ファンタジアとアファンタジアの世界
はじめに
みなさんは「りんご」と言われて頭の中にそのイメージが湧くでしょうか?中にはそのイメージが一切湧く事が無く、頭の中が真っ黒のままの人もいるそうです。そうした特性の人は「アファンタジア」と呼ばれています。10年前くらいから研究で広まりつつある概念で、最近ではもう一般的な学術用語として浸透してきました。アファンタジアの人には文字が頭の中に浮かぶそうで、人によっては明朝体だったりブロック体だったりで、フォントで辞書っぽいとかポップなイメージというクオリア(質感体験)が伴っているのだとかなんとか。
これは結構みんな覚えのある感覚だとは思います。高級料亭の看板が「HG創英角ポップ体」だったら大分不安になる。筆で書かれた格言風の文章が妙にくだらなくて俗っぽいとネタに見えてしまう。お葬式の案内看板がギャル文字だったら大分不謹慎だし、テンションも魂もあの世に向かってアゲアゲ↑感でますよね。
一方で鮮明にリンゴのイメージが思い浮かぶ人は「ファンタジア」と言います。鮮明な写真のように思い浮かべることが出来ると「ハイパーファンタジア」なんて呼ばれたりしますが、写実的な解像度、つまりは美術的才能に寄った概念で、あまりしっかりとした基準までは、まだ定まっていない分野かもしれません。私は3Dのワイヤーフレームのようにしたり、展開図にしたり、自由に回転させたりする事が出来るので、それはまた少し違う呼び方があるのか、これから何か名前がつくかもしれません。今のところはスペーシャル・ヴィジュアライザー(空間視覚型)というのがまぁまぁ近いかなという印象です。
このように、アファンタジアは映像を思い浮かべないというだけで、美的感覚や感受性が乏しいというわけではなく、どういう風に世界を感じているのかの認知の構造が異なるだけに過ぎないのかもしれません。
ファンタジアの捉える世界
私はごりごりのファンタジアですが、あまりこの手の話は活字で見かけることは少ないかもしれません。認知科学や脳科学の分野で知識として知っていたとしても、本人がファンタジアの当事者であるかどうかは無関係になってしまうからです。むしろファンタジアは運動が得意になりがちだし、文章にすると自分の感じている世界の質感や解像度が、かなり失われてしまうという感覚が強い為、自ら望んで文章を書く事を選びにくいです。創作作品で心の声(内言)が多く、独特の文章を書く人は多いけれど、誰が見ても明確に伝わるための、論文記述はとにかく相性が悪い気がします。
ファンタジアの逆上がり認識
さて、以下の図が私の「逆上がり」に対する認識です。逆上がりをするときのコツとか、原理のイメージではありません。コレを世間では逆上がりと呼んでいる、という認識です。逆上がりと聞くとこれが頭に浮かぶわけです。

真ん中の鉄棒を手で握り、やや後ろに下がって反動をつけて、大きく弧を描くように足を振りかぶり、その勢いが完全に止まらない内に腕の力でお腹やへそを引き寄せます。そうする事で軸に近い小さない回転力に変換して、一気に頂上を通り過ぎる。そういう回転運動の段階的な操作感覚です。
これの感覚が強い人が他人にレクチャーすると悲劇が起こりがちです。引き寄せる腕の力が重要な事は知っているけど、その原理をいちいち説明する理由がわからない。手を離したら物が落ちるとか、ブランコがそのままで一回転するわけがないという感覚で物理法則を把握しているからです。だから「あーもう違う!バッっとしたらグッってしないと無理だよ!」
とか、そんな感じの説明になります。しかもかなり間違ってないし、それで分かる人もまぁまぁ居るんですよね。
ファンタジアのハードル走認識
更に例を出してみましょう。以下が私のハードル走の認識です。競技中あんまり横のレーンとか考えたこともないです。トラックの素材とか色も正直覚えてないし、温度も天気も認識するだけ無駄なので、棒と点で生きるモードになると手っ取り早いです。

