掌編小説「あなたの魂とは『神なるもの』に通じるか」
ある種の盲目さを持ってしか、人は素直にはなれない。
知識に寄るところの弊害は、機会の損失だ。
よく学び、よく遊べとは、よく言ったものだ。
学びの意義は、使える場面で学んだことを活かすことにある。
いわゆる基礎基本だ。
技や奥義は基礎基本がなっていなければ意味がない。
いきなり技や奥義に繋がる道を得ても、基礎基本の修養がなくては、その分野で一人前になることはできない。
悪条件下では、生き残るための術が身につく。
過酷であれば悪の技を閃くこともあるだろう。
もう一度言おう。
"知識に寄るところの弊害は、機会の損失だ。"
"よく学び、よく遊べとは、よく言ったものだ。"
三方良しで、初めて良い一歩が歩める。
それが理想の型だ。理想の型は己が力を十全に発揮する。
剣道ではこれを、一眼二足三胆四力というらしい。
眼を鍛えれば脳が良くなる。
足腰を鍛えれば心肺が強くなる。
胆力を鍛えれば心構えが変わる。
身体を鍛えれば十全に能力を発揮できる。
となれば、誰でも一端の剣士になれる資質が養われるというのが、宮本武蔵の思想だ。
では、現代において剣士は何に代替されるか?
侍は、負けることが許されない。
戦場(いくさば)では、負けは死を意味する。
だから負け帰ったら皆で腹を切ったのだ。
ゆえに真剣勝負では絶対に負けてはならない。
刀を抜いての試合いは、危険を伴う。
だから宮本武蔵の立ち会いでは、死人も出た。
…ただ木刀を修練に使うだけなら、誰も文句は言わないだろう。
もう一度言おう。
"では、現代において剣士は何に代替されるか?"
"侍は、負けることは許されない。"
何も現代で死地や戦地に赴けとは誰も言わない。
ならば己が居場所を何とする?
侍は刀を魂とした。
現代人は何を魂とし、それを何処に置く?
江戸では士農工商が社会の基礎基盤にあった。
その中では皆自由に暮らした。
士農工商自体は政策や法令としてはとっくに廃止されたが、現代でも社会の基盤として息づいている。
人生哲学とは、その4つのそれぞれにあるものだ。
士とは剣士ではなく、武士のことだ。
武士は国を守るための戦闘員であったが、平時は役所勤めの侍とは違い、日々仕事に勤しむ農民武士(地侍)がほとんどだった。
知仁武勇御代の御宝(ちじんぶゆうみよのみたから)というおまじないがある。
これは私の所感だが、三本柱に続く4つ目の柱をイメージ化してはどうだろうか。
太極は零から発生する壱。
陰陽はそれぞれ二と一。
四象はそれぞれが三番目であり四を表す。
八卦では1〜8までと、1〜10までを網羅した。
易経では、これらの数価も表すらしい。
象(ショウ)は、実際の事象から値を測るグラフや方位を示すものまでさまざまある。
もう一度言おう。
"ある種の盲目さを持ってしか、人は素直にはなれない。"
あなたの魂は何であり、それを何処に置くか。
よく考えておいてほしい。
いいなと思ったら応援しよう!
よろしければサポートお願いします。
僕の活動費に使わせていただきます😊!