、14トライ(リーグトライ王)

鳴り物入りでデビューして5年、チームの新人王と年間MVPをダブル受賞してからは、常に「ラガッツにシゲあり」だった。呼応するように、毎年チームの勝ち星も伸びていき、トップイーストの上位へ進出。ヤクルト、東京ガス、横河電機と優勝争いを繰り広げるまでに進化を遂げた。

「練習試合でも必ず出てくるし、ほぼ毎回対戦していた。タフだし、芯があるし、ああゆうタイプが一番止めづらい。ずっといい選手だなと思ってたので引退したと聞いてもったいないなと」。三菱重工相模原ダイナボアーズ、清水建設江東ブルーシャークス、明治安田生命ホーリーズと3チームで対戦経験があり、以前はラガッツにも在籍した堀越健介(現・東農大二高コーチ)も高く評価したマルチプレーヤー。

さらには、シゲの後を追うように、明治からCTB川田修司(2023年現役引退)、FL秋山翔太(2022年現役引退)、WTB澤田陵(2023年現役引退)、FB石井雄大と毎年好素材が加入。一時期はチームのスタメン15人の3分の1を明大卒が占めたこともあり、部内最大勢力にまで数を伸ばした。20代前半の筆者がセコムに入社してすぐに思い描いた『いつか明治の血でラガッツを強くしたい』という漠然とした夢が叶った瞬間でもあった。
その後もSO忽那鐘太、FL山本龍亮、HO倉田真と今も系譜は続いている。

明治→セコムの道を再興したパイオニア的存在

「入った頃はチームも弱かったし、明治から来たってことで、相手から見られてるなと感じた。マークも自分に集中するからきつかったし。だからといって、プレースタイルを変えられるほど器用ではない。エースなんて言われ方もしたけど、上を見たらキリがなくて。他のチームに比べたらこれぐらいの選手、いくらもいるだろうし。それでも、フィジカルに自信はあったし、同じポジションの中で、リーグNO.1のプレーヤーになりたかった」(山下)
日本でワールドカップが開催されていた真っ只中の2019年10月には、大学4年の関東対抗戦、明治学院大戦で自身が記録した1試合5トライを超える、1試合6トライの離れ業も見せた(vs 日立Sun Nexus茨城 〇 93-5)

働くことは学びだった。心境に変化も見えた。サラリーマンをやりながらの社会人ラグビーだったからこそ「仕事をしっかりやらない人間は応援してもらえない。はじめのうちはそんなん言われても知らんやんて。ラグビーばっかりで気づかなかったことも、次第に理解できるようになった」(山下)

・2020年 新型コロナウイルス感染症拡大によりリーグ戦中止 
 
・2021年 4勝4敗  3位(1試合の不戦敗含む)
 ∟山下誉人 6戦出場、0トライ

相手のダブルタックルにも正々堂々受けて立った

2020年11月、筆者は仕事の都合で大阪へ転勤し、チームスタッフを離れた。
ここで取材対象ではなくなったが、以降も毎試合ウォッチは続けた。

ずっと絶対的なエースで在り続けたことの代償

2022年、8年目のシーズン。シゲに転機が訪れる。
同期のWTB川崎康隆(2022年現役引退)とともに、チームの共同キャプテンに選ばれたのだ。
「自分たちが年長者になって、コーチが選んでくれたわけだけど、正直博打だなと思った。自分はまとめるのは好きじゃないし、プレーで引っ張るタイプだから。何か言おうと思うとキャラを変えなきゃならなくて。何より自由がないのはしんどかった。結果的にあの判断は失敗だったと思う」(山下)

・2022年 2勝6敗  4位(入替戦勝利でA残留)
 ∟山下誉人 全9戦出場、3トライ


この年、チームはシーズンで6敗を喫し、下部との入替戦に回る屈辱を味わった。責任を感じた。それからは若いリーダーを支える側に回った。「真面目なリクヤ(=髙島理久也)が自分の後を担ってくれて。今年でいえばこーき(=飯田光紀)のような下のヤツがキャプテンを引き受けてくれるから、自分はチームの成長を考えられたし、思ったことを口にできた」(山下)

日本人最年長とはいえ、まだ30を超えたぐらい。だがプレーヤーとしての下り坂は意外にも早く迫っていた。2023年、チームは「狭山セコムラガッツ」となり、来季からのリーグワン新規参入を目指すことを表明。国内最高峰リーグにチャレンジできる現実を目の当たりにして、周囲も本人も胸躍る心境だったが、そんな矢先、強靭な肉体が不調をきたした。

ケガと無縁のラガーマンが最後はケガに泣いた

夏のクリタウォーターガッシュ昭島との練習試合。「しばらくケツが痛くて、青野さんにほぐしてもらおうとしたら、ちゃんと診てもらった方がいいと言われて」。チームドクターの吉村先生(=英哉氏)がいる病院で検査をした結果は「腰のヘルニア」だった。ラグビー人生で初めて経験する長期離脱となった。
「自分がヘルニアになるなんて思ってもみなかった。せいぜいぎっくり腰ぐらいで。とはいえ、身体が丈夫なぶん、ケアを考えずにやりたいトレーニングメニューをガンガンやってきたので、その代償だったのかな」(山下)

