魔急精神病院〜カケル〜 第6話
「…あの白石さんの?」
今度は、先ほどやり取りしていた男とは別の、丁寧な口調の男の声が聞こえてきた。
「それなら、入って構いません。貴方がたを信じましょう」
2人目の男が続けて言った。
「ありがとうございます。失礼します」
紗良は扉の前で涙ぐみながらお辞儀をし、204号室のドアを開いた。
そこは4人部屋で、意外と普通の病院と変わらない内装だった。先ほど通った階段とは違い、清潔感もあった。また、入院患者の4人の男たちは皆、廊下で見かけた精神科患者とは違い、精神疾患を患っているようには思えないほどの様相だった。
「男くさい部屋で申し訳ないが、よくぞいらっしゃいましたね」
先ほど入室を認めてくれた男性が人の良い笑みを浮かべながら、紗良と来場客を労った。彼は小柄で小太りの70歳位の高齢男性で、白髪に色白で、人懐っこい笑顔を見せていた。また、彼は白い襟付きシャツにダークグレーのスラックス、紺色の室内シューズといった装いで、知的で清潔感があった。
「僕は不動託司(ふどうたくし)。精神科医の端くれです」
不動は紗良と握手しながら自己紹介した。
「精神科医!入院患者の中には、精神医療関係者も沢山いらっしゃると聞いたことがありますが、まさか精神科医の方とお会いできるとは思いませんでした」
紗良は目を丸くした。
「精神疾患を治すはずの人間が治される側になるとは、何とも皮肉なものです。まぁ、僕は息子に『認知症』と勝手に決めつけられたから、入れられてしまったんですけどね」
不動は肩をすくめながら言った。
「それはヒドイ話ですね!ぜひ、お話をお聞かせ…」
「いやいや、他に優先すべきことがあるでしょう!」
紗良の言葉を不動が遮った。
「あ…そうですね。失礼しました」
紗良は顔を赤らめていた。
「僕のことは後でお話ししましょう。それより、駆くんを何とかしないといけません」
不動は、自分のベッドの隣にある丸椅子に座っていた駆の方を向いた。駆は、怒りと不安に満ちた表情で、一言も発することなく俯いていた。
「駆くんは、医療保護入院でここに入れられました。彼は、酒乱の父親から妹さんとお母さんを守るため、父親に暴力を振るってしまいました。逆上した父親でしたが、彼は17歳のスポーツマン。力では敵わないと思ったのか、かかりつけの精神科医に彼を入院させるよう唆したのです。ヒドイ話です」
不動は眉間に皺を寄せながら話した。
「そんなことがまかり通っているなんて…」
紗良が悔しさを滲ませていた。
「精神科医の僕が言うのも難だが、特に日本の精神医療は狂っています。しかし、医療保護入院は法律で認められた制度。一度入院してしまうと、自分の意思で退院するのはまず無理です
「しかも、ここは悪名高い魔急精神病院。入院期間が長くなればなるほど、生存が困難になります」
不動は右手で額を押さえ、首を横に振りながら話した。
「しかし、ここにいらっしゃる皆様は、結城くんは入院したばかりだから別として、健康そうに見えますが…?」
紗良は不思議そうに4人の男たちを眺めた。
「それは、不動先生のお陰だ」
先ほど、ぶっきらぼうな口調で紗良たちを追い返そうとしていた男が口を開いた。彼は40代くらいで、白髪交じりの黒い短髪、色黒の肌に短い口ひげを生やし、ラガーマンのような体型をしていた。
「あ、自己紹介がまだだったな。俺は木野衛(きのまもる)。大工をしていたが、リストラされて、アル中になっちまって、入院するハメになった。でも、同じ部屋にいた不動先生のアドバイスのお陰で、アルコールを抜くことができたんだ」
木野は頭を軽く掻きながら言った。
「そうそう。ワタクシも、先生のお陰で精神状態を正常に保てていますよ」
ここで、初めて4人目の男が口を開いた。彼は紗良と同年代くらいで、背が高く痩せ型の白い顔をした神経質そうな男性だった。
「あ、ワタクシ、秋原純(あきはらじゅん)と申します。元カノに浮気されてうつ病になり、任意入院で入院しました。先生は精神科医ですが、向精神薬の減断薬のプロフェッショナルでして、先生の的確なご指導…」
「純くん、その話も後にしようか?」
不動が秋原の話を遮った。秋原は白い顔の頬をピンクに染めた。
「さっきも言いましたが、精神病院は入院が長引けば長引くほど、生存確率が低くなります。なぜなら、患者に投与される向精神薬は実質的には麻薬ですし、入院すれば、多剤大量処方になるからです
「だから、我々は長いこと退院を望んでいました。しかし、この病院が退院を許可するわけがない。そこで、我々は脱出することを決意しました」
不動は鉄格子の入った窓の外を見ていた。魔急精神病院はアトラクションのため、本来なら晴天で沢山の来場客がいるはずだが、窓は特殊加工され、深い山林と曇り空が映し出されていた。
「脱出!?」
押し黙っていた駆が、バッと顔を上げ、口を開いた。
「あぁ、そうだ。ここにいても、我々は皆、遅かれ早かれ死にます。このまま死を待つくらいなら、死ぬ気で自由を手に入れたいです。だから、我々は駆くんが入院する何ヶ月も前から脱出計画を立て、病院の外に出る経路を探し出しました」
そう言うと、不動は古ぼけた小さな机の上に置いてあった魔急精神病院のパンフレットを、部屋にいた皆に見えるように広げた。
「病院の館内図です。今、我々がいるのが開放病棟の204号室です」
不動はボールペンの先で204号室の場所を示していた。
「これからは食堂で昼食の時間、その後は自由時間です。しかし、これらの時間帯での脱出は得策ではありません。看護師の監視の目があるし、自由時間には病院の外には出られるものの、監視カメラがわんさかあって、有刺鉄線の張られた塀を乗り越えるのは無謀です」
不動は、パンフレットの食堂と庭の箇所にペンで小さくバツ印をつけた。
「え!?外に出れるタイミングで脱出するのかと思いました。じゃあ、夜中に脱出するってことっすか?」
駆は戸惑っていた。
「とんでもない!夜中は最も脱出が難しい時間帯だよ。廊下には、絶えず看護師や警備員が目を光らせているし、塀や門にだって監視の目がある」
不動は首と右手をブンブンと横に振りながら、慌てた様子で言った。
「それに…あいつも夜中に脱出して、看護師の奴らに捕まって、それっきり姿を見かけないもんな…」
木野はそう言いながら、小刻みに震えていた。
「衛くん、駆くんが怖がるから、その話は止めようか」
不動は木野の話を制止した。
「あの、その話、聞かせてください。俺、怖気づいたりしないんで」
駆は不動の目を真っ直ぐに見つめながら、力強く言った。
