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【note創作大賞2024応募作品】Monument(最終話)

第七章(3/3)

眞琴

 クチナシの、ほのかな香りで目を覚ますと、わたしは窓辺で横になり、ブランケットを、被っていた。

 明け方の、冷たい風にあたったのか、片頬と耳が冷たい。

 半身を起こし、ぼやけた目で振り返った窓の外。
 ベランダには、緑に混じって白が滲む。

 物音を立てないよう、そっと窓の隙間を広げる。
 気持ちのいい朝の空気が、室内に流れ込んだ。
 ふんわりと甘い香りを連れて。

 四つ並んだクチナシの鉢。
 そのすべてのつぼみが、口を開きかけていた。
 夜露に濡れた、その白色が清々しい。

 部屋の中へと視線を戻せば、啓太郎はリビングのラグの上で大の字に、毬野はダイニングテーブルに突っ伏していた。
 微かないびきは、啓太郎だ。

 意識の濁りが、一気に澄む。

 飛び起きそうになった左の足に、痛みが走った。

 二人は、ジャージ姿のまま――バラ園潜入の支度のままだ。
 そして、わたしも。


 なにがあった?
 なぜ、わたしたちは、ここに居る?
 どうやって、ここへ戻ってきた?

 水路を進んで、バラ園に達し、クチナシを植えて。
 ホタルの光に追いたてられて、遊園地の中を逃げ惑い、花時計のところで足を挫いて。

 その先、記憶は、あいまいにその輪郭を失っていた。
 暖かくも、なぜだか、ちくりと胸を刺す、甘美な夢。


 ブランケットを剥いでみた。
 泥だらけになっていたはずのジャージには、土汚れひとつない。

 左足首には、裂いたタオルで応急処置がしてあった。
 これも、わたしの結びで間違いない。

 二人を起こしてしまわぬように、そっと寝室へと向かう。
 玄関には所狭しと長靴が、道具の詰まったバックパックが並んでいた。

 出立の前と、同じだ。
 なのに、ひとつ。
 大事なものが、欠けている。

 寝室で手早く着替えだけ済ませ、ベッドサイドで昨夜から切りっぱなしのケータイに電源を入れる。
 日付は一日、きっちりと進んでいた。

 玄関を占めた荷を跨いで外へでる。

 駐車場の車の中にも、それはなかった。

 バラ園へ植えるはずだった、クチナシだけが。

「起きて毬野! 啓太郎!!」

 優しい夢から、起こされた。

「ないの。クチナシが。植えようとしていたやつだけが」

 のんきに寝返りを打っただけの啓太郎を、眞琴が揺すりにかかる。


「落ち着け。眞琴」

 早口にまくしたてる眞琴の言い分を聞きながら、状況を整理する。

 現状から推せば、僕らは昨夜、潜入を断念して、そのまま眠り込んでしまった――と、こうなるよりほか結論はない。

 けれど、三人の記憶――水路からバラ園へ侵入し、無事、クチナシを植え付けた後、謎の光を避けて園内を駆け、大階段の花時計へ至るまでの記憶は、ほぼ完全に一致していた。
 眞琴のケガの手当だってしてあるし、二人の弁が確かなら、財布からは小銭が――往路のバス代だけが、減っているという。

 そしてなにより、クチナシの苗木が、どこにもない。


「確かめに行こう」

 出し抜けに眞琴が言い出した。

「どうやって?」

 クチナシの行方は、気がかりだ。
 でも、体験ボランティアは昨日で終わり。
 今日から来週いっぱいは、バラ園ボランティアは休みに入ると聴かされていた。

 無計画に動くのは、得策とはいえない。

 昨夜の出来事が、もし本当に「あった」のだとすれば、「犯人は、犯行現場に舞い戻る」という、あまりにも陳腐なパターンに、自ら嵌りにいくようなものだ。


「忘れ物した、ってことにするのは。どう?」

 リビングの敷物の上、胡坐をかいた啓太郎が、欠伸交じりに口する。

 まもなく、時刻は午前8時。警備員が詰所に入る。
 忘れ物を取りに戻った、そう言って、中に入れてもらえれば。

「うん。それだ。それにしよう」

言うが早いか、眞琴はキーホルダーから鍵を外して僕に放った。

「戸締りお願い。二人とも、早く着替えて降りてきて。車で待ってるから」

眞琴

 守衛詰所に、車を着ける。

「おはようございます。どうなさいました?」
 当直は、馴染みの警備員さんだった。
「おはようございます。朝早くから、すみません。昨日、更衣室に忘れ物しちゃったみたいで」
「それはお困りだったでしょう。なにを忘れてこられました?」
「お財布――なんですけど」
 口から出まかせの、ベタなウソになった。
「それは大変でしたね。少々お待ちください」


