【note創作大賞2024応募作品】Monument(第10話)
第三章(3/4)
馨
その日の放課後、ぼくらは車椅子を押して、森ノ宮の家へ向かうはずだった。
午前中ぐずついた天気は、正午を過ぎて幾分持ち直し、今なら雨もあがっている。
この機を逃したくはない。
再び雨が降りだせば、森ノ宮には雨合羽を着てもらわねばならないし、車椅子だって汚れてしまう。
森ノ宮の帰りの支度は済んでいた。
なのに麦は理科準備室に行ったっきりで、眞琴は応援ボードに釘付けだ。
責任の一端は、ぼくにもあった。
麦のいい加減なハンダに、やり直しを命じたのは昨日の放課後。
とっくに済ませただろう。と、たかをくくっていたら、昼前になって、
「いや、これからやろうかな、なんて思ってて……」
ぼくが騎馬戦の打ち合わせに、かまけてなんかいなければ。悔やんだところで、後の祭りだ。
眞琴は眞琴で、森ノ宮と何事か約束してしまったらしく、ボードの前から離れようとしない。
声をかけても、返ってくるのは生返事。
しまいには、
「車椅子なら、毬野一人でも押せるでしょ。先に行ってて。定刻までには啓太郎を引っ張っていくから」
と、きた。
森ノ宮と二人、校門を出る頃にはもう、天気の小康は崩れ出し、空は徐々に鈍色を増していた。不幸中の幸いか、下校のタイミングが遅れたせいで、通学路だけは空いている。
ぼくは急ぎ足に、森ノ宮の家を目指した。
メロディーホーンを軽快に鳴らし、通過していく特急列車。それを見送って踏切を渡ると、道はだんだん上り勾配になる。
昼なお暗い、崖下の急坂を登り切ったところで、雨の気配がした。
大粒、だ。
雨宿りできそうな場所は?
目についたのは、駄菓子屋だった。
軒下に駆け込むや、雨は滝のような土砂降りになった。
近所の子供でごった返す時間のはずが、空模様のせいか、ぼくらの他に客はない。
森ノ宮はベンチの端に腰を下ろした。ぼくは車椅子を畳むと、なれなれしくも、かといって他人行儀にもなりすぎない位置を慎重に選んで、彼女の隣に腰かけた。
一時、弱まった雨は、再び地響きをあげて一段と激しく路面を叩く。
土埃が香った。
冷たい風が細かな雨粒を運んで、森ノ宮が羽織るカーディガンの毛先にも小さな露が浮いている。
「寒くない?」
「ううん。平気」
ぼくはベンチの背もたれに寄りかかって、空を眺めた。
これはしばらく、やみそうにない。
と、唐突に視界を遮るものがあって、ぼくは身体をのけぞらせた。
「ごめんなさい。すごい汗だったから」
ハンカチを握った森ノ宮が、ぼくの額に伸ばしかけていた手を止める。
「すぐ乾くから。ハンカチ、汚しちゃうといけないし」
手の甲で乱暴に汗を拭った。
真っ白なハンカチは、しょんぼり、彼女の胸元に抱かれる。
気詰まりに、ぼくは店の中へ逃げ込んだ。
子供だましがひしめく中、店番のおばあちゃんは座布団の上で船を漕いでいる。
とはいえ、軒先の借り賃、踏み倒すのも気がひけた。
「さっきはごめん。ちょっと、その……びっくりしちゃって」
栓を抜いた瓶を、森ノ宮に差し出した。
「わたしこそ、ごめんなさい。驚かせてしまって――なあに、これ?」
「サイダー。さっきのお詫び」
ぼくと同じ、コーラにしようとして、やめておいた。
もし、飲んだことがなければ、炭酸がきつすぎる。かといってオレンジジュースじゃ、まるっきり子ども扱いだ。
「お詫びだなんて。ごめんなさい。気を遣わせてしまって」
今月は、麦のお父さんの事務所を手伝ったから、懐具合は暖かい。
そう言いくるめて、サイダーの瓶を握らせる。
両手に瓶を捧げ持ち、立ち上る泡を見つめる森ノ宮の瞳が寄った。
先週ケガをした左手には、まだ、ガーゼが留めてある。
僕がコーラの瓶を向けると、森ノ宮も倣って右手のサイダーを差し出した。すかさず、カチリと乾杯したが、森ノ宮は口をつけようとしない。
「遠慮しないで――って、もしかして飲んだこと、なかった?」
「うん、はじめて」
注意の言葉をかける間もなく、瓶をあおった森ノ宮はむせ返り、手にしたままのハンカチで口元を押さえた。
「大丈夫?」
「……ごめん……なさい」
「オレンジジュースと替えようか?」
「ううん、平気。ちょっとびっくりしただけ。気持ちいいね、これ。口の中がしゅわしゅわってして」
白い喉が、こんどはコクリと小さく鳴る。
「ストローをもらってくればよかった」
と、そのときになって、ようやくぼくは気がまわった。
軒先を叩く雨音が、幾分静かになった。
どこからか、のんきなカエルの声が流れてくる。
「運動会、楽しみだね。晴れるといいね」
半分ほどになったサイダーを森ノ宮が揺らした。
「梅雨時だから、どうかなあ」
運動会は、来週の日曜。ぼくは短距離とリレーの三番手、そして騎馬戦にでる。
「今日は、騎馬戦の練習だったんでしょう。ケガした人がいたみたいだったけど、危なくないの?」
平気だよ――といったらウソになる。騎馬同士が激突し、押し合い、圧し合い、潰し合う。擦り傷や、たんこぶくらいは覚悟の上の競技だ。
「楽しそうだね。わたしもなにか、できたらいいのに」
森ノ宮は、運動会も見学だった。
「応援ボード、描いてくれたじゃないか。かっこいいよ。あれ」
「ありがとう。でも、また黛さんに迷惑かけちゃったかな、って」
「気にすることないさ。眞琴ってほら、頑固なところ、あるだろう? 小さい頃からぼくらといたもんだからさ、なんていうのかなあ、ちょっと男っぽくなっちゃったっていうのか、その、女の子の友達に慣れてない、っていうか」
なにを言いたかったのか、わからなくなった。
「うらやましいな。わたしにもそんな友達、いたらよかったのに」
「もう、友達だろ。ぼくたち」
森ノ宮は、ひざの上のサイダーを見つめる。
「うん。そうだね――そう、だよね。けど、毬野さんも、ケイタロさんも、眞琴って呼ぶよね。黛さんのこと」
「あっ、いや。それはその、小さい頃からなんとなく。そのまんま、っていうか……」
「うん。わかった――あのね、わたし毬野さんのこと、馨さん、って呼んじゃだめ?」
馨さん?
