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従軍慰安婦問題の本質(8の補)-この問題を認めたくない立場の人びとへの文献案内など-

 1 戦時体制期(1937年7月7日-1945年8月15日)において,旧大日本帝国の軍人たちの多数派が戦地・戦場で体験・利用したのが従軍慰安婦

 a)「歴史の事実」としての確かな記憶は,国家の立場(旧大日本帝国)においても記録されてきた「従軍慰安婦問題の制度的存在」--兵站の重要な一環であったかそれとも軍備品の1種であったかなどその形式や要領などの理解や定義づけはさておき--じたいを,どうしても認めたくない人たちが居ることは確かなので,

 ここでは「本稿(8)」で文献としてもちだしてみた本,曽根一夫『元下級兵士が体験見聞した従軍慰安婦』白石書店,1993年を,この「本稿(8の補)」でも再度言及しておきたいと考え,その追編となる論述を編むことにした。

 戦時体制期に軍人として外地(戦場・戦地)に送られた兵士たちは,曽根一夫が回想録として率直に描いたその「戦地・戦場における従軍慰安婦問題」の「実際の様子,その現実の姿」を,全面的に否定できる者は誰1人としていない。

 しかしながら,それでも否定したい者がいたとしたら,その者は相当のウソつきである。あるいは,戦場・戦地において現実にあった「関連の諸事」をめぐっては,この場合,個人の立場において採る態度の問題となるが,あえて完全に無視の立場に徹しておけば,他者に向ける態度そのものとしてはひとまず,表面上の一貫性が保持できなくはない。

 b) 従軍慰安婦」から「従軍」という語を除外させろといった「用語の変更」をおこなわせ,教科書の記述におけるそうして表記の変更を,この問題が注目されてからしばらく経った時点になってだが,国家:日本政府側は強いた。

 だがそうしたところで,その「現実が実際にたどってきた歴史」の模様そのものに,なんら変わりはなかった事実そのものは,曽根一夫の本が単刀直入にしかもかなり網羅的に論及している。

 日本政府側の従軍慰安婦問題に関した表記の変更,「従軍」ということばは吹き飛ばしてしまい,慰安婦だけにしておけという強制指導は,旧大日本帝国が戦時体制期に実質,そもそも国家公認どころか,軍にその便宜を図らせ,それこそ軍隊の備品・施設として必要不可欠な制度として設置させつづけていたところの,

 まさに旧日帝が敗戦するその日までも「従軍しつづけていた慰安婦」という「人間(女性)集団の存在」模様に対して施した上塗り的な,つまり姑息な呼称にほどこした表現の強制変更(一部除去)であったのだから,これはずいぶんひどい「史実の隠蔽・歪曲」を試みたことになる。

 いってみれば,従軍慰安婦と関連する施設などは,旧軍が実際に常設させていた「必要不可欠の付加的な軍組織の一部」であった事実(恥部であったという履歴の積み重ね)であったゆえ,けっして自慢などできるはずもなく,またいえば,いざ敗戦後となってみれば,

 「戦争に負けてしまい,外地からおよそ660万人もの引き揚げ者のなかに大勢ふくまれていた兵士たち」の記憶から,従軍慰安婦という存在の記憶に限っては,外地(現地)に置き去りにしたかのように捨てることなど,ありえない「その後への記憶」が持続されていった。

 従軍慰安婦のなかには日本人女性も居たのであるから,彼女らの記憶としても,この軍慰安婦としての仕事・業務(?!)に就かされていた数多くの朝鮮人女性たちの存在が,その記憶からなくなるなどといったその後はありえなかった。

 しかし,彼女ら(日本人慰安婦)が別の彼女ら(朝鮮人慰安婦など)の存在史に触れることは,関連する文献史に照らして判断するに皆無に近い。同じ女性同士として観るに,そこにはそれこそ,なにやら底しれぬ「なんらかの差別感情」が介在していなかったとはいえない。

 c)従軍していた慰安婦」という存在だったゆえ,すなわち「従軍慰安婦そのもの」であった事実は,わずかも変えられない。本ブログのなかでは,こういう本もあったということで,その表紙カバーの絵柄だけだが,すでに紹介してみたことがある。この本は,1994年12月8日に公刊されていた。

