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短編小説 『草原の血』

黒豹コメント:

【お詫び】
『誤削除復活版』なので、頂いた沢山の「スキ」と「コメント」が消滅してしまいました。大変申し訳ございません。

男同士が命をかけて戦うことは、古来変わらぬ宿命だ。だがアフリカでは、軍の戦術として組織的性暴力が常態化している。それは兵士の欲望を満たすのが目的ではない。恐怖心で人々の心が破壊され、やがてコミュニティは崩壊する。現代の情報産業が、アフリカの女性や少女の犠牲の上に成り立っていることは誰も知らない。
残虐なシーンが多いです。苦手な方はどうぞスルーしてください。
(ジャスト1万字)
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『草原の血』


 百熱の太陽が影を潜め、遠く川面の漣が金色に輝き始めた。

 ここはコンゴ中南部の河港都市イレボ郊外の熱帯雨林を流れるカサイ川の上流。下流はナイル川に次ぐアフリカ第のコンゴ川に合流し、大西洋に注ぐ。

 コンゴ川水系は淡水魚の聖地とも呼ばれ、鯉に似た小魚から2メートル近くにもなるムベンガのような怪魚も生息している。

「イサ、そろそろ来るぞ! 銛の準備だ」
 義父のケレが声をひそめた。

 夕日が川面を照らし始めると岸辺に小魚が集まる。それを追って大きな魚も寄ってくる。キラキラと光る川面を透かし見ていると、黒く大きな影が近づいて来るのがわかった。

 イサが狙っているのは、小魚を捕食する大型ナマズだ。

 イサは、暗く淀んだ川底を這うように近づいて来る巨大な影をとらえた。

 1メートルは優に超えそうだ。

「今だ!」
 ケレが小さく叫ぶ。

 ケレが若いころ、全財産を叩いて買ったというブビンガを削り出した銛竿の長さは5メートル。先端が鈍い光を放つ手銛が、黒い魚影の頭部を目がけ打ち込まれた。

 銛竿を握る手に確かな手応えがあった。イサの全身に、水中で暴れる獰猛な闘魂が伝わってくる。かなり、大きい。

 矢じりの形をした銛先には細いロープが結ばれている。命中すると、銛竿の先端から自動的に外れるようになっている。

 魚は暴れながら深みへと逃げようとする。銛先には返しがあり、刺さったら最後、抜けることはない。

 凄い力だ。ロープを巻き付けた手から血が滲んできた。
 このままでは川に引きずり込まれる。

「ロープを体に巻くんだ!」
 ケレが大声で叫んだ。

 イサはロープを引いたまま体を一回転し、体重をかけながら獲物が弱るのを待った。

 岸に引きずりあげたナマズは1.5メートルほどあった。 

 町に出てこれを売れば、家族で2週間食べる米を買うことができる。人は、木陰で休みすることにした。

 ケレがいつもの昔話を始めた。

 それは何回聴いても面白い、四千キロメートルに渡るアフリカ横断冒険記だった。

 ケレは少年のころ、ケニア・モンパサの漁師だった父の手伝いをしながら人で暮らしていた。

 ある日、沖にマグロの大群が来るという情報が入り、朝早くに小舟を操り、大海原に乗り出していった。だが、夜になっても父は帰らなかった。

 天候が急変し、沖に出た小さな漁船はひとたまりもなかったろうと、老漁師が話していた。

 天涯孤独となったケレは、海賊の誘惑を断ち切り、旅に出ることにした。

 ケレは小柄だったが、ボクシングが好きだった。

 後に「キンシャサの奇跡」と呼ばれた、コンゴ民主共和国の首都キンシャサで行われたヘビー級世界タイトルマッチで、挑戦者モハメド・アリが王者ジョージ・フォアマンに逆転勝利した。

