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国家神道精神にもとづく靖国神社は宗教機関ではないなどといいたがる「虚偽の愚昧と欺瞞」(4・完)

【前記:連番記入について】 「本稿(1)」の,「本稿(2)」の,「本稿(3)」のおける記述は「連続モノ」として議論していたので,連番をそのように振った数字を当てていた。

 本日のこの「本稿(4)」はさらに連番として以下を付した構成になっている。

 

 7「新藤総務相が靖国神社参拝 現政権閣僚で初」『朝日新聞』2013年4月21日,http://digital.asahi.com/articles/TKY201304200480.html?ref=comkiji_redirect&ref=reca


 a) 
この「本稿(4)」の記述は13年も前,政府閣僚が靖国神社を参拝した出来事を報道した『朝日新聞』の記事をとりあげることから始める。 

 新藤義孝総務相が〔2013年〕4月20日,東京都内の靖国神社を参拝した。新藤氏は朝日新聞の取材に対し,「私人として参拝した」と語った。第2次安倍内閣で閣僚の靖国参拝が明らかになるのは初めて。靖国神社では4月21日から春季例大祭が始まり,安倍晋三首相は神前にささげる供え物「真榊(まさかき)」を奉納する意向だ。

『朝日新聞』2013年4月21日

 この記事が報道した内容を受けてだったが,『朝日新聞』2013年4月22日の記事「『侵略戦争を肯定,絶対許せない』共産・志位和夫委員長」は,日本共産党の志位委員長がつぎのように語ったと報道していた。

 「安倍内閣の閣僚による靖国参拝がおこなわれ,安倍晋三首相が真榊を奉納するということが起こった。靖国神社は,過去の日本軍国主義による侵略戦争が,自衛の正義の戦い,アジア解放の戦争だったと丸ごと美化することを存在理由とし,宣伝をおこなっている特殊な神社だ。肯定する立場に身を置くものであり,絶対に許されない。アジア諸国志位和夫ポスター画像との関係でも決定的に悪くする方向に働くものだ。こういう行為をやめるよう強く求めたい」(国会での記者会見で)

『朝日新聞』2013年4月22日

 日本共産党は現在,天皇・天皇制の存在を認めているが,この政党の立場,とくに歴史から回顧してみれば,天皇制度はとうてい「許されうるような」政治機構のあり方ではない。

 つぎに紹介する画像資料は,10年以上昔の当時日本共産党中央委員会幹部会委員長であった志位和夫が写っているポスターであった。これに書かれている文句は,本来の立場・イデオロギーであれば絶対に許容できない天皇・天皇制を,当面は政略的に受容するという含意であった。

志位和夫(1954年生まれ)は衆議院議員を11期務めた

1990年から2000年まで日本共産党中央委員会書記局長
2000年から2024年まで日本共産党中央委員会幹部会委員長


 志位和夫は現在,日本共産党の要職から去っているので,マスコミなどには登場しない点はさておき,「憲法を生かし,政治を変える」というセリフは,実際にはだいぶ奇妙である。

 日本国憲法の第1条から第9条までに登場する天皇の地位・役割は,戦前・戦時に治安維持法を適用されて散々な目に遭わされてきた日本共産党としては,その怨恨の一念からではなく政治的な信念にもとづいて発言するにしても,それこそ自党にとっては仇敵に匹敵するはずである。

 b) 敗戦後にできた新憲法をいったんは棚上げできたとしても,敗戦前に日共が旧大日本帝国から受けた熾烈な弾圧は,半世紀や1世紀くらいの歳月が過ぎたからといって,そう簡単に「水に流せる」ようなヤワなひどさではなかった。

 ここでは手っとり早く,治安維持法の問題がどういう性格であったについては,つぎにいくつか挙げる画像資料をもって,ある種の説明に充てておきたい。

 昨日(ここでは「2025年10月4日の自民党総裁選」のこと)は,「頭中の脳みそが極右反動の観念でゴリゴリに固形化していた」高市早苗が選ばれたが,この高市をめぐっては以前,本ブログ筆者が2017年ころに入手した画像資料だと,つぎのものがあった。

註記)右側にいる女性は稲田朋美(1959年生まれ)である
弁護士で自民党所属の衆議院議員(8期当選)

 ここに写っている男性は,山田一成(やまだ・かずなり,生死年;1962年-2024年12月)である。この山田一成は,日本の政治活動家として国家社会主義を信奉し,自身が国家社会主義日本労働者党総裁の立場にあった。

 指摘するまでもないが,ナチス・ヒトラーのドイツ第三帝国は,国家社会主義ドイツ労働者党(略称:ナチ党)として,1933年から1945年までの存在した。この党名は,Nationalsozialistische Deutsche Arbeiterpartei であった。

 ナチス・ドイツが第2次大戦が終わるまで,いったいなにをおこなってきたかといえば,ユダヤ人(民族)約600万人を殺してきた。いわゆるホロコーストは,ナチス・ドイツ政権とその同盟国および協力者によって,ヨーロッパに居たユダヤ人(民族)約600万人を,国ぐるみになっての組織的な迫害および虐殺をおこなった。

 前段にポスターの顔写真を紹介した志位和夫は,「憲法を生かし政治を変える」と謳ってていたが,憲法第1条から第8条まで「全条」を「生かす」のが,日本共産党本来の政治的理念・目的でありうるわけはない。とりわけ,1945年8月までの日本帝国主義が,天皇の名のもとに,日本共産党にくわえてきた弾圧と粛清の長い歴史を忘れたわけではあるまい。

 くわえて,敗戦後史の政治過程でも日本共産党は「逆特別あつかい」される始末で,陰に陽にその政治活動を妨害されてきた。その事実は,現在的な話題としてまで連続している。

 ここで思いだしたが,本ブログ筆者がまだ大学生のとき,地元のどこかで偶然出会った「小学校で同級生(同じクラス)」「横山〇〇君」(名前のほうは失念)から,「君,共産党に入らない……」と勧誘されたことを,いまでもよく覚えている。

 わが家の政治的伝統がどうだこうだという以前にそもそも,創価学会のしもべである公明党や,民主的集中制--これは「日本共産党の内部規律」であり,「一般社会に押しつけるものではなく,党員が党の一員としての自覚にもとづいて自発的に守るもの」だと説明されているが,これでは強制になるほかないとしか理解できないのだが--に規律されて活動するような日共の政治理念と行動様式は,賛同などできない本ブログ筆者であったから,当然「彼のその勧誘」は聞き流しておいた。

 c) だが,2025年10月4日,自民党の総裁に選ばれ,同月21日に日本初の女性首相となった高市早苗であったが,その後10ヵ月ほど経った現時点になってみたら,この人が首相になったために,この日本国は旧大日本帝国まがいの「最低の品質水準ならば,すでに認証済みの最悪国家体制」に転落した。

 前段の指摘・評価は,2026年8月10日になった本日を基準に判断するまでもなく,すでに定評化していた「高市早苗内閣」の体たらくぶりを捕捉したものである。

 本ブログの本日まで4回連続モノで書いてきたこの「靖国神社問題」論でいえば,この高市が自民党総裁に選ばれ,首相になるかもしれないという段階においてから,海外のとくに東アジアからは早速,たとえば中国からはつぎのようなニュースが報道されていた。

