テロリストはいつから思想家になったんか
「テロ=絶対悪」。今の世の中じゃ、これが一応の正解になってる。
でもな、歴史を開いてみ。テロの定義を決めるのは、いつだって「勝った方の国家」や。
その原点におるのが、ガイ・フォークス。
11月5日、イギリスでは今でも彼の形代を燃やして祝うけど、彼を「権力に抗った英雄」として称える声も根強い。
ここで問わなあかん。
「彼は本当に、未来を変えようとした思想家やったんか? それとも、ただの爆弾魔やったんか?」
ガイ・フォークスがやったこと
1605年、火薬陰謀事件。
ガイ・フォークスがやろうとしたことは、極めてシンプルや。
「国会議事堂を爆破して、王も貴族もまとめて吹き飛ばす」
動機は「カトリック弾圧への反発」。
今の基準で言えば、100%、文句なしのテロリストや。
対話も、交渉も、民衆の説得も一切抜き。気に入らん奴らは物理的に消去する。
これのどこに「思想」があるんや?
彼は民衆のために爆弾を置いたんやない
ここが最大の誤解や。
ガイ・フォークスは、抑圧された民衆を救おうとした「革命家」やない。
自分の信じる「宗教」という狭い正義のために、自分と違う信条を持つ人間を「掃除」しようとしただけや。
そこに支持基盤なんてない。大量殺戮。
つまり、手段が目的を追い越してしもてるんや。
「世界を良くする」んやなくて、「気に入らん世界を壊す」ことだけに特化した、暴力の原型がそこにある。
処刑された後、彼は国家から「裏切り者の象徴」にされた。
でも、時間が経つと不思議なことが起きる。
「たった一人で巨大な国家に刃向かった男」という物語が一人歩きし始めたんや。
テロリストが「物語化」された瞬間。
暴力そのものは汚くても、そこに「正義」というスパイスを振りかければ、後世の人間はそれを「ロマン」と呼んでしまう。これが一番の毒やねん。
ガイ・フォークスの頃は、爆発が目的やった。
でも、現代のテロは違う。
思想を語り、正義を名乗り、SNSで拡散されることを目的とする。
テロは「思想」やなくて「演出」に変わったんや。
「俺たちはこんなに怒ってる」「俺たちの声を聞け」。
爆弾はそのための「メガホン」に過ぎん。でも、そのメガホンから流れる声は、いつだって独りよがりの正義や。
あの「ガイ・フォークスの仮面」を被って、匿名で正義を語る連中を見てみ。
彼らは言う。「アイデアは死なない」と。
顔を隠すっていうのは、自分の暴力に対する責任を捨ててるだけや。
群れるっていうのは、個人の思考を止めてるだけや。
仮面の下にあるのは「無責任な全能感」であって、高潔な思想やない。
テロリストは「弱者」ではない
ここ、みんな勘違いしてる。
「追い詰められた弱者が、最後の手段としてテロを選ぶ」なんて、ただの幻想や。
本当の弱者は、爆弾なんて手に入らへん。声を上げる術すら知らん。
テロを選べる奴は、暴力を振るうリソースを持った「持てる側」。
注目を奪い、恐怖を植え付け、社会のルールを暴力で上書きする。
それは「弱者の抵抗」やなくて、「独裁者の予行演習」や。
彼は先駆者でもなければ、偉大な思想家でもない。
ただのテロという凶悪な手段のプロトタイプ。
恐ろしいのはな、1605年の爆弾魔が、400年以上経った今でも「かっこいい象徴」として消費され続けてること。
ここからは、国家という名のテロリスト編
ガイ・フォークスが議事堂の下に火薬を仕掛けたら「大罪人」や。
でも、国家が「正義」や「安全保障」の名の下に、空からボタン一つで街を焼き払うのは「作戦」と呼ばれる。
この言葉の差は何や?
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