 コンゴの人々は、アメリカの国家権力に屈しなかったアリを、アフリカのヒーローとして歓迎した。

 ケレは、同胞が足跡を残した、コンゴ西部のキンシャサに希望の光を見た。

 ケニアから、ウガンダ、タンザニアにまたがるアフリカ最大の湖ビクトリア湖を渡り、ウガンダに入る。

 ウガンダには一年ほど滞在した。
 小学校しか出ていないケレが英語を話すことができるのは、ウガンダの公用語である英語を学んだからだという。

 ウガンダから西へ西へと、雨後の水溜まりでのどを潤し、鼠やミミズを食べながら移動していた時だった。

 突然、蛮刀を振りかざす集団が襲い掛かってきた。

 あわや首を切断されようとした時だった。鋭い風切り音を残し、たくさんの矢が飛んできた。武装集団はジャングルへと逃げ込んで行った。

 そこは、ピグミー族の居住地として有名なコンゴ東部の「イトゥリの森」だった。ケレは仲間に入れてもらい、狩猟を学んだ。

 コンゴ東部は政情不安を抱えるルワンダからの難民が押し寄せ、犯罪者や武装勢力も混じり極度に治安が悪化していた。

 ケレの目が光ったのは、ツチ族と人口の大半を占めるフツ族から成るルワンダの話になった時だった。

「息子よ、未開の地を掌握しようとする時、1割の異種民族が混ざっていたとする。お前ならどう統治する?」

「そりや多勢に無勢だ。9割の人々に統率させるさ」

「その通り、普通ならそう考える。だが、白人はそう単純ではない」

「え、どういうことだよ?」

「アフリカを統治してきた白人は利口だ。まず自分たちの安全を考える。アフリカは祖先が共通の様々な血縁集団で生き抜いてきた。上下はない。そこに、あえて少数派に権力を持たせることにより、真の憎しみを目先の標的へとそらすんだ」

「妬みを餌に仲間同士で戦わせるということか。でもどうやって?」

「簡単なことだ。少数派だけに銃器を持たせればいい。それが持つ者と持たざる者の宿命だ。俺が育ったケニアはより巧妙だった。白人の贈り物だった鉄道はもろ刃の剣だ。彼らはそれを鉄の蛇として利用し、アフリカを搾取し続けてきた」

 イサは、10年ほど前、ルワンダで百万人とも言われるジェノサイドの噂を聞いていたが、白人の陰謀が原因だったとはにわかには信じられなかった。
 ただ、アフリカの大地に、何かとてつもない大きな魔の手が入り込んでいることだけは確かだった。

 辺りはすっかり暗くなった。

 イサはズシリと重い川の幸を背負い、二人は家路についた。

 家族は、キンシャサの戦火から逃れ、千二百キロほど東のカサイ州イレボ郊外の難民村に身を寄せていた。

 妻のラナと義母のマタイは、わずかな畑地でキャッサバ芋を作る。電気も水道もない貧しい生活、二人の子供はあばら骨が浮き出ていた。

 ナマズに頼る生活には限界が来ていた。

 家族は危険を承知で、レアメタル鉱山の手配師に勧められたイレボから南に百キロほど離れた鉱山居住地に移動することになった。

 中央カサイ州の州都・カナンガにも近い鉱山の採掘現場は、想像を絶するものだった。装置や機械の類はどこにも見当たらない。

 さび付いた長い鉄棒一本だけを支給され、巨大な蟻地獄のような崖を下りて行く。

 採掘現場の泥水の中で、沢蟹のように蠢いている小さな背中が目に飛び込んできた。

 屈強な作業員にまじり、まだ10歳にも満たない少年たちが働いていた。

 子供たちは皆小さな背を丸め、泥の塊を川の水で洗浄し、スマホやパソコンに使用される貴重なコルタン鉱石を洗い出している。

 毎日、カラシニコフ製AK―47の銃口に怯えながら、手指から血が滲む手掘り作業が続いた。

 だが、血と汗の中から稼ぎ出す現金は貴重だった。
 たまには、行商人が持ってくるトウモロコシの粉で作ったパンや、骨付き鶏肉も食べられるようになり、家族にわずかな生きる希望をもたらした。

