脱・いい人|善より【誠実さ】で生きれば楽になる
世の中の大半の人が、
自分のことを「自分は"善側の人間"」と思っているもの。
自分は、
・悪意がない
・意地悪な人じゃない
・思いやりもある
・優しい
・ずるいことはしない
そして、
「そういう人間であるべきだ」
「それが"いい人"だ。いい人でいなければいけない」
と強く思っていたりします。
このイメージの強さが生きづらさを作っているのではないかと、私は思います。
人間は聖人ではありません。
"善"だけの人間なんて存在しません。
ちょっとした意地悪さ、ずるさ、無関心さ。
誰にでもあるんです。
人間だもの。
それが自分の中にあると自分が受け入れていなかったら……
それが"いい人"の生きづらさなんです。
前置き
まず最初に、
誤解しないでくださいね。
私は、
「善人は存在しない」
「ずる賢く生きろ」
と言っているわけではありません。
善"だけの"人間なんて居ないよ、
人間の作り上、有り得ないよ、
という意味です。
ここで言う"善"は、
自分は利己性や狡さを一切持っていない、そんな行動しないという、
清廉潔白な完全善オンリーという理想像のことを指しています。
この極端な理想像が曲者なのです、
という話です。
「自分は善」は脳の願望
99%の人が「自分は善側の人間」だと本気で信じて疑わない。
自分にはずるさや利己性はない
と本気で信じています。
でも…
みなさん、日常で出会ったことがありますよね?
「なんであんな自己中なの?」
「あの人ずるいなぁ」
「意地悪、嫌がらせされた」
そんな人に、出会ったことない/見かけたことない人はいないのではないでしょうか?
他人の悪意・狡さ・利己性が見える場面が多いはず。
"完全な善"じゃない人はこんなに溢れているのに、
世の中の大多数は自分のことを「自分は善」と本気で思っている、ということ。
もし本当に事実として大多数が"完全な善しかない人間"なら、
社会にこんなに利己性やずるさが溢れるはずないじゃないですか。
ということは、
自分にはずるさや利己性がないつもりでも、
実際はずるさや利己性が漏れ出ている、ということ。
当人に自覚は無いまま。
「でも、自分は漏れ出てもないはず」
と思うかもしれません。
それが罠です⚠️
「自分はそうじゃない」と思うなら、
それは
「自分にはずるさや利己性が全くない完全善な人間」と信じ込んでいる証。
人間には必ず、
ずるさや利己性があるものなんです。
それを自覚していない、受け入れていないということは…
自分のずるさや利己性に、
「これは善だという理由」を後付けして無意識にカモフラージュしているだけ
という場合があります。
これも理由があって。
人間は、ずるさや利己性を持っている自分を見たくないものだからです。
だから無意識に、
自分のどんな行動にも"善/それが正しい理由"を付けてしまうんです。
この無意識にカモフラージュしてしまう人間の脳仕様が、
「自分は絶対に善」だと自分に思い込ませてしまうんです。
ずるさ・利己性自体は悪ではありません
まず、印象を修正しませんか?
ずるさや利己性を、"悪"に分類しないで。
ずるさや利己性があること自体は、人間の仕様であって、自然なことです。
ずるい気持ち・利己的な考え、
それ自体は誰もが持つもの。
自分の中にも"無いわけがない"んです。
ただ、ずるさや利己性を
他人の迷惑を考えずにありのまま出す
のが良くないだけです。
つまり、使い方の問題。
ずるくなっていい場面、
利己的になっても迷惑をかけない場面、
誰かに嫌な思いをさせない状況を選びさえすれば、
悪でもなんでもありません。
「自分は善」の何が問題?
問題なのは、
自分にはずるさや利己性が一切ない、
または
自制しきれてるから一切出てない、
と信じ込んでいる部分。
あるはずなのに、自覚が一切ないこと。
これがなぜ問題かというと…
● 他人の利己性が見えたとき、やたら汚く・悪く見える
自分に利己性がないと思っているから、
他人の利己性が目につけば、
必要以上に悪いものとして感じてしまう。
これは、人に厳しいとか心が狭いとかではないんですよね。
許容範囲内に入れられなくなってしまうんです。
・これによる悪影響
人に対して嫌悪感を感じる機会が多発。
イラッとしたりモヤッとしたりというネガティブな感情が発生しやすくなる。人間嫌いになったり。
● 自分の狡さに気づかない(が、他人には気づかれてしまう)
本人は善のつもりカモフラージュされているから、それがずるい・利己的だという自覚がありません。
でも、人間は"他人が得すること"には敏感なもの。わりと見抜かれます。
・これによる悪影響
自分ではずるいつもりが一切ないから、「誤解された」「相手が勘違いした」になります。
相手から見たらその反応は、「悪びれない」になってしまいます。
印象が悪くなったり、反省も修正もできない、人間関係で損をしてしまうことに。
● 自分を苦しめる
「自分は善であるはず」さらに「善であるべき」と信じたま、その理想像から外れたことをしたとあとから気づく機会もあるでしょう。または他人から指摘されたり。
そのときに、「自分は最低な人間だ」と思ってしまう場合があります。
・これによる悪影響
強い自己嫌悪、自己否定に落ちてしまう。「自分は善じゃなかった」という自分への落胆。自分を許せなくなってしまったり。
このように、
メンタルに多大な影響を与えてしまうことに繋がるのです。
ずるさや利己性を見過ごせなくて、見かけるたびに心が乱れ、
そんな人が溢れる社会に嫌悪感を感じ、
自分自身は気づかぬ間に悪気も一切ないまま漏れ出てしまった場面には「誤解された」と感じ、
自分のずるさに気づいてしまった場合には、強い自己嫌悪に襲われてしまう。
これが、"いい人"の生きづらさ。
解決策は、「自分も善"のみ"ではない」と受け入れること
【自分にだって、
ずるい面、ずるくなる時が、無いわけじゃないんだ】
上記した生きづらさから抜け出すには、
そう思うだけでいいんです。
人間は、
ずるさや利己性が一切ない聖人
にはなれないんです。
あなたも、
そんな聖人を目指さなくていいんです。
「自分にだってあるんだ」
「だからこそ時と場面は選べる人でいよう」
これで充分すぎるほど立派ないい人です。
これを受け入れられたとき、
脳は"善/正しい理由"を付けにいく"カモフラージュ"を止めてくれます。
指針には、善よりも"誠実さ"を
いい人=完全な善(ずるさや利己性無し)
が有り得ないなら、
何を基準に自分を律したらいいの?
と思う人は…
善より"誠実さ"を基準にしてみるのはいかがでしょう?
ちなみに、誠実さとは、
正直に何でも言うことではないですよ!
誠実さとは、
・自分のずるさや利己的な部分を認め、
・でも、それを他人に迷惑をかけない範囲で扱う
・もし迷惑をかけたときは、素直に詫びる
・他人のずるさや利己性が見えても、相手への理解を持つ(自分も同じ性質を持つんだから)
これが誠実さ、ではないでしょうか。
自分を美化も正当化もしないけど、
かと言って自己否定や自己嫌悪にも落ちない状態。
これが
現実的に、人間が目指すべき姿なんじゃないかなと私は思っています。
さいごに
『完璧な人間なんていない』
って、よく言うじゃないですか。
今回の話もそうです。
人間は完全な善オンリー人間にはなれないんだから、
ずるさや利己性は誰にも自分にもあると受け入れた上で、
それを「善じゃない、正しくない」とジャッジするんじゃなく、
"誠実さ"で扱える人を目指すのが自然かつ"正しいこと"なんじゃないでしょうか🌱
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