鬼の親指
先日、実家の母親から「古い写真を処分したいから一度見に来て」と連絡があり、実家に帰りました。
実家に到着すると、テーブルの上に何百枚もの写真が。もちろんすべてに僕が写っているわけではありません。両親や姉弟の写真もごちゃ混ぜになって、この量です。
「面倒くさいな」と気後れしたものの、とりあえず母親と一緒に写真を選り分けていきました。
ふと、一枚の写真に目が止まりました。
中学校の卒業式の日、部活の顧問と一緒に撮った写真でした。撮った時のことは憶えていないけれど、彼のことは、忘れようがない。
僕はその写真をぼんやりと眺めました。
僕は小児喘息持ちで、小学生の頃は少し運動をしたり、埃っぽい場所に出掛けただけで発作が起きてしまうような病弱な子供でした。
酷い時は毎晩のように発作が出て、姉弟がリビングでアニメを見ている中、僕は別室に移動して(少しでも空気が澄んでいる所を求めた結果です)、吸入器に口を突っ込んで必死に息苦しさに耐えていました。
小学校高学年に上がる頃には体力がついて発作が起きることも少なくなりました。けれど、喘息のトラウマは消えません。
喘息を恐れるあまり、一切の運動をしなくなった12才の僕の身長と体重は150センチで63キロ。肥満児です。
当時の僕のあだ名は丸々した体型がドラゴンボールに出てくる『魔神ブウ』に似てるという理由から『ブウ』でした。
蔑称を付けられても僕は「喘息に襲われるよりはマシだ」と運動から逃げ続けました。
その逃亡生活が突如、終わりを迎えることになります。
中学生になり、ひょんなことから僕はバレーボール部に入部することになりました。
新入部員の中で僕はダントツの下手くそでした。そもそも運動の経験がないために、まず練習についていくことが出来ない。誰でも出来るようなことが、まるで出来ない。同級生も、先輩も、僕の体力のなさ、運動神経のなさに呆れていました。
そんな中、顧問だけが容赦なく僕の尻を叩き続けました。
体力が尽きてコートの外で倒れ込んでいると「立ておら!」とバレーボールをぶつけられます。
ランニングで最下位になりフラフラで戻って来た僕を「もう一周走ってこい!」と怒鳴りつけます。
練習後、部員全員が引き上げたあとに居残り練習として電気の消えた体育館の中で「拾えおら!」とレシーブ練習で走り回されます。
最初は戸惑いました。喘息の持病のために、どちらかと言えば過保護気味に育てられた僕はこんな乱暴な扱いを受けた経験がありませんでした。僕には彼が鬼に見えました。人間の皮を被った鬼。衝撃的な人間が突然、僕の人生に現れたのです。
ほかの部員よりも明らかに練習量が多いことに不満を持ったこともありました。けれど、反論する余地もないほど、練習、練習、練習の日々。僕の身体と根性についた贅肉を顧問は強制的に削ぎ落としていきました。まるで「今までの生き方では、この先を生き抜くことは出来ない」とでも言うように。
三年生が引退すると練習はさらに厳しくなりました(二年生は在籍していなかったので、自動的に僕ら一年生が最上級生になりました)。
あまりの厳しさに同級生は学校や練習を休みがちになり、チームメイト全員が練習に顔を揃えることは滅多になくなりました。顧問は当然、いい気はしません。練習は一層、激しく、熱が入ります。文字通り、放課後は鬼による地獄のレッスンの幕開けなのです。
幸か不幸か僕は喘息の発作に襲われることもなく、病気がちであったはずなのに風邪一つ引くことがありませんでした。ずる休みをすれば鬼に何をされるかわかったものではない。僕は一日も練習を休みませんでした。
そして少しだけ、心境の変化もあったのです。
相変わらず下手くそではあったけれど、バレーボールが上達しているという実感はありました。劇的な変化ではないけれど、出来なかったことが、少しだけ出来るようになっている。走りきれるようになっている。届くようになっている。成功率が上がっている。小さな進歩ばかりだけれど、成長していることが嬉しい。生まれて初めての感覚でした。
