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【note創作大賞2024応募作品】Monument(第21話)

第六章(2/2)

眞琴

 木曜の終バスに、乗客は少ない。

 わたしは啓太郎と二人、一番後ろの左側、外が見えるほうに席を取った。
 バスは途中、香澄の仮の墓碑「23番」の柱を通過する。
 ここに座っていれば、それを拝めるはずだった。

『発車します』

 運転手が、低い声で出発を告げる。
 タイヤが、水溜まりを踏む音がした。


 陽もすっかり暮れ切ってからの雷鳴で、窓辺のわたしは飛び起きた。
 雨は、いじわるなほど激しく窓を叩き、わたしを不安に陥れる。

 毬野が、計画を断念してしまうのではないか。
 たとえ決行するとしても、わたしを置いて行く、なんて言い出しはしまいか。

 でも、何事もなかったかのように、淡々と支度は進み、雨上がりの深夜、こうしてわたしはバスに揺られている。

 そんな考え事をしていたせいで、闇に濡れたモノレールの線路――香澄の墓碑を見逃したまま、バスはバラ園へと至るゲートの前を、いつの間にか通過していた。
 信号機のある交差点を右折して、遊園地のある丘の切り通しへと、バスは進み続ける。
 気が付けばもう、乗客は、わたしたち二人だけになっていた。

       ◇

 二学期が始まり、三日が過ぎても、香澄は登校してこない。
 四日目の放課後、あたしたちは先生に招かれて、応接室へ通された。

 待っていたのは、黒一色に身を包んだ、香澄のお父さんとお母さん。

 一瞬にして、あたしはすべてを悟った。

「手術、そのものは成功したが、術後の感染症で」

 その後、どんな話があったのか。
 唯一、鮮明に憶えているのは、目元を拭うお母さんの、真っ白なハンカチだけだ。

 あたしたちは、正門でご両親を見送った。

 夕陽がオレンジ色に照らす誰もいない通学路を、幾度も振り返っては頭を下げ下げ去って行く二つの影が、陽炎に揺らいだ。

 喉の奥に、血が薫った。
 視界は暗み、身体が傾いでいく。

 昏倒したあたしは、保健室に担ぎ込まれた。


 ここから先は、人づてに聴いた話だ。

 毬野は、無言で啓太郎を殴りつけた。
 二人がケンカすることはあったけど、唇が切れるほど拳で叩くなんて、今までには絶えてなかったことだ。

 理由には、察しがついた。
 啓太郎が、千羽鶴を折り上げられなかったからだ。

 夏休みの間中、あたしたちは香澄の平癒を祈って、千羽鶴を折っていた。
 休みが明けても、数が千羽に届かなかったのは、啓太郎が遅れたからだった。

 これはずっと後になってから知ったことだけど、啓太郎のお父さんの会社は、だいぶ経営が悪化していたらしい。

 あたしたちの前では、いつもと変わらぬ啓太郎にも、帰宅して両親の姿を目の当たりにすれば、考え事や悩み事の種は尽きなかったことだろう。

 啓太郎はひとり、二年生の花壇へ踏み込むと、ヒマワリを打ち倒してまわった。
 先生が三人がかりで止めなければならないほど、手の付けられない暴れようだった。

 理由を訊かれて啓太郎は、「俺たちを差し置いて、悲しんでるみたいに見えたから」と、答えたそうだ。
 種子が詰まって頭を垂れたヒマワリが、啓太郎には、そう映ったらしい。

 後日、片付けを手伝って、あたしは妙なものを見つけた。
 折れた茎を直した跡だ。

 こんな結び方を知っているのは、多分、あたしたちだけだ。
 毬野の手にしては、添えられた割り箸の断面が粗かった。
 と、すると、啓太郎は前にもヒマワリを折って、自ら添え木を当てたのだろうか。