「お疲れさん! 大変だったわね」

 ラナが、稼ぎの1000CFAを受け取りながら笑顔を向けた。

 イサは、妻の笑顔を見ると、祖国の大地を犠牲にする稼ぎの矛盾も、口に出すことはできなかった。

「あぁ、やっと体が慣れてきた。ケレ、腰はだいじょうぶか?」

「ああ、モンパサの青い海を思い出すと、少しは痛みも和らぐ」
 ケレが痛みを隠すように、目じりに皴を刻んだ。


 それから2年が経った。

 その日は特に暑く、疲れで腰痛が悪化したケレは休むことになった。イサは、ラナの笑顔に送り出され、鉱山へと向かった。
 
 終業の時間までは、まだ少し早い時だった。
「家族に女子供がいる作業者は、すぐ帰宅せよ!」
 自動小銃の銃口を大地に落とした監督が、いつになく緊張した声を張り上げた。
 何か悪い情報が入ったに違いない。胸騒ぎが襲ってきた。
 足裏に血が滲むほど走り、村に着いたイサは、変わり果てた惨状に目を見張った。

 他の男たちも呆然と立ち尽くしている。

 戸口や窓から、逃げ遅れたと見られる女たちの血に濡れた手や足がのぞいている。イサはもしやと、我が家へと走った。

「みんなだいじょうぶか? ケレ、どうした! その足は――」

 転がるように家に飛び込んだイサは、土間の血だまりの中で虫の息になっているケレと、彼を抱きかかえるマタイに駆け寄った。
 右足首の上が皮の紐で縛られ、その下にあるはずのものが無い。血は辛うじて止まっているが、マタイがさすっている顔の皮膚は土気色に変わり始めている。

「ラナと子供たちはどこだ!」

 イサが奥の部屋に向かおうとした時だった。ケレがイサの足首をつかんだ。

「行ってはいけない――」
 ケレが虚ろな目で、顔を横に振った。

 ケレが話した地獄の一部始終は次のようなものだった。

 ケレが、山の麓の畑でキャッサバ芋を掘り起こしていた時だった。
 迷彩色の軍用トラックが土煙を上げながら村に向かって来るのが見えた。
 金目のものは何もなく、女子供しかいない集落に大挙して押しかける理由はつしかない。

 ケレは鍬を放り出し、家の中に駆け込んだ。ラナは夕食の芋をすりつぶしながら、イサの帰りを待っていた。
「ラナ! 子供らをつれて裏山に逃げるんだ。奴らが襲ってきた」
「え、大変だわ、お母さんも早く!」
 ラナは母のマタイを急かした。
「オラ、もう山道は走れね。子供をつれて、はよー行け!」
 ふと見ると、子供たちの姿が見えない。ケレとラナは家の周りを探し回った。

 子供たちは隣の家で遊んでいた。

「おまえたちはあの丘を越えて逃げろ! 俺はマタイを連れてくる」
「お父さん、その腰では無理だわ。私も行く」
 ラナは、人の子供を諭し、山の方向に逃がした。

 人が家に戻った時は、すでに武装集団が村に乱入していた。

 兵士が、女たちに次々と襲いかかっていた。

 マタイは怯えた表情で、土間の隅に縮こまっている。
「お母さん、早く一緒に逃げよう!」
 人は、マタイを両脇から抱え、外に出ようとした時だった。

 戸口に若い兵士が現れた。

 隣の家からは女の悲鳴が聞こえてくる。
 
「おぉ、こんないい女がいたとはな――へへへへ」
 兵士が、血走った目を光らせ、よだれを拭った。

「こらー、娘に手を出すな!」
 ケレが若い兵士に組み付いた。

「このおいぼれが邪魔すんじゃねぇ!」

「ラナ、早く逃げろ!」

 ケレは銃の台尻で頭部を打ち降ろされながらも、若い兵士の腰にしがみついている。
 ラナはケレの顔が血に染まるのを見ながら、包丁を片手に、反撃の機会をうかがっている。

 腰を抜かしたマタイは、部屋の隅ににじり寄り、地獄を見る目でこの様子を見ている。

 そこに、人目の兵士が現れた。若くはないが、蛮刀を下げ、処刑人のような冷酷な目をしている。
 処刑人は、仲間の足にしがみついているケレの右足首を狙い、蛮刀を振り下ろした。

