従軍慰安婦問題の本質(8)-この問題を認めたくない立場の人びと-
1 安倍晋三と秦 郁彦はともに従軍慰安婦問題はなるべくなかったことにしたい「長州人の本性」を共有しているらしい「同志の関係」に映っていた
秦 郁彦(はた・いくひこ,1932〔昭和〕7年12月12日- ,日本の歴史家で元大蔵官僚出身:冒頭画像の人物)の専門は日本近現代史・軍事史である。従軍慰安婦の問題に対しては右寄りの立場からであっても,なるべく学究的に解明を志している人士(識者)に感じられる一面があった。だが,その他面における議論の特徴は,この「美しくも醜いジャパンという国」の恥部に対して,
できるかぎり「大きいイチジクの葉っぱ」を製作するための勉強をしてきたらしく,りっぱな著作を多数公刊してきた《国家官僚出身の開陳してきた歴史学》としては,基本となる歴史観のタガが緩んでいて,終始,ガタついていた所論であっても,なんら躊躇することなく公表してきた,つまり〈蛮勇の学究もどき〉の経歴を誇れる人物であった。

ここでは,「研究」とはいってもどのような思想・イデオロギーから問題意識を抱き,接近していたかに注目しておく必要があった。日本人として抱く特定の心情が従軍慰安婦問題を認めたくない立場を,いわずかたらずして前面に押し出す筆法を採らせていたゆえ,この人のめざしたところは,なんというか『従軍慰安婦問題を否定できない否定』論者であった。
以上のごときに,秦 郁彦に対しては奇妙な位置づけをしてから,本日のこの「本稿(8)」の要点をつぎのように説明しておく。
要点・1 従軍慰安婦問題における秦 郁彦(1932年生まれ)の役回りは奈辺にあったのか
要点・2 この従軍慰安婦問題を闇雲に否定するといったお話にもならない無作法はけっしてみせないけれども,なまじ研究能力水準が高く優秀であったせいか,その研究成果の公表の仕方に,カラクリ的な便法をたくさん仕こもうとしてきた点では,純粋の学究とはみなしがたい一面も,みずからたっぷり披露した人物であった
以下にまず,長々と紹介・引用し,議論するのは,Hatena:Diary に出ていた記事で,それも『Transnational History』という題目(細目の分類)のなかに出ていた,つぎの「討論・対談」(2013-07-03)である。
ということで以下の記述は,この「討論・対談」をとりあげることから始めるが,その前に,2020年1月からすでに始まっていた「新型コロナウイルス感染症」の経済社会に与えた影響が,より深刻になった時期に発せられた庶民の声を紹介してみたい。
以下にするこの引用は,【参考意見】として拝聴すべき『朝日新聞』2021年9月24日朝刊「声」欄に寄せられた投書」であった。なお,2021年9月という時期は,菅 義偉が首相を務めていた期間(2020年9月16日-2021年10月4日)の終期に近づいたころに当たっていた。つまり,つぎの首相となる岸田文雄が自民党総裁で選ばれる結果となっていく最中に,朝日新聞の読者が寄稿した意見であった。
◆〈声〉虚偽答弁たださぬ会見に違和感 ◆
=『朝日新聞』2021年9月24日朝刊「オピニオン」=
〔無職 蓮沼 勝,埼玉県 72歳〕
自民党総裁選が熱を帯びてきました。候補者4人による立会演説会が開かれ,それぞれの抱負が語られましたが,私は続いておこなわれた共同記者会見に強い違和感を抱きました。総裁選の争点や新型コロナの出口戦略の質問は当然ですが,国会での虚偽答弁についてなぜかどの社もどの記者も触れません。
安倍晋三前首相は森友学園問題と桜をめぐる問題でそれぞれ100回〔正確には118回であった〕以上虚偽答弁を重ねたことが衆院調査局から報告されています。政治への不信感が払拭(ふっしょく)できない原因がここにあることを候補者も,マスコミも忘れています。
コロナに感染したが入院できない状態を「自宅療養」といっていますが,自宅療養は病院を退院後,社会復帰するまでのことではないでしょうか。言葉の本来の意味がないがしろにされ,上っ面のイメージばかりが独り歩きしているのが現状です。
このうえ,為政者の虚偽答弁までが許容されたのではわが国の将来は真っ暗です。共同記者会見は国の新しいリーダーの考えを聞く重要な機会です。政治と国民との間によどんでいる澱(おり)がなにによって生じているのか,強く意識した質問をしてもらいたいものです。
いうまでもない事実であったが,この〈声〉欄の意見にも指摘されていたとおり,その虚偽答弁を重ねに重ねてきた当時政府の最高指導者が,ほかの誰でもなく,いまは故人の「安倍晋三」であった。
この元首相安倍晋三がもっとも忌み嫌っていた「日本の戦争責任問題」のひとつが「従軍慰安婦という歴史問題」であった。 彼の立場・イデオロギーにとって一番に最優先され,つまり「最高に大事にされねばならなかった《最大のウソ》」が,ほかならぬこの「従軍慰安婦を全面否定する意向」に鮮鋭に反映されていた。
本ブログ筆者は,最近入手した曽根一夫『元下級兵士が体験見聞した従軍慰安婦』白石書店,1993年を,2か月ほど前に入手し,読んだ。
同書は,旧大日本帝国陸軍兵士が自分の実体験を介して従軍慰安婦問題の具体的な様相を,作家でもないにもかかわらず,つまり執筆者として素人の立場からではあっても,自身が日中戦争(北支事変⇒支那事変,1937年7月7日開始,終わるのは,いちおう1945年8月15日)に当初から5年間もの長期間動員された下級兵士の階級にあった立場からだが,非常に綿密にいわば統合的,有機的に,換言するととても分かりやすく平明にかつ率直に描いていた。
曽根一夫という1人の下級兵士は,日中戦争の実相であった「三光作戦」そのものであった戦史の展開のなかで,みずから体験者となった自分の人生を,包みかくさず記録している。なお,学究たちが専門家の立場から説明されているその三光作戦とは,つぎのような意味があった。
三光作戦は,日中戦争中,日本軍が中国共産党軍の根拠地を掃討する目的で実施した「殺光(殺しつくす)」「焼光(焼きつくす)」「掠光(奪いつくす)」の残虐な作戦でった。華北地方を中心に抗日根拠地の人民を殺害し,食糧や建物を徹底的に破壊していった焦土作戦の典型的な事例であり,多くの一般中国人民が犠牲になった。
曽根一夫のこの本を読み出しところでただちに,安倍晋三たちなどのように「頭から従軍慰安婦問題」を否定する人びとの「歴史理解」をめぐる精神状態すら疑われるほかない点を,痛感させられた。まさに曽根が「黒」とその事実の体験・実行者として発言していた(1993年)のに,安倍はこれを「白」だといわねばならなかった。安倍は曽根が日中戦争時にみずからも実践(実戦!)した事実史を,問答無用にそれも観念論で決めつけ排除した。
曽根一夫は別著として,『私記南京虐殺(正)-戦史にのらない戦争の話-』彩流社,1984年なども公刊していた。こちら「本書は,南京攻略戦に一兵士として参加した著者が,自らの残虐行為を赤裸々に綴った衝撃の告白の書である。論争が注目をあつめている中で,体験者による戦争の悲劇の告発は,貴重な一石を投じる」と宣伝文句を添えられていたが,
前掲の 『元下級兵士が体験見聞した従軍慰安婦』1993年は,実際に読みはじめてみると,日中戦争に実際に動員された人間(帝国臣民)としては将校ではなく,それこそただの一兵士として戦地に送られていた立場にあったにもかかわらず,その戦争の歴史の過程を鳥瞰しうる視野をもって論旨を展開していた。
曽根一夫はもちろん専門家としての物書きではない立場にあったにもかかわらずと,上記の書物を構想し,この内容をそろえ,実際に構成して,体系的にも整理しつつ執筆していた点は,けっして体験者ではありえなかった従軍慰安婦問題の研究者が書いた書物とはまた違った,この歴史問題の報告書になっていた。
曽根一夫の同書はまた時期的には,1993年11月30日に発行されていたので,例の河野談話:『慰安婦関係調査結果発表に関する河野内閣官房長官談話』が1993年8月4日に公表されていた事実とも,時期的に前後して交わされていたはずだと推測してもなんら不思議はない。つまり,曽根個人次元においてなんらかに発生していはずの当時なりに抱いた所感の介在を推理しても,けっしておかしくはなかった。
ただ,いまからの判断になるが,吉田清治の作り話だとされる「朝鮮人女性狩り」の体験話をそのまま採用していた段落もあったので,この点では問題となるべき余地を残した。しかし,この吉田清治関連以外の従軍慰安婦問題に対する記述は,実際に自分自身も大いに慰安婦を利用した立場からであっても,率直に明解に語っていた。
註記)曽根一夫『元下級兵士が体験見聞した従軍慰安婦』白石書店,1993年,45頁,48頁,247頁が吉田清治について言及がある。