 警備は、管理棟の中にも及ぶ。
 昨日、ボランティアがはけた後、入念に見回られていたら、ジ・エンド、だ。

 警備員さんが、ノートを繰る。

「うーん。こちらには届いていないみたいですねえ」
「たぶん、なんですけど、更衣室のロッカーの上じゃないかと思います」

 とっさに「上」、と言ってしまったが、わたしの背丈でとどいたかどうか。
 首筋に厭な汗が浮いた。

「わかりました。ご一緒しましょう」
「一人で大丈夫ですよ。鍵、お借りできますか?」
「申し訳ありません。許可証をお持ちでないと、お貸しできないんです」

 そんなもの、持っているのは、脩さんのほか数人だけだ。

 警備員さんは詰め所を出ると、園内の巡回に使うパワーアシスト自転車を引いてきた。

「あ、あの――よろしければ、一緒に乗ってください。これから出掛けるものですから、ちょっと急いでまして」

 後席の毬野が、わたしのシートを蹴っとばす。

 バカなことを、口走ってしまった。

 警備員さんが一緒じゃあ、作戦会議もままならない。
 もっとも、ここへ来るまでの間にまとまらなかった話が、ここから駐車場までの、ほんの数分でまとまるとは思えなかったけど。

「承知しました。お言葉に甘えて、ご一緒させていただきます」

 警備員さんが、それとなく車内を検めた。

「お連れ様は――ああ、体験でご一緒されてた方ですね。おはようございます。ええっと、そちら様は?」
「あっ、俺? こいつの、友人です」

 助手席の啓太郎が、頬をひきつらせながら、後席の毬野を指さした。

 警備員さんが、後のドアに手を伸ばす。

「お隣に失礼させていただきます。でもこれ、黛さんだから特別ですよ。厳密にはルール違反になりますので、くれぐれもご内密に。あ、構内速度は、遵守でお願いしますね」

 バラ園の入り口に、一番近い駐車スペースで車を停めると、眞琴は真っ先に車を降りた。

 麦は、助手席から降りようとしない。
 ルームミラーをのぞき込むと、にやりと一瞬、口元をゆがめてみせた。


 どうやら、考えていることは同じらしい。
 車内に残るとみせかけて、警備員と眞琴が去った後、園内に――バラのアーチのたもと、クチナシを植えた場所に潜り込もう、という算段だ。

 警備員は、眞琴に随伴する。
 うまいこと時間を稼いでくれれば、どうというほどのことでもない。

 もし見つかったとしても「帰りが遅いから、どうしたのかなあ、と思って」とかなんとか、適当にとぼけてしまえば、それ以上、詮索されることはないだろう。


「あの、ご面倒をお掛けしますが、お連れ様もご一緒に、ご足労をお願いいただけますか?」

 僕らの目論見もくろみは、有無を言わせぬ一言で、打ち砕かれた。

「恐れ入りますが園内では、わたくしの目の届くところにいらしてください。これも決まりですので。どうか、ご容赦のほど」

眞琴

 なにか、きっかけは、ないだろうか。

 そう考えながら、警備員さんを先頭に、クチナシへと向かう小径の前を横切った。

 男二人とは、相談できない。

 警備員さんから、少し距離を取ったとたんに、
「失礼しました。仕事柄、どうしても早歩きになってしまって。ごゆっくりで、かまいませんよ」
 である。

 後々、今日のことは、脩さんの耳にも届くだろう。
 怪しまれるような行動は、慎むべきだ。

 身動きが取れないまま、わたしたちは管理棟の前に到着した。


 気を遣ってくれたのか、それとも男二人の目を憚ったのか。
 警備員さんは、女子更衣室の中にまでは、ついてこなかった。

 ここで、無駄に時間だけかけてもしかたがない。
 が、男二人が何事か思い付いてくれる可能性に賭けて、適当に時間をとった。


「いかがでしたか?」
「ありがとうございました。ありました」
 財布を、警備員さんに示して見せる。

「それは、なによりでした」
 警備員さんは、鍵束を手に、管理棟の錠をおろした。

 そのまま真っ直ぐ、駐車場へと引き返していく。
 わたしたちも、従わざるを得ない。


「やあ、おはよう」

 クチナシへ至る小径に差し掛かる手前で、声がかかった。

「下で聴いたよ。財布、忘れたんだって? 難儀だったねえ」
「おはようございます。脩さんこそ、どうしたんですか?」

 来週いっぱい、ボランティアは休み、のはずなのに。

 脩さんの眼が、ちらちら、毬野と啓太郎を見る。

「うん。この時期ならではの楽しみがあって――ねえ?」
 脩さんが、警備員さんに話を振った。
「ん? ――ああ、今年も、ですねえ」
 したり顔の警備員さんが、鼻を鳴らした。

