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烏合の衆が百人より、玉がひとり

今回はちょっと長めの記事で、独断と偏見も入ってますが、最後まで読んでいただけると幸いです。

玉石混淆ぎょくせきこんこうなどと言われる。
烏合の衆うごうのしゅうとは現代の場合、「ただ言われるがままに動き、自民党に投票し、AIを頼り、自分のアタマで考えることをしない」ような連中だ。

このような人はいくら着飾っても、口先でカッコいいことを言っても、賢いフリをしようが、中身はスカスカである。

玉というのは現代では貴重だ。
「自分のアタマで考え、背中で人を引っぱっていく人」なのだ。
中央政界では皆無だろう。
お盆に地元選挙区に戻り、自分の名前の入った団扇を配って盆踊りを支持者たちと一緒にするような俗物に国政は語れないし、庶民目線の政治など期待できない。

希望が失望に変わり、やがて絶望になる。
ユートピア(理想郷)がディストピア(絶望郷)となっていく。

自殺者は公式発表では年間二万人台だが、これにはカラクリがあり、「遺書がある場合のみ」である。それがないと不審死扱いになるが、実際の自殺者数は年間十万人を超えている可能性がある。

このように物理的困窮や精神的困窮でこの世を去る人は多いわけだが、このような困窮者たちに差し伸べられる手は実に心もとない。
「いのちの電話」だって制限時間30分を過ぎればガチャンと切られるというし、そもそもそれらの相談ダイアルはつながりにくい。

これほど「いのち」が軽んじられている時代もあるまい。
それを軽んじている人は、実は自分の「いのち」も軽んじている。
ただ泣いて笑って、公式か非公式かわからないけど収入をえて、財産を所有し、「どうせ一度の人生だ」とばかり、一時的かもしれないが刹那的快楽に身をゆだねる。
そんなに気持ちいいのがよかったら永遠にオ〇ニーしてればいい。
それとも職場でパワハラ?

昔から金銭を得るのは容易じゃないが、使う時はいくらか快感である。特にストレス発散につかうお金は気持ちいい。

使えない烏合の衆に成り下がるか、それとも〝玉〟を目指すのかは、生まれ育った環境もあるが、何よりも心掛けだろう。
数では烏合—が圧倒的。
同調圧力の多くも彼らが元になっている。
「資格取って、情報高感度人間になって、スキル積んで…」
感染症が流行ると真っ先にマスクして、手指消毒に走るのもそういう人たち……。AIを頼るのも、そう。

「組織で本当に優秀なのは全体の二割だ」なんて言われる。
逆に蟻は巣全体で二割の個体がサボっているらしく、その個体を取り除くと、残った八割のまじめ⁈な個体のうちの二割の個体がまたサボりだす。

放っておいて悪くなるだけなら
「教育がそれを食い止める」のだろうか。
今、それは怪しい。
「叱られない子を作る」に主眼が置かれている。
人間、あっちにぶつかりこっちにぶつかりしながら成長していく、のにだ。

人は成長の過程で自然と叱られなくなっていく。
五十のオトナが小学生並みに「ああせい、こうせい」みたいに言われるのは重度の発達障害でもない限り、ない。
しかし、問題を内包したままオトナになっていくと、いつしか臨界点がきてブチ切れるのではないか。性犯罪がそうかも知れない。

今、日本社会は極相林の様相を呈している。
つまり樹々が生い茂りすぎていて、下草まで日光が届かず、土壌が貧栄養になっている。新参者が入り込む余地はあまりなし。
だから、たとえ政治の現状に疑問を呈しても「声をあげてもどうせ変わらない」とあきらめて、「そんな面倒くさいものに関わるよりも、まわりに合わせよう」とする。



極相林でまともに光合成できるのは樹冠部だけであり、それはごく一部の特権階級ということになる。上層部だけがいい思いをし、樹床部の下っ端は細々と生き延びていくのが精一杯。だから特に若い層に「いくらがんばっても高が知れてる」諦めムードが広がり、そこから真の不幸が始まって、そのうちの一部は自ら命を絶ってしまう。

それを解消するには間伐か森林を丸ごと焼き払うしかないのだが、後者はまた一からやり直すことになり、ある程度まで回復するには時を経る必要がある。

社会を下支えする「文化」ってヤツもまた迷走状態だ。

スポーツ文化では

時代が変わったからなのか、プロ野球ではここ3,40年で応援スタイルが違っている。昔は声援と拍手だけだったのが、インニング間の舞踏とかプラカード、着ぐるみ…集団ヒステリーのような狂おしい応援。
イベントの一環とするなら、プレイの合間のアトラクションも必要か❓

芸能文化では

若者中心に、ダンスパフォーマンス先行のヒット曲が。
歌詞そっちのけ、ノリが良さえすればいいような曲ばかり。
CDの売り上げじゃなく、動画サイトの再生回数を競ってるようだけど。

アニメ文化では

青年男子にウケを狙ったものでは、ロリ系美少女が幅を利かせる。
体は二十歳でも顔は七、八歳。「私はアナタの従順なしもべです」のような舌足らずのセリフで迫ってくる。ビデオゲームにもその気あり。
エロVでは最近、AIの画像合成で「お好みの彼女を…」というのがある。
私はドラゴンボールZで止まっているが。

自分はサラリーマンに向いてなかったことが、つい最近わかった!

学生時代、卒業が近くなって友人のひとりに「サラリーマンかぁ」なんて言い、「何言ってんだ」と呆れられ、あまり反論できなかったけど、今ならできる。
サラリーマン生活は、あまりに既成の枠に押し込めようとするから。
今までの学校教育ってやつは、平和社会での恒常性維持(ホメオスタシス)のための訓練の場だったのだ😅
「あなたも人並みになりなさい」
当たり前のように言われ続けられていたような気がする。

初めての中学校生活では
学校側が「反抗は許すまじ」という姿勢がありありとしていた。
かくして生徒たちおのおのの自我は抑制されて、鬱憤がたまっていく。
文科省➡校長➡教師➡生徒という指示の流れ。平均的人間生産のための図式だ。

私としては社会人になってもスーツではなく、普段着で手にペンか絵筆か彫刻刀を持っていたかった。
しかしながら、アーティストの収入は不安定。政府への上納金は減るもののギリギリの生活を余儀なくされる。売れなければ隅に追いやられる。
生活第一で考えるならサラリーマンなんだろうけど、若い頃は面接で落とされまくったし、企業のパーツなんて高が知れてる。
30年も40年もガマンして、やっと成虫になったと思ったら、もう死ぬ時だ。

お陰で結婚もできなかった。

自我を貫くか、適当に妥協してまわりに合わせるか
難しい線引きだが、自分のやりたいことをまったくせずに終わる人生なんて
つまらないと思うよ。

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