この絵柄はまだ生やさしく描かれている
その事実は曽根一夫が実際に体験見聞した立場から詳細にかつ体系だてて報告している

この兵士たちの姿を数十倍の人数に増やしておき想定すべき図柄は
1人の従軍慰安婦に向かいコンドーム『突撃一番』を手にもって
彼ら集団が順番に相対していた構図になる

このコンドームの呼び方は陸軍におけるものであって
海軍では『鉄かぶと』と呼んだとか

 曽根一夫のこの本,『元下級兵士が体験見聞した従軍慰安婦』1993年は,戦時体制期に突入した当時の旧大日本帝国の軍隊が,中国との戦争を開始してからほどなく,必然的にという意味でも急に『従軍慰安婦』の制度的な導入の必要を感じた軍部(ここではとりあえず陸軍省といいかえてよい)が,

1993年発行

 いわば「国営慰安所」(曽根一夫,同書,77頁)としてであったが,日本軍が侵出していった戦地・戦場に,まるで軍隊の付設制度であったかのように「従軍慰安婦が営業する場所」を設営した(あるいは設営させた)のである。

 なお,曽根一夫は陸軍軍人としての自分の階級を「下級兵士」だと自称しているが,同書に載せてある写真は軍刀を手にしていた(のちに掲出する画像資料参照)。

 そこで,その付近の事情をしらべてみたところ,将校でなくとも軍刀を佩用する(できる)兵種もあった。なお曽根がどの兵種かはただちに判明しなかったが,すぐ後段で触れることにする。

 軍刀に関してはこういう事情になっていた。下士官・兵(帯刀本分者): 騎兵,憲兵,輜重兵などの「特務兵科や特定の任務に就く者」は軍刀を必需品とし,これらは官給品を受けていた。「三十二年式軍刀(片手直刀)」や「九五式軍刀(曹長刀)」などが用いられたという。また,基本的に将校は自費の「軍刀」であったのに対して,下士官・兵は官給の「兵器としての軍刀」を使用した。

 曽根一夫が佩用していた軍刀は「三十二年式軍刀(片手直刀)」と判断できる。当該の画像は後段にかかげる該当頁に載っているが,その現物の画像をここに参照しておく。

日本刀ではない旧陸軍が製作した軍刀

 なお曽根一夫は,本ブログ筆者が読んだ彼の本のなかからの知識だと,自分の階級を明確に記していない。

 ただ「砲兵隊の馭者」として,日中戦争当初から4年間を(1937年7月から)中国を転戦したというから,その間に下士官から将校(少尉)になるのは,年数的かつ軍歴的にも特別な条件があったので,とうていダメであったとしても,階級の一つや二つは昇進していたはずで,二等兵から上等兵には間違いなくなっていたと推定できる。

 また曽根一夫は「曹長を代行する任務」も経験したというから,1940年に新設された兵長になっていたかもしれない。それ以前から兵長の上には伍長という階級もあった。ここでは彼が,曹長のすぐ下の階級である軍曹にまでなっていたかどうかは,関連する情報がないので触れられない。

 補記)下士官の階級は「二等兵 ⇒ 一等兵 ⇒ 上等兵 ⇒ 兵長 ⇒ 伍長 ⇒ 軍曹 ⇒ 曹長」である。ひとまず1年ごとに昇進すると理解してよい。ただし原則であって同期兵の全員が必らず揃って同じに昇進していくのではない。上等兵になるにはそれなりに条件もあった。

 2 曽根一夫『下級兵士が体験見聞した従軍慰安婦』1993年の3-19頁の実物紹介

 a) ここでは本書の一部だけ,著作権を犯さない程度で紹介してみるので,興味をもった人はいまでは古本でしか購入できないので,こちらで買って読む気になれた人はそうしてもらうか,あるいは地元の図書館蔵書を検索してもしあれば,これを借り出して読むのも,またよし。

 ともかくこの本のなかに描いてある中身は,事実そのものをそれこそ赤裸々に,著者の体験のみならず見聞きしたことがらも併せてだが,従軍慰安婦がそれこそ兵站の不可欠の存在となって「歴史(戦史!)的に展開されてきた事実」を,真正直に語っている。

 曽根一夫は,こうも記述している。「私が犯した現地女性の人数はいちいち記憶していないけれど,少なくとも20人くらいだったと思う。それを基準として日本軍将兵が犯した現地女性の人数を換算したら,膨大な数字になると思える。もし慰安婦が従軍していなかったとしたなら,駐留してからも強姦がつづき,もっと被害者の人数が増えたに違いない」(204頁)と,それこそさらりと事実をありのままに,いっさい隠す気持ちなどもなく記述している。

