広州・開平 華僑ドリームを垣間見る①
今年の国慶節は広東省に行ってきた。旅行嫌いの夫が、広州なら…と言い出したのだ。ご飯がおいしい、混んでなさそう、というのが主な理由(ちょっと失礼やろ)らしい。私にとっては初めての広州、トランジットでちょっと深圳に立ち寄ったことを除けば広東省も初めてだ。

まず広州について何をしたかというと、夫が出張のときに使うレストラン巡りである。美味しいけど人気が出てしまい入れなくなったという天ぷら屋、とか。なんで広州まで来て…って思いながら、優しい私は2時間待ち。美味しかったけど、それより感動したのが夫の同僚の人に勧められた順徳料理(順徳も広東省の街の一つ)。よくある蒸し野菜一つをとっても絶品だった。順徳、潮州といった美食の聖地を抱える広東省の偉大さを感じた。ただ、胃袋がもう1つほしかった。


さて。中国では奇妙な形の住宅によく出会う。たとえば迷路のような重慶の集合住宅や、福建省の土楼などもそうだけど、奇妙なのには理由がある。今回の旅では広東省唯一の世界文化遺産、開平碉楼(kaipingdiaolou)も見に行った。広州から車で2時間弱。田畑や森林の中に突如として現れるそれは、一見すると灰色の塔だが、よく見るとお城のような凝った細工がある不思議な建物群。

度重なる戦争で困窮を極めた開平。客家と地元農民の争いなどもあったらしく、村を追われた若者が欧米にわたった。厳しい労働により得たお金で故郷にこのお城のような館を建てたそうな。お城を建てるならもっとゆったりした構造にすれば?と思うが、水害や外部からの侵入者を防ぐ意味で上に高いそうで、それがまた奇妙さに拍車をかけていてとっても素敵である。せっかくお金持ちになったのに、結果的に家が牢獄のようになってしまっているのも皮肉なものだ。

また、中の装飾も一見中華風だけどところどころ西洋風で、微妙なバランスで調和していて面白い。西洋にはこんな建築があった、と指示して作らせたのだろうか。

1920〜30年ごろが開平碉楼の建設最盛期。アヘン戦争、中華民国の成立といった動乱の時代とも符合する。
およそ100年前。劣悪な船内環境や外国での土木作業や洗濯屋などの重労働で命を落とす人も出たそう。でも当時の欧米の賃金は中国のレートに換算すれば考えられないほどの高さ。歯を食いしばって頑張れば巨万の富を得ることができる…ということで、多くの人が欧米にわたり華僑となった。すごい根性だ。

こちらの村ではいくつかの棟の中が公開されていて入ることができた。かつての住人の写真が壁に飾ってあって、女・女・男・女、という4人家族。どういう関係?と思ったらどうやら一夫多妻制だったようだ…。歯をくいしばって働いた男の夢がそこにはあった。
ちなみに各階にキッチンやリビング、ベッドルームがそれぞれあったので、妻ごとに棲み分けていたのだと思う。配慮はなされていた様子。


印象的だったのが、博物館で見た切り落とした弁髪。清時代の象徴ともいえる弁髪だが、中華民国になってからも1950年代くらいまで農村部ではまだこの髪型の人が多かったそうな。外国では差別の対象になるからなのか、それとも邪魔だからなのか、海外で切り落とし、ふるさとに持ち帰ったのだそう。「これまでの自分を捨てて、がむしゃらにやってやるぞ」という決意を感じた。

最後に、友達が紹介してくれた中国語の教科書の中の、開平について記された文章がとても印象的だったので引用して締めくくろうと思う。
「可以说,很少有什么地方会像开平碉楼这样,即是兵荒马乱投影,又是荣华富贵的证明,即是颠沛流离的符号,又是氏族凝聚的丰碑。」
(開平県の碉楼のように、社会の混乱を反映しつつも富と栄華の証であるような、一家離散の象徴でありながらも一族の団結を誇示するようなものはほとんど見られないと言えます)
日本やその他の国で、たくましい華僑の方々に出会っては、その原動力はどこにあるのか?と不思議だった。今回の旅では、パワーの源を少し垣間見た気がする。開平のことが長くなってしまったので、広州の街歩きについては別の機会にpostしようと思う。お付き合いいただきありがとうございました。
