大河小説 国父の剣 第9回:開明の風
嘉永年間(1851年以降) 薩摩国 鹿児島
嘉永四年、島津斉彬が藩主の座に就いて以来、薩摩藩は熱狂的な「開明の風」に包まれた。斉彬の指導の下、鹿児島は急速に姿を変え始めた。集成館事業はもはや単なる趣味の領域ではなく、藩の存亡をかけた一大プロジェクトとなった。
鉄の加工場からは蒸気機関の音が響き、反射炉は夜空を赤く染め、遠く異国を思わせる軍艦の建造が始まった。
久光は、斉彬の命により学問所の統括という比較的静かな職務にあったが、その立場から、藩の改革の熱を最も間近に感じていた。
「兄上の理想は、もはや藩を超え、国全体を見据えている……」
久光は、斉彬が次々と打ち出す政策に、驚嘆と同時に警戒の念を抱いていた。斉彬の改革は、西洋技術の導入だけでなく、人材登用においても徹底していた。お由羅騒動で失脚した者たち、特に斉彬が認めた若き才能を、彼は水面下で次々と復帰させた。
久光が最も安堵し、そして期待したのは、遠島に処されていた西郷吉之助の赦免であった。
久光は、斉彬に何度も西郷の赦免を強く進言していた。久光は、西郷の類稀なる才覚と、彼の持つ人望こそが、斉彬の急進的な改革を支える「地盤」になると見抜いていた。
西郷が奄美大島から戻ったとき、彼は久光の前に深く頭を下げた。
「重富様(久光)、この度のご尽力、生涯忘れません。私が藩主斉彬様の元で再び働けるのも、全ては貴方様のおかげにございます」
久光は静かに言った。
「西郷。私はただ、藩の安定のため、貴殿の類稀なる才がこの薩摩に不可欠と判断したまでだ。貴殿は、兄上の理想の剣となれ。だが、その剣は、藩の血を流すものであってはならない」
久光の言葉には、お由羅騒動の苦い記憶が滲んでいた。西郷は久光の意を理解し、深く頷いた。彼の背後には、藩主の信頼を得て、再び政務に復帰していた大久保一蔵の姿があった。
大久保一蔵利通は、その頃、学問所の役職から、斉彬の側近へと急速に登用されていた。彼は、西郷のような情熱的なカリスマ性はないが、緻密な計算と冷徹な現実感覚を持っていた。
久光は、大久保の持つ「実務能力」と「沈着冷静さ」を高く評価していた。
ある夜、久光は学問所の書類整理を終えた大久保と二人きりになった。
「大久保よ。斉彬様は、我々が追いつけぬほどの速さで世界を見ている。貴殿は、その歩みの足元を、しっかりと固める役目が必要だ」
大久保は、久光の言葉を噛みしめるように受け止めた。
「重富様のおっしゃる通りにございます。藩主様のご理想はあまりに高く、実現には血の滲むような実務が伴います。私は、藩主様の盾となり、泥を被る役目を引き受ける覚悟でございます」
大久保の眼差しには、冷たい炎が宿っていた。彼は、お由羅騒動で受けた屈辱を胸に、二度と藩の権力闘争に巻き込まれないための「力」を求めていた。久光は、その野心を危険だと感じながらも、その才覚が斉彬には不可欠であると理解していた。
こうして、久光、斉彬、西郷、大久保という、後の維新を主導する薩摩が、それぞれの立場で藩政を担い始めた。
斉彬は、富国強兵を推進する傍ら、幕府の老中・阿部正弘と連携し、幕政改革にも積極的に関与し始めた。彼の視線は、薩摩藩内だけに留まらず、日の本全体、そして世界の列強へと向けられていた。
斉彬が目指したのは、日の本全体を富国強兵の道へと導き、列強と対等に渡り合える「近代国家」への変革であった。彼は、将軍・家定の継嗣問題にも深く介入し、自ら擁立した一橋慶喜(後の十五代将軍)を支持。久光は、兄の過度な中央政治への介入が、新たな軋轢を生むことを危惧していた。
(兄上は、あまりにも公明正大すぎる。政治というものは、理想だけでは動かない。非情な計算が必要なのだ)
久光は、集成館の蒸気機関が奏でる轟音を聞きながら、兄の築く未来への道が、あまりにも危うく、脆いバランスの上に成り立っていることを感じていた。
斉彬という巨大な太陽が、薩摩の空を明るく照らすほど、久光は自らの「影」としての役割、すなわち兄の理想を現実の安定に繋ぎ止める役目を、強く自覚し始めるのであった。
(第10回「殿の遺言」へ続く)
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