 以下,画像資料にして紹介する10頁余である。

曽根一夫 3頁
4-5頁 前掲した軍刀を手にしている
目 次

 なお,この間の8頁は「白」ページであって,さらに9頁には章題「従軍慰安婦とは何か」という見出し文句のみ印字されている。

10-11頁
14-15頁
16-17頁
18-19頁

 b) また曽根一夫は,従軍慰安婦問題をめぐっては「吉田清治という人物」が虚偽の証言をおこなったということで,この問題(歴史の事実じたい)を絶対に認めたくない「一派」の人びとが,「鬼の首でも盗った」かのように騒ぎたててきた事件の以前にこの自著を公刊していた関係で,その後における吉田をめぐる騒動はひとまずしらない。

 というように言及してみたのは,曽根一夫の本のなかには,吉田清治の発言をそのまま紹介していた段落(45-48頁)があったからである。しかし,ここではひとまず,吉田の件は別考の余地がある論点だとのみ断わっておく。

 思うに,吉田清治がいったいどこの誰から聞きかじったのかどうか,このあたりに関したくわしい事情は当人が自白しておらず,いまだに不詳のままである。

 だが,それにしてもよくぞ「そこまで従軍慰安婦問題の実情」を,換言すれば,曽根一夫が当事者自身の立場(1人の下級兵士のそれ)から詳細に,その記憶を文字化して論じてみたこの当該問題を,吉田もまた別様にであったが,

 あたかも直接に関与してきた1人であったかのように,それも完全に本当の体験話であったかのように,きわめて臨場感をこめて「騙りえた」その「事実的な疑似物語性」は,かえって非常に興味を抱かせる創作話になっていた。

 c) この段落あたりの記述に関しては,曽根一夫を吉田清治と完全に同等視し,猛烈に批判するあるブログがあったので,紹介しておく。

 そのブログの論題は「真実を追究せず,政治的決着をはかる秦郁彦」『ソクラテス太郎より,アテナイ人じゃなくて日本人諸君へ 』2011年10月17日,http://nomorepropaganda.blog39.fc2.com/blog-entry-249.html と題していた。やや偏倚の感情がこもった筆致ゆえ,注意をもって接する余地があった。

 とりわけ,論旨としてなにをいいたいのか判読に苦しむのだが,基本的に支離滅裂気味の文面であると思わせたのは,どうしても否定してみたいのだが完全には否定しきれないままに,南京虐殺事件をめぐるこのブログ主の激越な感情ばかりが,前面に露骨に表出されていたからであった。

 本ブログ筆者が,この本稿に関連させて「いままでの本論・記述」中に登場させてきた人物3名を,なにがなんでも糞味噌風にごった混ぜしたうえ,南京虐殺事件の被害者数は4万人未満に抑えて理解しなければいけないといった主張をするごとき書き手ゆえ,従軍慰安婦問題のほうに論点をずらしていっても,「ともかくなんでも否定的に観察しておきたい派」に属する人士だとしか受けとれない。

 d) 曽根一夫の南京虐殺事件に関する記述に向かっては,上のブログ主は「全面否定せよ」と必死になって迫るが,なんといっても,この歴史的な大事件を控えめに評価することしか念頭にないかのような基本姿勢「大東亜戦争時代間」は,異様に映った。

 曽根一夫自身は自分が実際にかかわって実行した,中国人民に対する残虐行為「殺して,モノを奪い,人を殺して,火を点けて焼き尽く」じたいを,よくも悪くも淡々とした調子で語ることで告白していた。

 日中戦争中は泥沼化していた戦場において日本軍兵士たちが「中国人民にくわえた加害」は,むしろそうした語り口を通してこそ,より現実的にという意味でも鮮明に後世に生きるわれわれに伝わってきた。

 曽根一夫もまた,自分自身が悪行としてさんざん犯してきた「戦争犯罪行為」を,「体験し見聞した事例」をできるかぎり報告し,枚挙するかたちで旧日本軍の戦争犯罪を告白した。曽根はまたその記憶を反省すべき行為であった点は認めている。

 その認め方には異議を抱く者がいないことなどありえないにせよ,ともかく隠さずに正直に自分のその行為を「ほぼ完全に独白した」とみなしていい。しかし,そうした戦争の時代の体験を正直に話す旧兵士は,敗戦後になると「戦友たち」からは邪視されるほかなかった。その理由は説明するまでもあるまい。

 e) また『東史郎日記』熊本出版文化会館,2001年に対して上のブログ主は,「元参戦兵士の中には,マスコミや運動体に担がれて不正確かつ誇大に罪行を告白する語り部として登場する例が少なくない。田所耕三,中山重夫,曽根一夫,舟橋照吉等で戦友会などとトラブルを起こしているが,最も有名になったのは東 史郎上等兵」だと指弾していたが〔太字は原文のもの),戦友会ウンヌンを「価値判断の前提に置き基本線に引いた議論」は眉唾モノたらざるをえないゆえ,そのいいぶんを聞いたからといって,まともに受け入れる必然性にはいかない。