3か月、4か月とリハビリ組に回り、社会人で初めてノンメンバーとして過ごすシーズンを送った。
「試合に出られないことは、大学の頃にも経験していたから」高校時代、花園の常連校・京都成章高で1年からリザーブ入り、2年からレギュラーを張ったが、明治大学では3年間、試合に出られなかった。腐りもした。同じポジションに2年の時は堀江恭佑(ヤマハ発動機ジュビロ→日野レッドドルフィンズ、日本代表cap3)、3年時はキャプテンの圓生正義(三重ホンダヒート、2019年現役引退)がいて、出る幕はないに等しく。それでも最上級生となり、一つ下の松橋周平(リコーブラックラムズ東京、日本代表cap8)とのポジション争いを最後には制してみせた。
「WTBをやったこともあったし、やっと4年の春にAチームに呼ばれたと思ったら、病気になったりもした。だから、ノンメンバーの気持ちは自分なりに分かっていたつもり。下のチームに入ってアタックディフェンスやってゲームメンバーを倒すのは楽しかった」(山下)

とはいえ――。刹那、その先のことを考えるきっかけにはなった。
家族ができた。二人目の子どもが産まれ、家を買った。そういうタイミングと引き際は自分の中で自然とリンクして腹に落ちていた。
チームは再強化に舵を切り、かつてライバルチームでしのぎを削ったパーカーアッシュやマオリ・オールブラックスの代表歴を持つ、フェトゥカモカ
モ・ダグラスなど、外国籍の選手が加入。バックローのメンバー争いにも過去イチで拍車が掛かっていった。

相手チームからの徹底マークも一身に背負い、身体を張って受け止めてきた鉄人

「試合に出れなくなったら、すっぱり辞めようと思っていた。リザーブ機会も増えたし、しがみついてでもみたいな、そこへの執着はなかった。戦力外と言われることは嫌だったし、自分で自分の幕引きはしたい」(山下)
これからの人生の方が圧倒的に長い。一つの区切りが目の前に見えていた。仕事のこともちらついた。「若い頃に移籍や転職を考えた時期もあったけど、選手終わったら終わり。そこまでは冒険しきれなかった」

・2023年 5勝3敗  2位(三地域社会人リーグ優勝)
 ∟山下誉人 3戦出場、0トライ

リーグ最終戦、秩父宮ラグビー場。どうにか間に合わせて復活を遂げたシゲは、チームのリーグワン参入の最終審査となる「三地域社会人リーグ」に照準を合わせた。初戦、スタメンで後半16分まで出場し、日本製鉄九州八幡を70-10で一蹴。天理親里で行われた準決勝の大阪府警察戦は欠場するも、同じ埼玉のライバル、ヤクルトレビンズ戸田との決勝戦の舞台にシゲは帰ってきた。

「リーグワンに上がれたら、もう1年。叶わなければ、ここで引退するつもりだった。ヤクルトとの決勝戦。見えないところで、応援してくれていた人がいたと思う」(山下)

2024年1月21日、稀代のエースはスタメンで戦列復帰し、後半35分まで体を張ってプレー。激闘死闘の末、ラガッツは20-7で勝利し、悲願の三地域社会人リーグ初優勝。シゲを欠いてシーズンで二度敗れた相手へのリベンジを完遂し、見事にチームをリーグワン参入へ導く立役者となった。

・2024年 11勝4敗  2位(入替戦敗北でDiv.3残留)
 ∟山下誉人 6戦出場、3トライ

ラストイヤーと決めて臨んだ「リーグワン新規参入元年」。序盤はなかなかメンバーに絡むことができなかったが第6節、クリタウォーターガッシュ昭島戦で待望のデビュー。ずっと経験したかったリーグワンの土を踏むことができた。
そこからはスタメン起用にも応え、持ち味のゴール前での強さ、トライを取りきる嗅覚は健在で、Aチームに定着したかに思えたのだが。4月27日、小田原城山でのヤクルトレビンズ戸田戦。後半代わりっぱなにボールをもらいトライを奪ったが、インゴールでタックルされて、膝の後十字靭帯を損傷。
リーグ最終戦、その後に控えていたDiv.2入替戦という決戦を待つことなく、シゲの選手生命はここで閉じられることとなった。

廃部寸前だったラガッツをリーグワンに押し上げた功労者
(画像引用:狭山セコムラガッツ)

素朴で野性味溢れる等身大のラガーマンのままで

部の納会から数日経った6月9日。チームからリリースされた引退・退団選手の発表。シゲは他の7選手と同じように報じられ、スタッフとして残ることもなかった。

かねてコーチングに興味はなかった。「理屈じゃなく、感覚でやってきた人間だから、言葉ではうまく伝えられない。そこは分かっていた」(山下)
社会人で10年間。本人にとっては長かったのか、短かったのか。ジャージーを脱いだいま、思うことは――。
「苦しい時期の方が長かったけど、今となれば、下から上がっていく過程を経験できたことは財産だった。楽しいこともたくさんあった。ただ自分が入社したときのヒメさん(=CTB姫野拓也、2015年現役引退)と同じぐらいの年になったわけで。当時はすごい年上に思えたし、ジェネレーションギャップも感じた。しっかりした大人やなって。今の自分がそうなれているかというと、、まだちゃらんぽらんのまんまですわ」(山下)

かつて、虫の息だったラガッツが不死鳥のごとく甦り、国内最高峰の舞台に舞い戻ってきた。トップリーグ陥落から実に18年目、この奇跡の1ページの裏には自身の身を粉にして、チームのために奮闘した男の存在があった。
ドラマの主人公のような聖人君子でもなければ、戦隊もののセンターポジションとも一味違う。喜怒哀楽をそのまま表現し、時にわがままに、着の身着のまま行動することだってある。
それでも、きっとこの世の中で誰かのために何かを為すヒーローというのはそういう人間なのだろう。8月からはセコムの原宿本社ビルで社会人生活の第二幕をスタートさせたばかり。

シゲがいてくれたから、今日のラガッツがある。みんなそう思っている。

【文責:小谷 健志】

7月某日「お疲れさん会」を兼ねて石神井公園で取材。


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