#74 曇天空のバラ園で愛の告白を見届ける
2025年5月18日。日曜日。
土曜日に続き、ぱっとしない曇り空だった。
晴れていないと遠出をしない質だが、そんな悠長なことは言っていられない。
今週末を逃すと、今春の京阪神地域のバラの見頃は過ぎてしまうと踏んでいたので、あまり気乗りしない曇天でも連日でバラの花を観に行くことにした。
前日は京都府立植物園に参上(#73参照)。その翌日となる今回は、大阪府吹田市の万博記念公園にお邪魔することにした。
***

「ひっさしぶりやな〜」
いつ来ても、その巨像は両手を広げ我々を迎えてくれる。
「おととしの5月20日以来や、元気にしとったか」
巨像はバリトンが効いた落ち着いた声で問い掛けてくる。その声は低周波音となって我々の身体の内側まで響いてきて、巨像が声を発する度に臓腑が震える感覚に、2年ぶりの懐かしさを感じた。
「えぇ、お陰様で何とか変わらずやらせてもらってます」
「そっかそっか、そりゃええことや。にしても、あんさんらがこの時期に来たっちゅーことは今回もアウトドアパークとローズフェスタか」
「よくご存知で」
巨像は前回我々が来た日にち目的も正確に覚えている。
「あったりまえや。わしは全部覚えてるっちゅーねん」
巨像は自慢げに笑顔を讃えた。

「でも、今日は来場した時間も15時を過ぎてしまったし、昨日は雨もめっちゃ振ったし……」
「そやなぁ、あんさんら来んの遅すぎやわ。いくら京都からっちゅーても到着が15時20分は遅すぎや。どーせアレやろ、家を出るまでグズグズしとったんやろ」
「はぁ」
「エキスポシティの駐車場の渋滞に巻き込まれたかて、それを計算して来なあかんわ」
「……仰る通りで」
「それとな、昨日の雨で会場の東の広場はぬかるみでグッチョグチョや。入場料も800円に値上げしとるしな〜」
「そうなんです。15時半、ぬかるみ、800円なんで、今回はローズフェスタだけにしようかと」
「それは、ええ判断や」
「ありがとうございます。さっきまで万博公園まで来てアウトドアパークを見ないという選択に踏ん切りが付かずにいましたが、巨像さんにそう言っていただけると、納得することができそうです」
「いつも言うとるけど、物事は臨機応変に、柔軟に考えなアカンで〜」
満足そうにそう告げると、巨像は私たちの後ろを歩く家族連れに声をかけ始めた。
「お、自分らはここ、初めてやんな〜」
巨像もグリーティングで忙しいのだ。

気さくに声をかける巨像
「じゃ、またあとで」と言って巨像の脇を抜けようとした時、巨像が後ろの家族連れとの会話を中断させ、再び我々に声をかけてきた。
「一つお願いがあんねんけど、わし後ろ向きやさかいバラがよう見えへんねん。そっちのちっこい方は今日も一眼レフ持って来とるやろ、あとでわしにも写真見せてえや」
巨像が連れ合いが肩から下げているカメラバッグを見下ろしながら顎を少ししゃくった。
「私なんかの写真で良ければ」と連れ合いが答えた。
「そいじゃ、楽しみにしてるで〜」
巨像は一瞬我々に向けてウインクすると、たちまち後ろの家族連れに中断していた話の続きを再開した。
その変わり身の速さに我々は顔を見合わせ微笑った。

***

万博記念公園の平和のバラ園は規模はそんなに大きくないものの、園自体に少し勾配がついてたりツルバラのアーチがたくさんレイアウトされているので他の園より立体感を感じ、より華やかに魅せる工夫を随所に見ることができる。



例えば、バラだけでなくハーブと一緒に植えてたり芍薬など他の植物もさりげなく植えられていて賑やかで楽しい。


1970年の大阪万博開催時に世界9カ国から平和を願って寄贈されたバラと最新のバラを取り入れた平和のバラ園には約250品種、約2,400株のバラが咲き誇り、美しいバラはもちろん芳醇な香りも楽しめ、京都府立植物園、神戸市立須磨離宮公園、中之島公園などと並んで我々のバラ鑑賞の聖地といっていい名所である。