 それを問うと、啓太郎は腫れた唇をゆがめて、笑顔を繕おうとした。


 静かな二週間ほどが過ぎ、香澄の机に飾られた花が片付けられた頃、あたし宛てに、青いプラスチックの筒が届いた。

 香澄のお母さんからの一筆箋には、
「病室で香澄が描いた絵です」
 とあった。

 写生会で香澄が描いた構図を、夕景に改めて、クレパスで描かれていたのは、クチナシを囲む三匹のホタル。


 その日の帰り道、あたしは香澄の家へ向かった。

 秋の陽は、早い。

 夕暮れに染まった香澄の家には、ぞんざいなベニヤ板の看板に、「売家」の二文字があった。

 表札もない。
 インターホンもない。
 お母さんの赤い車も。

 掛け金が外れていたから、あたしはこっそりと門をくぐった。

 玄関の戸を叩いてみる。
 返事は、ない。

 もしかしたら。
 庭先に回ったあたしは、高く秋草の伸びた芝生の中に、両ひざをついた。

 連なる窓にカーテンはなく、なにもかもが取り払われて、ひっそりとした居間を、赤く夕陽が染めていた。

 シャンデリアもない。
 応接セットもない。
 香澄のピアノも。


 香澄、香澄、香澄。
 あたしは何度、呼べただろう。
 香澄、香澄、香澄。
 どれほど呼んでも、もう、彼女の耳には届かない。

 涙がこぼれて、止められなかった。

 陽はとっぷりと暮れ、辺りが闇に呑まれていく。
 残光が、低く生垣を照らした。
 その根元に隠れて、ぽつんと一つ。
 クチナシの鉢が、転がっていた。

 あたしは、それを抱きかかえると、家路を急いだ。


 それからの時の移ろいは、とても早かったように思う。

 毬野は勉強に没頭し、めっきり口数が少なくなった。
 毬野との間を取り持とうとした啓太郎の努力は、ひとつ残らず水泡に帰した。
 あたしは、何もできずに、ただただ立ち尽くしていた。

 六年生に進級する始業式に松平先生の姿はなく、近隣で新たに開校した小学校に少なからぬ生徒が移ってしまうと、クラスは再び編成を換え、わたしたちは三人、別々のクラスになった。

 卒業を控えた年の暮れ、啓太郎は別れの挨拶もままならず、お父さんの事業が行き詰まり、夜逃げ同然に失踪した。

 毬野が、目指していた遠方の進学校へ合格を決めた。その直後のことだった。

 卒業式を待つことなく、毬野が北海道にある寮へ入ると知らされたのは、年が明けてすぐのこと。


 毬野の出立を明日に控えた二月の半ば、この辺りでは珍しい大雪になった。
 細かい砂粒のような雪は、絶え間なく降り続き、町は一面の白に覆われた。

 もうすぐ、あたしは一人になる。
 二人はもう、戻らない。

 泣き出したくても、泣くことはできなかった。
 家には両親もいたし、姉もいた。

 黙って外に出たあたしは、白銀の世界を、あてどなくさまよった。
 ひとりきり、泣いてしまえる場所を探して。

 そして、山の上の展望台にたどりついた。

 先客がいた。
 毬野、だった。

 

「行っちゃうの?」
「ああ。明日の朝」

 それっきり、毬野はしばし俯くと、あたしの横をすり抜けて、階段を降りて行ってしまった。

 一度も、振り返ることなく。

 広場を歩み去る毬野の姿が、降りしきる雪の向こうに隠れると、もう何も見えなくなった。

 一面の、逆巻く白。

 あたしは、泣いた。
 泣き叫んだ。
 声の限りに。
 頑是ない、子供みたいに。

 あたしの涙も、叫びも、なにもかも。
 すべては白い雪の渦に吸い取られ、そして消えていった。

       ◇

 その日がわたしの、幼少期の終わりになった。

 たった一人、中学へ上がると、成績は下降の一途を辿った。

 望んでいなかった高校へ進学し、進路を決めねばならない頃にはもう、自分がなにを望み、なにを求めていたのかすら、わからなくなっていた。

 少しずつ、何かがわたしを蝕んでいく。
 そして、なすすべもなく大半を失ったころ、わたしは、こう考えを改めた。

「慄きながら、じわじわ喰い尽くされるなんて、まっぴらだ」と。

 かろうじて引っかかった女子大で、わたしは遊びを覚えた。

「つまんない」

 女友達と示し合わせて、そうつぶやくと、男どもはサーフィンだ、スキーだ、ドライブだ、と次から次へ退屈しのぎを提供してくれた。

 もらった写真のどの中にも、無様に笑うわたしがいる。
 けれど、眼だけが笑っていない。
 写真は、もらう端から捨てていた。

 堕ちても、堕ちても、底なしだった。

 ことあるごとに、わたしを叱りつけてくれた父の具合が悪くなり、すっかり家路が遠退いた頃。
 のほほんと一緒にいるには、都合のいい男がみつかって、卒業すると、すぐ籍を入れた。

