【note創作大賞2024応募作品】Monument(第13話)
第四章(2/3)
眞琴
「力を貸して」
この一言が出せてしまうと、残りは一息になった。
香澄の家から、クチナシを持ち返ったこと。
挿し木しながら、育てたこと。
それを内緒で、バラ園に植えようとしていること。
下調べのため、ボランティアを重ねていること。
そして、どれほど探してみても、園内へと至る道――アクセスルートが見つからないこと。
毬野は前髪をひねり続けた。
「ヤギヒ……桜井さん、だったっけ。ボランティアの代表。あの人には頼めないのか?」
それは、わたしも考えた。
たかがクチナシの樹、一本。
ボランティアとして、信頼さえ勝ち得れば、もしかしたら、を期待していなかったわけではない。
でも、現実は、想像以上に複雑だった。
バラ園は、市の財産として管理されている。
ボランティアは、その管理業務を市から委ねられているに過ぎない。
作業の多くは許認可制で、枯れてしまったバラ一本、植え替えるにも稟議を要した。
監査も年二度、必ず行われる。
植えられている株、一本一本を確かめる、厳密なものだ。
実務を担うボランティアといえど、許された裁量の余地は無きに等しい。
毬野の指が、髪から離れた。
「それが、ほんとうに森ノ宮の望み――夢の理由、なのか?」
「ほかに考えよう、ある?」
毬野は再び、前髪を摘まんだ。
「二人して同じ夢、見てたんだよ。そんな偶然」
「ありっこない。あれが森ノ宮だってことは疑ってない」
「なら」
「でも、森ノ宮が、そんな無茶なことを、僕たちに望むなんて思えない」
核心を、突かれた。
「間違ってるのかな? わたし」
「わからない。麦は、どうなんだろうな?」
ほんとを言うと、わたしが最初に援けを求めようとしたのは、啓太郎のほうだった。
「あいつも同じ夢、見ているんだろうか? なあ、眞琴、麦の連絡先、知らないか?」
啓太郎から不意に年賀状が届いたのは、母が名古屋へ移る前年。住所も、連絡先も知っていた。
以来、季節の挨拶は続いている。
でも……。
今年、貰った家族写真の年賀状。
娘さんの肩に手を置いて、顔を寄せ合う三人家族。
立派なお父さんになった、啓太郎。
「――眞琴?」
「あ、ごめん。メアド知ってる。でもね。巻き込みたくないの。奥さんだっているし、小学生の娘さんも」
「そう、か」
毬野は、わたしが手渡した運動会の写真に見入っていた。
そのまなざしは、あくまでも優しい。
その温かい茶色の瞳は、年賀状の啓太郎と、どこか似ていた。
「――ごめん。わたし、勝手なことを」
啓太郎はダメなのに、毬野なら巻き込んでもしまってもいい、なんて。
そんな理屈、あるはずがない。
なのに、いい歳をした大人が、子供じみた企てを持ちかけた挙句、古傷に塩を擦り込むような昔話を蒸し返して。
「ごめん。この話、聞かなかったことにして」
香澄の絵をケースに戻し、スケッチブックをバッグにしまう。
伝票を手に立ち上がってもまだ、毬野は写真を放そうとしない。
「毬野、いいかな? それ」
「待ってくれ。眞琴」
それは静かな、声だった。
「おまえを信じる。手伝わせてくれ」
馨
「いったい何しに、ここまで来たのさ?」
愚直に突っ立つ十一のぼくが、写真の中から問いかける。
探しに来たのか、確かめに来たのか、それともまた、捨てに来たのか。
僕には、答えが見つからない。
十一のぼくから、今の僕へは、地続きではない。
不連続――どこかでなにかが、欠けている。
その隙間を継ぐとしたなら、いったい何を、掛け渡す?