    ★ 高市新総裁,中国で一斉速報
            「過去に靖国参拝,9条改正など主張」★
  
=『朝日新聞』2025年10月4日 17時57分,https://www.asahi.com/articles/ASTB42QTHTB4UHBI017M.html =

中国側からは初めから悪評を投じられたこの人である
記事の本文は以下の引用枠に紹介する

 〔2025年10月〕4日の自民党総裁選で高市早苗前経済安全保障相が新総裁に選ばれた結果を受けて,中国メディアは一斉に速報した。早速,保守派の高市氏への批判的な報道も目立っている。

 中国国営中央テレビは,高市氏が「日本の新しい首相になる可能性が大きい」と報じた。中国共産党機関紙・人民日報系の環球時報は,NHKの報道をもとに「史上初の女性首相になる見込み」とも伝えた。

 中国のネットメディア「澎湃(ポンパイ)新聞」は,総裁選の結果発表直後に「『奈良の女』高市早苗は何者か」と題する動画を投稿し,「高市氏は『安倍(晋三元首相の)継承者』と自称している」とした。

 動画では,高市氏が2006年の第1次安倍政権への入閣後に保守派に転じ,「日本の右翼政治家の代表人物の1人となった」と指摘。憲法9条改正や自衛隊の「国防軍」への改称を主張しつつ,「中国への侵略の歴史を否定し,何度も靖国神社を参拝した」とも強調した。

 また,日本国内の物価高といった経済問題により,高市氏が新首相になったとしても,あこがれる英国のサッチャー元首相のような政治家になれるかは「まだ大きな疑問符が残る」とした。

 中国のSNSの微博(ウェイボー)では日本時間午後4時半(現地時間同3時半)時点で,高市氏の新総裁選出に関する投稿が,アクセスランキングでトップとなった

「中国への侵略の歴史を否定し,何度も靖国神社を参拝した」とは
A級戦犯が合祀されているこの神社にこだわる
中国側の立場を鮮明に表わしている

 上に引用した記事は最新の報道であるが,いまからだと14年前にも,こういう報道が中国側ではなされていた。

    ◆ 中国TV「日本政界の右翼化示す」議員靖国参拝を報道 ◆
         =『朝日新聞』2013年4月23日報道 =

 中国国営中央テレビは〔2013年〕4月23日午前,日本の国会議員による靖国神社集団参拝をNHKの映像付きで伝え,「日本政界の右翼化傾向を示す動きだ」と強い警戒感を示した。 

 同テレビの東京特派員は「参拝者のなかには,これまで右翼的とはみなされていなかった議員も含まれている」と伝えた。同テレビは「参拝には,7月の参議院選をにらんで有権者の支持をえようとする狙いがある。中日関係がさらに悪化するのは必至だ」と分析。

 日本の政府内やメディアからも反対の声が出ていると伝えた。韓国メディアも参拝を相次いで伝え,「日本の閣僚や議員の右傾化で,韓日関係の緊張が高まりそうだ」などと論評した。

『朝日新聞』2013年4月23日報道

 この報道には韓国メディアの動向も言及があった。つぎは「三K新聞」だと揶揄されていい新聞紙が,社説のなかでこう述べていた。

        ▲ 靖国と韓国 外相の訪日中止は残念だ ▲
        =『産経新聞』2013年4月23日「社説」=

 安倍首相が奉納した真榊は,祭場を装飾する供え物だ。以前は,首相の靖国神社参拝と真榊奉納が普通におこなわれていた。首相自身,第1次安倍内閣の平成19〔2007〕年4月に奉納し,麻生氏も首相だった平成20〔2008〕年10月と21〔2009〕年4月に奉納した。靖国神社にまつられる戦死者の霊に哀悼の意をささげる行為だ。

 靖国神社には,古屋圭司国家公安委員長と加藤勝信官房副長官も春の例大祭に合わせて参拝した。新藤義孝総務相は例大祭前日の〔2013年〕4月20日に参拝した。古屋氏は参拝後,「国のために命をささげた英霊に哀悼の誠をささげるのは国会議員として当然だ」と述べた。民主党前政権では,閣僚に靖国参拝の自粛が求められた。安倍首相は各閣僚の自由意思に委ねた。当然の対応である。

 戦死者の霊が靖国神社にまつられ,その霊に国民が祈りをささげるのは日本の文化であり,伝統だ。外国は日本人の心に介入すべきではない。内政干渉しないことは両国関係の基本である。

 付記)この『産経新聞』社説はまだ本文を残しているが,だいぶ後段になってから(次項の8で)その残りを引用し,議論するつもりである。

『産経新聞』2013年4月23日「社説」

 この『産経新聞』社説の指摘,「以前は,首相の靖国神社参拝と真榊奉納が普通におこなわれていた」という事実は,さらに精査・点検しておく余地があるのに,このように「以前は,必らずしも」というように断わっておき「普通におこなわれていた」といい切るのは,事実ではなかった。途切れていた時期がその間には介在していたからである。

 以上,いくつか日本の新聞から関連する記事や社説を紹介してみた。ここではしばらく以下に,本ブログ筆者なりにする議論・吟味・批評をおこないたい。

 d) 靖国参拝賛成派がよく口にする,すなわち「その反論のために」もちだす理由づけが,靖国参拝が「日本の文化とか日本人の心である」という,国粋主義的・単一民族観的・排外主義的な視点そのものが,しかも斜視したみかたであった。同じ日本人でも靖国に反対する人はいる。

 ましてや「日本人の心」という文句を出せば,日本人・日本民族のすべてを括れるかのような発想じたいがすでに,普遍性をめざして議論すべき「相互間の対話じたい」を,ハナから不可能にさせ,コケにする,断絶させる発想であった。

 とりわけ「国のために命を捧げた英霊」という決まり文句も陳腐に過ぎる。日清戦争の勝利から大東亜戦争の敗北まで,国のために命を落とした人びとを〈英霊〉といっているのは,「国家の論理」の立場・イデオロギーのほうからする理屈であって,日本人「全員が無条件に賛同する立場」だといえない。

 自分の息子を戦争に取られて亡くした日本の母親のなかには,靖国神社関係のニュースに接したとき,これを「観ていたテレビに向かい,怒りまくっては吠えるようにどなっていた女性」もいなかったわけではない。靖国に自分の息子の霊魂だけ吸いとられて喜ぶ母親が,間違いなく本心からその態度を示していたとはかぎらない。

 戦時中だからこそ沈黙を強いられていた彼女らのなかには,本当の気持ちでは「〈英霊〉なんぞにならないでいいから,生きて還ってくれるのがなによりも一番だ」と思っていた母親も,絶対に大勢いたはずである。そのように心の奥底では思っていた帝国臣民の母親のほうが,本当は圧倒的に多数派であった。天皇陛下万歳といって死んでいった兵士は,まさしくそのように,死ぬまぎわに「ウソをいえる余裕があった」に過ぎない。

