【note創作大賞2024応募作品】Monument(第20話)
第六章(1/2)
眞琴
長い、一日になる。
覚悟して望んだ最終日、木曜のボランティアは、流れるように時間が過ぎた。
脩さんの誤解は最後まで解けず、おかげで恒例の懇親会も堂々とすっぽかして、毬野と二人、帰途につく。
日中、啓太郎が調達してくれた不足の品を確かめて、行動計画をおさらいすると、わたしたちにはもう、成すべきことはなくなった。
ベッドを譲る、というわたしの提案はあっけなく退けられて、啓太郎はリビングのカウチで、毬野はダイニングテーブルに突っ伏して、わたしは――意固地になったつもりもないが、薄手のブランケットにくるまって、窓辺にもたれた。
後は、時を待つばかり。
遠雷が聞こえたような気がして、ベランダの窓を薄く開けると、丘の端で三日月が雲に翳んでいた。
首を伸ばして見渡す空に、怪しげな雲は今のところない。
天気予報、外れてくれればいいのだが。
ベランダに並んだクチナシの鉢は、一つ少ない。
選ばれたクチナシは梱包されて、わたしの隣でまだ緑色の抜けきらないクリーム色のつぼみをのぞかせていた。
「眠れないのか?」
「ごめん、毬野。起こしちゃった?」
「いや、僕もだ。目だけでも瞑っておくといい」
「うん」
言われた通りに、目を閉じた。
まぶたの裏には、つぼみの残像。
そのやわらかな乳白を、うっすらと淡く、黄緑色の光が照らした。
思い出の、電気ホタルがよみがえる。
◇
近所の神社に、今年も縁日がたった。
夏休みも、もう間近。
あたしたちは、出店を一回りすると、少し離れた沢筋へ向かった。
粘土山からの湧水が造ったらしい、その沢には、ヘイケボタルが生息している。
夏休みの自由研究に備え、あたしは毬野と啓太郎の手を借りて、そこに簡単な通路と、観察用のテラスを整備してあった。
あたしたちは、手に手にラムネを飲みながら、ホタルを待っていた。
「焼きそばでも買いに行かない?」
退屈したらしい啓太郎が、毬野を誘った。
「まだ食うのかよ?」
そう言いながらも、名残り惜し気にビー玉を転がす香澄の手から、毬野は空き瓶を預かる。
「いってらっしゃい、ふたりとも」
手を振る香澄の唇が、「またね」と象られた。
二人の姿がみえなくなる。
「はあ~あ」
途端に、香澄は大欠伸。
朝顔が染め抜かれた浴衣の袖から、真っ白な二本の腕が、むき出しになった。
「おしとやかなフリって、なんか肩こる」
着崩れが心配になるほど大きく、肩をまわす。
運動会からこっち、香澄はわたしと二人になると、こうして本性を顕わした。
「だったら、やめちゃえばいいんじゃない?」
「ふっ。これだから、お子ちゃまは」
あたしが着ていたのは、姉のおさがり。
すっかり色の褪せてしまった、タチアオイらしい花柄の甚平で、さっきもラムネ屋のおじさんに、姉妹と間違われたばっかりだ。
「そんなだと、わたしが取っちゃうよ」
「なにを?」
「さあーて、ね」
香澄は手すりにひじを着き、沢を向いた。
「わたし……林間学校、行けなくなった」
聞き違い、かと思った。
ついさっきまで、わたしたちの話題といったら、林間学校で持ちきりだったではないか。
「体調でも……」
「手術するんだ。わたし」
「手術?」
「誤解しないで。悪いわけじゃないの。むしろ、いいからできるんだ。今のうちに、ね」
夕闇の宿る沢筋に、ホタルが瞬き始めた。
「怖く、ないの?」
「何度目だと思ってんの? いまさら怖いことなんて、なんにもないよ」
結い残された後れ毛を、風が揺らした。
「あーっ、そういや眞琴、覗いてたでしょう? わたしのお腹。運動会の着替えのとき――エッチ!」
せっかく茶化してくれたのに。
笑い切れずに、あたしは訊いてしまった。
「どれくらい、かかるの?」
「ちょっと早めに休みに入って、二学期までには、ね」
「始業式には、会えるよね?」
確かな言葉が、聞きたかった。