要は,曽根一夫『元下級兵士が体験見聞した従軍慰安婦』1993年は,従軍慰安婦問題じたいを否定したい人びとにとってみれば,その実態(実体)である従軍慰安婦の「歴史的な実在」のなかにどっぷり漬かった「戦地:現地での兵営生活」の体験を,ありのままに自然に回想していたゆえ,いささかならず嫌悪する人たちが居てもなんら不思議ではない。
こういってはなんだが曽根一夫は,下級兵士というよりは将校の立場,それも佐官位程度の視点から問題を鳥瞰できたかのような「筆致と中身となったこの本」を制作・公刊していた。従軍慰安婦問題の事実,歴史,本質そのものを聞きたくない人びとにとってみれば,この本は焚書にでもしたいほどに充実した内容を,ありのままに語っていた。
たとえば,中曽根康弘が戦時中,海軍の主計将校としてそれも自慢げに慰安婦の人員調達(要員化)などの事実を自慢げに語っていた事実に比較するに,曽根一夫は下級兵士の立場からであっても1冊の本をしたてて,その実情そのものを自分自身の慰安所通いにも論及するかたちで詳細に説明していた。
この2人の表現だけをもってしても,「国営慰安所」(曽根,前掲書,77頁)であったこの施設のなかで,ひたすらにただ性的奴隷行為を強いられていた朝鮮人女性たちが「従軍させられた慰安婦」そのものであった歴史の事実は,ゲッペルスの煽動言説を真似て否定しようとしたところで,とうてい否定しきれるものではない。
2 事前に指摘しておきたい2013年7月に「秦 郁彦と吉見義明」が対面しておこなった議論
2014年夏以降,安倍晋三が権柄尽くでもって仕立てあげたある工作活動によって,日本社会は大騒ぎさせられた。それは,「吉田清治」が従軍慰安婦問題を創作して描いた書物2冊を報道した経過に関連して,朝日新聞社が「誤報を犯したとされる問題」をめぐる,いわば「でっち上げの騒動」であった。
吉田清治のつぎの2冊の存在に触れておく必要がある。
▲-1『朝鮮人慰安婦と日本人-元下関労報動員部長の手記』新人物往来社,1977年。
▲-2 『私の戦争犯罪-朝鮮人強制連行』三一書房,1983年。
2014年夏から安倍晋三が,朝日新聞社による「誤報問題」に対する非難・攻撃を猛烈におこなうに当たっては,この吉田清治の2著が,いってみれば偽本(内容が基本的に虚偽)だという非難を強烈に世間に訴える手段が採られていた。
ところが,実際にそうした安倍晋三側が一方的・専断的に決めつけていく経過が展開されていったところで,つぎの年(2015年)になるとなぜか,つぎの著作が公刊され,安倍の従軍慰安婦問題に対する理解そのものが,もともと生かじりであっていいかげんもいいところで,そのいいぶんじたいが不全であった経緯が指摘されていた。
その本は,今田真人『緊急出版 吉田証言は生きている 慰安婦狩りを命がけで告発! 初公開の赤旗インタビュー』2015年4月であった。安倍晋三によって徹底的に攻撃された朝日新聞社「吉田清治関連記事の誤報問題」をめぎり,逆に安倍のそれこそ調子に乗りまくっていた攻勢ぶりを,真っ向から反批判した著作である。
吉田清治のその2著(前掲)を読むさい重要となる問題意識は,そこに書かれていた内容が「歴史の事実」関係「そのもの」として鑑識されるさい,はたしていかほどに「信憑性」=「現実性」がありえたのか,という核心に向けられるべきであった。
だが,安倍晋三はこの吉田清治が偽本を書いたのだという一事を絶対的な理由になりうると断定したうえで,あたかも,従軍慰安婦問題そのもの全体が歴史的に存在しえなかったとまで極論した。安倍自身は,その幻想としてのおのれが抱いた願望が仮にでも可視化できたかのように錯覚していた。すなわち,当時における彼は,従軍慰安婦問題「全体」が歴史の記録(舞台)から消せるはずだ,と過信までした。
そして,そのなりゆき(筋書き?)にしたがえば,日本国民たちの心情のありようにおいても,安倍の訴求した「従軍慰安婦否定のイデオロギー」がそれなりに支持されるはずだと期待した。だが,安倍晋三は「歴史の事実」の問題を認識するための基礎的な素養に関しては,本来,欠損・脱落が目立ち過ぎた政治屋であった。それゆえ,議論をまともにする以前に,政治力の強権的な影響力の行使に頼ってのみ「問題の解決(始末?)」を狙う邪心だけが異様に目立っていた。
ここで関説しておくと,大高末貴『父の謝罪碑を撤去します-慰安婦問題の原点「吉田清治」長男の独白』産経新聞出版が2017年6月に公刊されていた。清治の息子は,自分の肉親が犯したそれだとして,非難ごうごうされる的となった「父が製作して建立した碑」を撤去すると,謝罪しつつ告白した。
従軍慰安婦問題が大嫌いな『産経新聞』には,関連してつぎのように報道する記事があった。
朝鮮半島で女性を「強制連行」したと偽証した吉田清治氏(故人)が建てた謝罪碑を「改変」したとして,元自衛官の奥 茂治氏が韓国の警察に一時拘束された。公用物損壊などの容疑で取り調べを受けており,出国禁止の措置も取られた。法治国家として適正な手続きが取られるよう,注視していきたい。
この碑は,韓国・天安市の国立墓地「望郷の丘」にある。吉田氏が1983(昭和58)年に著書の印税で建立し,「日本の侵略戦争のために徴用され強制連行され」などと,実行を指揮した一人として謝罪文を刻んだ。
朝日新聞は建立時,「たった一人の謝罪」との見出しを付け,土下座する吉田氏の写真とともに報じた。吉田氏は暴力で無理やり朝鮮人女性を強制連行したなどと証言していた。
「主張『謝罪碑』の嘘 堂々と誤り正して撤去を」『産経新聞』2017年6月28日 05:03,https://www.sankei.com/article/20170628-VY6TQZXXBRKRTMERVOUUNBQKRA/
この安倍晋三的な世論の動向に非常な負い目を感じたらしい「吉田清治の息子」の立場にをめぐっては,当時,非常に気の毒な事態が日本社会のなかで醸成されていた。しかし,従軍慰安婦問題の本源的な歴史問題性は「吉田清治と息子という父子の関係」において発生した「この種の話題」に矮小化していたら,この従軍慰安婦問題の本質が「歴史の事実」とは無関係の次元に失踪させられる。
3 ここでつぎの話題を出して参考にしておくのが好都合である-ワイツゼッカー元ドイツ大統領の演説-
だいぶ昔になる。ドイツの政治家で1984年から1994年,同国の大統領の地位に就いていた「ワイツゼッカー,Richard von Weizsäcker」(1920~2015年)が,1985年5月の終戦40周年記念演説で,「過去に目を閉ざす者は現在に対しても盲目となる」と述べ,ドイツ国民に過去の戦争責任を正視し,その責任を引き受けるよう説いた話は,有名である。
ワイツゼッカーは,第2次世界大戦中,ドイツ軍の将校として,アドルフ・ヒトラー暗殺未遂事件にくわわり,秘密警察に追われた体験ももつ。このワイツゼッカーが1990年10月初代統一ドイツ大統領に就任し,1994年任期満了により退任までの時期において,歴史をふまえたナチス・ドイツの戦争責任問題に関した政治倫理的発言を発して有名になった。また 1992年11月,人種差別に反対する集会では極右による外国人攻撃を非難する演説もおこなっていた。
ワイツゼッカー大統領に比較することすら本当にはばかれるほかないのが,残念ながら,この国で2012年12月26日以降,7年と8カ月もの長い期間,首相を務めた安倍晋三君であった。この2名は,とりいそぎ「政治家と政治屋としてしか比較することができない」けれども,それ以上に両者間には「政治家としての格に大きな違い」があった。
さらにいえば,両者を比較することじたいからして躊躇せざるをえないような,人間としての度量の「決定的な,それも資質の相違」も明確に伝わってくるゆえ,現在まで体験させられてきた「アベ的な日本の政治」から伝わってきた「われわれの絶望感」は,安倍晋三という「世襲3代目の政治屋」の存在を介して,ただただ深まるばかりであった事実は,2010年代において日本の政治が味わされてきた「不幸中の不幸」であった。
安倍晋三は2022年7月8日,国政選挙に立候補した候補者の応援演説のために出向いた奈良市の駅前で,アベ自身が統一教会とは近しい間柄にあるかのように告白したビデオメッセージを,インターネット(SNS)上で視聴した「山上徹也:「統一教会・2世」に注目された結果,そこで狙撃され死亡した。

安倍晋三が暗殺されたこの事件は,真相解明という点ではいまだに甲論乙駁という経過が尾を引いており,単純に山上徹也の犯行だとは完全には断定を許さない要因が,いまだにからみついたまま,その疑問点は放置されたままである。真犯人は別にいるという推理は単なる推定ではなく,推理小説的な次元に追いやる格好で,排除するには無理がある。