 日本の兵士たちもごくふつうには,天皇陛下万歳とは唱えずに,ただ「お母さん」とか「女房・子供の名」を叫んで,戦場ではイヤイヤ死んだのである。あるいは戦場で餓死した多くの日本帝国の兵士は,天皇陛下万歳など叫ぶ力すらまったくなく,その場でただ野たれ死にさせられたのである。

 それこそ「犬死に」し,命を「無駄に捨てされられて」死んでいった日本軍の将兵が,全戦死者の過半を占めていた。南方の戦場に兵士を送る船が,アメリカの潜水艦による魚雷攻撃を受けてしまい,兵士たちが海の藻屑にされていた。その数,何万人何千人何百何十何人いたか? それこそ雑魚あつかいされ死んでいった乗組員や軍属や兵士たちが大勢いたではないか。

 この人たちが死んだら〔手続きは踏んでいるものの〕とたんに「英霊になって靖国に祀られる」というのである。だが,誰がそのようなことを望んだのか? 英霊の一言で片づけられるような戦争の問題ではなかったところの,1人1人の大事な命の問題が「本来はあった」はずである。というか,その1人1人の家族・親族たちが間違いなく,そうした受けとめ方をしていたと考えてなんら間違いにはなるまい。

 戦争ですでに殺されて死んだ帝国臣民・兵士たちのめいめいに対して,その「殺し文句:英霊」を使い,靖国神社の祭壇では「2度にもわたりその尊い命を殺している」ような悪さを,昔の大日本帝国だけでなくいまの日本国も,まだ靖国神社側にやらせている。敗戦後史における国家意思の発現として「その種の行為」そのものが,たいそう悪質であり非人道的である。

 補記)ここでは「書評・テレビ評 『餓死した英霊たち』 著・藤原 彰」『長周新聞』2020年7月26日,https://www.chosyu-journal.jp/review/18130 という書評のなかからは,あえて長くなるのを承知のうえで,つぎのように書かれた文章を引用しておく。

 これを読めば前段で紹介した母親(自分の息子を戦争で取られた女性)が無条件に怒りまくっていた真情は,ただちによく理解できるはずである。こうして,彼女の息子も戦場で無駄に命を奪われていたから,である

 イ) ひとつの典型が,1944年3月にビルマ方面軍が決行したインパール作戦だ。

 この作戦は第15軍がチンドウィンの大河を渡り,インドとビルマの国境のアラカン山脈をこえ,インドのアッサム州に侵入するというもので,10万の大軍が徒歩で大河と密林と山脈を何カ月もかけてこえるのに,補給を確保するみこみは初めからなかった。制空権は連合軍側に移り,昼間の行動も制限されていた。参謀長も師団長全員も作戦に異を唱えたが,大本営のお墨付きを得た軍司令牟田口中将が決行した。

 すでにこの年の2月にはマーシャル諸島のクェゼリン,ルオット両島の守備隊は全滅,連合艦隊の最大の拠点トラック島も壊滅していた。日本軍の敗戦は避けられなかった。にもかかわらずインパール作戦は実行された。

 実際,大本営が作戦の失敗を認めて7月3日に中止を命令するまで補給は皆無で,餓死や栄養失調が蔓延し,マラリアなどの患者が多発したが後送もままならなかった。その後,退却に移ってからはさらに悲惨だったといわれる。雨期に入ったアラカン山系の密林の中,退路は兵士の死体が埋め尽くす「白骨街道」と化した。

 「遺棄された死体が横たわり,手榴弾で自決した負傷兵の屍があり,その数がだんだん増えてきた。石ころの難路を越え,湿地にかかると,動けぬ重症の兵たちが三々五々たむろしていた。水をくれ,連れて行ってくれ,と泣き叫び,脚にしがみついて離れないのだ。髪はのび放題にのび,よくもこんなにやせたものだと思うほど,骨に皮をかけただけの,憐れな姿だ。息はついているが,さながら幽霊だった」と生き残った兵士が書き残している。

 著者の調査では,ビルマ戦線全体の日本軍戦没者は18万5000人で,そのうち768%,ほぼ14万5000人が栄養失調死と,体力の低下によるマラリア,アメーバ赤痢,脚気などによる病死だという。

 ロ) アジア太平洋の戦場で,もっとも多くの戦没者を出した地域はフィリピンだ。1944年6月にサイパンが陥落し,日本軍の敗戦が濃厚になった後,大本営はフィリピンが次の決戦場だといって61万3600人という大兵力を投入したあげく,米軍との戦闘に敗れたあとはなんの対策も講じず,大兵力を飢餓にさらされるままに放置したからだ。こうして兵力の81%,49万8600人が戦死,戦病死した。

 フィリピンでの戦闘前,日本軍の輸送船は米潜水艦に次々と沈められ,6~8月の間だけで1万7000人が海没した。続いて派遣された兵士たちは,大本営の気まぐれな作戦指導によって,ルソン決戦からレイテ決戦,再びルソン決戦と方針転換に振りまわされ,米軍によって空母のすべて,武蔵以下の軍艦多数を失う壊滅的損害を受けた。上陸した陸軍部隊は,兵器も弾薬も食料もなく,住民部落から離れた山中での持久戦に追いこまれた。そのため極限の人肉食いまで生まれた事実がある。

 第14方面軍の参謀長が大本営の指導部を名指しして「一体何人殺せば作戦課は気が済むのか」と激怒した,という記録が残っている。フィリピンの戦没者約50万人のうち,純然たる戦死者より,栄養失調を原因とする病死や餓死の方がはるかに多かった。

 ハ) 一方,中国戦線での戦没者は45万5700人である。死者がもっとも集中したのが最後の2年間であり,そこでは戦病死が戦死者の3倍以上にも達していた。病気の大部分が長期間の不十分な食料で,栄養失調状態にあって病気に対する抵抗力を失っていたため,マラリアや赤痢などにかかって戦病死に至ったという。

 ある従軍軍医が,1944年5月から始まった大陸打通作戦の中の湘桂作戦の惨状を書き遺している。大陸打通作戦とは,インパール作戦と同時期に大本営が命じた作戦で,黄河を渡り華中,華南を通って仏印に至るまでの1400㌔に及ぶ長大な距離を,16個師団50万の大軍を動かした,日本陸軍始まって以来の作戦だった。

 そしてこの作戦は,一体なにを目的として企てられたのかさっぱり分からないのが特徴で,当初,大本営は中国軍の本拠地・重慶を攻略するといい,結局,中国奥地の米軍航空基地を占領するといったが,サイパン陥落で米軍航空基地がマリアナ諸島に移って以降も,無意味となった作戦を中止せず実行した。食料の補給はなく現地調達であり,長距離の行軍で疲弊して多大な餓死者が出た。

 従軍軍医は,1944年5月下旬から11月下旬までの半年間に,戦死1万1742人,戦傷死2万2764人,戦病死6万66543人を出したと書いている。戦争栄養失調と診断した者の死亡率は98%に達したという。

