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【note創作大賞2024応募作品】Monument(第7話)

第二章(4/4)

眞琴

 春の星座は優しい。暖かに霞む、オレンジ色の夕暮れに、よく似合う。

 北斗七星の柄をたどっていくと、うしかい座のアークトゥールスを経て、おとめ座のスピカ。二つ結んで三角を描くと、頂きは獅子のしっぽのデネボラだ。

 春の星座が姿を消すと、雄大な夏の銀河が立ち昇る。

 天空を舞う、はくちょうの尾は一等星のデネブ。銀河を挟んで、こと座のベガと、わし座のアルタイル。ティーポットの形をした射手座の隣、南の地平を低く這う、さそり座の赤い心臓、アンタレス。

 賑やかな夏の星座が西空に傾く頃、ひとつ、またひとつ、流れ星が飛んだ。次から、次へ。去りゆく夏を、惜しむみたいに。

 やがて夜明け前の空にぽつんとひとつ、みなみのうお座のフォーマルハウトが薄明に溶けて、投影は終わった。


 あたしは座席の下からトートバッグを引っ張り出そうと、腰をかがめた。 

 そのときだ。

「香澄ちゃん?」
「どうした、森ノ宮」

 リクライニングシートから身を起そうとした森ノ宮さんの、形のいい顎の先から滴が落ちて、胸元を転がり細長く滲みを作っていく。

「えっ……なにこれ? どうして」

「啓太郎っ!」
「お任せ!」
「眞琴、頼んだ」
 駆け出す啓太郎の後を、毬野が追う。

 あたしはハンカチを手渡しながら、彼女の耳元で囁いた。
「大丈夫?」
「ええ」
「どこか痛むの?」
「ううん、平気です。なんともありません」
 森ノ宮さんは、ハンカチで目元を覆った。
「すみません。どうしちゃったんだろう、わたし。ごめんなさい」

「寒くないか、森ノ宮。これ」
 毬野が、借りてきたブランケットを広げた。
「次の投影まで時間あるから、落ち着くまで、ここで休んでていいってさ」
 啓太郎は、車椅子を押してくる。
「いえ、ごめんなさい。もう平気です。大丈夫」
 ハンカチから顔を離した森ノ宮さんは、さっきまでの涙がうそだったみたいに、いつも通りの森ノ宮さんだ。

「無理するな、森ノ宮」
「医務室で横になれるってさ。少し休む?」
「ありがとう。心配かけて、ごめんなさい」

 彼女は危なげもなく立ち上がると、啓太郎が広げる車椅子に移った。毬野がお弁当を両手に提げて、二人を見守りつつ先導する。
 開け放たれたドアの、その眩しい光の中に、三人の影が溶けていく。

 なぜかしら胸が痛んだ。
 じりじり、ひりひり。
 持久走の後、みたいに。

「どしたの、眞琴っちゃん?」
 車椅子を押す啓太郎が振り返る。
「なんでもない。忘れ物ないか、見てただけ」

 三人をあとを追いかけて、どうしてかあたしは小走りになった。

 昼食にほどよい木陰を求めて、ぼくたちは噴水のある池のほとりを、そろそろ半周しようとしていた。
 初夏の陽気に誘われたのか、予想以上に人出が多い。あてにしていた東屋も、木陰にあるベンチも、藤棚の下も、家族連れに占められていた。


「あたし奥のほう、見に行ってくる」
 そう言い残して、眞琴が駆けだす。
「毬ちゃん、交代。おれも探しに行ってくる」
 麦が車イスにブレーキをかけた。
「あっ、お弁当、預かります」
 両手の包みを森ノ宮の膝に任せて、ぼくは羽織っていたパーカーを脱いだ。うっすらと汗ばんだ背に、乾いた空気が心地いい。

「毬ちゃんと香澄ちゃんは、この辺で待ってて」
 麦は、眞琴とは反対に、公園の入口へ向かった。


 陽射しがきつい。ひとまず日陰に避難しよう。

 ブレーキを解いて車イスを押そうとしたぼくの鼻先を、一筋、石けんの香りがくすぐった。
 手から力が、すとんと抜ける。
 車椅子が、かくりと揺れた。
 麦わら帽子が振り返る。