「ねえっ?!」
「シーっ! もう。ホタルが光るの、やめちゃったじゃない」
「ごめっ……」
いきなり振り向いた香澄の腕が、あたしの肩にまわった。
結い上げられたうなじから、藍の香りが立ち昇る。
「ほんとはね、ほんとは怖い。怖くて……逃げ出しちゃいそう」
「――香澄」
震える背中を、撫で続ける以外、あたし出来ることはない。
震えがだんだん、大きくなった。
「香澄?」
香澄は、笑いながら腕を解くと、あたしの肩を押して、身を離した。
「なあーんて、ね。かわいいなあ、眞琴は。すぐに、ひっかかるんだから。いじめたくなっちゃう」
身を折りながら、香澄は笑い続けた。
「そろそろ行かなきゃ。お母さんと、待ち合わせなの」
彼女は、たおやかな仕草で、腕時計を見た。
「今日はありがと。楽しかった。明日から学校休むけど、二人には眞琴から、よろしく伝えて」
返事の代わりに、わたしは小指を差し出した。
「――なに、それ?」
「指切りだよ。知らないの?」
香澄が首を傾げたから、手を取って小指を伸ばすと、あたしは右の手指を絡げた。
「約束だよ。二学期にはまた、元気に登校してくること。いい? 指切りげんまん、うそついたら、針千本呑ーます。指切った」
「どうでもいいけど、わたし針の千本くらいなら、なんともないよ。注射だけでも、もう二千、三千じゃきかないし」
「そういう問題じゃあないの。これは、大事なおまじないなんだから」
「ふーん。あっ、そうだ。始業式で、感動の再会ごっこしよう! 『手術、怖かったー』って眞琴の胸で、わたしが泣くの。どう?」
「なに、それ? まあ、いいけど」
「だからさ、夏休みの間、も少し発育させといてよね。その薄っぺらい胸。ゴツゴツしてて痛いから」
ひとしきり笑った香澄が、襟元を直し、両手をそろえた。
「じゃあ、今日はこれで。見送られるのって苦手なの。眞琴。先に、二人のところへ行ってあげて」
「うん。手術、がんばって」
堤を上りかけながら、あたしは香澄を振り返った。
「お見舞い、行くからね」
帯の前に手を上げて、薄く微笑んだ香澄の袖に、いつのまにかホタルが瞬いていた。
襟にも、帯にも、裾にも。
黄緑色のやさしい光は、香澄の輪郭を仄かに照らすと、また闇に帰し、再び淡い光の中に浮かび上がらせた。
「林間学校の、お土産持って行くからねっ!」
ホタルの光に照らされて、彼女の顎は小さく、うなずいたようだった。
◇
生前の香澄の、これが最後の姿になった。
馨
夜更け待って、僕らは出発した。
昨夜、眞琴がカーナビにセットしてくれたポイントで、クチナシとともに車を降りる。
木曜の晩が幸いしたのか、近所の家々に、もう灯りはない。
宵の口の激しい雷雨にさらされて、夜気はしっとりと湿り、冷たかった。
窓は、閉ざされているだろう。ことさら、物音に気を配る必要もなさそうだ。
僕はクチナシの苗木を背負い、慎重に水路へと降りていった。
心配なのは水かさだ。
予想した通り、昨日よりは幾分高く、くるぶしが洗われる。
が、この程度なら、通路へ上がるまでの辛抱だ。
水路を進み始めると、眞琴の軽のエンジンがかかった。
路面を咬む車輪の音が、遠ざかる。
「僕が戻らなければ、計画決行」。
その意は、二人にも伝わっている。
二人とは、水路の中で合流する手はずだ。
水路を進み、昨日と同じ、階段跡に落ち着いた。
ろうそくに火を点して、二人の到着まで、待つこと、およそ一時間。
ひとり、きり。
ポケットの中で握りしめていたカプセルを取り出して、僕はろうそくの灯りにかざした。
◇
一度だけ、森ノ宮を見舞ったことがある。
誰も知らない、ぼくだけの秘密だ。
盆も過ぎて、もう、夏も終わりに近かった。
眞琴から「面会謝絶」と聴かされていたから日を空けた。
と、いうのは口実で、正直ぼくは気おくれしていた。
彼女を訪ねていくことに。
勉強で、図書室へ通っていたから。
