逢えるかもしれない
GWが終わり、一息ついた5月半ば。
このところ地震が頻発しているので
しばらくは遠出を控えることにしている。
ならば
線路際にある
チサンバジェット金沢駅前の
トレインビュープランで。
客室から列車を眺めながら一泊するか。
トレインビューのお供はこちら
旅気分を上げるなら、駅弁ですよ。


(株)源は 「ますのずし」で有名だが
「牛すき焼き」は初めていただく。
牛肉もごはんもがっつり、タレもいい塩梅。
赤ワイン漬けのらっきょうが
いいアクセントになってる。
いける〜!
あ、焼酎買ってくればよかった😁😜
さらに
時間を空けて…
おやつはこれだぞ〜😋
金沢百番街 Rinto にある
「八百屋のParlor Horita 205」の
ブルーベリータルト。
生のブルーベリーと
アーモンドの風味豊かなタルト。
至福のひととき。
食い過ぎと言うことなかれ👊


翌日、ホテルをチェックアウト後
駅ホームへ向かった。





北陸新幹線敦賀延伸とともに
在来線は第三セクター(IRいしかわ鉄道)へ
移行したので
大阪や名古屋からの特急列車は全廃。
かつての特急街道の舞台は新幹線へ移り
ホームはすっかりローカルになった。
とはいえ特急「サンダーバード」の
役目を解かれた683系が
金沢から和倉温泉を往来する
特急「能登のかがり火」として
時折姿を見せる。
特急街道時代を
時刻表で振り返ってみよう。


当時、大阪から新潟を結ぶ
寝台特急だった「つるぎ」が
深夜通過する以外
金沢駅には全ての列車が発着した。
画像は「上り」のみにしたので
倍の本数の列車が往来していたということ。
普通列車よりも
いかに
特急列車の本数が多かったかが
おわかりいただけるだろう。
特急街道全盛期は
近畿、首都圏の往復のみならず
大阪から日本海沿いを走り
青森、札幌へ向かう列車も存在した。
駅は単に列車の発着する場所ではなく
独自の文化をも作り上げてきた。
駅の情景から文学や歌曲が生まれた。
そして
今はホ―ムや列車から消えた
駅弁売りの声
うどん・そば売店での立食い風景
乗客から荷を預かり
コンコースとホームを往来した「赤帽」
夢空間だった食堂車
入れ代わり立ち代わり車内を巡回していた
車内販売のクル―たち
それらが存在した時代に
思いを馳せると
過去へ去っていった列車たちに
逢えるかもしれない。
この歌を思い出した。
「逢えるかもしれない」



この歌は
1987年4月1日の国鉄分割民営化に伴い
募集された
新生鉄道誕生記念キャンペーン
″いい街へ いい人へ″の
大賞受賞の澤田直子氏の詩に
松本隆氏が仕上げ、後藤次利氏による作曲。
印象に残ったのは
国鉄からJRに生まれ変わる
3月31日から4月1日にかけて運転された
パノラマエクスプレスアルプス車内で
原田知世氏が歌い
華やかに門出を祝った。
あれから38年。
鉄道を取り巻く状況は
年々厳しさを増し、廃線廃駅が続き
新幹線開業とともに
在来線は経営母体が変わる。
しかし
思い出という鉄路は
いつまでも
心の中に残したい財産なのである。
もえぎ