「ごめん」
 力を込めるが、心許ない。
「少し歩きます。停めてください」
「いや、大丈夫。ぼうっとしてた。ほんと、ごめん」
 麦わら帽子の縁からのぞく、森ノ宮の口元に笑みが浮かんだ。

「毬野さんたちは」
「うん?」
「いつも、こんなふうに休日を過ごすんですか?」
「まあ、だいたいは」
「三人一緒に?」
「うん」
「何をして?」
「うーん。工作とか、観察とか、いろいろと計画してね」
 ぼくはハナミズキの木陰に車椅子を寄せると、ぼくら三人の生まれを話した。


「生まれた時から三人一緒で?! あるんだ。そんなこと」
「うん。まあ、成り行きで」
「今、進んでいる計画もあるんですか?」
「発光ダイオードって判るかな? 豆電球みたいの。点滅の具合を調整してるんだけど、いまいちで。眞琴が進めてるのはヘイケボタルの観察。観たことある? ホタルが光ってるの」
 麦わら帽子が、左右に振れた。
「近くに生息地を見つけたんだ。来月の下旬くらいには光り始めると思うよ。そしたら一緒に見に行かないか?」
「いいんですか? わたしもご一緒して」
「もちろん」
「――あのね、毬野さん。わたし」

「だめだ、毬ちゃん。どっこも空いてないよ」
 麦と眞琴が、一緒に戻って来た。
「どうしよう。少し、待ってみる?」
 眞琴が、辺りの様子に目を配る。

 たぶん、時間の無駄だろう。


「眞琴、麦、試してみたいことがあるんだ」
「いいけど、なに?」
 眞琴が首を傾げた。
「登るんだ。城址公園まで」

眞琴

「お弁当、重たいでしょう? わたしのひざに載せてください」
 車椅子の上、麦わら帽子が振り返る。
「だーめ。もし啓太郎たちにひっくり返されたら、お弁当、台無しだもの」

 森ノ宮さんを茶化すのは、まだちょっぴり勇気がいったけど、彼女は眉をきゅっと寄せた後、笑みをこぼした。


 あたしの両手には、お弁当。
 毬野と啓太郎は、二人がかりで車椅子を押す。
 
 城址公園に登る、こんな、なだらかなルートがあっただなんて、あたしはちっとも知らなかった。
 毬野の下調べのお陰だ。

 舗装された坂道は、最後の最後で校舎を一階と半分くらい登る、階段になった。

「歩きます」

 決然と立つ、紺色のTシャツにアイボリーのカーディガンとロングスカート。森ノ宮さんのいでたちが、学校のそれとは真逆の配色だったことに、今頃、ようやく気がついた。

 啓太郎がうやうやしく森ノ宮さんをエスコートする。
 畳んだ車イスを器用に背負った毬野の後に、あたしが続いた。


 レジャーシートは、大きな桜の木の下に広げた。
 黄緑色をした葉桜の木陰は柔らかく、幸い厭な虫の姿もない。

 啓太郎に急かされながら広げた、森ノ宮さんのお母さんのお弁当を前に、あたしたちは目をぱちくりさせた。

 ぎっしりと詰まっているのは、見たこともないものばっかりだ。おむすびも、サンドイッチも見当たらない。

 かろうじて判ったのはポテトサラダと唐揚げくらいで、それも味付けは、家で食べるのとはぜんぜん違った。
 ぜんぶイタリア料理か、そのアレンジ――森ノ宮さんのお母さんのお得意だそうだ。

