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遠い記憶のカートリッジ──心に残った、あのファミコンの風景

7月15日。
今日は「ファミコンの日」なのだという。
noteの運営さんが「#心に残ったゲーム」で書いてみませんか、とそっと背中を押してくれたので、少しだけ、私の中にいまも灯っている記憶を掬いあげてみたいと思う。

ファミコンのゲームで、私のこころに、記憶に、そして嗜好にまで深く沁み込んでいる作品といえば、迷いなく――『FINAL FANTASY Ⅲ』

私はファミコンの直撃世代ではなかったけれど、兄たちがいたおかげで、ゲームという不思議な扉は自然と、幼い私の目の前に開かれていた。ファミコンに、スーパーファミコン。時折、擦れたような音を立てるあのカートリッジの世界は、いつしか私にとって、現実よりも鮮やかな場所になっていた。

その中でも、どうしようもなく心を掴まれたのが、FF3だった。

なにがそんなに良かったのか。
今、言葉にしようとすると、まず最初に浮かぶのは、音楽のこと。
ただフィールドを歩いているだけで、どこか遠くへ運ばれるような気持ちになった。見知らぬ草原、名もなき街、光の失われた洞窟。どの場面にも旋律が寄り添い、時に励まし、時に問いかけてきた。

あの音の記憶が、きっと私の好みをつくったのだと思う。
今でも、歌詞のある楽曲よりも、言葉を持たないインストゥルメンタルを好むのは、あの頃、無言の旋律に心を預けていたからかもしれない。

そして、忘れられない体験がある。
それは、浮遊大陸からの脱出と、地上世界の出現

それまで、あれこそが “世界のすべて” だと信じていた場所が、ほんの一片にすぎなかったと知ったあの瞬間。
テレビの画面越しに、思わず息を呑んだ。
世界は、こんなにも広いのだと。
狭い部屋の中で、小さなコントローラーを握る手が震えていた。

もうひとつ、強烈な記憶がある。
それはラストダンジョン――クリスタルタワーから闇の世界に至る、長く静かな絶望。
途中セーブができないあの設計は、いま思えば残酷ですらあったけれど、どこか儀式のような神聖さがあった。
簡単には中断できないから、親に隠れて潜り続けたダンジョンの夜。
あれは、子どものころの「執念」という名の冒険だった。

……もちろん、すべてが美しい思い出というわけではない。
FF3には、少しだけほろ苦いエピソードもある。

「ワンダースワンでリメイクが出るらしい」
そんな噂を聞きつけて、決して安くはないハードを手に入れた。
けれど、約束されたリメイクは、ついにそのハードからは姿を現さなかった。
当時は、それなりにがっかりしたものだ。けれど、その代わりに、偶然手に取った別のゲームが、思いがけず心を癒してくれた。

だから今となっては、愚痴をこぼすのは野暮というものだろう。


これが、私にとっての“ファミコンの記憶”。
忘れられないゲームと共に過ごした、あの頃の時間の吐露だ。

カセットを差し込むたびに、違う人生が始まる。
音と光と、わずかな物語だけを頼りにして、私たちは画面の向こうへ旅立っていた。
その風景は、大人になった今でも、どこか胸の奥で光っている。

そして今でも――ふと疲れたとき、あの草原の音楽が、心の片隅から聴こえてくる気がするんだ。

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