 骨を断つ音が、ラナの悲鳴と重なった。
 父の惨たらしい姿を見て、包丁を落とし、土間に崩れ落ちた。

 若い兵士が、ラナの髪を鷲づかみにした。
「命だけは助けてやる。大人しくしろ!」

 若い兵士が、ラナに銃を突き付けながらベルトを緩めた。

「まてー! こらぁー」
 ケレは必死にその足にしがみつこうとする。
 だが処刑人に腹を蹴られ、ついに動けなくなった。その時だった。

「おい、そろそろ引き上げるぞ! 男たちが帰ってくるころだ」
 立派な髭を生やした、武装集団の隊長らしき男が入ってきた。

 マタイは泣きじゃくりながら、足首のない夫の足にボロ布を巻きつけ、噴出す血を必死に止めている。

「隊長、これからってところです。もうちょっと待ってくださいよ」
 若い兵士が、にやりと笑った。

「いい女を見つけたな。そいつは俺が先だ」

 ラナが絞り出すように、懇願した。
「大人しくするから、父母の前でだけはやめて!」

「おまえたちはここで待っていろ。後からたっぷり楽しませてやる」

 隊長が、だらりと放心したラナを寝室へと引きずって行った。

 それからしばらくラナの悲鳴が続き、最後に断末魔のような叫びが聞こえ、静かになった。

 微かにカチャカチャというベルトを締める音が漏れてくる。

 隊長が、何食わぬ顔で部屋から出てきた。

「おお、引き上げるぞ!」
 隊長が、ベルトを緩め始めた部下たちに言った。

「隊長、それじゃ約束が違います――」

「女は舌を噛み切って死んでしまった。ベッドは血の海だ」

 部下たちは、顔を曇らせ、チッと舌を鳴らすと、不満の言葉を吐きながら出て行った。

 止めを刺すつもりなのか、隊長が戻って来た。
 無言でケレに近づいてくる。

 ケレは最後の力を振り絞り、一緒に死のうと、包丁を握り、マタイのそばに這って行った。

 だが、信じられないことが起こった。

 隊長が、編み上げの戦闘靴から皮紐を引き抜き、血が滲むぼろ布の上からきつく巻いた。止血してくれたのだ。

 隊長が、低く言葉を残した。
「近いうちに、別な武装グループが襲って来る。他国の傭兵部隊だ。今度は皆殺しになるだろう。もう鉱山はあきらめろ。原野に逃れ、パイソンハンターにでもなった方がまだ生きる道はある」 

ケレが、この世の終わりという表情で話し終えた。

イサは、拳を握り締め、嗚咽を堪えた。

 ふと、話の展開に、つだけ腑に落ちないものがあった。
 ラナが舌を噛み切るほどの蛮行を働いた人間が、なぜケレの命を助けてくれたのだろう――。
 
 イサの脳裏に、何かが閃いた。

「ラナ!」
 イサは叫びながら、寝室のドアを開けた。

 ラナが部屋の隅で、毛布に包まりうずくまっていた。
 イサが声をかけると、泣きながら抱き着いてきた。

 ラナが語った地獄と天国のからくりは次のようなことだった。

 隊長に引きずられ寝室に入った。

 ラナは覚悟を決めた。だが、信じられない展開が待っていた。
 隊長は、ベルトを緩める音だけを出し、部屋の隅の丸椅子に掛けている。

 ラナをじっと見つめ、声を押し殺した。
「いいか、悲鳴だけを上げていればいい」

 ラナは瞬、何を言われているのか理解ができなかった。
「俺はあんたに何もするつもりはない。ただ、それでは部下たちに示しがつかない。悲鳴を上げさえすれば、全ては終わる」

 ラナは言われたとおりに、悲鳴を上げ続けた。

「最後にひと際大きく叫ぶのだ。おまえは俺に襲われ、下を噛み切り自害したのだ」

 ラナは言われたように渾身の力を込めた。

「それでいい。しばらくここに潜んでいろ」

「なぜ、助けてくれたの?」
 ラナは震える声で、隊長の背中に声をかけた。

「俺の娘たちは政府軍の兵士たちに襲われ、手足を切断された上にトウモロコシ畑に無残に捨てられていた。たった人の息子も母親の腕を切断するよう強制され、子供兵として連れ去られた」