 ニ) 著者は後半,日本軍はなぜこのような大量の餓死者を出したか,その原因を究明しようとしている。そして,日本軍特有の,天皇への忠誠と死を要求する精神主義を主な原因とし,その精神主義が火力の軽視(三八式歩兵銃という旧式銃で武装させたこと),食料や武器・弾薬など補給の軽視,歩兵の銃剣突撃至上主義や,「生きて虜囚の辱めをうけるな」という捕虜禁止と「玉砕」を生んだとのべている。

 こうした精神主義が広く浸透していたのは事実で,戦地体験者も多く語っている。だがそれだけでは,戦争の帰趨が明らかになったあとも,負けると分かっていた戦争をズルズルと引き延ばし犠牲を拡大したのはなぜか,という疑問に答えられない。また,あれだけ「鬼畜米英」を叫んでいた為政者が,戦後は掌を返したように対米隷属の道を進み,国益を投げ出してはばからない現状を説明できない。

 アメリカは早くから日本を単独占領してアジア侵略の拠点にすることを意図し,天皇をかいらいとする戦後支配のプログラムをもっており,そのために日本人をイエローモンキーと呼んで眉一つ動かさず広島・長崎の老若男女に原爆を投げつけた。

 補記中の補記)この「天皇をかいらいとする戦後支配のプログラム」の必要性を太平洋戦争が開始されてまもなく提案したのが,敗戦後の日本において駐日米国大使となるエドウィン・ライシャワーである。

 補記に戻る→) 一方天皇や日本の権力中枢は,1944年には「敗戦は必至。米英は国体の変更は求めず。もっとも恐るべきは国民による革命」だという認識をもっており,自分たちに戦争責任が及ぶことを避け,その地位が保障される形でアメリカに頼って戦争を終結させる道を探った。異常な餓死者の多さがあらわれたのもこの時期にあたる。

 著者〔藤原 彰〕はすでに故人となったが,その研究成果を受け継ぎ,発展させることが期待される。

この種の兵士消耗方法は現在の宇露戦争における「プーチンのロシア」の
戦争のやり方に似ている面がある

 藤原 彰『餓死した 英霊たち』(初版は青木書店,2001年)は,旧大日本帝国軍陸海軍がいってみれば「まともな戦争の論理」で戦うのではなく,ひたすら精神論(日本魂・神州観念)で太平洋戦争にまで挑んだあげく,結局は敗退せざるをえなかった必然的な事情を,兵士たちの戦場での餓死率6割という現実の軍事史を介して訴えた。

 ここまでの説明だけでも,いわゆる靖国神社という国家神道の場にかかわらしめては,「国のために尊い命を捧げた(犠牲にされた)」という文句を常套句にする政治屋がけっこうな人数いる。だが,この文句が,彼らのいいぶんによれば「戦争で亡くなった軍人や軍属に対して敬意と哀悼を表わすための表現」だとされても,

 一方で,その戦争や国の政策に対する評価をめぐり,使う立場や受けとめ方によっては,真逆の意味や議論が登壇してきた当然である。その言葉の基本的な意味と使われ方は,戦争という極限状態で命を落とした個人に対する,悲しみや敬う気持ちを表わそうとはしていても,実際のところは,政治的な利害関係のなかでの発言でしかありえない。

 首相や国会議員が参拝や談話をおこなうさい,戦没者への慰霊の言葉としてよく彼ら・彼女がいるが,遺族の心情: 家族を失った遺族の悲しみや,無念さに寄り添う文脈が,単に演技として「票・目当て」で演じられているとしか受けとれない。

 いまの首相である高市早苗も「国のために戦い命を落とした人々(御英霊)に対して尊崇の念と哀悼の誠を捧げる」といい,国家の指導者として自然な行為であるという立場を採る。だが,前段で説明してきた藤原 彰の著作『餓死した英霊』=6割という日本国近現代戦争史の事実とは,完全に無縁の位置から発言している。

 「国のために犠牲になった人に敬意を示すのは当然」という前に,戦争そのものを起こさないために一国の指導者がなにをなすべきかという配慮が,彼女の場合は完全に欠落していた。

 だから,中国や韓国などの近隣諸国や国内のリベラル層からは,過去の侵略戦争を正当化・美化していると受けとられかねないでいる。実際,高市早苗は首相の立場から,2025年11月7日国会の衆議院予算委員会のおり,質問を受けてこういう「大問題となる答弁」を犯していた。

 その時の様子を説明しておこう。

 2025年11月7日の衆議院予算委員会で,高市早苗首相は立憲民主党の岡田克也氏の質問に対し,台湾有事において武力攻撃が発生した場合「存立危機事態にあたる可能性が高い」と踏みこんで言及してしまい,歴代政府の公式見解を超える発言として内外に大きな波紋を広げた。

 高市の発言は従来の政府見解,すなわち「個別の具体的な状況を前提とした断定的な言及を避けてきた」政府の立場を逸脱していた。早速,中国側からは猛烈な反発が返され,緊張が高まる要因となった。

 その後に高市が国会答弁(12月)においてひとまず,「従来の政府の立場を超えて答弁したように受け止められたことを反省点として捉えて,今後の国会での議論に臨んでいきたい」と述べたものの,

 彼女の本心においてはそうはけっして思っておらず,中国政府側はこのオンナが日本の首相を辞めないかぎり,このまま対決的な姿勢を変える意向はない。この点は報道などから,あるいは専門家の指摘からも了解できる

台湾有事:武力攻撃が発生時は「存立危機事態にあたる可能性が高い」
などといかにも好戦精神まるだしの国会答弁を
それも自分流に吐いた高市の愚かさ

 e) そもそもの話,かつて帝国臣民兵士の命のあつかい方は,実際においてはわずかも尊さがなかったではないか。事実をもって考えようではないか。

三十八式小銃に刻印されている
菊の紋章:その1
その2

 旧日本軍で兵士1人の『命の値段』は1銭五厘だといわれていたのではなかったか? 三十八式小銃1丁よりも「尊い命」「ではなかった」のが,陸軍歩兵1人ひとりに対する「命の値段:評価づけ」であった。

 しかも,この武器に刻印されていた〈菊の紋章〉に傷を付けたりしたら,死ぬほどに殴打された。それに,軍馬1匹よりも人間1人のほうが下にみられた。これが兵士の命の真価値とされたのではなかったか?

 ところがである,戦争〔戦地・戦場〕において死んだとされる兵士たちは,ともかくみな〈英霊〉ということにしておき,天皇みずからが親祭する靖国神社に祀られている(正確にいうと1975年11月21日のその機会が最後になっていた)。

 なんのためか理解に苦しむほかない「帝国日本内における大元帥と兵卒たち」をめぐる「相互関係としての上下関係ならぬ」「平等に受けとれないわけなどない秩序」が,靖国神社の境内においては「国家神道かつ皇室神道」なり成立させられた「オカルト仮想空間」的に存在させられていた。

 その場合,そうはいっても,靖国神社の本殿に「霊性として合祀されているその数」は,246万6千柱あまりもあり,しかもその九段下の祭壇にいっしょに押しこまれ,犇めいている。しかしそれでも,霊魂の次元の問題理解となると,『合祀』という仕儀で許されるという事情でもあるのか?

