見出し画像

【note創作大賞2024応募作品】Monument(第17話)

第五章(3/3)

眞琴

 深紅のはちまきを、なびかせながら、先陣を駆ける香澄。
 その姿は、憎らしいほどかっこよかった。

 けれど、直後、始まった乱戦に、あたしは彼女を見失ったままだ。

 緒戦で白組に捕まり、潰されてしまったか?
 もみくちゃになって踏みつけられる香澄と、彼女を守ろうと奮戦する三人の姿に背筋が凍える。

 いや、そんなはずはない。毬野と啓太郎がついているんだ。

 不吉な予感を振り払った次の瞬間、混戦の中から俊足の一騎が姿を現した。

 追いすがる敵騎を難なく退け、まっすぐこっちへ駆けてくる。
 香澄たちは、五年四組の歓声と拍手に出迎えられた。


 歓呼に応え、騎馬はくるりと、一回りする。
 啓太郎は得意満面でウインクし、毬野は敷かれた段ボールを一瞥いちべつし、黙礼した。

 馬上、香澄は立ち上がり、天高くVサインを掲げる。
 紅が、はためいた。

「植村くん、がんばれ!」

 口々に声がかかった。

 誰も香澄に気付いていない。
 こんな間近にいながらも。

 彼女の視線は、ずっとあたしを追っていた。
 いつの間にか、胸の前で組んでいた両手をほどき、手だけ小さく振り返す。


 ひとときの安穏は、迫る敵騎に破られた。

「気をつけて。一騎、こっちにくるよ!」

 紫に金の襷。
 白組の主将だ。相手にとって不足はない。

 が、回頭が遅れた香澄の騎馬は、啓太郎が支える右側面から、主将騎を迎えた。

 このままロープを割って、崩れ去ることが、できさえすれば。
 なのに、じわじわと圧される香澄たちは、その思惑に反して、マットの敷かれた通路から、徐々に引き離されつつあった。

 ロープ際まで押し込まれたぼくは、鉄杭に足を絡げて騎馬を支えた。

 応援席の最前列、女子たちは逃げてくれたけど、イスも応援ボードも、そのままだ。
 こんなところへ、崩されたら。
 ぼくらはもちろん、森ノ宮だって、無傷では済むまい。

 目指すマットまでは、あと、ほんのわずかに数メートル。

 なんとか、たどり着けないか。
 力を振り絞って、圧し返す。

 だが、相手は六年生。主将騎だ。さすがにびくりともしない。
 それどころか、容赦ない足蹴りで山岸と麦を痛めつける。

 騎手だって、手をこまねいてなどいない。
 森ノ宮につかみかからんと、獰猛に手を繰り出してくる。
 巧みに身を捻って、その魔手をかわし続ける森ノ宮。


 絶体絶命。
 もはや時間の問題だ。
 どうすればいい?

 このままトラックの中で崩れれば、森ノ宮の身の安全は確保できよう。

 でも、紅組の列に戻ったら、間違いなく、変装は露見する。


 迷う間に、森ノ宮が捕まった。
 体操着の襟首をわしづかみに、めちゃくちゃな揺さぶりをかけられる。

 声援に、悲鳴が交じった。

 森ノ宮の髪が一筋、ヘッドギアから背に落ちる。

 限界、だ。
 観念して、応援席へ崩れるしかない。

「麦っ!」

 やつも、うなずく。

 守るんだ、森ノ宮だけは。何に変えても。

 山岸の肩から手を離し、二人して森ノ宮を支えた。
 緩んだ騎馬が、一気に崩壊を始める。
 ふくらはぎに鉄杭が食い込み、激痛が走った。

 が、森ノ宮は、落ちてこない。

 いつのまに、どうしたものか。

 彼女は、敵将の腕をがっちりと掻い込み、しがみついて離そうとはしなかった。

眞琴

「香澄、がんばれ!」

 応援の女の子たちが、一斉にあたしを向いた。

 かまうもんか。
 彼女の髪は、もう幾筋となく、ヘッドギアからこぼれている。

 困惑はすぐ、声援にかわった。

 しがみつく香澄。
 振りほどこうと、もがく白組の主将。

 ついに力尽きたのか、彼女の両手が敵将から離れた。

 この機を逃さず、彼女のはちまきを手繰り寄せる白組の主将。
 それを引っ張って、香澄を引きずり落す算段だ。

 渾身の力で、はちまきが引かれる。

 悲鳴の渦中、あたしはひとり、勝利を確信した。


 はちまきは、「引き解け」に結んでおいた。

 手綱を横木に結わえるときに、使われたらしい。
 馬が暴れても、決して解けない。
 けれど、もう一端が引かれると、難なくするりと解けてしまう。
 毬野のおばあちゃんから、教わった。


 そんなものを、力任せに引っ張ったらどうなる?