 隊長は、自分の娘を見るような目でラナを見ると、部屋を出て行った。

 ラナが、今でも信じられないという表情で話し終えた。
 
「どこの世界にも、千人に人ぐらいはまともな人間もいるさ……」
 やっと正気を取り戻したマタイが、ケレの顔にこびりついた血を拭いながらつぶやいた。

 たったつ、子供たちが地獄の光景を見なかったのは不幸中の幸いだった。

 この襲撃は、政府軍の管理下にあるコルタン鉱山で働く人々の村を標的にしたもので、労働者コミュニティが破壊された鉱山はほどなくして閉鎖された。

 再びイサの家族は、難民キャンプや山地の開墾村を転々としながら、飢餓の生活を強いられた。

 右足を失ったケレは、自分で木を削り義足を作ったが、開墾の重労働ができなくなった。

 イサは、日雇いの道路建設工事現場で汗を流し、辛うじて家族を支えていた。家族は、日に日に、貧しさの蟻地獄に落ちていった。

 イサは、武装集団の隊長が話したというパイソンハンターのことを思い出した。

 パイソンハンターとは、ヨーロッパなどで高価な装飾品として珍重されるアフリカニシキヘビを狩る仕事で、ワシントン条約にも抵触しない合法的な仕事だった。
 ただ、誰かが死を覚悟でオトリになり、一瞬の隙にとどめを刺すという恐ろしく危険な仕事のため、なり手は稀だった。

 問題は、体格に恵まれたイサのたった一つの弱点は大蛇だった。
 少年のころ、母が大蛇に飲み込まれる現場を目撃したトラウマが、未だに尾を引いていた。

 家族は放浪の末、昔パイソンハンターだったという長老が住む村にたどり着いた。

 粗末ではあるが、家族が力を合わせて家を建てた。

 ケレはナマズの世話をし、ラナはキャッサバ芋を作りながら家族を養っていた。生活は貧しくても、以前にはない笑顔が戻ってきた。

 そんな時、村に不吉なことが起こり始めた。

 最初の事件は、村はずれの沼で飼っていた大ナマズが1匹もいなくなった。1メートルを超える大ナマズは、ケレが餌をやりながら育てたものだ。
 村の祭りに捧げられる貴重な食料だった。

 次に起きた事件は、ヤギ小屋からヤギが1頭ずつ消えていった。
 ライオンや豹などの猛獣が襲ったとすれば、手足の食い残しぐらいはあるはずだが、滴の血も残っていなかった。

 何か巨大な恐ろしいものが、村に迫っている気配を覚えた。

 これはパイソン以外には考えられない。それもかなり大きな奴だと、長老が断言した。
「この辺り帯は、元々パイソンの生息域だった。奴らにしても、人間が自然を壊し、そこに移り住んでくれば死活問題に違いない。だが我々も、武装勢力に追われ、逃げ場はここしかないのだ。パイソンには気の毒だが、生きるためには狩るしかない。ただし、狩るのは我々に危害を加えた時に限る。パイソンがいなくなれば、ワニやライオンの天下となる。生態系のバランスが崩れれば、いつか私たちにも限界が訪れる」

 長老がリーダーとなり、大蛇狩りチームを作ることになった。

 すぐに、足腰のしっかりした男たちが集められた。
 大ナマズの餌係だったケレも、悲しみから自ら志願した。ラナは止めたが、友達のように懐いていたナマズを失った彼の決心は硬かった。

 集まった男たちは皆高齢で、なぜか声を上げないイサは、ラナに勧められ参加することになった。

 イサが大蛇が苦手だと知る者はなく、若く精悍な男を、皆喜んで迎え入れた。

 女たちは夜通し、捕獲用の網を縫った。男たちは、古びた鉈や蛮刀をかき集め、刃こぼれを直し研ぎ上げていった。

 パイソンはジャングルの中に棲を作らない。
 ジャガーなどに巣を嗅ぎつけられ、穴から頭部を出した瞬間に牙を立てられたら、ジャングル最強の大蛇も生き残る道はない。
 逆に密林や草原で、最大9メートルと言われるパイソンとの一騎打ちなら、百獣の王と言われるライオンも骨を砕かれ、胃液で融かされる運命となる。