二十一年前、僕は、この町を去った。
眞琴がたった一人、置き去りになると知りながら。
手紙は、書けた。
電話だって、できたかもしれない。
でも僕は、なんにもしなかった。
それでも眞琴は、僕に――ぼく、ならざる、僕を信じて、胸に秘めた計画を打ち明けてくれた。
もし叶うなら、せめて、その信頼にだけは報いたい。
森ノ宮が、なにを望もうと望むまいと、それはひとまず、置いておこう。
僕は、眞琴に協力する。
そう、決めた。
あらためて、眞琴の資料に目を通す。
バラ園の年間スケジュール。
監査の時期と、その内容。
人の立ち入る時間、誰もいなくなる時間。
園内および周辺の地図。
害獣駆除と、その方法、統計。
警備状況、巡回の時刻。
植えるクチナシのサイズと重さ。
植え着けの方法と、その適期。
携帯で検索し、情報を補いながら読み進める。
すでに移植の時期としては、若干季節が進んでいる。晩秋から春先までと、真夏の間はダメらしい。
警備の重点は、ふたつある。
ひとつには、侵入者による放火、失火による山火事の防止。
近所の学生が園内に潜り込み、花火に興ずる事件があった。
以来、警備が厳しくなり、敷地を囲むフェンスは、隙間なく改修された。
人の近づきやすい箇所には、監視カメラが据えられている。
そして、もうひとつには、盗難の防止。
園内には、高価な希少種の苗がある。
ただし、侵入のリスクに見合う数、持ち去ろうとすれば、なにより車両が不可欠だ。
したがって、警備の力点は、道路の封鎖に置かれていた。
園内に通じる道路は、現状、一本しかない。
今朝、眞琴と車で登った、バラ園へと続く道がそれだ。
入り口は、モノレールの軌道と併走する県道に面し、守衛詰所にはゲートが設けられている。
プール跡地への建設残土の搬出入で、トラックが出入りするためだ。
八時から二十時までは警備員が常駐。その後も二十四時間、監視カメラの下にある。
一方で、僕らの側にも、アドバンテージがなくもない。
ボランティアとして堂々と園内に立ち入り、現地調査が可能なことだ。
おぼろげながら、計画の骨子は、まとまった。
入り用なものを、書き留めていく。
再調査も必要だったし、小道具と、ちょっとした工作もいりそうだ。
「ごめん、わたしの下調べが足りなかった」
「いや、よく調べてあるよ。きちんと整理されているから、こうしてリストアップできるんだ。少し時間をおいて、もう一度、洗い直そう」
「少し、って?」
「このボランティアが終わるまで。大手を振って園内を歩き回れるうちに、できることは済ませておきたい――って、おい。まさか、今すぐ、ってわけじゃあないだろうな?」
「……それは」
「確実に成功させるには、完璧な計画がいるんだ。わかるよな?」
「わかってるよ。けどもう、時間がないの」
――なるほど。二十三番の橋脚が、森ノ宮の仮の墓とは。
「なんとかならない? あれがなくなっちゃうと」
森ノ宮を悼む場所がなくなる。
取り壊しは、この夏から。
できるのか?