この殺人事件を本格的に捜査すればただちに「その推理にもとづく事件の再解明」の必要は,自明にすら属している認識であるにもかかわらず,その必要じたい頭から認めたくない「国家権力側の捜査機関」(警視庁・検察庁)は,多分というかあるいは明らかにだが,なんらか含む要因を抱えこんでいるからこそ,いうなれば逃げまわっていた。
4 安倍晋三は,朝日新聞社の「従軍慰安婦問題」に関する特定の部分に関した誤報問題を,権力を全面的に動員し,悪用するかっこうをもって,その問題を格別にとりたて針小棒大に攻撃する材料に使った
安倍晋三において “最大に錯覚された誤謬” は,朝日新聞社をやっつけることができて快哉を挙げることになれば,実際のところ,従軍慰安婦問題そのものがこの世(=日本の政治社会)から “抹消できる” などと勘違い をしていたところにみいだせる。
前段,吉田清治の著作2点,『朝鮮人慰安婦と日本人-元下関労報動員部長の手記』新人物往来社,1977年と『私の戦争犯罪-朝鮮人強制連行』三一書房,1983年とが,従軍慰安婦問題を否定するための材料として有効に活かしうるのかと問われたところで,これはむしろ否であった。それよりも,従軍慰安婦問題を考えるための材料には,別途十分になりうると位置づけたらよいのが,その吉田の2著であった。
本ブログ内では既述の点であったが,つぎの関連する出来事を,ここでも指摘しておく。
『しんぶん赤旗』2005年1月13日,https://www.jcp.or.jp/akahata/aik4/2005-01-13/01_01.html は,『朝日新聞』の報道に言及するかたちで,「NHK番組改ざんの裏に “検閲” 従軍慰安婦放送『やめてしまえ』 安倍官房副長官(当時),中川議員が圧力」との見出しをつけた記事を報道していたが,これは,露骨に従軍慰安婦問題の「認識」じたいを否定した安倍晋三の立場を教えていた。
ところが,安倍晋三は事後,自分の「従軍慰安婦問題」に関して「完全に矛盾する態度」を記録することになった。安倍は2007年4月,当時のアメリカ大統領ジョージ・W・ブッシュ(George W. Bush)と会った時,『従軍慰安婦問題に対する再度の「謝罪の気持ち」を表明し,ブッシュもこの安倍の発言を受け入れていた』という一幕が生まれていた。
つまり安倍晋三は,ブッシュの前に出るとそのように,日本国の元首の立場から従軍慰安婦問題を懺悔する旨を告白していた。だが,こちらの言動は,けっして絶対にアベの本心などではなかった。
実際,安倍晋三自身は前段で触れたように,旧日本軍がアジア各地での女性の強制連行に直接関与したという証拠はないとみずから発言し,波紋を呼んでいた点を受けての発言でもあったが,安倍はアメリカの大統領ブッシュに向かい,そのように「慰安婦たちに対する」「謝罪の気持ち」を表明していた。しかし結局のところ安倍は,ブッシュに対して,口先だけの「本心ではない虚偽」を語ったに過ぎない。
前段で言及した「吉田清治の2著」に対する非難・攻撃が,そしてこの「吉田の著作関係で誤報を犯したと責められた」朝日新聞社の側に向けてであったが,はたして,仮にでも「誤報の非」があったとしてだが,この新聞社の記事を非難・攻撃できたとしても,従軍慰安婦問題そのものを「歴史の舞台」から引きずり降ろすることは,それこそ問屋が卸せるわけもない「歴史の事実そのもの」であった。
そのことじたいを頭から否定しようとした「安倍晋三の錯乱したケンカ作法じたい」が,もともと無理難題のてんこ盛りであったから,ある意味では完全に『餓鬼のいいぶん』としてしか評価できなかった。
ところが,安倍の当初の意向というかその主観的な狙いは,その朝日新聞社叩きを介して,従軍慰安婦問題の全域までも叩きつぶしたのだという効果を獲得したかった。しかし,そのような企図が実現させうる「歴史の事実」問題ではけっしてなかったのが,日本軍事史における「従軍慰安婦問題」という制度的な存在であった。
「世襲3代目の政治屋」的な特性として「幼稚と傲慢・暗愚と無知・欺瞞と粗暴」を総身に反映させていた安倍晋三は,歴史問題としての従軍慰安婦問題にまともにとりくめる予備知識をもともと備えていなかった。それゆえ,朝日新聞社をやっつければやっつけるほど,自身の拠って立つ「常識(以前?)の歴史修正主義の立場」は,きわめてつたない性質のものであったという事実を,みずからじわじわと実証(反証?)していくハメになっていた。
以上の記述,長くなったが,この本日の記述全体に対して「前論」部分を形成していた。
いまから12年近くも前,安倍晋三がわざわざ惹起させた,朝日新聞社の従軍慰安婦問題をめぐる「誤報問題」の核心が奈辺にあったかといえば,それは実は,安倍自身がそれほどにまで必死になってこだわざるをえなかった「日本の歴史・軍事史問題」として,「この従軍慰安婦をめぐり『歴史的に実在した記録』のなにもかも」を,どうしても認めたくなかった,つぶしてなくしてしまいたかった「彼の主観的な願望」にあった。
5「慰安婦問題の討論・秦 郁彦 vs 吉見義明-秦 郁彦は歴史家の名を利用するのやめたらどうだろう」
この5の標題は,Hatena ブログ『Transnational History』2013年7月3日,http://d.hatena.ne.jp/dj19/20130703/p1 から採った「文句」である。
2013年6月13日,TBSラジオ番組で秦 郁彦と吉見義明が,「従軍慰安婦」問題について15~16年ぶりの討論をしていた。そのなかで,秦 郁彦の誤魔化しや詭弁があまりに酷いので,批判しておこうと思った。
補記)本ブログ筆者も秦 郁彦について強く感じていることがらがあった。この人,ときどき筆を必要以上に滑らしたり曲げたり書く癖(本性?)があった。秦の本すべてではないが,かなりの冊数を読んできたが,なにかの拍子がつくたびに,歴史を実証的に研究する態度を脱線させたがる「奇妙な筆致」を,しばしば披露していた。
この秦 郁彦に関するその種の印象は,ここで以下に紹介する対談の中身も,確かに裏づけている。なお,以下の参照では,氏名についている「氏」は外しておいたほか,よみやすくするために最低限の工夫をくわえた。
また,以下の記述は「会話・対話を文字に起こした文章」なので,いちいちの内容に関しては,こまかい語感や文意が読みとりにくい段落もある。だが,全体を通して読んでもらえれば,そのあたりの箇所であっても,前後との文脈関係でおおよその理解はできるはずである。
つぎの枠内引用は,本題の字句だけをこちらに入れてかかげたもので,本文は枠外に出てつづく,
◆ 2013年6月13日(木)「秦 郁彦さん,吉見義明さん,
第1人者と考える『慰安婦問題』の論点」
(対局モード)-荻上チキ・Session-22 ◆
註記)http://www.tbsradio.jp/ss954/2013/06/20130613-1.html(現在は削除),http://podcast.tbsradio.jp/ss954/files/20130613main.mp3(現在は削除)。
補記)Youtubeで視聴する。 ⇒ https://www.youtube.com/watch?v=3ANBEo8Ju14(現在は削除)
いずれも現在の時点では,簡単には視聴できない番組(放送内容)になっているので,残念である。

左側に秦 郁彦 ⇔ 右側が吉見義明
1) 全体の感想
まず視聴した感想を書くと,「慰安婦」として動員された女性たちは貧しいのが通例であり,経済的にも社会的にも弱い立場にあったわけだが,こうした女性たちに対する秦 郁彦の蔑視と冷淡さは相変わらずひどいものだった。
彼女たちが被った慰安所での性暴力,強制売春といった犯罪被害は少しも顧みられることはないし,史料からの都合のいいつまみ食いと,それを全体の問題にすり替える粗雑な否定論も目立つ。
一方で,公娼の問題については「家族のため」にやったことだと弁護するが,他方で,慰安婦については「売った親が悪い」と,家父長制や昔の家制度の論理で個人の自発性や自己責任に落としこみ,議論の方向性をよじれさせるという得意技を発揮していた。
そのような秦 郁彦であったからか,吉見義明に従軍慰安婦の被害の実態をツッコまれると,言葉のいいかえや詭弁で誤魔化そうとして,だいぶボロを出していた。
2) ラジオ番組から人身売買や性的奴隷に関する発言の一部を,以下のように文字起こしをおこなった。なお「★時間」(放送時間内の区切り)はYoutube を視聴したさい,付記しておいた経過時間の備忘(情報)。
★19:05~
秦 郁彦--内地の公娼制をね,これ,奴隷だということになってくると,そうすると,現在のオランダの飾り窓だとか,ドイツも公認してますしね,それからアメリカでも連邦はだめだけれどネバダ州は公認してるんですよ。これは皆,性奴隷ということになりますね。
吉見義明--それは,人身売買によって女性たちがそこに入れられているわけですか?