 遠からず、破綻する。
 わかりきった結婚だった。

 二年と待たず、男は他所の女に目移りし、わたしには寄り付かなくなった。

 引き受けるべき苦痛と労苦を甘受して、関係を精算すると、帰る先はもう、ひとつしかなかった。

 父は、すでに他界していて、姉は所帯を持って名古屋にいた。
 放り出すことだってできたはずの放蕩娘に、めっきり白髪の増えた母は、黙って敷居を跨がせてくれた。

 具のほうが多いみそ汁とアジの干物を平らげて、畳の上に延べられたシャボンの香る布団の上に横になる。
 わたしは朝まで、ぐっすりと眠った。

 深い夢から目を醒ますと、霧雨の、ひんやりとした朝だった。

 六月も、もう半ば。
 古びた家の木の香りに、なつかしい香りが混じっていた。

 障子を開けると、廊下の突き当りで、クチナシが咲いていた。
 香澄の、クチナシが。
 真っ白く、たおやかに。

 その日、わたしは傷んだ髪を、母に頼んで切り揃えた。
 十一の頃、あたしがそうしていたように。

 それからのぼくは、支離滅裂だった。

 彼女の言葉。
 彼女の仕草。
 彼女の顔。

 すべてが幻だったみたいに、その輪郭が、ぼやけていく。

 だのに、美しい夕焼けを目にするたびに、ぼくは、その光景を思い出す。
 橙色の夕焼けの、影絵に沈む森ノ宮、を。

 その鮮烈な記憶だけが、ぼくの頭に焼き付いて離れてくれない。

 結局、勉強だけが、すべてを忘れ去れる時間になった。

 それでいて、カプセルだけは――彼女の置いていった緑色の指環、それだけは、どうしても手放すことができずにいた。

 かばんの隅に、ひっそりと。
 机の引出しに、ぽつんと。
 ポケットの奥に、すっぽりと。

 大切に取っておきたいのか、それとも忘れてしまいたいのか。
 その矛盾に、からめとられてしまわないよう、闇雲に、勉強だけにかじりつく。
 ぼくにできることは、それだけだった。