 長老は、ナマズ沼の方角にパイソンの住処があるとにらんだ。

 武器の準備が終わり、いよいよ出発の早朝となった。

 10羽の鶏の首が跳ねられ、滴り落ちる鮮血をバケツに受ける。
 オトリの足に塗る大蛇誘引の血は、さらさらしても固まり過ぎてもいけない。

 ドロリとなる頃合い、約2時間を逆算し、9人の戦士は村を出た。
 ナマズ沼を過ぎ、起伏のある草原を目指す。

 パイソンは大きくなればなるほど用心深くなる。それが長生きの理由で、最大級になると30年も生き続ける。

 パイソンの嗅覚は鋭い。視力は弱いが、昼も夜も同じように見える特徴を持つ。下あごで微妙な振動を感じ取り、人間はもちろん、ネズミが這いまわる微かな振動も察知できる。長い舌をちょろちょろと出しているが、決して遊んでいるわけではない。獲物の臭いを感じ取っているのだ。気づかれずに背後に近づいたと思っても、ちょろちょろと舌を出し始めたら、もう奴の射程に入ったと覚悟をしなければならない。もうつ、最強の武器はピット機関と言われる赤外線センサーだ。非常に精度が高く、獲物や外敵の体温を検知することができる。パイソンは、これら視覚、嗅覚、振動検知、赤外線検知の総合力で、獲物や敵を認識する。