秦 郁彦--人身売買がなければ奴隷じゃないわけですか? 志願した人もいるわけでしょ。高い給料にひかれてね。
吉見義明--セックスワークをどういうふうに認めるかということについてはいろいろ議論があってむずかしいわけですけれど,少なくとも人身売買を基にしてですね,そういうシステムがなりたっている場合は,それは性奴隷制というほかはないじゃないですか。
秦 郁彦--自由志願制の場合はどうなんですか?
吉見義明--それは性奴隷制とは必らずしもいえないんじゃないでしょうか。
秦 郁彦--公娼であっても?
吉見義明--それは本人が自由意志でですね,仮に性労働をしているのであれば,それは強制とはいえないし,性奴隷制ともいえないでしょうね。
★ 20:15~
秦 郁彦--日本の身売りというのがありましたね。それで身売りというのは人身売買だから,これはいかんということになってるんですね,日本の法律でね。
吉見義明--いつ,いかんていうことになってるんですか?
秦 郁彦--人身売買,じたいはマリア・ルス(マリアルーズ)号事件のころからあるでしょ,だから。
吉見義明--それはあの……,たしかにあるけれど,それは建前なわけですよね。
秦 郁彦--建前にしろですね,人身売買ってのは,だいたい親が娘を売るわけですけれどね。売ったというかたちにしないわけですよね。要するに金を借り入れたと,それを返済するまでね,娘が,これを年季奉公とかいったりするんですけどね,その間,その……,性サービスをやらされるっていうことなんでね。
それで,娘には必らずしも実情が伝えられてないわけですね。だからね,しかし,いわゆる身売りなんですね。
☆ 荻上チキ〔この人は司会者〕 --(着いてみたら)こんなはずじゃなかった,という手記が残っているわけですね。
秦 郁彦 --う~ん,騙(だま)しと思う場合もあるでしょう。ね。(中略) だからね。これは,う~ん,なんていうかな,自由意志か,自由意志でないかは非常にむずかしいんですね。家族のためにということで,誰が判定するんですか。
吉見義明--いや,そこに明らかに金を払ってですね,女性の人身を拘束しているわけですから,それは人身売買というほかないじゃないですか。
☆ 荻上チキ--ちょっと時期は違いますけれどもね,『吉原花魁日記』とか『春駒日記』とかっていう,昔の大正期などの史料などでは,親に「働いてこい」といわれたけど,実際に働いてみるまでそのことだとは思わなかったケースもあったりすると。
秦 郁彦--うん,そうそう。
☆ 荻上チキ--それは,親もあえて黙っていたかもしれないし,まわりの人も「いいね,お金が稼げて」と誉のようにいうのだけども,内実を周りはしらなかったっていうような話はいろいろあったみたいですね。
吉見義明--実際にはあれでしょ,売春によって借金を返すというシステムになってるわけでしょ?
秦 郁彦--いまだって,それはあるわけでしょ。
吉見義明--それは,それこそ人身売買であって,それは問題になるんじゃないですか?
秦 郁彦--じゃぁ,ネバダ州にいって,あなた,大きな声でそれは弾劾するだけの勇気がありますか?
吉見義明--もしそれが人身売買であれば,それは弾劾されるべき。
秦 郁彦--志願してる場合ですよ,自発的に。自発かね,その……,どこで区別するんですか?
吉見義明--なにをいってるんですか,あなたは?
秦 郁彦--え?
3) 途中での感想:その1(本ブログ筆者の意見)
これは当時(昔,往事)の公娼制度に関連したやりとりだが,秦 郁彦が当時の日本での人身売買を基礎にした公娼制度と,現在のさまざまな法令によって女性の人権がある程度,保護されたうえで公認されている売春を,同列に語っていることにまず驚く。
このやりとりを聴いただけでも,秦が「自由売春」と,犯罪である「強制売春」の区別がついていない(わざとその区別をつけていない)ことは明らかだろう。いや,判っていてわざとそこに触れないよう回避する「リクツを展開させている」とみるべきか。
そもそも秦は,1999年の著書『慰安婦と戦場の性』のなかで,公娼制度とはまさに「前借金の名の下に人身売買,奴隷制度,外出の自由,廃業の自由すらない20世紀最大の人道問題」(廓清会の内相あて陳情書)にちがいなかった」(同書,36頁)と書いており,公娼制度が奴隷制度であることを認めていた。
さらに秦は,「『慰安婦』または『従軍慰安婦』のシステムは,戦前期の日本に定着していた公娼制の戦地版として位置づけるのが適切かと思われる」(同書,27頁)と述べていた。
その論理でつらぬく説明にするのであれば,「公娼制度の戦地版」である慰安婦制度も同様に,奴隷制度という認識になるはずである。ところが今回の吉見義明との討論では,最後まで公娼制度や慰安婦制度が奴隷制度であることを認めることがなかった。
とはいっても,秦はこの後(引用している放送の,後段の文字起こし部分)で,朝鮮半島から慰安婦として動員された女性たちの「大部分」が「誘拐や人身売買」の被害者であることまで認めた。
そして,身売り=人身売買の被害者は「借金を返す」までの期間,身体を拘束され性行為を継続的に強要される状況にあったことも認めている。これは暗にでも奴隷状態であったことを認めているに等しい。
国際的な定義では,こうした他者の支配下に置かれ,自分のことを自由に決定する権利が奪われ所有物として扱われる地位や状態は奴隷状態であり,こうした状況で継続的に性行為を強要される状態を性的奴隷状態と定義している。
『性奴隷の定義を無視し「慰安婦は性奴隷ではない」と叫んでも反論になってない』
〔放送内容に戻る ↓ 〕
★ 36:26~
荻上チキ--前提としてそういったふうに(連れていかれた女性が慰安所での性行為を拒否し)イヤだイヤだといった場合は,帰る自由といったものはあったんですか?
秦 郁彦--借金を返せばね。借金を返せばなにも問題ないわけですよ。
吉見義明--え~,つまり,借金を返すまで何年間かそこ(慰安所)に拘束されるわけです。それが性奴隷制度だっていうこと。
秦 郁彦--そうすると親がね,返さなきゃいけんのですよ。親が売ったのが悪いでしょ。
吉見義明--秦さんがわかってないの〔が〕,そこですよ。
秦 郁彦--どうして?