 やりたいこととか、目指したいものとか、将来とか。
 そんな、きれいごとの一切合切はもう、どうでもいい。

 橙色の影法師を、ひととき、忘れるためならば。


 折々の学校行事。地域で起きる些細な揉め事。
 それにいちいち、かこつけて、度々、ぼくを担ぎ出そうと画策する麦。

 けれど、ぼくの気持ちは、麦にも眞琴にも戻ることなく、勉強という口実に逃げ込んで、出てこようとはしなかった。

 松平先生の退職の噂を耳にしたのは、六年生に進級した春のこと。

 まことしやかに、原因は森ノ宮ではないか、とささやかれていた。
 川向こうの工事現場で、先生の姿を見かけた。そんな話も耳にした。
 真偽のほどは、定かではない。


 その年の暮れ、北海道にある全寮制の中高一貫校に合格した。
 虚ろな勉強を続けた果ての、中身のない結実だった。

 達成感もなければ、喜びの欠片すらもない。

 ――ただ。
 ただただ「この街を離れられる」という安堵感だけが、胸の奥底に、ひっそりと横たわっていた。

 夜逃げの前日、無理を押して顔を見せてくれた麦にさえ、ぼくはもう、なんの感慨も抱けなくなっていた。


 いよいよ、この街を離れる。
 その前日は、大雪になった。

 踏み音が鳴るほど乾燥した粉雪が降り続く中、ぼくは今まで自分の足で歩いたことのある、この街のすべての道という道を踏破し、場所という場所を訪ね歩いた。

 ちっぽけなカプセルを、コートのポケットの中、握りしめて。

 なにが、そうさせたのか。
 自分でも、よくわからない。

 夕暮れが間近に迫る頃、ぼくは、街を見下ろす丘の上の展望台にいた。
 降りしきる雪は、すべてを呑み込み、灰色の渦以外、なにもみえない。

 そう。
 それで、いい。

 ぼくは、この街で起こった、すべての出来事を捨て去って、新天地へと赴く。


 そこに、眞琴が現れた。

 ――出来過ぎだ。

 この雪の中、眞琴はなにをしにきたのだろう。

 ぼくを探してくれたのか。
 別れを言いに、きてくれたのか。
 なにか、話しておくべきことはないか。

「行っちゃうの?」
「ああ。明日の朝」

 ぼくの心はもう、すっかり空っぽで、それ以上、何の言葉も出てこない。

 是も非もなく、階段を下りていく。
 痛痒もなにも感じなかった、と言えばうそになる。
 けれど、ぼくの唇は、最後まで引き結ばれたままだった。

 その日、眞琴を冷たい雪の中へ置き去りにして、翌朝、ぼくはひとり、この街を去った。
 指輪の入ったカプセルだけは、ポケットの奥に忍ばせたまま。


 それからのことは、あまり思い出したくない。

 続けるしかなかった勉強が、ぼくを大学にまで進ませた。
 そのまま、社会へと弾き出される。

 時だけが流れて、やがて「ぼく」は、「僕」を知ることになる。

 依るべきものも、居るべきところも、帰るべきところも。
 なにもかも、すべてなくしてしまった、この僕、を。

       ◇

 もし、「あの夢」に気付いていなければ。
 僕は、ここには居なかった。

「ありがとう。森ノ宮」

 そう語り掛けると、カプセルの中、指輪は応えるように煌きらめいた。


 水路の入り口で、動きがあった。

 流水を踏みしめながら、二つの影がやってくる。

「毬ちゃん、お待たせ」
「予定通りだ。順調にこれたか?」

 二人に手を貸し、通路に上げる。

「大丈夫。誰ともすれ違わなかったし、近所の家は、もう真っ暗。バスも途中から、わたしたち二人だけだったし」

 かえって運転手に印象を残した可能性はあるが、黙っておいた。


 ここからバラ園まで、往路はおよそ四十分。

 現地での作業を三十分、と見込み、帰路は下りで、荷物――クチナシの苗木もない。
 およそ一時間半後には作業を終えて、ここへ戻ってこられるだろう。

 この季節、夜明けは早い。
 薄明を迎える前に、水路の外に出なければ。


「ねえ、毬野。それ、わたしに背負わせて」

 移動用にとこしらえた、吊り下げ式の調光ランタン。
 その赤い光に照らされて、眞琴がクチナシに手を添える。

「ここをまっすぐ行くと、突き当たりに堰がある。そこからしばらくは登りになるから、そこで交代だ。いいな」

 ハーネスを調節して、クチナシを眞琴の背中に預けた。

「支度はいいな、二人とも――麦、先頭を頼む。しんがりは僕が行く」
「オッケー」

 前を行く眞琴の背中で、黒くみえる葉の蔭に、クチナシのつぼみが揺れていた。


「毬野、啓太郎。ありがとう。いまさら、だけど、啓太郎が正しいのかもしれない。電気ホタルのこと、わたしすっかり忘れてた。なのに、ごめん。巻き込んじゃって」
「えー。そうなんだ。俺は眞琴っちゃんの『クチナシ植えて、絵の通りにする』に一票、かなあ――毬ちゃんは?」
「さあ、どうだかな。もしかしたら、『どっちも』だったりして、な?」

 眞琴の鼻が、湿気って鳴った。

「ありがと。二人とも。もうじき、終わりだね」
「三人揃って、おまえの家へ帰れて成功、だろ? それに、これで終わり、はないんじゃないか――なあ、麦?」
「そうだよ。電気ホタルの修理も、手伝ってもらわないと」
「それが済んだら、森ノ宮の元に届けなきゃな。来年が二十三回忌か?」
「その前に、松平先生を探そうよ。香澄ちゃんのお墓だって、知っているかもしれないし」

 きっと今、僕は、僕の居るべきところに立っている。
 目の前で揺れるクチナシのつぼみに、僕はもう一度、心の中でつぶやいた。

「ありがとう。森ノ宮」

(つづく)

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