 その場所においては,完全に「遺骨不在」である靖国的問題の慰霊態様からしたたり落ちてくる「不可解さ,不自然さ,面妖さ,奇っ怪さ」が,そのまま真正直に露呈している。

 しかしながら,その本義はあくまで靖国的に「御霊の合祀」というわけになっているゆえ,いくら合祀の柱数が増えていこうが,全体としての本義としては「1柱の意味」しか含意されえない。ともかくそれでいいとされており,完結していることになっていた。

 だが実は,靖国にはもう1柱が合祀されていた。しかもこちらは,皇族から将校になっていた人物のことで,戦地で病死・事故死した2名がこの1柱とあつかわれ,靖国には合祀されていた。

 そうした意味というか経緯もあって,靖国には「平民用(元貴族も含むか)全体の1柱」と「皇族2人の1柱」の「2柱」が,すなわち「靖国での1柱」を,内訳としては構成する「御霊=英霊」となって存在している。

 補記)靖国神社に祀られている皇族2名の名は,北白川宮能久(きたしらかわのみや・よしひさ)と北白川宮永久(きたしらかわのみや・ながひさ)である。死因(戦死したときの事情)は,以下のとおり。

 能久は,日清戦争時,近衛師団長として出征し,台湾の台南で病没。

 永久は,日中戦争(支那事変)時,陸軍少佐として出征し,中支那の戦線で戦死。

 ここではつぎのように議論することも可能である。

 特別に戦地・戦場で大手柄を立てていなくとも,あちらこちらの,そのほかの場所で命を奪われた兵士たちであっても,ほぼ死ねば靖国の御霊=「英霊」,換言するとヒーローあつかいされる。このように「靖国の死霊」に対する「あの世にいってからの待遇」は,現役の兵士であった時期とはまるでさまがわりの変化をたどるゆえ,どうみても表面的には,「生きている」ときよりも「死んだあと」のほうが各段に大切にされている。

 だが,残された遺族たちの気持ち・感情というものは,ここで繰り返していうが,「死んで花実が咲くものか」とか「命あっての物種」とかいう表現がぴったりである点になんら変わりはなく,本当は,死んで靖国入りするという事態のなりゆきが喜んで受け入れられる人などいない。

武運長久という4文字は「生きて還ってこいよ」という符牒であった

 あの戦争の時代は,出征する軍人たちに対しては,まず「武運長久」と大書してからさらに,友人たちや近所のしりあいなどが寄せ書きをした日章旗をもたせるのが通例であった。だが,この旗が戦場・戦地で死んでしまった兵士の屍体から取り出されて敵兵の手に渡り,戦後も長期間を経ってから遺族の手に戻るという話題が,けっこうな数生まれていた。

 戦争に駆り出されて死んでしまった当人の,いわば,その遺品が「いまごろ戻ってきた」ところで,もちろんそのことじたいはよかったけれども,それよりも戦争が終わってから何年何ヶ月かかってでも,祖国に生きて戻れた兵士を迎えられた家族たちのほうが,よほどうれしかったはずである。

 しかしそれでもなお,靖国においては「元皇族2名の霊は別格に1柱」としてとりあつかわれ,その他大勢の庶民(平民)=246万6千人分たち霊も同じに「1柱のあつかい」ということになっているらしく,「この状態」「総じて〔まとめて面倒をみて〕1柱に合祀されているはずだ」と,神社側は表現したがっている。

 そうはいっても,一方に「皇族の2名を霊」をまとめて1柱とし,他方に「平民(帝国臣民だった)246万6千人分の霊」もすべてまとめて1柱としている。そのうえでまたさらに,これら2柱が合祀されているというのであったから,これはまた,ずいぶん身勝手な「人間への差別ならぬ」「〈霊界にまでもちこまれた差別〉そのもの」になる「敗戦後事情」が,靖国のなかには残置されている。


 8 日本全国どこにでもある神社で,祭神が万単位で祀られている神社などない。たいていは1神だけの神社が多いが,複数の神を祀っているところもけっこうある。だが百万単位という合祀は桁違いに異様である。

 a) たとえば,北海道神宮の祭神は,以下の3名(神?)である。

  大国魂神 (おおくにたまのかみ)

  大那牟遅神(おおなむちのかみ)……これは,大国主命〈おおくにぬしのみこと〉の別名)

  少彦名神 (すくなひこなのかみ) 明治天皇 (めいじてんのう)

〔ここまでだいぶ間が空いていたが,前段で一度とりあげた『産経新聞』の「社説」に再び戻り,紹介する〕

 安倍首相は今月の予算委員会で靖国参拝について「私が指導者として尊崇の念を表することは国際的にも当たりまえのことだ」と述べた。

 終戦の日の〔2014年〕8月15日や秋の例大祭の首相参拝を期待したい。安倍首相が奉納した真榊は,祭場を装飾する供え物だ。以前は,首相の靖国神社参拝と真榊奉納が普通におこなわれていた。

 首相自身,第1次安倍内閣の平成19〔2007〕年4月に奉納し,麻生氏も首相だった平成20〔2008〕年10月と21年〔2009〕4月に奉納した。靖国神社にまつられる戦死者の霊に哀悼の意をささげる行為だ。(引用・終わり)

「靖国と韓国 外相の訪日中止は残念だ 」
        『産経新聞』2013年4月23日「社説」 

 補記)この「以前は首相の靖国神社参拝と真榊奉納が普通におこなわれていた」という指摘は,前段ですでに言及したところだが,正確ではない。鳩山一郎首相と石橋湛山首相は,在任中参拝していない。

 この「普通におこなわれていた」という表現上の工夫は『産経新聞』流のいいまわしであり,〈ゴマカシの要素〉を密輸入させておくため用法であった。

 補記)「靖国神社に参拝した歴代首相」についてその一覧表。

安倍晋三が参拝した最後の首相
小泉純一郎が8月15日に参拝した最後の首相


 この一覧を観ていると,安倍晋三は意外と根性がない事実が伝わってくる。安倍は歴代首相のなかで最長の首相任期期間を誇ったにもかかわらず,たった1回しか靖国神社に参拝に出向いていない。

 ただし,だいぶ前段の個所で引照した『産経新聞』の社説が,「すなわち」首相は外交への影響を避けるため供え物の「真榊(まさかき)」を奉納することに留めておき,「みずからは参拝しない意思表示」(首相周辺)をしたつもりだったというふうに説明したのは,完全なる〈まやかし〉であった。

 その点は靖国神社の当事者が告白していた事情でもあり,真榊の奉納そのものは『参拝としての行為の意味』をそのまま意味するものゆえ,『産経新聞』が「安倍首相が奉納した真榊は,祭場を装飾する供え物だ」と説明した段落は虚偽に相当する。そうでなければ単なる無知。

 『産経新聞』さらにいわく,「靖国神社には,古屋圭司国家公安委員長と加藤勝信官房副長官も春の例大祭に合わせて参拝した。新藤義孝総務相は例大祭前日の〔2013年〕4月20日に参拝した。古屋氏は参拝後,『国のために命をささげた英霊に哀悼の誠をささげるのは国会議員として当然だ』と述べ」,「民主党前政権では,閣僚に靖国参拝の自粛が求められた。安倍首相は各閣僚の自由意思に委ねた。当然の対応である」と。