 馬上、バランスを崩して、空を掻く主将の両手。
 その身体が、スローモーションみたいに、もんどりを打って落馬した。
 紅いはちまきを、しっかりと握り締めたまま。

 雷管が二発、たて続けに鳴った。
 試合終了だ。

 砂塵舞うトラックの中には、ただ一騎。
 香澄たちの騎馬だけが、立っていた。

 ぼくらは単騎、ハーフウェイラインの紅組の側に並んだ。

 肩を並べる僚騎もなければ、ラインのむこうに敵騎もいない。
 崩れ去った騎馬は皆、仕切り線の向こうに並んでいた。

 マイクを片手に、ぼくたちを出迎えてくれたのは、松平先生だった。

 受け持ち学級の生徒のことだ。一目見れば「騎手が誰か」察しはついたことだろう。

「後始末は、自分たちでしなさい」ということだ。


「今回は、近年まれに見る激戦となりました」

 松平先生のアナウンスに、拍手が起こった。

「騎馬を解いて、整列してください」

 あんな奮戦の後なのに、森ノ宮はふらつきもせず、ひらりと地面に降り立った。

「ただ一騎残った騎馬の、敢闘と栄誉をたたえて、一言、感想をお願いします」

 マイクが、ぼくらに向けられる。

 台詞はもう、考えてあった。「ぼくらが、森ノ宮をそそのかしました」と。

「待って」

 マイクに伸ばしかけたぼくの手を、森ノ宮が遮った。

 ヘッドギアが、外される。
 解き放たれた長い髪に、校庭がどよめいた。

「ごめんなさい」

 マイクを取った森ノ宮の声が、校舎に跳ねてこだました。
 彼女に倣って、ぼくらも三人、深々と頭を垂れる。

「五年四組、森ノ宮香澄です。無理を言って、騎馬戦に出場させていただきました。ほんとうにごめんなさい」

 ざわめきが、さざ波のように広がった。

「わたしは生まれつき身体が弱くて、学校には、この春から通い始めました。これがわたしの、初めての運動会です」

 森ノ宮は、前を向いたまま続けた。

「クラスのみんなが――いいえ、学校中のみなさんが、一生懸命、練習される姿を見て、わたしもなにか――なにか、ひとつでもいい。競技に参加してみたくなりました。そんな相談をしてみたら、友達が――わたしの友達が力を合わせて、わたしの願いを叶えてくれました」

 森ノ宮が、ちらり、とぼくを見た。

「騎馬戦、怖かったけど楽しかった。練習に励んでこられたみなさんのお気持ちが、ほんの少しかもしれませんが、わたしにもわかったような気がしました。それをわたしのわがままで……ほんとうに、ごめんなさい。悪いのはわたし――わがままを言って友達を困らせた、わたし一人です。申し訳ありませんでした」

 今度は四人、しっかり揃って、もう一度深くお辞儀した。


「さて、弱ったことになりました。勝敗を決めなければなりませんが、ここは紅白両チームの主将に、ご意見をうかがってみましょう」

 先生の招きに応じて、両軍主将が駆けて来る。

「紅組主将、六年二組、三枝千彰さえぐさちあきです。森ノ宮さん、正直に話してくれてありがとう。事情はわかったつもりです。でも、勝負に不正は許されません。紅組は、負けを認めます」
「白組、ご意見は?」
「白組主将、六年一組、原口一輝はらぐちかずき。ぼくらの騎馬は、ここにいる彼……っと、彼女らの騎馬と戦って倒されました。女の子だったなんて、ちっとも気がつかなかった。白組は全滅しました。完敗です」