麦のお父さんのところが、お中元で忙しかったから。
プール通いが過ぎたのか、喉の調子が変だったから。
盆が明けると、その口実も――喉を除けば、すべて尽きた。
見舞いの品は、どうしよう。
林間学校のお土産は、三人で買ったものだったから、勝手に持ちだす訳にはいかない。
「いらっしゃいませ。なにか、ご用ですか?」
花屋の店先でまごついていたら、店員さんから声を掛けられた。
「お見舞いの花を……」
「お見舞いはご家族? それとも……」
「同級生です」
「男の子?」
「女です」
首筋にカッと、熱が走った。
「ご予算は?」
有り金、全部、手のひらに載せて差し出した。
「すいません。これしか持ってません」
花がこんなに高価だなんて。ぼくは、それまで知らずにいた。
「うーん……」
ショーケースを前に思案顔の店員さんが、ピンクというには、ややオレンジ色っぽいバラを手に取った。
一本、二本、三本。
停まっていた手が、もう一本を、加えた。
これで予算一杯だ。
でも、見舞いには縁起が悪いってことくらい、このぼくにだって見当はつく。
かといって三本では、いかにも貧相だ。
いっそ、一本のほうが、恰好がつくのか。
言い出そうか、やめようか。
迷ううち、お店の奥に引っ込んだ店員さんが、もう一輪バラを加えると、泡みたいな白い花がたくさんついた小枝を添えて、ぼくの方へと差し出した。
「これで、いかがですか?」
きれいにまとまっていた。
でも。
「ごめんなさい。お金が」
「この一本は、私からの応援。よく見て。ほら、この一輪だけ、他よりちょっと短いでしょう?」
店員さんの言うバラの丈だけ、確かに他より少し短い。
「運んでくる途中で折れちゃったの。ディスプレイ用に取っておいたんだけど、これでよければ、おまけします。いかがですか?」
病院までは、すぐだった。
深呼吸して、森ノ宮の病室を尋ねる。
「面会謝絶です」
花束なんか、持って帰れやしない。
玄関を出て、途方に暮れた。
そこへ、
「そこの君、ちょっといい?」
ケバい女に、声を掛けられた。
「しばらくの間、これ、お願い」
言うが早いか、女はぼくの胸元に、ひょいひょいと、おはぎみたいな、ちいさな玉を押し付ける。
肌にピリッと痛みがはしった。
ポロシャツに、しがみついていたのは、三匹の子猫。
「ここを動かないで。すぐ戻るから。いいわね?! ここにいて」
ぼくは、両腕で子猫たちを支えた。
まだ、眼も開いてない。
ぼくの服にしがみつき、声を張り上げて鳴き騒ぐ。
往来する人が、花束と子猫を抱えたぼくを、物珍し気に覗き見た。
「待たせてごめん」でも「ありがとう」でもなく、女は戻ってくるなり「ついてきて」と、ぼくの都合なんかお構いなしに、ずんずん先を歩いていく。
「なに、ぼさっと突っ立ってんの? さっさとして」
しかたなく、後をついていく。
職員通用口の脇。自販機の、隣のベンチに落ちついた。
「ったく、この炎天下に、どういう神経してんだか」
こいつらは、病院坂下の草むらに、兄弟たちと捨てられていたんだそうだ。
「後始末してくるから。君はこれ、やっといて」
ミルクの匂いを嗅ぎつけて、猫たちが一斉に騒ぎ始めた。
どこから持ち出したのか、スコップを片手に、女は病院坂を下っていく。
ぼくは、預かった哺乳瓶を子猫たちの口元へ運んだ。
女が戻ってきたのは、満腹した三匹が、折り重なって眠り込んだ後だった。
「さんきゅ」
差し出されたのは缶コーラ。
女は喉を鳴らして、コーラをあおった。
「ぷはあー! これがビールなら、さしずめ精進落とし、ってとこなんだろうけどね。んっ。君は炭酸、苦手かい?」
「あ、いえ」
遠慮していただけだ。
「ところでさ。君、お見舞い、だよね?」
女が横目に、花束を見た。
「……はい」
「オレンジ色のバラなんて、顔に似合わず大胆じゃないか」
女は、いやらしく舌をみせた。
「さては気になる娘なんだろ? 意気地ねえなあ」