 脩さんは満足げにうなずくと、わたしたちを手招きして先頭を歩き始めた。バラのアーチ――クチナシへと至る小径を曲がる。


 まずいことになった。

 他のボラさんならいざ知らず、脩さんの眼だけは誤魔化せまい。

 毬野は前髪を捻くり回し、隣で啓太郎は小さく両手を上に向け、お手上げ、を示した。

 この期に及んで、ジタバタしても始まらない。

 いざとなったら昨夜のことを――今日こんにちに至るまでの一切合切、香澄のことまですべて話して、クチナシを認めてもらえるよう頼み込んでみるよりほかに方法はない。

 脩さんの背中が、バラのアーチの手前で停まった。

 ――万事休す。

 わたしは、脩さんの前へ――クチナシとの間に割って入ろうと、駆け出しかけた。


「おやまあ。今年はまた、ずいぶんとたくさん、花をつけたものですねえ」
 警備員さんが、驚きの声を上げた。
「うん。ほんとだねえ――ん? どうしたい。眞琴っちゃん」

 脩さんの後ろで、わたしは呆然と立ち尽くした。


 あった。

 そこには、クチナシが。
 輝く朝露を、全身に纏って。

 香澄の絵よりも、遙かに大きく、逞しく。
 もう何年も、何十年も前から、そこに根付いていたように。
 当たり前、みたいに。

 つやのある緑色の若葉に縁取られた、クリーム色の蕾は、いくつも綻び、甘くやさしい芳香が漂う。


「どうだい、眞琴っちゃん。これはまたこれでね、バラとは一味違うおもむきがあるだろう? うーん。いい香りだ」

 脩さんが、満足げに腕を組み直し、深呼吸する。


 わたしは両腕を、左右に広げた。
 その手のひらが、がっしりと握り返される。

 温もりは手を伝って、しっかりと届いた。
 わたしの、胸に。

エピローグ

「今朝は、この秋一番の冷え込みとなりました」

 助手席に着くなり、カーラジオがそう告げた。

 吐く息は白く、指先は冷たい――そしてまた、車内の空気も。

 シートベルトを留めようとした僕の手に、運転席の眞琴はむっつりと無言のまま、あからさまに身を引き離した。

 ……怒って、いるのだ。

 こうなってしまうともう、手のつけようがない。
 歩み寄ろうにも、話かけるだけ無駄だった。

 気まずい沈黙の内に、車はマンションの駐車場から滑り出る。

 行き先は、バラ園。

 そう。今日からの三日間、僕らは秋の体験ボランティアに参加する。


 あの奇妙な一夜の後、僕は退職を決意した。

 訊かれて答えた理由だったら、いくつもある。
 けれど、ほんとうのところは、ただひとつ。

 故郷の街で、暮らしたくなった――と、たったそれだけのことだった。

 北海道の短い夏が終わるころ、退職願は受理されて、麦と眞琴にメールを送る。

「無計画! ほんっと、後先なんにも考えてないんだから。どうせ住むとこだってまだなんでしょう? あのさ、もしも。もしも、だよ。ウチで良けりゃあ、見つかるまで面倒みるけど?」

 電話口で一瞬、唇が固まる。

 が、結局、眞琴のその一言で、落ち着き先はひとまず決まり、秋分を過ぎて、僕はこの街に舞い戻った。

 そして、ずるずると今日に至っている。
 居候、という身分のままで。


「キチンと、しないか?」

 そう持ちかけたのは、昨夜ゆうべのことだ。

「キチンと。って、なにを?」
「僕らのことさ。その……籍を入れる、とか」
「結婚、ってこと?」
「ああ、いや、その……。うん」

 準備不足は否めない。
 心構えが、なってなかった。

 今はまだ、定職にすら就けずにいる身。
 分不相応かと回避した単語をぶつけられたくらいで、しどろもどろになってしまう僕も僕ではあったけど。

 今朝のベーコンエッグは、黄身がカチカチで、縁まで真っ黒焦げのカリカリだった。


 何をそんなに怒っている?