吉見義明--借金を返せば解放されるというのであれば,それは人身売買を認めてることになるじゃないですか。
★ 53:35~
吉見義明--さきほどいいましたように略取とか誘拐とか人身売買で連れていくのがほとんどだったわけですよね。そうして朝鮮半島で誘拐や人身売買があったということは,え~,秦さんも認めておられるわけですね。
秦 郁彦--当然ですよ。それが大部分ですよ。
吉見義明--それで,たとえ業者がそういうことをやったとしても,その業者は軍に選定された業者である。で,実際に被害が生じるのは慰安所ですけど,その慰安所というのは軍の施設である。
軍がつくった軍の施設であるわけですね。そこで女性たちが誘拐とか人身売買で拘束をされているわけですね。当然,軍に責任があるということになると思う。
4) 途中の感想:その2(本ブログ筆者の意見)
このやりとりで吉見は,人身売買により身体を拘束された女性たちが,借金を返すまでは解放されず性行為を強制されるシステムは性的奴隷制度であると指摘しているのに対して,秦は「親が売ったのが悪い」と親の責任にして,話を逸らして(散らして)いる。
しかし,このあとで秦は朝鮮半島では「誘拐や人身売買」のケースが「大部分」だったことを認めており,そうであるなら貧困により生活が困窮し娘を売った親も,その多くは偽りの説明を告げられ騙されていたと推測され,かつ論断までされる。
ところで,ビルマでの尋問調書『日本人捕虜尋問報告 第49号』1944年10月1日には,つぎのように記述されている。
註記)http://a777.ath.cx/ComfortWomen/proof_jp.html (このリンク先住所は現在,削除ないしリンク付けなし)
1942〔昭和17〕年5月初旬,日本の周旋業者たちが,日本軍によって新たに征服された東南アジア諸地域における「慰安役務」に就く朝鮮人女性を徴集するため,朝鮮に到着した。この「役務」の性格は明示されなかったが,それは病院にいる負傷兵を見舞い,包帯を巻いてやり,そして一般的にいえば,将兵を喜ばせることにかかわる仕事であると考えられていた。
これらの周旋業者が用いる誘いのことばは,多額の金銭と,家族の負債を返済する好機,それに,楽な仕事と新天地--シンガポール--における新生活という将来性であった。このような偽りの説明を信じて,多くの女性が海外勤務に応募し,2百~3百円の前渡金を受けとった。
--長くなるので,これ以上の文字起こしの引用は省略するが,このYouTube 番組の40分( http://youtu.be/3ANBEo8Ju14?t=40m )ごろから,秦は呆れたことに,上記のビルマでの捕虜尋問調書をもち出し,慰安婦がどれだけ楽だったかを力説している!
しかし,吉見氏にその解釈の間違いをことごとく反論され,みごと撃沈されているが(その討論の文字起こしは,次段からの 5) に連続させて引用する。長くなるので,覚悟されたし……)。
註記)以下の引用は,『ラジオ批評ブログ--僕のラジオに手を出すな!』の,2点からの紹介である。このリンク先住所は現在(2026年3月20日)も『@niftyココログ人』のブログとして読める。
http://radio-critique.cocolog-nifty.com/blog/2013/06/4-vs-session-22.html http://radio-critique.cocolog-nifty.com/blog/2013/06/post-78c7.html
5) 慰安婦の生活状況ね「楽しく」「暮らし向きは良かった」か?
☆ 荻上チキ--この後ですね,強制連行や,あるいは河野談話をめぐる評価の話をしようかと思っているんですけれども,その前に,秦さんからさきほどの議論に対して補足があるということで,いかがでしょうか?
秦 郁彦--最近,吉見さんがですねぇ,しばしば繰り返しておっしゃってることなんですけれども,強制連行があったかどうかっていうのは,たいした話じゃないと。
荻上--ほう。
秦--いまはね。現在は,4つの自由がなかった,慰安所における性奴隷という,こちらのほうがずっと重要なんだということを,なんどもいっておられるんで。
私は強制連行はなかったと思いますけれども,これ議論するとね,橋下〔徹〕さんのような議論になっちゃいますんでね。
その……いまの……慰安所の状況はそんなに酷いものであったのかどうかということをちょっと申し上げたいと思うんですけどもね。
荻上--劣悪な環境で働かされた,だから性奴隷だっていうけど,そもそも劣悪だったのか疑問があると。
秦--そういうことです。4つの自由ということは,これはね,吉見さんは,居住の自由・外出の自由・廃業の自由・接客拒否の自由がないというね,それは慰安所の女性たちは文字通りの性奴隷だというふうにね,述べておられるわけですよ。
それで,吉見さんが編纂されたですね『従軍慰安婦資料集』っていうのがですね,これにですねぇ,1945年,北ビルマで捕えられた韓国人〔当時は朝鮮人と呼称〕の慰安婦20人に対する米軍の尋問書というのが入ってるわけですよ,訳されたものがね。
(その文献資料は中略)
秦--で,そのなかでどういう生活だったんだということを訊かれてですね,まぁ,こういう件があるんです:
兵隊さんと一緒に運動会,ピクニック,演芸会,夕食会などに出席して楽しく過ごした。それからつぎにですね,お金はたっぷりもらっていたので,暮らし向きは良かった。
荻上--慰安婦の当事者の発言ですか?
秦--そうですね,20人のねぇ,証言です。それから,蓄音機ももち,都会では買い物に出かけることが許された,と。接客を断わる権利を認められた。それから,一部の慰安婦は朝鮮に帰ることを許された。
兵隊さんから結婚申しこみの例はたくさんありました,というのがありましてね,なによりも,月の収入はですね750円,彼女たちのね。そのころ日本の兵隊さんはねぇ,命を的に戦ってるんですけど,月給は10円ぐらいなんですよ。
荻上--ううん。
秦--つまり75倍という高収入をえていたわけですね。
荻上--高収入でかつ楽しかったという発言があるということですね。
秦--日赤の看護婦さんの10倍です,この金額は。さらに,軍司令官や総理大臣より高いんですね,このとおりなら。だいたい似たり寄ったりだったと思うんで,私はこういう状況下にある女性たちがねぇ,性奴隷であったと思えませんねぇ。雇い主よりはるかに高い収入を得ている奴隷なんて,この世の中にいますか?
荻上-- ……っていうのはいまの,吉見さんへの質問っていうことですね?
秦--そういうことですね。
〔荻上の発言か⇒〕--いかがでしょう?
6) 慰安婦の「高給」と外地のインフレ
吉見義明--ええっとですね,あの,まず,これは女性たちがこういうふうにいったとおっしゃいましたけれども,この尋問調書はですね,2名の業者と20名の朝鮮人女性のヒアリングをアレックス・ヨリチという人が聞いてまとめてるわけです。どの部分が被害者の女性の証言であり,どの部分が加害者側の業者の証言かよく判らないっていう点があります。
それからもうひとつはですね,「将兵と一緒にスポーツ行事に参加」したというふうなことがありますが,これはたぶんですね,戦地で女性がいないので慰安婦をそういう所に連れ出すとか,宴会に連れ出すとか,そういうようなことであったと思います。夕食会に出席するということもあると思うんですね。
もうひとつは,高収入だということですけれども,当時のビルマのもの凄いインフレっていうことをですね考慮に入れておられないということは,非常におかしなことだと思います。
荻上--インフレ?
吉見--えぇ。ビルマはですねぇ,軍票を大量に徴発して,1943年ころからものすごいインフレになるわけですね。
荻上--インフレというと,お金の価値が下がるということですね。
吉見--1945年に入ると,もう軍票はほとんど無価値。それで,女性たちがなぜそれだけのお金をもっているかっていうと,慰安所に通う軍人がですね,もっててもなにも買えないのでチップとして女性たちに渡すわけですよね。
南部広美(←番組からの引用では初めて登場した人)--「軍票」っていうのはなんでしょう?
吉見--軍隊が占領地で発行する「軍用手票」っていう紙幣に代るものですね。
南部--お金に代るもの。
吉見--この時期は,南洋開発銀行というところが,そういうものを出してたわけです。
荻上--のちほどお金に引き換えるっていう?
吉見--そうですよ,まぁ,一応現地の,まぁ,たとえば1ルピーは日本円で1円ということになってたわけですけど,内地と比べてですね,もの凄いインフレになるので,外地金庫というのをつくってですね,そのインフレが内地に及ばないようにしてたわけですね。
(中略)
吉見--現地では軍票をもっててもほとんどなにも買えないので……。
荻上--名目上の金額だけだったと。
吉見--ほとんどそういう状態になってるわけです。それから,もうひとつはですねぇ,秦さんが引用されなかった所があるんですけれども,女性たちはそれだけのお金をもっているけれども,すぐに「生活困難に陥った」というようなことが書いてあるわけですね。
荻上--同じ証言ですか?
吉見--同じ証言です。で,もしそれが,その,高額であればですねぇ,どうして生活困難に陥ることが起こるんでしょうかね? これはまぁ,インフレっていうことを考えないと解らないんではないかと思うんです。
それからもうひとつは,同じ引用された捕虜尋問報告のいちばん初めでですね,女性たちはどういうかたちでビルマに連れて来られたのかということを書いてる部分があるんですけれども,その部分をみますとですね,こういうふうにいっています。
1942〔昭和17〕年5月に,日本の周旋業者たちが,朝鮮にやって来て女性たちを集めたわけですけども,〔また〕その「役務」の性格は明示されなかったけれども,それは病院にいる負傷兵を見舞い,包帯を巻いてやり,そして一般的にいえば,将兵を喜ばせることにかかわる仕事であると考えられていた。
これは誘拐ですよね,騙していくわけですから。それから,これらの周旋業者が用いる誘いのことばは,多額の金銭と,家族の負債を返済する好機,それに,楽な仕事と新天地における新生活という将来性であった。
これは甘言に該(あた)るので,これも誘拐罪を構成します。このような偽りの説明を信じて,多くの女性が海外勤務に応募し,2,3百円の前渡金を受け取った,というふうにありますんで,まぁ,人身売買でもあるわけです。
こうして,現地で慰安所の生活に拘束されたというふうに書いているんですよね。
7) 「日本の周旋業者」の「甘言」?