***
一通りバラを鑑賞し終えると、私は公園のベンチに座り、仄かに鼻腔に届くバラの香りを嗅ぎつつ読書の時間を愉しんでいた。

こういうのを地獄耳というのだろうか。
40分ほど経った時に、私より前から隣のベンチに腰掛け談笑していたカップルの会話の中身が耳に入ってきた。
隣でずっと繰り広げられるバイト仲間の話や共通の友人の話を騒がしいと感じていたが、若者特有の馬鹿話と割り切って気にしないようにしていた。
しかしそれまでと会話のトーンが変わった所為で、今まで気にも留めてなかった会話の内容が私に耳に届いてしまったのだ。
会話の断片から判断すると、男性が社会人、女性が学生で、デートに万博記念公園のバラ園に訪れ、そのままおしゃべりを楽しんでいる感じだった。仮に男性を健太。女性を沙耶としておく。
健太と沙耶は、平和のバラ園の近くにあるベンチに並んで腰かけていた。厚く垂れ込めた雲が陽の光を遮り、満開のバラたちもどこか控えめに風に揺れている。
ふたりの間に流れる空気は、どこか冴えないものに変化していた。
健太はペットボトルのコーヒーを手に、指先でラベルをなぞっていた。言葉を探すように沈黙が続く。
「なぁ、沙耶……俺、ずっと言おう思ててんけどさ……」
さっきまでの馬鹿話とは違い低く、慎重な声。曇天の下では、言葉すら湿って落ちていきそうだった。
「俺と付き合ってくれへん?」
隣のベンチに居座っていた私は驚き、思わず沙耶という女性の表情を盗み見してしまった。
沙耶は一瞬だけ驚いたように健太を見て、それからゆっくりと視線を逸らした。
空を見上げるでもなく、地面を見るでもなく、なんとなく遠くのバラに目をやる。
「……うわ、健太、そんなん急に言うん? びっくりするやん」
「急って……ずっと、考えてたんやで?」
「うん、そやな。わかってるよ」
沙耶の声はやわらかかったが、どこか他人行儀だった。曖昧な笑顔を浮かべながら、手元のスマホをいじるふりをする。
「でもなぁ……今、そない真剣なこと言われても、ちょっと困るかも」
「困るって、どういう意味やねん……」
健太の声に、少しだけ苛立ちが混ざる。自分の気持ちは明確なのに、沙耶の態度はまるで、霧の中に立っているかのようだ。
「健太と一緒におるん、ほんま楽しいよ? 気ぃ使わへんし、安心できるし。でも……“付き合う”ってなると話は別やん?」
「もしかして、他に気になってるヤツおるとか……そういうことなん?」
私も健太と同じく、沙耶の受け答えに他の男の影を感じた。こういった小悪魔ぶった若い女性を私も人生で何度か見たことがある。
沙耶は、少しだけ口を閉ざした。それから、また笑った。
「さぁ……どうやろなぁ」
その言葉は冗談めいていたが、健太の胸に沈むものは重たかった。雲の隙間からは、陽の光ひとつ漏れてこない。
「……ほんま、はぐらかすの上手いな」
「せやろ? あかん? 今が楽しいんやもん。焦って関係壊したないし」
沙耶の言葉は、まるで「今」が永遠に続くかのような響きだった。でも健太には、それがかえって不安だった。
「……でも、俺はちゃんと答えが欲しい。今すぐやなくてもええ。けど、ずっとこのままってのは、つらいわ」
「……うん、考えとく」
曇り空の下、ふたりの間には明るい光も、はっきりした影も差し込まない。ただ淡く、鈍く、時間だけが流れていく。
風が吹いて、ひとひらのバラの花びらが足元を転がった。ふたりはそれを見て笑った。けれどその笑い声には、もう以前のような軽やかさはなかった。曇り空と同じ、どこか輪郭のぼやけた感情が、そこにあった。
***
一部始終を垣間見て、人生の先輩である私から見て、率直に健太には分が悪いなと思った。
負けると分かっていて続く延長戦。
一昔前のJリーグでVゴールと呼ばれていた、どちらかが一点取るまで続く延長戦を連想した。
疲弊した末に、ゴールを決められる健太の姿が瞼に浮かんだ。
園内のスピーカーから、万博記念公園内に併設された日本庭園の閉園が告げられた。
それを聞きつけた連れ合いが「5時も過ぎたし、そろそろ帰ろう」と一眼レフ肩に下げたまま私の元にやってきた。
我々が帰り支度を始めたのと同時に、健太と沙耶のカップルもベンチを立ち、一足先に出口の方に向かった。
その5メートルほど後ろを我々が付いていく形となった。


「お帰りか〜」
健太と沙耶に朗らかに声をかける巨像。
園内起きた出来事は全てお見通しなのだろう。巨像は健太の告白を知って、あえて明るく振る舞っているように見えた。しかし、後に続く言葉に詰まってしまう。どう声を掛けたら良いのかわからない、そんな戸惑いがありありと見えた。
巨像は告白の行方については触れず、園内のレストランのハンバーグやオムライスの味は口に合ったかとか、デザートに注文したケーキは美味しかったか、バラ園で食べたアイスは冷た過ぎなかったかなどどうでもいい質問を矢継ぎ早に続けて、健太と沙耶がそれぞれ手短に答える展開が続く。
ゲートに近づいたところで、「また遊びに来てや」と巨像は申し訳なさそうに声をかけた。健太と沙耶も微妙な笑顔を浮かべながら、「またね」と答えてエキスポシティの方へとゲートを潜って行く。
続いて彼らの後ろを歩いていた我々がゲートの目前までやってきた。
「ま、生きてたら人生色々あるわな。また遊びに来てや」
「また近いうちに遊びにきますね」
我々もゲートを潜り、駐車場を目指す。
駐車場へ向かう途中、大阪中央環状線を横断する遊歩道の上で連れ合いが思い出した。
「あ、巨像にバラの写真見せるの忘れてた」
写真を楽しみにしていると言った巨像の顔は社交辞令じゃない顔をしていた。
「ま、また近いうち遊びに来たらいい」
そう言って我々はニフレル前の遊園地通り抜け、ららぽーとEXPOCITYのドアを開けた。
