見出し画像

【note創作大賞2024ファンタジー小説部門応募作】      4の島ぶすの村

あらすじ
幼い頃から人と関わりを持たずに生きてきたヨシモトタケルは難病を機に生きる事を諦め、自分の身体を謎の研究所に預ける。
人里離れた海沿いの研究所、そこにはいくつかの島があり、ヨシモトタケルは島の人と触れ合いながら命と向き合うことになる。

本編
「生き続けなければ駄目ですか?」
戸惑う対面者に考える間も与えずに、ヨシモトタケルは言葉を続ける。
そこには一切の感情が無く、文字がダラダラと口から漏れているよう。
それを拾い集めて文脈にして、やっと意味を汲み取った。
「つまりヨシモトさんは標準的な治療は受けず、痛みのコントロールだけにしたいと」
言葉拾いをしていた医師はヨシモトに気づかれない程の小さなため息をつきそうになって、飲み込んだ。
「可能性があるのに治療をしない…。残念ながら、当院ではご希望に添えません」
「かまいません。病院を変えるだけです」
「当院ではご希望には添えません…が、ご紹介はできます」
「ただ!」と、強い口調。
「その病院を紹介したのが当院だと誰にも言わないと約束して下さい」

ヨシモトタケルが去った診察室、医師と同世代の看護師が顔を曇らせた。
「先生、本当にあそこを紹介するんですか?」
「ここまで条件が揃っていたら、紹介しない訳にはいかないでしょう」
確かに。けれど、紹介するというのは…。
命の現場で培われた倫理観が2人をさいなむ。
ブラインドからの午後の優しい陽の光さえ今は痛みに変わる。

「まーじ?マジで、来てくれたんですねー、いやー、マジで嬉しいんですけど」
少し前の若者言葉を駆使するサズミ。白衣のお陰で医師だとわかるが、ヨシモトタケルは初対面からこのノリが好きになれなかった。

数日前。
いつもの診察室ではなく、広い会議室のような部屋。
紹介されたのが転院先の医師、サズミだった。その日は白衣も身に着けず、医師らしい要素はひとつもなかった。
年齢は30代のヨシモトより若く見える。20代後半か。
年齢に合って、この場には不似合なカジュアルな服。そして、チャラい以外の表現が見つからない言動。
「マジ、こんなに条件に合った人がいるんですね。あ!転院って事になってるけど、うち、病院じゃないんです。研究所、ラボ。べつに良いですよね、ペインコントロールは完璧にやるし、生きる為の治療はしない。出した薬を飲んでもらって、検査をする、ザッツ・オール!それだけ。問題あります?もしかして、私がニセ医者とか疑ってます?大丈夫ちゃんと資格持ってま〜す」
ニセ医者じゃない方が心配になる、この国は大丈夫なのか?思った事を言わない分別を持つヨシモトは中途半端な笑顔でかわした。
「じゃ、念の為に何ヶ所かサインしてもらいますね。まぁヨシモトさんはお身内と言えるような方はいないみたいだから何が起きても問題はないと思いますケド」
サズミの失礼な物言いに反応したのは同席していた主治医だった。
「ヨシモトさん、やめましょう。転院はどうしても勧められない、ここで何とか望むような対応をできるようにしますから」
それに答えるようにヨシモトはサインを済ませた。
「残念でした〜」サズミがケラケラ笑って書類を受け取った。

サズミに指定されたバスを待っていた。
駅前のバスターミナル。
運行しているバスがあるのかという程の深い時間。はしゃぐ若いグループの声が遠くから届く。
あんな事は一度も無かったな。長く暮らした街を離れる、そして二度と戻ることもないだろう。珍しく感傷的になっている自分が面白くなって笑いが漏れた。自分に対してこんなに意地悪な笑いができるものかという笑い方。
もともと何も無い。
生まれて来たのも幻だったのかもしれない。失うものなんて何も無い。

闇に紛れて到着したバス。空圧式とは思えない大きな音でドアが開く。
わずかに躊躇してヨシモトはタラップに足をかけた。
「ハマラボ行き、出発しまぁすぅ」不快な抑揚のアナウンスと同時にバスが街を後にする。
席に着くと、急に眠気に襲われた。最後に目に映ったのは遅咲きの桜。