荻上--はい。ちょっと,いまのを質問に変えますと,当時インフレだったことを考慮しないのかというのが1点と,それからその,いま読み上げていただいた方がたのそもそも来た理由というものが,そもそも甘言,騙されて来ている方々なので……
秦--それを騙したって。
荻上--誰が騙したんでしょう?
秦--まず,ほとんど朝鮮人でしょうね。
吉見--これ,「日本の周旋業者」って書いてありますよ。
秦--え?
吉見--「日本の周旋業者たちが朝鮮にやって来て」。
秦--「日本人の」ですか?
吉見--いやいや,「日本の」だから「日本人の」でしょう?
補記)該当箇所の原文は,”Early in May of 1942 Japanese agents arrived in Korea for the purpose of enlisting Korean girls for “comfort service” in newly conquered Japanese territories in Southeast Asia.” とある。
ここで,“Japanese agents” だけでは「日本の」か「日本人の」かは不明だが,“arrived in Korea” とあるので,少なくとも “Korea” の外から来た “agents” であると読める。
秦--当時日本人なんですよ,朝鮮人はね。だいたいね。
吉見--いや。
秦--朝鮮に住んでた日本人でねぇ,朝鮮語で朝鮮人を騙せるほどねぇ,朝鮮語うまい人は,ほとんど1人もいなかったと思います,えぇ。
吉見--元締めが日本の業者で,まぁ,手足としてですね地元の業者を使うってことはよくあることですよね。それから,この周旋業者っていうのは,軍に選定された人物であって,軍からいろいろ便宜を図ってもらって,まぁ,誘拐とか人身売買やってるわけですよね。
しかし,これは犯罪なわけでしょう? それで連れてった元はどこにいるのかっていうと,軍の施設である慰安所に入れるわけですよね。そうすると,そこで軍の責任が発生しないんですか? どういうふうにお考えです?
秦--そこは関係はないわけですよ。朝鮮総督府の管内でですよ——。
吉見--いやいや。
秦--朝鮮人が騙したということね,で,それをね,ちゃんと旅行許可を出してるわけでしょ? そうすると,朝鮮人の巡査もいたわけですなぁ。それで,どうしてそういう騙しを摘発しなかったんですか?
荻上--ちょっと先ほどの話に戻って,気になったのが,さきほどそういう証言があって「楽しかった」という話があったということなんですけど,その他の慰安所でも同様に楽しかったということになるんでしょうか?
秦--たとえば,こういうのがあります。文 玉珠(ムン・オクチュ)というねぇ慰安婦なんですがねぇ,彼女の一代記が本になってるんですよ。これは山川菊栄賞をねぇ,もらった。本当にねぇ。
荻上--当事者の発言がということですか?
秦--いやぁ,その,回想記です,一代記です,元慰安婦のね。で,なるほど,これは非常に良くできてる,読ませる本なんですけどもねぇ。
で,彼女は色んな所を転々としたんですけど,最後はビルマにいってるんですね。で,ラングーンにいたんです,首都のね。「利口で陽気で面倒見のいい慰安婦」として将軍から兵隊までね,人気を集めチップが降るように集まったと。
補記)この秦 郁彦流の指摘は,ごく一面的な解釈を1人勝手に披露したものである。
本ブログ筆者も最近,文 玉珠の本,【語り】《ムン/オクチュ》/ 森川 万智子【構成と解説・増補版解説】『文 玉珠ビルマ戦線楯師団の「慰安婦」だった私-歴史を生きぬいた女たち-(新装増補版)』梨の木舎,2015年を読んでみた。
その読後感は,文 玉珠の人生そのものが,旧大日本帝国「朝鮮侵略史」の片隅で,自分の生活と権利を完全に,その日帝に束縛され剥奪されてきた行路を歩まされながら,それこそ磨りつぶされそうになる瀬戸際を,なんとかしのいで生き抜いてきた事実史をつづっていた。
とりわけ,文 玉珠が語ったのは,こういうことであった。彼女は,従軍慰安婦という立場を強いられた自分の人生を,局面ごと上手に対応しつつ生きていくことができた。
というのは,その「利口で陽気で面倒見のいい慰安婦」になれたという自分の個性をうまく活かす知恵と気配りができた彼女は,初めから「不幸・不運に方向づけられた自分の境遇」を覚悟させられた行路をみすえて生きていくことを決めた。そのうえで必死,果敢に生き抜いてきたのである。
「秦 郁彦」流の「従軍慰安婦に関する問題・不在論」は,彼女の「そうしたまれにみる慰安婦としての人生の経歴・一例」を表相的にとらえ,しかもこの場合にのみ言及するさい,格別に意図して拡大解釈をくわえて普遍化しようとした。
ところが,そうした秦の従軍慰安婦「観」は,無数の彼女らが体験させられてきた強制そのものを,かえって逆説的に強調する解釈になっていた事実にも気づかねばなるまい。
〔放送内容に戻る ↓ 〕
荻上--はい。
秦--それで〔彼女:文 玉珠は〕,5万円貯金が出来たと,2年余りでね。
荻上--えぇ。
秦--そのうち5千円を軍用郵便で下関郵便局へ送ったわけですねぇ。
荻上--何年ごろの話ですか?
秦--昭和18〔1943〕年。戦争中ですね。ですからね,これなんかもですね,非常に楽しかったというのが基調なんですよ。
だからね,なかには悲惨な人もいたかもしれない。しかしねぇ,兵隊たちに良いサービスをしてもらうために,軍もそれなりに気を遣うわけです。それで,業者との間では,だいたい慰安婦側に立って有利になるようにしてやってる。ね。だからね,さっきの……要するに,米軍の尋問調書でねぇ,あれでも性奴隷とおっしゃるんですか?
吉見--そうですね。
秦--ほう。だって,4つの自由のうち3つの自由は完全にあったわけですよ。
吉見--いやいや。
秦--もうひとつ,居住の自由っていうのはねぇ,これはねぇ,居住の自由っていうのは看護婦さんもないですよ,居住の自由は。だってね,まさか,戦地でねぇ,バスで通勤なんていうねぇ,ね,アパートとか借りてなんていう,そんなことあり得ないでしょう?
吉見--それは,看護婦さんと,それから慰安婦の女性たちがさせられている事柄って,まったく違うじゃないですか? その,看護をするというのはですね,本人にとってはそれは名誉なことですけれども,軍人たちの性の相手を毎日させられるっていうこととまったく性格が違うんじゃないですか?
秦--それを論じたってしょうがないでしょう? 職業のひとつとして割り切ってんだから。その代りにね。
吉見--職業だとおっしゃいますけども,誘拐で連れていかれた——。
秦--嫌な仕事かもしれないけどね,軍司令官よりも高い給与もらってんだからからねぇ。
吉見--いや,それは。
秦--みんなねぇ,なりたがるんですよ。
吉見--それは幻想なわけでしょ?
秦--騙されてっていうのは,おかしいですよ。
荻上--いま,秦さんの話のなかでは,「なかでは」っていう話があったんですけど,なかでは困ってる人も,悲惨な例もあったけど。
秦--そりゃ,あるでしょう。
荻上--こういった豊かなケースもあったというお話があったんですが。
あの,論点としては強制連行という所が残っているので,吉見さんのほうから伺っていきたいと思うんですけど。
8) 続き(以下なおも長い記述になるので,我慢して読んでほしい)。
強制連行の有無など,秦と吉見のあいだで認識が共通している部分が多いのが判ります。番組の最後にそれぞれが発した一言に,両者の立場の違いが浮かび上がったと思います。
荻上チキの名行司ぶりに感心。がっぷり4つに組んでいるときは気配を消し,ここぞという時に巧く両者を割る軍配さばきが絶妙。
註記)「荻上チキ・Session-22」『TBSラジオ』2013年6月13日(木)22:00-23:55。
a)「強制連行」-定義,軍の関与の有無-
荻上チキ--あの,論点としては強制連行という所が残っているので,吉見さんのほうから伺っていきたいと思うんです。
強制連行に軍が,あるいは政府が関与した証拠はみつけられなかったということはね,河野談話(『慰安婦関係調査結果発表に関する河野内閣官房長官談話』平成5〔1993〕年8月4日,外務省ウェブサイト)などでいわれたり,いまでもそういうことがいわれたりするわけです。
では,その「強制連行」,つまり吉見さんがたとえば「甘言」とか「誘拐」とか,いろいろな話がありましたけれども,「強制連行」とはつまりなんで,そうした事例はあったのかなかったのか,そのことについて,もう一度吉見さん,いかがでしょうか?