 要は,南京虐殺事件という史実そのものさえ,平然と軽評価して無視したがるだけでなく,できれば「フタをして密封したおきたい」,「関連する戦争史的事実には触れたくない,思い出したくない」といった口調にさえ聞こえる「敗戦後事情史的な意見」を,感情論的に吐かざるえなかった者の立場は,おおもとから問題含みであった。「戦友会のトラブル」なる事象からその内奥に読みとれる問題がなんであったかは,およそ簡単に観取できる。

 それでいて,そのブログ主はつぎのように,きわめて雑駁な自説を披露していた。 

 曽根一夫と言う人物が『私記南京虐殺』を出版した動機というのは吉田清治と同じだと考えられます。こんな作家の手記を虐殺肯定論の中心に据えて論理展開した秦 郁彦氏の主張そのものが根底から崩れたと言うことです。

「真実を追究せず,政治的決着をはかる秦郁彦」から

 f) 本ブログ筆者は,吉田清治に曽根一夫を同値化する見地を採らない。その必要を感じないのである。両名のあいだにあっては,質的になんらむすびつけられる要素がなかった。上に登場させたブログ主は,どうやら自分だけは「真実を追究する」立場を堅持しえているつもりだが,唱えている自説・意見は,我田引水という意味でも噴飯モノ的に破綻していた。

 なかんずく,曽根一夫は一下級兵士であり,吉田清治は民間人であって,しかもこの2人がともにとりあげていた従軍慰安婦問題の関連分野は,戦時体制史の進行のなかでは異領域に位置していたゆえ,その内容をどのように解釈し,意味づけるかという論点からして,前もって慎重な吟味・整理を要する。

 それなのに,あたかも「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」の要領で,なにもかもチャンポンにしたかような材料の取りあげ方をしたうえで,しかもその説法を強引に前面に押し出すような「自説の立論」をもってしては,なかなか他者を説得できまい。

 3「元下級兵士が体験見聞した従軍慰安婦」『読書メーター KADOKAWA Group』https://bookmeter.com/books/2696498(発売日,1993/11/30)の「みんなの感想・レビュー」として,つぎの記載があった

 日中戦争の始めから日本軍兵士として戦った曽根一夫さんによる従軍慰安婦についての本です。この曽根一夫さんは,他の人の話を聞いてその内容を整理して覚えている天才のような方です。

 『南京虐殺と戦争』で非常に感心しましたが,この従軍慰安婦についての本でも曽根一夫さんの能力が遺憾なく発揮されています。特に p.27~p.36 に詳細に出てくる素人の日本人女性が騙されて途中からは強制的に従軍慰安婦にされた2人の事例は貴重です。

 朝鮮人慰安婦はもちろん中国人慰安婦の話も出てきます。注目されていませんが,非常に価値のある本です。(YUTAKA Tさん) 2024/01/22

  YUTAKA T

 他の従軍慰安婦の本では,日本人女性の慰安婦は売春婦がそのまま慰安婦になったケースばかりです。

 『マリヤの賛歌』の城田すず子さんも,『従軍慰安婦・慶子』の笹栗フジさんも,悲劇は悲劇ですけど,前借金を受け取って内地の売春婦になり,それから,戦地の従軍慰安婦となっていますが,曽根一夫さんのこの本では,前借金も受け取らずに日本人女性がだまされて,最後は強制的に従軍慰安婦にされてしまうケースが出てきて,非常に驚きました。

 日本人女性についてもこんなにひどいのですから,朝鮮人に対しては当然にそれ以上だろうと思いました。 〔2024 〕01/22 02:09

日本人女性と朝鮮人「女性」に共通する要因は「女性」性である

 朝鮮人女性であっても日本人女性であっても,従軍慰安婦にされた彼女ら人生は,その女性の立場にとっては「生涯を一挙に破壊された」も同然の仕打ちになっていた

 平時における売春問題に引き付けて形容するとしたら,その最底面の地平においてこそ,戦争の時代における当該問題が,また別様に鮮明に一気に集約的に表現されていたと解釈する。

 この問題に関しては,その女性が何国人だという区分はありえず,いまふうにいえば,ジェンダー問題そのものとして共約させて語るべき論点となっている。

【参考文献】

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