 目指すは土ブタが掘った穴だ。パイソンは、他の動物が苦労して掘った巣穴を横取りして潜んでいる。もちろんそれまで棲んでいた動物はすでに餌となっている。

 じりじりと焼けつく砂地を進んでいる時だった。

「皆、止まれ――」
 長老が手を上げ、声を押し殺した。

 小高い丘の下に、両足がすっぽりと入りそうな穴があった。
 いかにも何かが潜んでいそうな気配が漂う。

 パイソンを仕留めるには、誰かが死を覚悟でオトリの足を噛ませ、巣穴から引きずり出した瞬間、頭部の急所を突きにする以外に方法は無い。

 誰が噛ませ役になるかの話になった。
 突然、足を引きずりながらついてきたケレが手を挙げた。
 皆、驚きの目を向けた。その視線に歓迎の色は無かった。

 イサは覚悟を決めた。
「俺に任せてくれ!」

 誰もが納得の声を上げた。だがケレだけは、悲しげな目を落としていた。
 彼は全てを知っていたのかもしれない……。

 左足にぼろ布を何重にも巻きつけ、鶏の血をどっぷりと染み込ませた。

 イサは両足を揃え、恐る恐る穴に入って行った。
 大蛇の攻撃は素早い。いつ噛みつかれて引きずり込まれるか分からない。

 イサの胴には太いロープが巻き付けられている。
 ロープを握った4人の引き手が息を殺し、腰を落としている。

 その時だった。

 突然、何かがイサの左足を飲み込み、咬みついてきた。

 恐ろしい力で穴の奥へと引きずり込んでいく。

 あっという間に、体が脇の下まで沈み込んだ。

 イサは叫んだ。
「奴だ! 奴が咬みついてきた。凄い力だ。早く引き上げてくれー」

 足首に、ぼろ布を貫通したパイソンの牙の感触が伝わってくる。

 イサは死の恐怖に、顔から血の気が引き、脂汗が噴き出してくるのが分かった。

 四人の足裏が、台地を滑り始めた。

 長老の指示で、残りの2人がそれぞれイサの手を握った。

 パイソンの力は人間たちの力をはるかに凌駕していた。

 体がずるずると穴の奥に引きずり込まれていく。

 徐々に肩が伸び切り、顔が穴に隠れようとした時だった。

 ケレが足を引きずりながら飛び込んできた。

 猛然と穴の周りを崩し、自らも穴に入ると、イサにしがみついた。
 ケレの体が楔となり、動きが止まった。

 イサは、伸び切ろうとする左足を渾身の力で耐えた。

 さすがに大蛇も、8人の抵抗には敵わなかった。

 ロープを引く掛け声と共に、2人は徐々に、徐々に、穴の外へと引き上げられた。

 格闘すること30分。イサの足首をすっぽりと呑み込んだ大蛇の頭部が見えてきた。

 大蛇の牙はすべて喉の奥へと向かっている。一度咬みついた牙は、ぼろ布が絡みつき、逃れることはできない。

 長老がナイフを取り出した。

 足を飲み込んだ大蛇の頭部に鋭い目を走らせる。

 大蛇の頭部の目と目の間を額板と言い、その後ろに頭頂板と呼ばれる大きな鱗がある。その中心に大脳があり、損傷を与えれば徐々に死へと向かう。

 長老が、急所にナイフを突き立てた。

 大蛇の目が、ギラリと光ったように見えた。

 反射的に牙に力が込められ、イサは呻き声をあげた。

 ケレが手製のナイフを取り出し、止めの一刺しを浴びせようとした時だった。長老が、ケレのナイフを抑えた。

「気持ちは分かるが、すでにパイソンは死へと向かっている」
 長老が、静かに諭した。

 神の化身への畏敬の念を忘れてはいなかった。

「牙の力が弱まってきた――、もう少しで足が抜けそうだ。誰か大蛇の首を押さえてくれ」
 イサが初めて声を上げた。

 動きは鈍っているが、蛇体はまだまだ巨大なパワーを秘めている。

 ケレが、大蛇の首を両手で握り締めた。

 大蛇が口を開け始めた。

 イサは、そのタイミングを逃さなかった。
 ずるりと血の滴る左足を抜き、体制を整えた。

「絶対に首を離すな――。そのまま俺に渡してくれ」

 イサの手は大きい。左手で大蛇の首を握った。
 大蛇は百八十度に口を開け、牙をむく。ナイフが上あごを貫通した傷口から、大量の血が滴り落ちているのが見えた。

 数人の引手が、イサの右手を握り、掛け声を上げながら大蛇を引きずり出しにかかった。

 大蛇が徐々に、不気味なダイヤモンドの連なりを見せ始めた。時おり巨体を波打たせ、その反動でイサの左手から頭部を外そうとする。

 全員が渾身の力で、大蛇を引きずり出していく。

 手を離せば巻の終わりだ。

 大蛇は例え頭部を切断されても、本能的な動きに変化はない。あっという間に穴深く潜り込んでいくだろう。

 ついに想像を絶する蛇体の全貌が姿を現した。

 大きさからすると、ナマズやヤギを飲み込んだパイソンに違いなかった。

「よーし、あとは自由にしてやれ」
 長老が口を開いた。

 だがイサの5本の指は固まったままだ。

 ケレが、大蛇の首から、1本、1本、指をはがしてくれた。
 すでにパイソンには、牙をむく力はなかった。

 五感を失った大蛇は、同じところを這い回り、惨たらしい姿をさらしている。

 イサは、母親の最期を思い出した。
 だが、報復の満足感とは程遠いものが胸を占めつけてきた。

 パイソンが人間に地獄を見せるのは自然界の掟。方では、死にゆく者の地獄を楽しむ兵士がいる。善悪を唱える者の中にこそ、悪は蔓延る。

 アフリカの大河は、半分は繁栄のビル群を映し、残りの半分をピグミー族やマサイ族が住むジャングルの風景を映しながら流れて行く。
 果たしてどちらに棲む者が人類本来の力を維持し、地球の本当の恩恵を受けているのだろうか。それはどちらが天国に近い生活をしているのかという問いと重なってくる。

 八人が、1メートルほどの間隔で蛇体を担ぎあげた。

 これで当面村人は、柔らかなパンを食べ、きれいな水を飲むことができる。

 夕日が、草原を血の色に染め始めた。
 紅に染まった行は、歌を歌いながら家路に着いた。

           (了)

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最後までお読みいただき、ありがとうございました。