吉見義明--えぇっと,強制の問題はですね,やっぱり慰安所での強制があったかどうかがすべてだと思います。
荻上--労働実態が?
吉見--そうですね。労働というか,労働ではないですよね。
荻上--労働ではない?
吉見--使役されるということですね。もうひとつは,連れていかれる過程でいろいろな問題が起こっているわけです。
それについては,軍・官憲が直接やるかどうかはいちおう外しますと,さきほどいいましたように,略取とか誘拐とか人身売買で連れていくのがほとんどだったわけですよね。
で,そして,朝鮮半島で誘拐や人身売買があったということは,秦さんも認めておられるわけですが。
秦--当然ですよ。それが大部分ですよ。
吉見--たとえ業者がそういうことをやったとしても,その業者は軍に選定された業者である。で,実際に被害が生じるのは慰安所ですけれど,慰安所というのは軍の施設である,軍が作った軍の施設であるわけですね。そこで,女性たちが誘拐とか人身売買で拘束をされているというわけですね。当然,軍に責任があるということになると思うんです。
荻上--なるほど。
吉見--もうひとつは,軍・官憲が暴行・脅迫を用いてですね,連行したケースがなかったかどうかということですけれども,これは現在ではもういろいろ出てきてると思うんです。
荻上--えぇ。
吉見--まぁ,いちばん典型的なのは,オランダ政府が1994年に白人女性の被害についての報告書を出しましたけれども,それをみますと,軍・官憲がかかわった暴行・脅迫による連行のケースは,未遂を含めて8件か9件ぐらいあると思います。スマラン事件とか,マゲラン事件とか,フローレス事件とかですね。
(この間,文献資料,中略)
吉見--で,たぶん,それは否定できないんじゃないかと思うんですね。
秦--もちろん。
荻上--秦さんも本のなかにそれは書かれてますしね。
吉見--それから,中国では4件,元慰安婦のかたが提訴されて,裁判になっておりますけれども,まぁ,裁判では敗訴しますけれども,裁判所は事実認定をしてるわけですよね。その事実認定のなかで,いずれも,日本軍が暴行・脅迫を用いて連行したということを認定しているわけです。
(この間,資料文献,中略)
荻上--それは,官憲や軍人がおこなったもので。
吉見--そうです。
荻上--でも,その,秦さんからすると,たとえば,「それは,軍が命令したわけじゃないだろう?」っていうふうには。
b) 裁判所による事実認定について
秦--これはねぇ,非常に大きな錯覚があるんですよ。
荻上--「錯覚」?
秦--「裁判所が認定した」といわれますけどね,十数件そういう訴訟を起こしてるんですよね。全部,敗訴なんですよ。というよりね,最初から,訴訟を起こしてもね,これ,勝つみこみはゼロなんですよ。ね。
じゃぁ,なぜ起こすのかっていうと,そういうことで運動を盛り上げて,たくさんのね,お仲間を集めて,募金もしてという一種の政治活動・経済活動なんですね。
で,裁判所ではですね,これはなにかっていうと,戦前は国家無答責,国家は責任を負わない,過失についてね。それから,いちばん大事なのはね,時効なんですよ。
荻上--時効?
秦--えぇ。いちばん長い時効でも20年なんですよ。
吉見--いや,いま問題になってるのは,そういう事実があったかどうかっていう事実認定の〔こと〕。
秦--いや,だから,争わないんですよ,裁判所は。馬鹿馬鹿しいでしょう。もう,時効でダメだと判ってるのに。
吉見--裁判所は争わないんじゃない。
秦--裁判所は争わないんです。
吉見--裁判所は事実認定をしてるわけでしょ?
秦--しないんですよ!
吉見--裁判所の判決に書いてあるわけでしょ。
秦--だって,捜査にいってないから。こういうふうに陳述をしましたというだけで,それに対してですよ。
吉見--いや,そういう事実があったという事実認定をしているわけですよね。
秦--「これは違ってる」とかそういうことはいってないんですよ。
これは非常にね,だから,法学会で論争になってるんですよね。どうして,そういうとき,検事側がですね,それに対して論戦を挑まないのかということなんだけれども,実際問題として,いまの中国の話のようにですね,じゃぁ中国から証人を呼んで来てくれったってですね,中国が応じるはずないでしょう?
荻上--いま,あの,非常に議論が盛り上がっているんですけれども,残り時間が短くなって,というか,残り時間が1分になってしまったので,ホントはですね,今後どういう議論をしていくべきなのかとか,あるいはアジア女性基金などいろいろな経緯を踏まえて,どういったルートがありうるのかなど伺いたかったんですけど,まぁ,いろいろ激論がかさむふたりなので,最後一言ずつですね,この慰安婦問題について,若い世代を含めて,どういったところに注目してほしいか,一言お願いします。
秦さんいかがでしょう?
秦--もともと,この慰安婦問題というのは,後に支援勢力ということになりますけれども,日本と韓国の支援勢力がですね,やったことなんです,始めたことなんですね。
ですから,韓国大統領が来てですね,2〜3年後に,それでいったことはね,この問題は,おたくの国の運動家とマスコミが一緒になってね,われわれを怒らせた。
荻上--経緯をしれということが。
秦--これは,おたくのほうで起こした。
荻上--はい,時間が……一言だったので。残り30秒。吉見さん,お願いします。
吉見--えぇ,慰安婦問題はいろんな事実が発掘されてきていますので,そういう事実をですね,ぜひしっていただきたいということだと思いますね。
それから,国際的には,これは性奴隷制度であるという認識が定着しています。で,それはキチンと根拠があるものだと思います。
で,日本政府としてはですね,この問題を解決するためには,戦時性的賠償法案というのができてますので,補償法案というのができてますので,それを通せば問題は解決すると。
(文献資料,省略)
9) 秦 郁彦の詭弁
最後に秦の詭弁を批判しておこう。
今回の討論では,秦は慰安婦の問題に直接からめて言及したわけではないが,このエントリーの冒頭部分の文字起こしにあるように,
「秦:人身売買がなければ奴隷じゃないわけですか? 志願した人もいるわけでしょ。高い給料にひかれてね。」だとか,
吉見氏の発言「人身売買であれば,それは弾劾されるべき」に対して,「秦:志願してる場合ですよ,自発的に。自発かね,その……どこで区別するんですか?」などと,「志願」や「自発的」な側面があれば,人身売買や奴隷に当たらないとの認識を披露している。
そして,つい最近も産経新聞への寄稿で慰安婦募集の広告に「応募者は少なくなかったろう」などと述べているぐらいだから,「自発」や「志願」なら人身売買や奴隷とは呼べず,軍の責任も免責されると考えているのだろう。
しかし,この「自発的」なのか「志願」なのか,といった問題設定じたいが,初めから問題を否認するための偽りの問題設定,あるいはすり替えといわざるをえない。
日本政府も署名している国連の「人身取引(人身売買)補足議定書」の定義は,つぎのようになっている。
=人身取引(人身売買)の定義=
Protocol to prevent, suppress and punish trafficking in persons, especially women and children, supplementing the United Nations Convention against Transnational Organized Crime.