「ショートパスタは、わたしも手伝ったんですけれど。ちょっと形が崩れてるのが、わたしの作です」

 バネみたいにくるくるしたパスタにフォークを通して、照れ笑いする森ノ宮さんの胸元には、薄っすらと白い筋が見て取れた。

 さっきの涙はいったい、なんだったのだろう。
 体調不良とかではなさそうだけど。


 お昼をぺろりと平らげて、あたしたちは展望台に登ることにした。

 鉄骨組みの簡素な造り。
 けれど、ここからの眺めは格別だ。

 町中を一望できるだけでなく、遠く都心のビル群や、天気のいい日なら富士山も頭をのぞかせる。

「おれと毬ちゃんとで、おぶっていくよ」
 啓太郎の提案はやんわりと拒否されて、森ノ宮さんは階段を上り始めた。
 踊り場で何度も息を整えながら、ようやくデッキへとたどり着く。

 高いところは、あまり得意ではないらしい森ノ宮さんの両手をとって、啓太郎がデッキの手すりをつかませた。
 拳が真っ白になるほど、それを握りしめながら、彼女は少しずつ円形のデッキを巡っていく。

 春の風は気まぐれだ。

 どこから見ても、森ノ宮さんに似つかわしいとは思えない、縁のほつれかけた大きな古い麦わら帽子。
 気の利かない毬野の小脇を突っついて、気取られないよう、そっとその鍔を後ろで摘まませる。

「あ、あそこ! わたし、あそこにいたんです」
 おそるおそる手すりから片手を解いて森ノ宮さんが指さした先には、あたしたちが生まれた病院。
 てっきり、もっと遠くにいたのかと思ってた。

「あれは、わたしたちの学校ですか?」
「うん。森ノ宮さんのお家は?」
「ええっと。たぶん、あの辺りだと思います」

 学校からだと、線路を渡って坂道を登った、その先。
 段々畑に、つい最近拓かれた宅地の中にあるらしい。

「みなさんのお家は?」

 残念ながら丘の裏手で、ここからは見えない。

「観覧車! 遊園地があるんですか?」
「そうだよ。行ってみたい?」

 啓太郎に、麦わら帽子がこくこくと上下する。

「再来週、写生会があるだろう。あそこに行くんだ」
 と、つられて鍔を摘まんだ手を動かす毬野。
「バラ園があるの。とっても素敵だよ」
「バラ園?」
「うん。絵なんかちゃっちゃと片付けて、遊園地で遊そぼ。もちろんあの観覧車にだって乗れるよ」
「ほんとにほんと?」

 啓太郎に、森ノ宮さんが口真似で返した。

        ◇

 シャワーだけ済ませて、くしゃくしゃのシーツの上に寝転がる。逆さまに見上げた時計の針は、午前一時の少し前。

 長い一日だった。

 北島くんのお店には迷惑をかけた。閉店を過ぎても、彼はわたしたち二人っきりの同窓会に、居場所を提供してくれた。

 おかげでちょっぴり、飲み過ぎだ。

 あんなに杯を重ねたのに、今日は一歩も本題には踏み込めなかった。

 毬野のせいだ。
 こっちは先を急いでいるのに、どうでもいいことばっかり思い出す。

 でも――よかった。

 毬野は、この街での出来事を――わたしたちが四人で過ごした、半年足らずの日々のことを――今も大切にしてくれているらしい。

 ――まあ、それはそれとして。

 なんでも要領良く、てきぱきこなした小学校の頃の毬野は、いったいどこへ行ってしまったのだろう。
 聞けば、明日からのボランティアの支度は、まだなんにもしていない。

 明日は朝から大忙しだ。

 科学館へ車を取りに戻って、毬野をホテルで出迎えて、開店と同時に作業用品店へ飛び込んで、作業着一式をそろえて。

 順調にいっても、バラ園への到着は定刻ギリギリになるだろう。
 脩さんの、にやけた顔が目に浮かぶ。

 かすかに、雨の音がした。
 カーテンの隙間からのぞくと、ベランダに並ぶクチナシの、まだ小さなつぼみの先に雫が光った。 

 季節は、進む。
 話を前に進めねば。

 目を瞑る。

 心地よい旋律は、すぐにやってきてくれて、わたしをまどろみへといざなった。

(つづく)

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