なんでそうなる。眞琴を眞琴って呼ぶのが先だろう。
「だから、わたしのことも、香澄でいいよ」
香澄?!
「いいよね? じゃあ、乾杯しよう! わたしコーラって飲んだことないの。一口ちょうだい?」
森ノ宮はサイダーの瓶を突きつける。
交換しよう、ってことらしい。
でも、口をつけてしまった瓶だ。
そのまんま交換なんて、してしまってもいいのか?
自然と泳いだ視線の端が、坂道を駆け下りてくる黄色い雨合羽の子に留まった。
勢いそのまま店先に飛び込み、振り向きざまに、こう叫ぶ。
「一回だけ。ねっ、おかあさん」
言い終える間もなく、女の子の長靴がぬかるみにとられた。
森ノ宮の目の前で、黄色い雨合羽がぐらり、と傾ぐ。
その先はガラス戸だ。ぶつかりでもしたらケガくらいではすまされない。
「馨さんっ!」
意を察して、サイダーの瓶をひったくる。
間に合ってくれ。
「香澄っ。」
激突寸前。
驚くべき反射神経で、森ノ宮は雨合羽の子を抱き止めて、そのままベンチに崩れ込んだ。
「ありがとうございます。お怪我はありませんでしたか?」
母親らしいレインコート姿の女性が傘を畳むと、女の子の前にかがみこんだ。
「ダメじゃない。お姉さんたちに、ありがとうと、ごめんなさいは?」
「ありがと。ごめんなさい――ねえ、一回だけ。ねっ、ね」
女の子は、きょとんとした目つきのままで、母親にせがんだ。
「ほんとうに、ありがとうございました」
女性は森ノ宮とぼくに目礼し、「一回だけよ」と女の子に念を押して、小銭を渡した。
受け取った女の子は、軒下に並ぶガチャポンを、さも難しそうに品定めする。
ようやく心を決めたのか、一台に小銭をセットした。
「出たあ!」
女の子はカプセルを頭上に掲げ、母親に向け精一杯、背伸びしてみせる。
「さあ、行きましょう」
女性は、もう一度会釈をすると、女の子と手をつないで坂道を下っていった。
いつの間にか、雨は上がっていた。
「すごいよ、森ノ宮。よく止められたな。ケガはない?」
「うん。ちょっとどきどきだったけど、もう平気――ねえ、あれなあに?」
「ガチャポン。っても、知らないよね」
ぼくが広げた車椅子に、森ノ宮が納まる。店先に六台並んだガチャポンの前へ、そのまま車椅子を寄せた。
左側の一列は明らかに男の子向け。真ん中はキャラクターの小物が二段。さっき雨合羽の子が回した右一列が、女の子向けのものらしい。
ぼくは飲み物の釣り銭を、左と右と、一台づつにセットした。
「ごめんなさい。そんなつもりじゃ」
「ぼくも久しぶりなんだ。運試しみたいなものだからさ、一緒につきあってくれないか?」
「いち、にいの、さんっ!」
掛け声にあわせて、一緒にハンドルを回す。
ぼくのところには半分黄色の、森ノ宮には、さっきの女の子と同じ、半分ピンクのカプセルが出た。
「わあ、かわいい。ありがとう」
森ノ宮のは、髪留めだった。
早速、前髪に留めて、ぼくを向く。
「どう?」
どうもこうも、森ノ宮には、お世辞にも似合うなんていいようのない、ちゃちなおもちゃだ。
「か……毬野さん、のは?」
ぼくのは、緑色の指輪だった。
おおかた、店番のおばあちゃんが入れ間違えたんだろう。
ぼくはいらない。森ノ宮にあげよう。
……ん、待て待て。森ノ宮にあげる?
って、指輪を、か?!
頬がカッと燃え上がった。
「ねえ、なにが出てきたの?」
――どうしよう。
ぼくは途方に暮れて、天を仰いだ。
「虹だ」
「えっ、どこに?」
ぼくはカプセルを素早くポケットに押し込むと、森ノ宮の車椅子をくるりと回した。
東の空に去って行く黒雲を跨いで、大きく虹が架かっていた。しかも、二重に。
「わたし、初めて見た。虹」
「ぼくもだよ。二重に架かる虹なんて」
(つづく)