和 訳: 国際的な組織犯罪の防止に関する国際連合条約を補足する人,特に女性及び児童の取引を防止し,抑止し及び処罰するための議定書
英語原文:http://www.unodc.org/documents/treaties/UNTOC/Publications/TOC%20Convention/TOCebook-e.pdf から。
外務省 和文テキスト:http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/treaty/treaty162_1.html (なお,日本政府は trafficking を人身売買ではなく人身取引と和訳している。)
第3条〔Article 3. Use of terms〕
(a) “Trafficking in persons” shall mean the recruitment, transportation,transfer, harbouring or receipt of persons, by means of the threat or use of forceor other forms of coercion, of abduction, of fraud, of deception, of the abuse of power or of a position of vulnerability or of the giving or receiving of payments or benefits to achieve the consent of a person having control over another person, for the purpose of exploitation. Exploitation shall include, at a minimum, the exploitation of the prostitution of others or other forms of sexual exploitation, forced labour or services, slavery or practices similar to slavery, servitude or the removal of organs;
(a') 「人身取引」とは,搾取の目的で,暴力その他の形態の強制力による脅迫若しくはその行使,誘拐,詐欺,欺もう,権力の濫用若しくはぜい弱な立場に乗ずること又は他の者を支配下に置く者の同意を得る目的で行われる金銭若しくは利益の授受の手段を用いて,人を獲得(募集)し,輸送し,引き渡し,蔵匿し,又は収受することをいう。
搾取には,少なくとも,他の者を売春させて搾取することその他の形態の性的搾取,強制的な労働若しくは役務(サービス)の提供,奴隷化若しくはこれに類する行為,隷属又は臓器の摘出を含める。
(b) The consent of a victim of trafficking in persons to the intended exploitation set forth in subparagraph (a) of this article shall be irrelevant where any of the means set forth in subparagraph (a) have been used;
(b') (a) に規定する手段が用いられた場合には,人身取引の被害者が (a) に規定する搾取について同意しているか否かを問わない。
(c) The recruitment, transportation, transfer, harbouring or receipt of a child for the purpose of exploitation shall be considered “trafficking in persons” even if this does not involve any of the means set forth in subparagraph (a) of this article;
(c') 搾取の目的で児童を獲得し,輸送し,引き渡し,蔵匿し,又は収受することは,(a) に規定するいずれの手段が用いられない場合であっても,人身取引とみなされる。
(d) “Child” shall mean any person under eighteen years of age.
(d') 「児童」とは,18 歳未満のすべての者をいう。
一読してわかるように,搾取の目的で,暴力,誘拐や詐欺,同意をえる目的でおこなわれる金銭の授受,弱い立場に乗ずるなどの手段が用いられている場合,自発的どころか,たとえ本人が同意している場合であっても人身売買に該当( b 項)することに変わりはないのである。
また,「自発的」や「志願」といった事実が一部にあったとしても,それによって女性たちが「慰安婦」になることを「同意」していたとみなすことはできない。
なぜなら朝鮮半島からの動員では職種を偽ったり明かさずに甘言で騙して,国外へ連れていく誘拐や就業詐欺(人身売買を含む)といったケースが数多く報告されており,秦も朝鮮半島では「誘拐や人身売買」のケースが「大部分」だったことを認めているのだから。
日本軍の場合,上記の人身売買の定義にある,獲得(募集),輸送,収受といった3つの過程すべてにおいて組織的に関与・介入しており,国家責任が問われないようみせかけるには,秦もこうした詭弁を弄するしか選択肢がなかったのだろう,と判断できる。
6 む す び
秦 郁彦の口調は,従軍慰安婦をなるべく認めたくない立場・思想・信条・イデオロギーからなされた表現であったならば,一貫していた。その特徴を十分に感得させる語り方であった。
日中戦争が始まってから半年近くが経った昭和12〔1937〕年12月,南京虐殺事件が起きた。その犠牲者数の算出でもしかりであったが,秦はいつものとおり,近現代史を学んだ学識を逆用するやり方でもって,その数値をできるかぎり少くなくするために懸命の努力を重ねていた。
冒頭でも触れたように秦は,ネトウヨ・レベルや,あるいは一般教養すらこと欠くような敗戦後の国粋・右翼運動家たちとはまったく違い,元国家官僚から大学教員になった経歴(実力・能力)を存分に生かすやり方でもって,旧大日本帝国のアジア侵略・戦争にともなった加害の記録は,なるべく過小に見積もるように自身の学識を応用,発揮させてきた。
ウィキペディアには,秦についてこう書かれた段落がある。2007年3月5日,当時の首相であった安倍晋三が参議院予算委員会において「狭義の意味においての強制性についていえば,これはそれを裏づける証言はなかったということを昨〔2006〕年の国会で申し上げたところでございます」と答弁した。
だが,秦はこの答弁について,「現実には募集の段階から強制した例もわずかながらありますから,安倍総理の言葉は必らずしも正確な表現とはいえません。『狭義の強制は,きわめて少なかった』とでもいえばよかったのかもしれませんが,なまじ余計な知識があるから,結果的に舌足らずの表現になってしまったのかもしれません(苦笑)」とコメントしていた。
秦はまた,2014年,「慰安婦関係調査結果発表に関する河野内閣官房長官談話」の政府による検証チームのメンバーとなっていた(#;後段に関説あり)。
秦は結局,従軍慰安婦問題の「犠牲者」がいなかったわけではないけれども,それには「わずかの強制の要因」しか働いていなかったに過ぎない,と断わっていた。すなわち「狭義の強制」(=強制連行そのもの)をできるだけ排除したい考えの持主であった。強制連行を認めても,ごく限定的にしか認めない。
それが学究であった秦の議論を方向付ける,つまり従軍慰安婦問題に偏向した議論を故意にもちこむ本来の動機になっていた。
慰安婦も運動会に出たというが,刑務所にも運動会くらいはある。現地に囚われ状態になっている女性が,自分の足で逃亡できる力(戦地:外地でありその大部分が移動する自由)もないなか,運動会に出て楽しくやったから……,といったたぐいの話題を出して議論するところからして,問題の肝心なありかに煙幕を張るための詐術(おためごかしの枝葉末節に走った東大話法)の凡例のひとつでしかありえなかった。
秦 郁彦も東京大学法学部政治学科の卒業生であった。そのせいか,前段のように東大話法の名手(!)かと思わせうる立場を,迷いもせずにう遺憾なく(?)披露していた。
前段の(#)の役割は,安倍晋三のような無知・暴論筋だけの首相が,従軍慰安婦問題を頭から否定するといったヘマを犯さないように防波堤の立場あるいは指南役の機能を,秦が果たすことを期待されていたのではなかったか。そう解釈しておいてなんら不自然ではなく,ごく自然な解釈たりうる。
しかし実際の場面では,安倍晋三のごとき「子どもの裸の王様」は,秦 郁彦のような人物の議論を助言的に受けとれる「精神的な余白」すらもちあわせていなかった。
最後に一言する。以上に長々と引用してみた「秦 郁彦と吉見義明との討論・対談」を,この記述をおこないがら,〈ユーチューブ〉でも実際に聴いてみた。
補記)なお,このユーチューブによる当該放送番組は,現在削除されており,再見(視聴)できないのは残念である。
吉見は極力,実証的に議論しようと努力していた。これに対した秦は,過去の現実を断片的にとりあげるだけで,おまけに,単にまぜっかえすような発言が多かった。発言の仕方が粗雑に走る場面もたびたびあり,誠実さに関して疑問を抱かせた。
この秦は現在(当時),「慰安婦関係調査結果発表に関する河野内閣官房長官談話」(1993年8月4日)の政府による検証チームのメンバーであった。いってみれば,このメンバーのなかでは,慰安婦問題についての〈学識〉がまだまともにある人物であった。
要は,その「チーム全体のお里」じたいはしれていたともいえる。なにを談話として出すにしても,初めから限界があった。とはいえ,21世紀になって従軍慰安婦問題を頭ごなしに全面否定したがっていた安倍晋三よりは,当時の河野洋平の内閣のほうがよほど誠実さは備えていた。
ただし,安倍晋三の観念からみた前段の「談話」はその後も癪の種として抱えていたゆえ,その第2次政権時になると,そのうっぷんを晴らす対象としてだったが,朝日新聞社による「吉田清治関係の誤報問題」発生を奇貨として(因縁をつけては),従軍慰安婦問題のそのもの全体までも否定しにしかかった。
しかし,安倍晋三のその試図は「歴史の進展」に逆らってみたドンキホーテ的な感性を,ただ素朴に顕現させえたに過ぎない。
最後に,従軍慰安婦110番編集委員会編『従軍慰安婦 110番 電話の向こうから歴史の声が』明石書店,1992年という本を,本ブログ筆者が読んでいた最中に,本文が183頁あるうち,84頁まで読んだところすでに「騙されて慰安婦にされた:連れてこられた」という朝鮮人女性の意見聴取が10箇所も出ていた。
読みこぼし(見過ごし)があったかもしれないとしても,そこまでですでに8頁(本の大きさ:サイズはA5判)に1回の割合で,その種の「従軍慰安婦」による発言が登場していた。
【参考文献】

森光子『吉原花魁日記 光明に芽ぐむ日』(朝日文庫、2010年)ISBN 978-4-02-264535-7
森光子『春駒日記 吉原花魁の日々』(朝日文庫、2010年) ISBN 978-4-02-264584-5