リード足を始点にした歩数のマーカーみたいな物があるという感覚と、抜き足でハードルのやや上にいる見えないおじさんの鳩尾に右ひざを入れる感覚です。むしろ毎回面倒臭がらずに腹筋をつかって上体をそこまで変化させないまま、くの字に体を折り曲げるリズムゲーのように感じていました。横から見たら大工道具のL字の定規(さしがね)がぶらぶらしている様な感覚です。つまりハードル走は、足腰とか背筋よりも脇腹ゲーです。腸腰筋と腹斜筋を使うのでくびれを作りたい人は是非ハードル走がおすすめです。むしろリード足なんかそもそもまっすぐ延ばしている感覚すらないです。脱力で重力で落とす方がよっぽど早いです。
ファンタジアの対人認識
お次は対人競技などの時の認識です。AIで綺麗に清書するとうまくいかないので頑張って手書きしました。今回は剣道なんかをベースにして描いてみましたが、ちょっとホラーな感じになりましたね……。

利き腕で何らかのアクションを取る場合、内側への軌道修正はむしろ簡単で、外側への軌道修正は威力そのものが落ちる強引な修正になります。従って振りかぶった相手の脇の下が最も打ち込みにくく安全な場所なのは、剣道でも打撃でも掴みでも同じ事です。なんとなくその”ここ”にいると危ない感じの温いミストが漂っている様な感覚です。その為利き腕が右である競技者同士の場合、緩やかにお互いが右に回り込むようなポジションの探り合いが発生します。
あまり下半身のディテールを見る必要はないかなと思います。基本的には膝を使った二重振り子のやじろべえが前に倒れてくるのが、人間の攻撃行動の基本ルールだからです。上手な人だとその二重振り子の倒れこみを水平に乗せることが得意なだけなので、全体の傾きの閾値だけを見ていればいいと思います。私は痛いのは嫌なので向いてても現代で競技をやろうとは一切思わないので無駄な才能です。
日常生活での支障
さて、そんなファンタジア特性の強い私ですが、思わぬ部分で苦手な事が出てきます。それは人込みとかがちょっと疲れちゃうという事です。
例えば私はスーパーでお買い物をしている時、視界に入る人の動線、向かう先に、展示された扇風機の前でたなびくビニール紐のような感じで、蜘蛛の糸の束が「もっさ~」と伸びている様な感覚を感じています。5メートル10メートル先でもこのままだと相手の蜘蛛の糸に触れてしまうという感覚があると妙に落ち着かないわけです。素肌に蜘蛛の糸が引っかかるとなんか嫌ですよね。あの感じのちょっと「うわぁ」と思うような小さな小さな嫌悪感が伴うんですよね。
土日で混雑していると、どうしてもその蜘蛛の糸に引っかかり続けなきゃいけない場面が多くなってくるので、なんだかすごく疲れてしまうんです。特に子供は完全に売り場の角を曲がるつもりで走っていたのに、唐突に別の場所のお菓子やパッケージのキャラクターに気を取られて、急激な方向転換をしてこちらに向かってくる事があります。そういう時には本来向けられるはずのなかった懐中電灯の光が、急に顔にあたる様な感じで、ちょっとビクッとしてしまいます。
たぶんこれが猫とか野生動物の生きている世界に近いんだろうなという感覚です。できるだけ相手と自分の糸が触れないように軸をずらしてあげると猫とかカラスに好かれます。何ならゴミ捨て場でゴミを漁ってるカラスが、ぴょんぴょん跳ねて縁石のほうに避けてくれたりします。カラスってそういう生き物だったっけ?と思いながら足すれすれの場所で止まってるカラスを横切る事になります。HNが「すずめ」なのに結構でかいカラスは好きなんですよね。かなり賢くてかわいいと思います。