 補記)ところで参考にまで触れるが,戦前・戦中,外務省の外交官が通常の職務遂行中に命を落としても,靖国神社へ合祀すべき対象とはなっていなかった。ここでは,戦争の問題に靖国が直結させられている「戦争⇔勝利⇔督戦」性に留意しておく必要がある。

 靖国に合祀されたA級戦犯は,板垣征四郎 ・東條英機・松井石根・土肥原賢二・木村兵太郎・廣田弘穀・武藤 章・梅津美治郎・小磯国昭・東郷茂徳・永野修身・松岡洋右・平沼騏一郎・白鳥敏夫であった。だが,これら人物のうち軍人であった者が,戦場・戦地で死んだ事例はない。

 b) A級戦犯の合祀は,靖国神社側の気持ちに即してありていにいえば,アメリカ側(広くは東京裁判の結果)に対して “あかんべー” (相手に向かって下まぶたを引き下げ,赤い部分を出して侮蔑の意をあらわす身体表現)をし,やり返している気分にでも,なれたつもりであった。

 ところが,昭和天皇当人,この息子の平成天皇,そして孫の令和天皇も,東條英機以下のA級戦犯が合祀されている靖国神社を訪れることはない。次代の天皇になっても多分,同じに対応するはずである。

 東條英機たち自身が『死刑囚の〈英霊〉』として祭壇に祀られている靖国神社に,裕仁以後の歴代天皇が親拝にいくといった国家神道風の宗教的な行為は,天皇家のそれも「天皇直系の者たち」にとっては絶対にありえない。

 ところが安倍晋三は,21世紀になったいまの時代,この靖国神社:「敗戦神社=賊軍神社」に,それも東條英機らA級戦犯が合祀されていようがいまいが,首相の立場で参拝にいくといった行為じたいが,現代日本史の舞台においてとなれば,腸捻転的な意味の混沌をもちこむかについて,もとよりまったく無知であった。

 だからこそ「国のために尊い命を捧げた旧日帝の兵士たちの〈御霊〉が収められている」と信じこんでいるつもりになって,靖国神社に,勇んで出向くことになっていた。ところで,靖国神社の現状(一民間宗教法人)としての経営状況はかんばしくなくなっている。その衰退・消滅を危惧する同神社の関係者もいるくらいである。

 『朝日新聞』2020年9月19日夕刊6面「社会」が,こういう記事を掲載していた。         

   ★ 安倍前首相,靖国参拝 SNSに投稿,「退任を報告」★

 
〔2020年9月〕16日に内閣総辞職した安倍晋三前首相が19日午前,東京・九段の靖国神社を参拝したことを自身の公式ツイッターやフェイスブックなどで明らかにした。

 写真付きで「本日,靖国神社を参拝し,今月16日に内閣総理大臣を退任したことをご英霊にご報告いたしました」と投稿した。

 安倍前首相の参拝は,首相在任中の2013年12月26日以来,約7年ぶり。ツイッターなどへの投稿は,〔2020年9月〕19日午前10時ごろで,この日の朝に参拝したとみられる。写真には神社関係者とともに境内を歩く様子が写っている。

 安倍前首相は〔2020年〕8月15日の終戦の日には「自民党総裁 安倍晋三」の肩書で玉串料を納め,春と秋の例大祭には,真榊(まさかき)を奉納している。

 2013年の靖国神社参拝のさいには,A級戦犯合祀への批判などから中国や韓国が反発。米国も「失望している」との声明を出した。以後,首相在任中の参拝を避けたのは,中国や韓国などの近隣諸国や,日本と近隣諸国の関係悪化を懸念する米国に配慮したものとみられる。

『朝日新聞』2020年9月19日夕刊


 ここで注意しなければならない点があった。

 現在は,敗戦神社・賊軍神社になった靖国神社であっても,節目の機会をとらえては参拝にいくという行為は,安倍晋三が「国家神道としての靖国神社」神道を「自国の為政」と同次元でもってのみ,くわえては,自分の精神内においてのみ認識しようとした事実を教えている。「政教分離の原則」など無関係に,その種の宗教行為が実践されていたことになる。

 ただし,安倍晋三は自分の靖国神社参拝が国際政治に悪影響を与えるほかない点を,いやいやであってもアメリカ側からいちどきびしく教導されていた。それに対しては渋々であってもしたがうほかなかった「日本国総理大臣としての自分の立場」は,少なくとも在任中は守るように努力していた。

 その意味で安倍晋三は,日本の最高指導者として「アメリカへの服属体制関係」を認定・受容しており,これに逆らうことはけっしてできなかった。

 だから,首相を辞めてからの2020年9月19日になってからだと,ようやく靖国神社に「参拝できた事実」を,SNSを介して世間に公表していた。とはいっても,この公表の主な相手はもちろん,日本会議や神社本庁など安倍晋三を極右・反動の政治的な立場から支持する人びとや団体・組織に対する報告(実はおもねりだが)を意味した。

 もともと安倍晋三という政治屋においては,どのような宗教に対してであれ,まともな信心そのものを,宗教的な信仰心として抱いていた,とみなせるような確たる行動履歴はみつからなかった。ただ,自分が政治屋としての支持基盤を確保しておく便法としてならば,「靖国神社への参拝という行為」を大いに利用していたに過ぎない。

 要するに,安倍晋三は政治「家」として,自分なりに抱くなんらかの政治理念を支えるべき「宗教精神的な基礎」をもちあわせていなかった。靖国神社はその点では,あくまで自分の政治的な立場に都合のよい,つまり役に立つ宗教社会的な組織背景要因として利用されるに過ぎなかった。

 9「安倍前首相が靖国神社参拝,2013年以来」『AFP BB NEWS』2020年9月19日 16:00,https://www.afpbb.com/articles/-/3305492

 a) さて,2013年からは7年後となってからの前段のごとき報道は,安倍晋三が首相を辞めてから靖国神社の参拝にいった(ぞ),という記事であった。安倍晋三はそれまで,アメリカ側から下された「靖国にはいくなよ」という指図に忠実したがってきた。けれども,いまは首相を辞めた立場であるから,もう自分:個人の意思で靖国にいけることになった。

 一国の最高指導者が元・国営だった「敗戦神社・賊軍神社」にいくのに,アメリカの目線を全面的に意識した範囲でしか行動できなかったというのは,なんとも実に情けない事情ではないか。

 ということだったので,ともかくこの『AFP BB NEWS』2020年9月19日の報道を引用する。

 今週,首相を辞任した安倍晋三(Shinzo Abe)前首相が〔2020年9月〕19日,周辺諸国から日本の軍国時代の象徴とみなされている都内の靖国神社(Yasukuni Shrine)を参拝した。  

 安倍氏は,神殿の木造の廊下を白装束の神職に案内されながら歩く様子を捉えた写真をツイッター(Twitter)に投稿し,「本日,靖国神社を参拝し,今月16日に内閣総理大臣を退任したことをご英霊にご報告いたしました」と記した。

 安倍氏の靖国神社参拝は2013年12月以来。当時,中国・韓国両政府から激しい怒りを買い,友好的な同盟国である米国からも異例の外交的非難を受けた。それ以降,安倍氏は靖国参拝を見送っていた。(引用・終わり)

いついっても効能はあらたかなのか?


