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レコード盤が語る「語り芸」の記憶 — 「タライに水を汲んで……」から「不如帰」へ

​「鈴木主水という侍は……」

​この節回しを聞いて、背筋がゾクリとするか、あるいは思わず顔をほころばせるか。

八木節や江州音頭、そしてかつて見世物小屋で喝采を浴びた「覗きからくり」のタンカ。これらに共通する独特の七五調のリズムは、日本人のDNAに深く刻み込まれているように思う。

​■ 悲劇と卑俗の同居

​面白いのは、その物語の「振れ幅」だ。

鈴木主水と白糸の心中という、極めてシリアスで悲痛な物語を語りながら、合いの手の囃子詞では「タライに水汲んでキンタマ冷やせ」といった、強烈に下品で人間臭い言葉が平然と放り込まれる。

​今の感覚からすれば「不謹慎だ」と感じるかもしれない。だが、これは当時を生きた庶民たちの生存戦略そのものではなかったか。悲劇的な運命をただ嘆くのではなく、その悲しみすらも軽妙なリズムと笑いでコーティングし、日々の憂さを晴らして踊り明かす。その「緊張と緩和」の絶妙なバランスこそが、日本の伝統芸能の生命線だったのだ。

​■ レコードが刻む「右から左へ流れる時間」

​ふと手元にある古いSPレコードを眺める。そこには、音以上の歴史が刻まれている。

REGALレコードのレーベル面には、右から左へ向かって「不如帰」と記され、その下には名コンビ「砂川捨丸・中村春代」の名がある。現代の感覚で左から右へ読んでしまえば、それは単なる意味の解けない羅列に過ぎない。しかし、当時の「右から左へ読む」という流儀に従って視線を走らせた瞬間、レコード盤の上で時間が動き出す。

​さらに興味深いのは、この表記の揺れである。大正末から昭和初期のレコードでは「萬歳」と書かれていたものが、昭和中期に入ると「万才」へと変化していく。この一文字の簡略化は、かつての祝祭的な「萬歳」という重みが、より親しみやすい「万才」という庶民の娯楽へと変容していった過程を物語っている。

​■ 「不如帰」と「帰るに如かず」

​この「語りのリズム」は、文学の中にも深く浸透している。

徳富蘆花の『不如帰(ほととぎす)』を、砂川捨丸・中村春代のような節回しで口ずさんでみてほしい。

​​「三府の一の東京で、波に漂う益荒男の、儚い恋にさ迷いし。

父は陸軍中将で片岡子爵の長女にて、桜の花の開きかけ、人も羨む器量良し、その名も片岡浪子嬢。

​海軍少尉男爵の川島武雄の妻となる。新婚旅行を致される。

伊香保の山の蕨狩り、遊び疲れてモロトモに、その夜は我が家にゃ帰られぬ。

​武雄は軍籍ある故に、やがて行くべき時は来ぬ。逗子を指して急がれる。

浜辺の波は穏やかに、武雄がボートに移る時、浪子は白のハンカチを打ち振りながら、

『ねぇ貴方、早く帰って頂戴』と。

​仰げば松に掛かりたる、片割れ月の影寒し。

実に哀れな、不如帰(ほととぎす)。」

​物語の悲劇性が、節に乗ることで増幅される。

そして、この鳥の名。「ホトトギス」はなぜ「不如帰(帰るに如かず)」と書くのか。「帰るに如かず(帰るのが一番だ)」という鳴き声の聞きなし。それは、物語の主人公・浪子にとって、帰る場所を失いつつある己の運命を突きつける、残酷なまでの響きだったはずだ。

​■ 節回しが呼び起こす記憶

​「覗きからくり」のタンカから、民謡のくどき、そして近代文学の名作まで。

これらは形を変え、時代を変えながらも、同じ「語りの型」の上で呼吸している。

​私たちが言葉を語る時、その根底には、かつて路地裏で見世物を眺め、盆踊りの輪の中で泥酔した人々の熱気が眠っている。

洗練された現代の言葉の影に、かつての熱を少しだけ思い出してみる。そうして「帰るに如かず」と鳴く鳥の声に耳を澄ませるとき、日本の物語はより深く、切なく胸に響くようになるのだと思う。

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Hans (巓嚮院海老胡瓜庵) 資料収集や文献購入に、充てたいと思っております。