すると「元の自分には戻りたくない」という思いが芽生えて、僕はさらに真面目に練習に取り組むようになりました。それだけでは物足りなくなり、練習が終わると一度自宅に戻り、親に買ってもらったバレーボールを持って近所の公園に行き、一人で自主練に励むようになりました。顧問に「お前はサーブだけは上手い。お前のサーブはチームの武器になる」と唯一褒められていたので、自主練ではサーブの練習を集中的にやり続けました。
そして引退試合を迎えました。
僕は定位置となったベンチから試合の行方を見守っています。そんな僕のユニフォームの背番号は『1』。顧問からの無言の功労賞でした。
地区予選を勝ち抜いたあとの本戦でした。運悪く、僕らのチームは一回戦で優勝候補のチームと対戦することになりました。
第一セットは呆気なく相手チームに取られ、迎えた第二セット。スコアは22-24。相手チームのマッチポイントです。あと一点を取られた瞬間に、僕ら三年生は引退になります。絶体絶命の状況です。
そこで顧問が僕を呼びました。「いくぞ」と静かに僕に告げます。まさかの選手交代です。地区予選にも出ていなかった僕が、この土壇場で、この絶体絶命の場面で、ピンチサーバーとして出場。
「嘘でしょ」と僕は呆気に取られました。チームメイトも「嘘でしょ」となっていたと思います。
けれど、顧問は冗談を言う人間ではありません。情に流される人間でもありません。つまり顧問は『勝利』のために、僕を選んだのです。「チームの武器」をここで使うことにしたのです。
僕は腹をくくりました。もう、やるしかない。
つい数年前まで喘息で息も絶え絶えだった自分が、変わることから逃げ続けていた自分が、こんな緊迫した場面に立ち会うことになるとは。考えもしなかった。命運を託されるなんて。任されるなんて。
僕はボールを受け取り、エンドラインに立ち、構えて、笛を待ちます。笛が鳴ります。
四連続サービスエースが決まりました。
スコアは26-24。まさかの大逆転で、優勝候補から奇跡のセット奪取です。
四本目のサーブが相手選手の腕を弾きコートにボールが落ちて笛が鳴った瞬間、僕は生まれて初めて雄叫びを上げました。駆け寄ってきたチームメイトと抱き合います。
ふと顧問を見ると、彼は仏頂面のまま静かに頷き、僕と目が合った瞬間、鬼は僕に向かって親指を立てました。
写真の整理を終えると僕はテーブルの上を片付け、「この写真だけもらっていく」と言って実家を出ました。
バイクに跨がりながら、また写真をぼんやりと眺めました。
中学校入学時に150センチで63キロだった僕は、
中学校卒業時で170センチで58キロになっていました。
想像もしていなかった自分の姿です。
ちょっとした選択の違いで、未来は大きく変わるものだと僕は思っています。
同時に、選択はすべてにおいて、選ばれるべくして選ばれるものなのだとも思っています。
彼に出会わなかった自分の人生というものが、僕にはまったく想像できないのです。出会うべくして出会った気がして、仕方がない。
この先、あらゆる場面で選択を迫られることになる。生きる上で避けては通れない道です。
でも、その選択の先に待つ未来の出来事は、起こるべくして起こること。
僕は自分の選択と、その選択の先に待つ出来事を楽しみにしています。胸を躍らせていると言ってもいい。
それが喜びであれ、悲しみであれ、栄光であれ、挫折であれ。
いろんなことを経験したい。いろんなことを感じたい。生きている間に。
僕はヘルメットを被るとエンジンをかけ、アクセルを回して道路に出ました。
偶然、顧問が乗っていたものと同じ車種の車とすれ違い、思わず運転席を覗き込みました。当然ながら別人です。
これも、起こるべくして起こったことかも。
なんだか恩人である鬼に「ちゃんと見てるからな」と喝を入れられたような、そんな気がしました。
いいなと思ったら応援しよう!
たくさんの人に楽しんでもらえる小説を書くための活動費として、大切に使わせて頂きます。
もし良ければ、ご支援のほど、よろしくお願い致します。