 靖国神社に合祀されている「東條英機らA級戦犯の〈御霊〉」も,その英霊の列にくわわっているのだから,安倍晋三は東京裁判史観に反対だとかいう以前に,大東亜・太平洋戦争じたいに旧大日本帝国が敗北したという事実も認めたくはない。

 そもそも,靖国神社は,自社が「賊軍神社にまで変転する運命(旧日帝の敗戦)」など予測・予定など,その戦争が終わる以前までは,まったく考慮していなかった由来・事情をもつ。かつては,明治政府にとって賊軍とみなされた旧藩の関係者たちは,徹底的に排除され,合祀の対象からは排除してきたのが,この靖国神社である。

 さて,敗戦後における靖国神社がたどってきた密やかな経過になかでは,「昭和天皇の立場(命運:サバイバル)」と引きかえる条件でもあったかのように,それも裏腹に進行していった事実が観取できる。いいかえると,東京裁判の結果として絞首刑にされた(「賊軍」とみなされた)「旧日帝の国家指導者たち」の〈御霊〉が,その後になにゆえか,わざわざこの靖国神社に「合祀された」

 そのために,靖国神社にA級戦犯が合祀されてから(その日付は1978年10月17日だった)というもの,昭和天皇自身がこの神社にいけなくなる,という絶対的な事情(障害)が生まれた。

 結局,敗戦後において延命できてきた「日本の天皇の立場そのもの」が「彼ら:A級戦犯の犠牲」を踏み台(交換条件)にして成立していた事実そのものを,ほかの誰よりも彼(裕仁)自身が深く承知していたからには,その踏み台を誰かに蹴飛ばされたりして外されたら,これはとてもではないがたまらない。

 しかし,その「たまらない靖国境内の状況」は,なんと靖国神社側の宮司がわざと作り出してくれたのだから,天皇裕仁の気持ちとしては,とうていやりきれなかった。

元宮内庁長官富田朝彦(1920-2003年)が残したこの富田メモは
2006年7月20日『日本経済新聞』朝刊が1面冒頭記事として報道した


 b) 敗戦後「占領」史における靖国神社が置かれた位置(地位)は,この神社じたいの国家神道的な存在形態に歴史的な問題(難点)があったとはいえ,そのまま存続を許されたかたちになっていた。

 また,A級戦犯とは無縁でありえたかぎりで,ひとまず「〈英霊〉を天皇が慰撫する」ための神社として存在しえてきた。ところが,A級戦犯が合祀されたとたん,この神社(敗戦神社)は一挙に「戦犯神社」「賊軍神社」であった《真の立場》を,より正直に表象させられるハメになった。

 靖国神社において昭和天皇が親拝の形式を採り,実質的にそこの祭壇で執りおこなう祭祀は「天皇の立場からかかわるもの」になる。それゆえ,そのA級戦犯に向かい頭を垂れる行為,それも国家神道式の宗教行為を意味するのだとなれば,

 この状況は天皇・天皇家にとっては,トンデモナない行為であるどころか,天皇一族全体の立場にとってみれば「国家宗教としての神道関係の〈存在的な全意義〉」が,全否定される事態を意味した。

 以上のごとき天皇・天皇家・一族側の事情(感情や気分にまでかかわる経緯)などおかまいなしに,またくわえて,靖国神社に21世紀のいまどきにあってもしも参拝にいくような行為が,いったいどのような宗教精神的な含蓄を有するのかといった論点すらよく理解できていない安倍晋三が,

 それでも,いかにも宗教心が厚いかのように演技してその神社に参拝する風景は,明治以来,国家神道にまで衣替えできたつもりである日本の神道という宗教全体〔の実はその一部分にしかすぎないのだが〕に対する冒涜になっていた。

 古代史において国家神道に相当するものが,なんらかの「原始的な形態」をまとって存在しえていなかったとはいえない。しかし,靖国神社はあくまで〈明治謹製〉であって,敗戦前にまでしか通用しえない,それも国家全体主義のための神道に悪用された施設として,その範囲内での存在価値しかもちえなかった宗教施設である。


 10 島田裕巳の意見


 1)「神社にして神社に非ず,宮司が好き勝手にできる」-「靖国神社・元ナンバー3が告発した『靖国が消える日』」の真意」『現代ビジネス』2017.08.03,https://gendai.ismedia.jp/articles/-/52443?page=3 から

 --靖国神社は,単立の宗教法人で,神社界の総元締めである神社本庁の傘下にはない。徳川〔康久〕宮司は宮司経験があるが,A級戦犯を合祀したとき〔1975年11月21日〕の松平永芳のように “神職の経験がない人物” が宮司になることが多いのも,それが関係するだろう。名家の一員であるかどうかがひとつの基準になっているように思われる。

 そのため,靖国神社の側は,国の意向や神社界の意向をくむことなく,その方針を独自に決定することができる。しかも,靖国神社を支える崇敬奉讃会は,戦争を経験した人間はもちろん,戦没者の遺族さえ少なくなり,その分,発言力を失ってきているようにもみえる。

 靖国神社が現在のままなら,首相の参拝も,天皇の参拝もむずかしい。そして,戦争を直接しる人間も消滅し,靖国神社への関心も年々薄れていく可能性がある。安倍首相が退任すれば,それに拍車をかけることになる。

 靖国神社の前身,東京招魂社の創建は1869〔明治2〕年のことで,再来〔2019〕年,創立150周年を迎える。これを,靖国神社の将来の姿についてあらためて考えなおす契機にするしかないのではないだろうか。


 2)「首相参拝よりはるかに深刻,靖国神社『天皇御親拝ゼロ』の衝撃」『iRONNA』2019年3月18日,https://ironna.jp/article/12143?p=3 から

 戦前の靖国神社は,内務省や陸軍,海軍両省が共同で管理する国の機関だった。その点で,靖国神社のあり方は国が決定した。しかし,戦後,靖国神社は民間の一宗教法人となった。しかも,その特殊な性格から,神社本庁には包括されなかった。それは,靖国神社のあり方は,神社側が決められるということを意味する。

 国の機関であった靖国神社が民間の機関になったことに最大の問題があり,また矛盾がある。靖国神社の国家護持の運動が盛り上がりをみせたとき,それを実現するには「非宗教化」が必要だとされた。内閣法制局も,非宗教化にはなにが必要か,具体的な指針も示した。

 靖国神社のことを国民全体で考え,そのうえで将来の方向性を定めるには,あらためて,非宗教化によって国の機関に戻す道を模索する必要もあるのではないだろうか。(以上で島田からの引用終わり)

 島田裕巳はこのように発言していたが,これは産経新聞社系のネット記事に投稿した内容だからか,いささか奇妙な意見「開陳形式」になっていた嫌いがないではなかった。

 「靖国神社の国家護持の運動が盛り上がりをみせたとき,それを実現するには『非宗教化』が必要だ」という指摘は,戦前体制における国営の靖国神社が「帝国臣民」に強いた宗教精神として,つまり,けっして非宗教では絶対にありえなかった「国家神道としての靖国神社の〈宗教的な役目〉」を彷彿させる。