「面会謝絶だったんです。しかたがないでしょう」
女が、真顔になった。
「それって、もしかして、森ノ宮香澄?」
顔色を読まれた。
「そう、か……」
女は片手を口元に寄せ、しばし考え込んだ後、コーラを一気に飲み干した。
「わかった。一丁、力になってやるとしようじゃないか」
そのまましばらく待たされた後、女は小さな看護師さんを連れて戻ってきた。
「ついていきな」
と、看護師さんを顎で指す。
別れ際、お礼を言おうとしたぼくの両肩に手を置くと、女は妙に真剣な顔を作って、こう告げた。
「がんばれよ。男だろ。さあ、行きな」
小さな看護師さんに、ついて歩く。
丘の影に沈もうとする太陽が、ブラインドの羽根を橙色に染めていた。
面談室のイスに座らされると、小さな看護師さんは腕組みをして、ぼくを見下ろした。
「ひとつ、教えといたげる。女にはね、いろいろ支度ってもんがあって、すぐには会わせてあげられないの。いいこと? よーく、憶えておきなさい」
よくわからなかったけど、うなずいておいた。
陽が丘の端に隠れた頃、看護師さんは無言でぼくを手招くと、廊下を真っ直ぐ進んで、突き当りの病室の前で止まった。
「二度は言わないから、よく聴いて。面会は五分。イスが置いてあるから、そこに腰かけて。そのイスから先には、絶対に行かないこと。いい? 絶対に、よ」
「はい」
看護師さんがドアをノックして、人ひとり通れる分だけ、戸を開ける。「五分経ったら、知らせるから」
後ろ手に花束を持つぼくの背を、看護師さんが無言で押した。
森ノ宮が、いた。
ベッドのリクライニングに半身を起こして。
いつもの紺色のカーディガンを羽織って。
ベッドがやけに、広々とみえた。
「ありがとう。来てくれたんだ」
「森ノ宮……」
喉が掠れて、それっきり。なにを話していいのか、わからなくなった。
「お花、ありがとう。後で看護師さんに生けてもらうから、こっちに見せて」
花束を両手に持って、目いっぱい彼女の方に伸ばしてみせた。
「素敵。毬野さんが選んだの?」
「えっ。あっ、いや。それは、その」
ガラガラ声で、花屋での経緯を聴かせると、彼女はコロコロと笑いながら、咳き込んだ。
「もう、正直なんだから。毬野さんが選んだ。って、言ってくれたら、もっと、うれしかったのに」
「……ごめん」
「ううん、ありがと。とってもうれしい。ほんとだよ。どうしたの? その声」
プールの塩素で爛れたか、夏風邪でもこじらせたのか。
彼女はまた、コロコロと笑った。
「たぶん、声変わりだと思うよ。聴けてよかった。大人になった、毬野さんの声」
そう言うと彼女は、開け放たれた窓を向いた。
ヒグラシが、鳴いていた。
「今日は……」
森ノ宮が、また咳き込んだ。
「来てくれてありがとう。会えてよかった。眞琴とケイタロさんに、よろしく伝えて」
「うん。また、来るよ」
「ううん。もうじき学校でしょう。宿題、終わった?」
「とっくに。夏休み中、図書室に通ってて。憶えてるかな。騎馬戦のときの紅組の主将。三枝さんっていうんだけど秀才でさ。勉強、教えてもらってるんだ。あのさ、よかったら」
「うん?」
「よかったら、二学期から放課後、ぼくに勉強、教えてくれないか?」
遠慮がちに三度、小さくドアが鳴った。
「ごめん。時間みたいだ」
「……うん」
「じゃあ、また。今度は学校で」
花束を、イスの上に置く。
「待って」
ベッドの上で、森ノ宮は右手の小指をさすりながら、ぼくを見上げた。
二回目のノックが、静かに響いた。
「……ごめん。なんでもない」
森ノ宮は、ぼくと小指とを見比べながら微笑むと、また、夕暮れの街に眼を逸らせた。
廊下から、森ノ宮を振り返った。
静かに閉じていく引き戸が、夕映えに沈んだ森ノ宮と、ぼくとを隔てる。
刹那、森ノ宮の髪留めが、橙色の光を弾いた。
◇
今もその日の光景が、僕の眼に、くっきりと焼き付いて離れない。
(つづく)