 ポケットから紅い襷を取り出すと、主将は森ノ宮に手渡した。

「ありがとうございます。あの、おケガは?」
「でっかい、たんこぶが一つ。ったく、たいしたもんだよ、おまえらは」

「主将のお二人、ありがとうございました――お聴きの通り、両チーム、勝利の譲り合いとなりました。きっと、騎馬戦に参加された皆さんも、同じお気持ちだと思います」

 両軍が拍手で、賛意を示した。

「この勝負、潔く負けを認め合った紅白両チームの皆さんと、正直に話してくれた森ノ宮香澄さんの勇気を讃えて、共に勝利といたしたく存じます。校長先生、よろしいでしょうか?」

 本部テントの中、校長先生が頭上に造った丸い輪に、拍手が弾けた

「それでは、最後まで勝ち残った騎馬の騎手、森ノ宮香澄さんの発声で、騎馬戦を結んでいただきましょう」

「どうすれば、いいんだっけ?」

 ぼくは、森ノ宮の手から襷を取ると、すばやく彼女の右手首に結び直した。

「最初にやったのと同じ。右手を構えて『えいっ!、えいっ!』って言うんだ。そしたら、みんなが『おーっ!』って応えるからさ、一緒に右手を挙げて。いいね。三度だよ」

 一度目は、紅白両軍に観覧席が混じった。
 二度目は、たぶん、全校生徒が声を出した。
 三度目には、校庭いっぱいに、鬨が上がった。

眞琴

 紅白の騎馬は、列を作ってトラックを巡った。

 凱旋行進。その先頭は、もちろん香澄だ。

 下級生たちの声援と羨望の眼差しを一身に受けて、ヘッドギアをはすにかぶった香澄は、その手を振り返す。
 蝶結びにされた、はちまきが、一緒に揺れた。


 隊列が退場門をくぐった途端、香澄は騎馬を飛び降りて、転がるように駆けてくる。

「香澄っ!」

 あたしも走った。

 彼女を迎えようと広げかけた両手。その隙間に一足早く、香澄がまろび込んでくる。
 初めて触れた香澄の身体は細くって温かくって、そして、いい香りがした。

「大丈夫だった? どこかケガしてない?」
「お陰様で。はちまき、ありがと。助かったよ……眞琴」

 あたしの肩口に沈んだ、あたしより、ちょっぴりだけど背が高い香澄。

「でも……怖かった」

 肩に温かいものが滲みてきた。
 微かに二度、しゃくりあげる。
 あたしは、なにも気づかないふりをして、香澄の背中をさすった。

「大丈夫、森ノ宮さん?」

 駆けつけた佐伯先生が、車椅子を広げる。

「はい。申し訳ありませんでした」

 ちゃっかりしてる。
 車椅子に納まった彼女はもう、普段通りの涼し気な香澄に戻っていた。

「無茶なことして。先生に診てもらわないと――ほら、そこの、あなたたちも」

 香澄の頬についた土埃の筋をウエットティッシュで拭いながら、佐伯先生の顔が、傍らにぼさっと突っ立つ毬野と啓太郎のほうを向く。
 毬野は片足を引きずって歩き、啓太郎のひざには、流れ出た血に、真っ黒く土埃がこびりついていた。

 そんなふたりが、あたしたちをにやにやと眺める。
 その、にやけた顔が、ぴりりっと引き締まった。

「申し訳ありませんでした」
「ごめんなさいっ!」

 気をつけをした、毬野と啓太郎が最敬礼を取る。
 相手は香澄のお母さんと、その隣は、たぶんお父さんだ。

「ありがとう! 毬野くん」
 お母さんは毬野をハグして、お父さんは黙って啓太郎に右手を差し出した。

「ちょっと、なに? お母さん。やめてよ。毬野さん、困ってるじゃない」
 毬野を放したお母さんが、今度は啓太郎にかぶさる。
「ありがとう。啓太郎くん――香澄、皆さんにお礼は?」
「そんなの要らないっすよ。おれたちが四人で仕組んだ、いたずらなんで。なっ?」
 いきなりがばっと、お母さんの両腕の中に包まれた。
「眞琴ちゃんも?」
「はい。あっ、いえ。あたしは、なんにもできなくて」
「そんなことない。わたしがケガしないように支度してくれて――眞琴のおかげだよ、勝てたのは。ね、毬野さん、ケイタロさん――って、もういい加減にして、お母さん」 

