大河小説 国父の剣 第2回由羅の情炎


文化年間(1817年頃) 薩摩国 鹿児島城 奥御殿

奥御殿の、藩主・斉興が最も足繁く通う一角は、常に異様なほど温かい空気に包まれていた。そこは、久光の生母、お由羅の方の居室である。

由羅は、元は身分の低い側女であったが、類まれな美貌と、藩主の意図を汲む細やかな機転、そして何より男子を次々と生み出すことで、城内において正室以上の権勢を手に入れていた。彼女の笑顔は、藩主にとっては春の陽光であったが、城下の重臣たちにとっては、冬の日の氷のように冷たく、恐ろしいものに映った。

統之助、後の久光は、その母の情炎の中で育った。

由羅の統之助に対する愛情は、狂気にも似た絶対的なものであった。それは、この厳しい武家の社会、そして権謀術数渦巻く奥御殿で、自らの産んだ子を守り抜くという、一途で獰猛な本能から生まれたものだ。

「統之助、お前は島津の血筋の中でも、最も強く、賢い子だ。何も恐れることはない」

由羅は、幼い統之助を膝に乗せ、時折、鏡台越しに微笑みかけた。その瞳の奥には、長年にわたる屈辱と、それを覆すための執念が燃え盛っているのを、統之助は感じていた。

彼女の執念の源は、藩の正式な世継ぎ、異母兄・島津斉彬にあった。

斉彬は、斉興の正室・弥姫の子として生まれ、幼少より英才教育を施された、正統な後継者であった。しかし、斉彬の正室の産んだ子は次々と夭折し、その血筋は細く、頼りないものであった。

一方で由羅は、斉興の寵愛を背景に、統之助をはじめとする多くの男子を育て上げていた。その中には、斉興の次期藩主候補として、統之助の上の兄である忠教(ただゆき)も含まれていた。

藩内では、目に見えぬ対立構造が、既に深く根を下ろしていた。

斉彬を支持するのは、集成館事業など開明的な政策を推進する改革派、そして藩の将来を西洋との交易に見る、進取の気性に富んだ若手藩士たちである。彼らにとって斉彬は、薩摩を近代国家へと導く「光」であった。

対する由羅派は、古くからの門閥(かんばつ)や、斉興の藩政運営を支持する守旧派が中心であった。彼らは斉彬の急進的な西洋化を警戒し、「薩摩の伝統と武士の誇りを失わせる」と恐れた。由羅は、彼らにとって、藩主の意志を代弁し、斉彬の暴走を止める「防波堤」に見えていた。

ある冬の夜。統之助が雪見障子から外の雪景色を眺めていると、由羅が静かに声をかけた。

「統之助。お前の兄上、斉彬様は、大変優秀な方だ。しかし、あの御方は、この薩摩という国を、まるで異国の船のように操ろうとしている」

由羅は、まるで物語を聞かせるかのように穏やかな声で続けた。

「船を急ぎすぎれば、荒波に飲まれる。母は、この薩摩の船を、お前たちを、穏やかな港に着けたいだけなのだ。そのために、この船の舵は、必ず母の子が握らねばならぬ」

それは、母としての愛情を隠れ蓑にした、統之助への権力継承の教えであった。

統之助の目に、兄・斉彬は眩しい存在として映っていた。何度か城内で見かけた兄は、いつも分厚い洋書を広げ、難しい顔で藩士たちと議論を交わしている。近寄りがたい、遠い存在。

統之助は、斉彬が作る巨大な鉄製の大砲や、蘭学書に囲まれた集成館の図を、恐ろしさと憧憬がないまぜになった気持ちで眺めていた。

(兄上は、国を強くしたいと願っておられる。母上は、我々を守りたいと願っておられる。だが、この二つの願いは、なぜこうも火花を散らすのだろうか……)

藩主・斉興は、この対立を静観するばかりか、むしろ由羅の意向を強く受けるようになっていた。斉彬への不信感は深まり、その集成館事業への支援は次第に細っていく。

統之助が十歳になる頃には、城下の藩士たちの間では、「お世継ぎ問題」はもはや公然の秘密となっていた。

斉彬派の藩士たちは、由羅とその血筋を「魔物」と呼び、由羅派の藩士たちは斉彬を「危険な異端者」として罵った。

統之助の周りに集まる由羅派の藩士たちの目つきは、次第に鋭さを増していった。彼らは統之助を「由羅様の希望」として祭り上げ、藩主の代替わりが起こる前に、斉彬を失脚させるための具体的な策動を水面下で進め始める。

由羅の愛は、統之助を包み込む暖炉の火であったが、その炎は燃え盛るにつれて、周囲の空気と、この薩摩という国を、恐ろしいほどに歪めていく。

統之助は、自らの意思とは無関係に、このお家騒動の中心に立たされる運命を、幼くして悟る。彼はこの時、母の情炎と、兄の理想との間で、ただ一人、静かに立ちすくむしかなかった。この静かなる葛藤こそが、後の「国父」久光の冷徹な現実主義の、最初の「種」となったのである。

(第3回「兄の背中」へ続く)

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