残された、あとほんの数日で。
たやすくはない。けれど、決して不可能でもない。
侵入経路は必ずある。この資料が、正しければ。
「忙しくなるぞ! 眞琴」
眞琴
「こんばんわ。ごめんなさい、遅くなっちゃって」
守衛詰所に顔を出す。
「いえいえ、どういたしまして。まだ8時前ですし」
とはいえ19時55分。
顔なじみの警備員さんじゃなかったら、お小言の一つや二つはもらうところだ。
もう一度、頭を下げて、車に向かいアンロック。
シートに飛び乗り、エンジンをかける。
カーラジオは、お気に入りの曲のサビ前だった。
フロントグラスの雨粒を、勢いよくワイパーで掃く。
雨はすっかり上がっていて、雲のまにまに星がのぞいた。
「よしっ!」
ハンドルを、思わずぽんっ、と一つ叩いた。
あっ、いやいや。まだダメだ。気を引き締めてかからねば。
まだ、何んにも始まっていないのに。
警備員さんが県道の端で、赤く光る棒を振っていた。
ライトを灯し、ウィンカーを倒す――毬野と待ち合わせた、ファミレスがある方向へ。
「ありがとうございました!」
警備員さんに一声かけて県道へ出た。
忘れていたドアミラーが自動で開き、わたしの心を戒める。
理解しろ。
毬野が協力を誓ったのは「わたしに」ではない。
でも、そんなの、今はどうでもいい。
香澄の願いが叶うのならば。
ファミレスに客は少なく、毬野はすぐに見つかった。
一心にノートパソコンを叩いている。
「眞琴、見てくれ」
ドリンクバーから戻るなり、鼻先にパソコンを突きつけられた。
ToDoリストにフローチャート。
わたしたちの行動スケジュール。
毬野は日曜の朝、帰途に着く。
残された時間は、水、木、金、土の四日間。
明日一日で支度を整え、決行は明後日。
体験ボランティアが終わる、その日の晩だ。
でも、肝心なことが、まだひとつ、決まっていなかった。
「園内へアクセスする方法は? 中へ入れなきゃ、なんにもできないじゃない」
「それを、これから探すのさ」
「これからって、いつ?」
「明日。何時から遊園地に入れる?」
「今日と同じだよ。9時。バラ園の鍵は脩さんが……」
「じゃなくて。遊園地の外周を内側から一回りしたいんだ。お前の資料にあっただろ? フェンスの点検用通路」
「それだったら、警備員さんに頼めば8時には。でも、わたし何度も確かめたけど」
「ある。あるんだ。ちょっと広げさえすれば、人が潜り込めそうな抜け道が」
「ほんとうに?」
「ああ。だから時間は有効に使おう。まずは、できることから手を付けるんだ」
そう言い切った毬野から、買い物リストを渡された。
「眞琴。自転車、持ってるか?」
「ママチャリなら」
「上等だ。カードは使うな。ポイントもためるな。このメモ、絶対に落とすなよ」
これから二人、手分けして、ホームセンターを回り、買い物を済ませることになるらしい。
それならそうと、電話の一本もよこしてくれりゃあ、車なんかマンションに置いてチャリで来たのに。
渡されたリストを、上から順に追ってみる。
毬野の癖字は、読みにくい。
パソコンから転記したのだろう。
こんなの、メールで済ませればいいものを。
「面倒でも、店員には何も訊かずに自分で探せ。わかったな」
これまた、厄介なことを。
探している間に、閉店時間が来なければいいが。
行先は全部で四店。
チャリのわたしが、遠いほう二店の担当だ。
「車で行こうよ。一緒に行ったほうが早いし確実だよ。荷物だって載っかるし、全部、一か所で済ませられるし」
「眞琴……」
毬野は嘆息して、声を潜めた。
「わかってるとは思うけど、これからするのは触法行為なんだ。万一、露見して後から調べられたとしても、簡単には尻尾をつかませないようにしておかないと」
ごめん、と返した語尾に、笑いが混じって叱られた。
「頼む、眞琴。もっと、自覚してくれ」
馨
昨日は、長い一日だった。
これからの数日は、もっと長くなるだろう。
体験ボランティアの二日目は、明け方からの雨が降り止まず、空は鉛色の雲に覆われて、太陽は姿を見せる気配もない。
ヤギヒゲメガネの誤解のせいで、今日も眞琴と二人きり、離れた場所での作業になった。
計画を進めるには、好都合だ。
午前中の作業の合間、必要な物品は拝借し、道具小屋に隠しておいた。