 運転席側のドアに寄りかかり、眞琴は片手ハンドルで、乱暴に県道へ出る。
 アクセルを踏んだところへ、折り悪く信号が変わった。
 急ブレーキでつんのめった車体が元に戻ると、僕らはあの、二十三番の橋脚の手前で停まっていた。

 遊園地と駅。
 双方から始まった軌道の撤去工事は、順調らしい。
 あと少しで、二十三番に達しようとしている。

 横目にうかがうと、眞琴も橋脚を眺めていた。
 もうじき、この風景とも、おさらばだ。

 フロントガラス越し、秋の空を高く映して潤みかけていた眞琴の瞳。
 それが、僕に向くなり、険しく尖った。

「なにか用っ?!」
「え? あ、いや。なんでも……」
「だったらこっち見ないで! 前、向いてて。前」

 はいはい。仰せのままに。

 信号が青に変わった。
 急発進にタイヤが鳴る。

 やれやれ。
 どう、ご機嫌をとったものだろう?

眞琴

 昨夜のプロポーズ――らしきもの、とでもしておこう――に、有り体に言えばわたしは、へそを曲げていた。

 いくらなんでも、電気ホタルのハンダをしながら、するような話ではないだろう。


「あのさ――わたし、バツ一個、付いてんだ。黙ってて、ごめん」
「……どこに?」

 言ったわたしがバカだった。
 そう。こいつは、そういうやつなのだ。

 わたしは、掛け布団を引っ張ってくると、リビングで一夜を明かした。
 おかげで今朝は、ちょっぴり鼻がグズついている。


 けれど、わたしは寛大だ。
 リターンマッチのチャンスをやろう。

 お昼休み。

 まずは、香澄のクチナシにお参りをする。

 黄金こがね色の実が、そこかしこに付いていた。
 これを使って、この年の暮れ、香澄のお母さんがこしらえてくれた、あの甘酸っぱい栗きんとんにチャレンジする予定だ。

 毬野と二人、石階段から木立を抜け、道を渡って斜面に取り付く。
 灌木を抜けて、遊園地へ入った。

 場所は、そう――花時計の前がいい。

 時計の針は、今日も永遠の二時一分前を指し、秋の陽を鈍く照り返している。
 手入れする者のない花壇には、三色のコスモスが一面に、花の盛りを迎えていた。

「昨日の話、なんだけど、指輪くれたら考えてあげる」
「わかった。今日の夕方、見に行こう」
「違うよ。そのポケットの中のがほしいの。今、すぐに」
「これは」
 毬野は素直に、ポケットから指輪のカプセルを取り出した。
「おもちゃ、だぞ?」
「いいの、それで。――はい」
 わたしは軍手を外すと、毬野の前に左手を突き出す。

 毬野が、わたしの手を取った。
 指先に、触れた指輪がこそばゆい。
 そのままゆっくり、指輪が沈む。

「どう?」
 顔の隣に指輪を並べる。
「どう――って。ほんとうに、そんなのでいいのか?」
「もちろん!」

 と、応えた途端に、指輪がピシリ、と弾けた。 

 リングのところに、ヒビが入っている。

「ほら見ろ。古いものだから……」

 毬野が覗き込む目の前で、ヒビは見る間に広がると、緑色の宝石まで呑み込んで、真っ白に曇る。

 と、それは、音もなく、パッと砕けて飛び散った。

 塵は一筋の煙になって、秋の風に運ばれていく――花時計に咲く、三色のコスモスの中へ。

 その花の隙間に、ほんの一瞬。
 左目の下に指をあて、「あっかんべー」をする香澄の姿。

 毬野と顔を見合わせた。

 花時計に向き直るともう、彼女の姿は消え失せて、代わりに一羽、小鳥が天高く飛び去った。

 吹き出すわたしに、毬野がつられる。
 毬野の吐息が、前髪を揺らした。


「毬野、じゃんけん! 最初はグー。じゃんけん、ぽんっ!」

 わたしがチョキで、毬野がパー。

「チ、ヨ、コ、レ、イ、ト! と」
 わたしは、一段飛ばしに階段を上る。

「なんだよ、いきなり?!」
「いいからほら、もう一度。最初はグー――」

 二連勝。

「パ、イ、ナ、ツ、プ、ル!」

 秋空には、高く、涼し気な飛行機雲。

 一陣の風が、花時計のコスモスを揺らす。

 わたしを見上げた毬野の襟元に、わたしは思った。

 そうだ、マフラーを編んでやろう。
 今度こそ、クリスマスまでに、間に合うように。

 そして、季節を巡るのだ。
 これからは彼と、二人、一緒に。

 そして、春のバラを手入れする頃。
 香澄は、どんな夢をみせてくれるだろう。

「最初はグー――」

 わたしは三度目の勝負に、身を構えた。

( 了 )


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