大河小説 国父の剣 第5回:予兆(よちょう)
嘉永元年(1848年) 薩摩国 鹿児島 重富邸
久光(統之助改め)が重富家に入って十年余りが過ぎた。彼は藩政の表舞台から遠ざかったにもかかわらず、その聡明さと真摯な人柄は、依然として藩士たちの注目の的であった。
しかし、この静かな一門の邸宅にも、本家・鹿児島城下から届く風は、次第に荒々しく、生臭くなっていた。藩主・斉興の隠居が近いと囁かれる中、藩内の空気は、一触即発の緊迫感に満ちていた。
兄・斉彬は、世子としての立場は動かないものの、その開明的な集成館事業は、由羅派の徹底した妨害に遭っていた。斉興は依然として由羅の意向を強く受け、斉彬の事業への予算は削られ、彼が登用した若き俊英たちは、些細な失策を理由に遠ざけられていった。
久光は、重富邸の静かな庭で、武術の稽古を終えた後、側近の有馬新七と向かい合っていた。有馬は、久光を心から慕う若き藩士だが、城下の不穏な情報を運んでくる役割も担っていた。
「殿。このままでは、藩論は二つに引き裂かれます。由羅様方の動きは、単なる藩主の継承争いを超え、斉彬様方の排斥へと向かい始めています」
有馬の声は、低く、怒りに満ちていた。
「排斥、か……」
久光は、手に持った竹刀を静かに置いた。彼が重富家に来て以来、ずっと懸念してきた内輪の争いが、ついに制御不能な段階へと進みつつあることを悟った。
由羅派は、藩主・斉興の権威を盾に、斉彬が藩主になれば古き薩摩の美風が失われると喧伝した。彼らは、斉彬を支持する中堅藩士たちを「新法家」(新しい法を奉じる者)と呼び、儒学の道を外れた者として糾弾し始めた。
久光の心に、この対立の「予兆」を決定的に刻み込んだのは、ある夜に持ち込まれた、血痕の残る一通の書状であった。
それは、斉彬の懐刀として集成館事業を支えていた若手藩士が、何者かに襲撃されたという報せだった。幸い命に別状はなかったが、書状には、藩内の要職にある由羅派の重臣数名の名が、具体的に「策謀の主」として記されていた。
久光は、その書状を火鉢にくべた。炎が瞬く中、彼の顔には冷徹なまでの決意が浮かんでいた。
「母上は、とうとう越えてはならぬ一線を越えようとしている。藩の安寧を乱し、血をもって藩論を決めようとされている……」
久光が愛する母、お由羅の方。彼女の愛情は、統之助を権力の火種から守るための情炎であったはずだが、今やそれは、藩全体を焼き尽くしかねない、制御を失った業火となっていた。
久光は、幼き日に心に誓った「藩の安定」という使命を、改めて強く感じた。兄・斉彬は、外の敵(異国)に備えることに全霊を傾けているが、真の危機は、この薩摩の「内側」にある。この内患を断たねば、薩摩は外敵どころか、自壊してしまう。
翌日、久光は、重富家の書院に、信頼する少数の家臣たちを集めた。
「藩内の混乱を、最早看過することはできぬ。兄上の集成館事業は、薩摩の未来にとって不可欠であると、私は重々承知している。しかし、その事業を阻む母上や守旧派を、武力で排斥することは、新たな血の争いを招くだけだ」
久光は、ここで自らの進むべき独自の道を明確に示した。
「我々は、斉彬様を藩主の座に就かせ、その上で、母上と、謀議に関わった者たちの策動を、徹底的に押さえ込む。血を流さず、藩主の権威をもって、藩論を統一する」
久光が目指したのは、斉彬を支持しながらも、その派閥に組み込まれず、藩主斉興の血筋の権威をもって、全体を調停・統制するという、きわめて高度な政治的介入であった。
しかし、そのためには、斉興の隠居、つまり斉彬の藩主就任が、速やかに行われる必要があった。
久光は、静かに、そして秘密裏に、城内の斉彬派の重臣、中でも後の盟友となる大久保一蔵(利通)ら、信頼できる若者たちとの連携を模索し始める。彼らは久光を、由羅の血筋でありながら、客観的かつ冷静に藩の未来を見つめている唯一の調停者として期待していた。
この時、久光はまだ知らなかった。彼が予期した「山鳴り」が、単なる騒動ではなく、多くの血を流す「お由羅騒動」として、すぐそこに迫っていることを。
久光の孤独な決断と、水面下の連携。それは、来たる嵐の中、藩の命運を担う剣が、鞘から抜かれるための、最後の準備期間であった。
(第6回「お由羅騒動、勃発」へ続く)
いいなと思ったら応援しよう!
この先も書き続ける力に変わります。もしええなと思っていただけたら、応援してもらえると嬉しいです.