昨日と同じ東屋で昼食を済ませた後、まずは移植予定地の確認に向かう。
「ここでいいのか?」
眞琴に確かめ、両ひざをついて、地面にペグを突き立てる。
体重を載せると、ペグはあっさり沈んでいった。
土質は上々だ。こうして緩めておかなくても、掘り起こすのは、たやすいだろう。
残るは、侵入経路だ。
今朝方、回った外周フェンスに、目当てのものは見当たらなかった。
この後、眞琴の案内で、遊園地の中へ潜り込む。
フェンスの切れ目に当たっている、かつての資材搬入口周辺。
そこを重点的に確かめる。
もしものことを考えれば、遊園地の中を見ておくことも、無駄にはなるまい。
道すがら、管理棟を確かめた。
あいにくの空模様に、ボランティアは皆、中に居るらしく、出歩く者の姿はない。
石造りの階段を上り、雑木林の中、丸太と杭で土止めされた階段を降りていく。
途中、人ひとり、やっと通れる獣道へ分け入って斜面を下りきると、アスファルトの上に出た。
守衛詰所から、バラ園の駐車場へと続く道路だ。
そこを渡って反対側、ひざ丈の草が生い茂った斜面を登りきる。
灌木を漕ぐと、視界が開けた。
「このルートで、遊園地の中に入れるんだ。ほんとは、いけないらしいんだけど」
園内に、かつての面影はなにもない。
遊具はすべて撤去され、コンクリートの土台部分が、落ち葉に半ば、埋もれていた。
木々も伸び放題伸びて、枯れ枝の散乱する通路には、朽葉の香りが満ちている。
まずは、資材搬入口に直行し、辺りを入念にチェックする。
厳重に封鎖されていて、思っていたような痕跡はない。
駆け足に野外ホールの脇道を登り、大階段を目指す。
丘のてっぺん――入口広場へ出ると風の香りが、がらりと変わった。
灰色の雲の下、地平の果てまで街並みが広がる。
大階段を降りていく。
リフトはもう、取り外されて、ケーブルを支えた柱の跡もない。
中腹に壮麗を誇った花時計は、永遠に一時五十九分を指したまま、止まっていた。
コスモスらしい丈高の草が、針に絡みついている。
ここで左手の通路に折れると、その先はプールの跡地。
堆い建設残土の谷間を縫って、再び守衛詰所と駐車場を繋ぐ路上へ戻った。
眞琴の先導で道路を渡り、ウォータースライダーがあった丘に登ると、フェンス越しに一軒、民家の屋根が望めた。
「わたしは、ここかなと思うんだけど」
眞琴の言う通り、ここには監視カメラがない。
フェンスさえ越えられれば、民家へと続く小道までは目と鼻の先だった。
だが、ここが弱点であることは警備もわかっているのだろう。
有刺鉄線は、これでもか、といわんばかりに巻きつけられて、地面も、コンクリートで突き固められていた。
「どう、毬野?」
首を横に振るしかない。
眞琴の顔が、あからさまに曇った。
外周フェンスは、乗り越えることも、掘って潜り抜けることも、できそうにない。
しかも、遊園地は丘の上で、外周の多くは急斜面だ。
フェンスに、とりつけそうな箇所すら数えるほどしかなく、そのすべてに監視カメラが据えられている。
正門と資材搬入口に、つけ入る余地はない。
唯一開かれた出入り口――ゲートには守衛詰所に監視カメラと警備員。
猫の子一匹、這い入る隙もない。
けれど僕には、確信があった。
眞琴の資料が確かなら、ここ二年の間に少なくとも二度、この警備網を突破して、園内に侵入したやつがいる。
人、は無理かもしれないが、ちょっと広げてやりさえすれば、潜り抜けられそうな穴。
それは一体、どこにある?
まもなく、午後の作業開始だ。
「すまない眞琴。夕方から、今度は、外を見て回ろう」
「……うん」
足取りも重く、僕らはバラ園への帰途につく。
石階段まで戻ったところで、眞琴のポケットが二度、短くうなった。
マナーモードのバイブレーターが揺れる音。
さも面倒くさそうに軍手を外し、ポケットから携帯を取り出す眞琴。
その瞳が大きく見開かれた。
「啓太郎からだ! いけない、着信もあったみたい」
「メールか。なんだって?」
そこには、麦の声が聞こえてきそうな文面で、こうあった。
『眞琴っちゃん、ご無沙汰。
今日はこの後、出張で会社出るんだけど、
近くへ寄るから、17時過ぎくらいに会えないかな?
よければ早めの夕飯がてら、ちょこっと話そ。
急でごめんね。
無理なら断ってくれて平気だよ。
啓太郎拝』
(つづく)
