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「なぜ、勉強をしなければいけないの?」に対する回答に悩んだ話

当時保育園年長だった息子から「なぜ、勉強をしなければいけないの?」と言われ、即答できませんでした。恥ずかしながら、そんなことを考えもしないまま、40歳近くになってしまったからです。

みなさんなら、どのような回答をしますか?

勉強に関する経験や考えは人それぞれ

勉強に対する考え方は、その人の経験に根ざした形で語られることが多いです。「勉強してきたから(けど)〜」「勉強しなかったから(けど)〜」といった形で話されると、聞いている側は「そりゃ、あなたはそうなんだろうけど」と、かみ合わない原因にもなります。

オリンピック出場のような誰もが経験できないことと違い、多くの人が経験しているからこそ、誰もが自分なりの持論を持っています。でも、その個人的な経験から勉強についての考えを語るのは、危険であり違和感があるのではないでしょうか。

一般化のワナにはまってる?

「一般化のワナ」とは、自身の限られた経験を、あたかもすべての人に当てはまるかのように考えてしまうことです。まさに、勉強について語るとき、私たちはこのワナにはまっているのではないでしょうか。

その結果、誰かに話そうとしたり、誰かと議論したりする際に、違和感や話のかみ合わなさを感じ、思考が止まってしまう。そして、「まあ、とりあえず勉強しておこうよ」といった曖昧な結論に落ち着いてしまう。

哲学との出会い

そんな中、ドンピシャな本に出会いました。苫野一徳さん著『勉強するのは何のため? 僕らの「答え」のつくり方』(日本評論社)です。哲学に興味があったわけではありませんでしたが、タイトルに惹かれて読み始め、気がつけば哲学の魅力に引き込まれていました。

この本から学んだのは、哲学の最も基本的な態度は、「これは本当に誰もが納得できる考えなのだろうか?」と常に自問することだ、ということです。つまり、人それぞれ経験や持論があるけれど、「なぜ、勉強をしなければならないのか?」という問いに対して、誰もが納得できる答えを導き出そう、というわけです。

苫野さんは、この著書の中で次のように書かれています(唯一絶対の正解ではないとも書かれています)。ここに至るまでの思考の流れは、ぜひ実際に書籍を手に取って確認してみてください。

勉強するのは、最も根本的には〈自由〉になるためなのです。といっても、まだピンとはこないと思います。少し解説しましょう。ここでいう〈自由〉というのは、「生きたいように生きられる」ということです。もうちょっというと、できるだけ納得して、さらにできるなら満足して、生きたいように生きられているという実感のこと。これが〈自由〉という言葉の意味です。

勉強するのは何のため? 僕らの「答え」のつくり方 日本評論社

私は、過去のnoteで「教養とは自由な学びから得られる心の豊かさ」ということを書いていました。私にとっても、勉強や教養といった学びに対する考えとして「自由」というのがキーワードとしてあることを、あらためて実感してます。

うやむやにしてきた問いと向き合う

今回、息子からの「なぜ、勉強しなければいけないの?」という問いを考える中で、私自身、答えを出せないままにしている問いがまだたくさんあることに気づきました。今後子どもに問われるかもしれない「生きる意味」や「働く意味」「社会のあり方」といった根源的なものから、自分自身が抱える人生や仕事の悩みまで、その種類は多岐にわたります。

それらの課題に対し、この度出会った「哲学」を学びながら、自分なりの答えを見つけていきたいと思います。息子にも、今私が感じているこのワクワク感を伝えられたらと願うのですが、自身の言語化能力の低さにやきもきするばかりです。(ひとまずは、部屋で黙々と読書する背中を見せています。)

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