 国家神道は非宗教なのであり,「国民の道徳・倫理」に関する教えだとして強制してきた,換言すれば,国家的次元における神道宗教を帝国臣民たちに強制してきた「歴史の事実」を,島田裕巳はまさか,いまの時代に再興させろというわけではあるまい。いまどき,この「非宗教化」の問題を靖国神社に対して想定するのは,宗教学専攻者からの発想とも思えない意見開陳であった。

 千鳥ヶ淵戦没者墓苑がある。靖国神社を非宗教化したら,その墓苑との区別が可能か? 靖国神社は国家神道の担い手であったからこそ,明治維新以来のその存在意義があったのであり,なんといってもそれ以外に用途はなかった。


 3) 靖国神社は1945年8月15日以降,「敗戦神社」になっていた。しかも,国際政治の次元では「賊軍神社」の位置づけになりはてた。これを東京裁判史観の結果だといって排除しようとしても,地球上に日本国しか存在しないのではないかぎり,強がり的に無理を叫んでいることにしかならない。

 靖国神社は本来,敗戦を機に廃社にしておけばよかった神社である。1945年8月15日を境に,海外にあった日本の神社は,なぜそうなったのかと問われるいとまもなく,一気にすべての社が無と化した。

 参考にまで触れると,日本本土の東京都心にあった靖国神社に関して昭和天皇は,心底では必死になってその存続を願っていたが,幸いにもそのとおりに,しかも,格別の支障などもなく存続させられる経過を見守ることができた

 靖国神社はもともと,帝国日本が海外(東アジア)侵略路線のために「尊い命」を奪われた(失った)臣民たちの魂を収納させておき,その荒ぶった怒りを鎮めるためでなく,現に生ける若者たちを兵士として勇気を抱かせつつ,さらに侵略戦争のために動員させるためのの施設であった。しかし,その侵略戦争は敗戦によって終焉させられた。

 結局,その侵略路線は破綻した。だから,靖国神社も,そのために生じてきた犠牲者を祀ろうとする国家神道的な施設として有していた「本来の役目」は,ほとんど果たせなくなっていた。だからまた,その存在はなんといっても,その必要性を根本から喪失したと判断されていい。単なる慰霊施設ではなかった「靖国の本質的由来と性格」をみうしなってはいけない。

 ところが,1945年までの侵略戦争がもたらしてきた「負の成果」である「臣民たちの犠牲者」--実質では「尊い命」などとはけっしてあつかわれなくなった者たち--の「神道的な概念で表現される〈御霊〉というもの」だけは,表面的には手厚く収納する国家神道的な宗教施設であった靖国神社が,それじたいとして完全に不要になっていたのではなかった。

 4)ともかく敗戦後もそのまま,一民間宗教法人としてだが,この靖国神社は存置されてきた。ここにこそ「ボタンのかけ違い」ならぬ「ボタンのかけ忘れ」があった。

 安倍晋三は首相を「退任したその報告」を,いわば246万6千余柱の戦争犠牲者が合祀されるというその靖国神社に参拝しておこなったというのである。だが,この前首相は戦争犠牲者だけを有権者であるとみなして拝むためにその神社に出向いたのか?

 「生きている・自分を首相にしてくれたはずの国民たち」よりも,九段下の「敗戦した賊軍用の幽霊神社」に合祀されている〈英霊〉たちのほうが,よほど大事だったとみうける(!?)。以上は,遺族会の存在はさておきの話題である。

 『朝日新聞』2020年9月19日朝刊24面「読書」で本田由紀が,「『あの日』はどう語られてきたか」という題目を付した文章のなかで,安倍晋三に関連してつぎのように語っていた。

 〔2020年8月6日〕平和式典における前首相のやる気のないスピーチである。国際政治のなかで宙づりにされ,フクシマの事故を経てなお原子力の脅威から目を背けようとする,欺瞞の言葉,形骸化した祈念がそこにはある。 

本田由紀

 補記)靖国神社に英霊として合祀されている戦争犠牲者にしても,広島・長崎に投下された原爆で殺された市民たちにしても,「尊い命」を奪われた事実に違いはなにもない。

 日本の兵士は戦わずしてその尊い命をうしなった者:餓死者が6割もいたと分析されてもいる。なお,その比率は4割ほどだったと混ぜっ返した秦 郁彦のごとき官製・官許派ごときの学究もいたが,たとえ6割が4割だったとしても,旧日本軍の本質理解に変質が生じると解釈できる事由にはなるまい。

 そのようにして死んでいった兵士たちも,靖国神社は〈英霊〉として合祀しているけれども,原爆で爆死した市民たちとは〈戦争の過程のなかで死んだ・殺された〉という1点に関して,なんら違いはない。

 なお,原爆投下の被爆者(一般市民)は,靖国神社に合祀されていない。しかし,軍人・軍属や,建物疎開などで動員されて被爆死した「動員学徒・報国隊等」の一部は,戦後に「準軍属」などのあつかいとして合祀された例があるという。だが,この判断基準には疑問ありであった。


 5) 結局,英霊となった兵士たちの御霊だけが「尊い命」をもつとはいえない。誰もがその尊い命はもっている。靖国神社の,そうした選別の論理に悪乗りした「21世紀における督戦:好戦」を意欲する安倍晋三(たちなど)は,軍国主義者,それも無知蒙昧なその信奉者という位置づけになる。

 この前首相は「戦後レジームからの脱却」を盛んに口にしていたが,その時代錯誤性が「対米服属路線」に組みふせられていながらの主張であっただけに,まったくその実質はともなわない「口だけ・いまだけ・ウソだけ」の提唱にとどまっていた。在日米軍基地などは,戦前においては,国内にはひとつもなかったはずが……。

 敗戦直後の昭和天皇は,旧・大日本帝国軍の代わりに在日米軍が自分を守ってくれることになって,日本国内の「戦後的な軍事秩序」を甘受せざるをえない政治意識のほうに,自分の気持を即座に適応させ転換していた。その変わり身の早さはみごとであった。

 それなのに,安倍晋三は「戦後レジームからの脱却」などと,21世紀になっていても,詮ない標語をかかげていた。いまの自衛隊3軍は実質,アメリカ軍の傭兵であり,しかもただ働きさせられるだけの軍隊組織になりつつある。そして,高市早苗は,そうしたこの国既存の軍事路線を堅守していくつもりの現首相である。

 昭和天皇がもしもいまに生きていたら,なんというか? 喜ぶか? それとも,昭和20年代史に抱くことになった本望の体現だといってくるか? 愛子天皇を望む日本国民たちの平均的な待望など平然と踏みにじった「麻生太郎と高市早苗の幽霊なるゾンビ・コンビ」のことだから,現在の落ち目街道をひた走りになっている自国のことなど無関心でいられるのかもしれない。
 
 極楽トンボが飛びかうこの国になったのは,いったいいつからだったか?

 【参考文献】


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