「先頭の大きな子は?」
 カメラを提げたお父さんが、辺りを探す。
「あいつは女の子、ちょこっと苦手にしてまして――なっ、毬ちゃん」
「はい。図体は大きいんですけど、気が小さいやつでして。あとで、ぼくらから伝えておきます」


「記念に一枚、いいかな?」
 お父さんの提案に、嫌がる香澄を説得して、カメラの前で整列した。

 車椅子の香澄の後ろ、生真面目に痛みをこらえて踵を揃え、真っ直ぐに立った毬野。
 そんな毬野に、遠慮もなにもなく肩を借りる啓太郎。
 啓太郎の前で、あたしは片ひざを着き、車椅子の香澄に身を預けた。


 その日の午後、ケガで毬野を欠いたリレーは振るわず、あたしたち五年四組は、クラス別対抗でも、紅白総合でも勝ちを逃した。

 ああ、でも、なんだろう? この気持ちの昂りは。

 あたしは、いてもたってもいられずに、啓太郎をフォークダンスに誘った。

 そこへ、医務室に引っ込んでいた毬野と香澄も姿を見せる。

「迷惑かけると、いけないから」

 そういって遠慮する二人に、あたしは啓太郎と四人して、小さな輪をつくった。
 あたしが香澄の車椅子を押して、毬野と啓太郎が、交互に踊る。

 三巡目からは、クラスのみんなが加わった。

 動けなくなった毬野が、輪の真ん中に座り込み、曲にあわせて、手拍子を送る。

 アンコールは三度、繰り返された。


 後日談が、二つある。

 香澄は、三日ほど休んだものの、元気に学校へ復帰した。
 彼女を遠巻きにする雰囲気も、今はもうない。

 そして、もう一つ。

 植村くんは、女の子ばかりではなく、男の子たちの間でも、一目置かれるようになった。

 香澄の願いを聞き入れて、騎馬戦への参加を快く譲った。
 その気概を、高く買われて。

 もちろん、それは啓太郎が方々で吹聴して回った、作り話のお陰ではあったのだけれども。

「あれからもう、二十二年、だよね」
 水路脇の階段を登りながら、麦がつぶやいた。
「そう、だな」
 もう、ずいぶん経った。
「二十三回忌、ってことになるのかな、香澄ちゃん」
 答える言葉がみつからず、僕は息が切れたふりをした。


 階段を上り切ると、大きな堰の縁へ出た。
 広く切られた排水口から、なめらかに水が流れ込む。
 ここはもう、遊園地の中。ボート池のほとりのはずだ。

 水路は、ここで二手に分かれた。

 野外ホールへ向かう方は、帰り道、プランBとして調査する。

 左手に真直ぐ進む、駐車場を突っ切ってバラ園へと至る水路へ入った。

 清掃用の通路は、もうない。
 かわりに水深もめっきりと浅く、靴底を洗う水溜まり程度になった。

 水路は、支流との別れを迎えるたび、徐々に丈が低くなり、三つ目の合流点からは頭が天井すれすれに、五つ目からは屈まないと歩けなくなった。


「ん? 毬ちゃん。近そうだよ」
 麦が鼻を鳴らした。

 僕にもわかった。
 空気が違う。

 カビ臭い水路の匂いでもなく、水を吸ったコンクリートの香りでもなく、木々の緑の香気とも、また違う。
 甘い香りが一筋、僕の鼻先をくすぐった。

 用心のため、ライトを消す。

 しばらく行くと、水路の上にグレーチングが嵌まっていた。

 物音がないのを、百まで数えて確かめる。
 屈めていたひざを伸ばし、背中でグレーチングを押し上げた。
 堅い感触に阻まれた後、それは掠れた音を立てながら、ゆっくりと上がっていく。

 変わった気配は、なにもない。
 屈めていた腰を、真っ直ぐに伸ばした。 

 水路の縁から顔だけ出して、周囲をうかがう。

 百メートルほどは、先だろう。
 街明かりに白む夜空にくっきりと、闇に沈むバラ園が影絵になって浮かび上がった。

 大きく、息を吸い込む。
 咲き残ったバラの香りが、しっとりと甘く、僕の胸を満たした。

(つづく)

いいなと思ったら応援しよう!