思いがけない程の青空。
バスを降りると海が近いのか強い潮の香りがまとわりついた。
「芳本さーん!」
砂住がビョンビョン跳ねるように走り出て来た。
これは…。
砂住は学生時代、入学式にビジュアルで人気を集め、体育の授業でそれを失ったタイプだろう。変な走り方。
「まーじ?マジで、来てくれたんですねー、いやー、マジで嬉しいんですけど」
「利害が一致しただけですから。ただ一つだけ伺いたいのは、条件が整うって前の先生も砂住先生も言うけどどういう意味ですか?」
「あー、そこも理解しないでここに来てるんだ、ますます条件にぴったりじゃん」
話をしながらラボに入って行く。予想していた命を取られる陰惨な雰囲気とは違った。
築年が浅く清潔な匂いの研究所。患者と思われる人は見当たらない。
「実は日本各地に、あらゆる病気の最新治療の開発を行う研究所があるんです。その存在は一般の人には知られていない、ってか隠されいるんですね〜。で、ある規模以上の病院ではこちらが望む条件に合った患者さんが来院したら、ラボに連絡しなければならない決まりがあって、芳本さんはうちに来る条件にばっちし合ってたってことです。うちは薬の開発がメインでぴったんこ」「はい、ここが芳本さんの終のお住い」くすくす笑いながら砂住が部屋のドアを開けた。
病室というより、小さなマンションの部屋のようだ。
「ね、ねねね!良くない?ほら、窓を開けると…海〜!あれ?殆どの人が海見るとテンション上がるんだけど気に入らない?海が嫌いなら山側の部屋に変えます?」
「いや。部屋はどうでも良くて、私が合った条件って」
「あー、まだその話?」
面倒くさそう。
「はしょって言うと、生きたくないから治療なんてしたくない人、できれば関わりのある人が少ない患者さん。ね、合ってるでしょ。その中でも芳本さんは原因も治療法も何もかも解っていない珍しい病気ですから。ウチとしては超ウェルカム!前の病院の先生は何とか治そうって言ったと思うけど、何言ってんだかって感じ。何も解っていない病気をどうやって治療するつもりだったんでしょ〜ね。誰も治し方知らないんだから。オレの方が全然誠実ですって」サムズアップで笑顔。
もともと無かった芳本の気力がさらに削がれた。
毎日の生活、研究所から出る事はできないが敷地内に色々な施設があり、自由に使える事などを説明した砂住。
「これで、全部かな?あ、そうだ、あとはどうします?」
「あと?」
「うーん、まだ元気だから良いか。じゃ、治験は明日からなので」
言うだけ言って砂住は部屋を出た。
「あと…」つまり死んだ後の事だろう。国民に隠されていながら確実に存在し、多分医学の進歩に貢献してきたであろう研究所。そこに残りの人生を預ける自分。
やっと生まれてきた価値のひとつだけでも見つかったのか?
そう思い込もうとしても、海からの爽やかな風に包まれても芳本の気持ちは底の方でいつも通り平坦だった。

治験が始まってからも、特別なことはなかった。
投薬を受けて、検査。それ以外は何も無い。症状は良くも悪くもならず心と状況も変わらない。誰かと親しく言葉を交わす事もない。ラボに来てすぐは異物であった芳本の存在が消えて行く。自分が環境の一部になっていく。
ずっとそうやってきた。ずっとだ。今さら孤独を感じることもない。
芳本は周囲の環境、周囲は芳本の環境。

暗い場所。
寒くて怖い。
何とかこの場所から逃げなきゃ。
突然、明るい場所に移った。魔法のようだ。
明るくて暖かい、良い匂いがして美味しい。フワフワして気持ちが良い。味わったことの無い幸せ。こんな気持ちは初めてだ。
ずっと続きますように。
きっと続く。
と、
大きな手で両足を掴まれ耳元で誰かが「お前の居場所はここじゃない」笑いながら言った。
ズルズル引きずられ、気がつけば元の暗闇に。
あの声は、僕の声。大人になった僕の声だ。

涙が止まらない。
子供の頃から繰り返し見ている夢。しばらく嗚咽が続く。普段は喜怒哀楽が殆ど無い芳本だが、この夢から覚めた後は圧倒的な絶望に支配され、どうやってもコントロールができない。
しゃくりあげ、文字通り溢れる涙。
部屋の電気をつけると、闇と光の対比で夢に戻りそうな気がして、暗い部屋でじっと耐えるしかない。

なんとか落ち着いた芳本はベッドから身を起こし、海側の窓を開けた。
転院した日以来、窓を開くことはなかった。
港近くの高台にあるラボからは港に続く道、岸壁、水平線まで見渡せる。
満月でも星の瞬きが良く見えるのは、この周辺にはラボ以外の建物が無いからだろう。
時々海風が度胸試しのように部屋に入り、芳本を撫でて出て行く。
気持ちが良い。
風に身を任せて、外を眺めていると海に浮かぶ灯りに気付いた。小さな2つの灯りが沖に向かって揺らめき、進んでいる。
目を凝らしても波に揺られる月灯りが邪魔になって、それが何かを確かめるこたはできなかった。

翌朝、陽が昇るのを待って屋上へ昇った。
昨夜はわからなかったが、港から低い赤い橋が沖に向かって伸びている。
橋の先に島、そこからも同じような赤い橋が左方向に続き、さらに島があるようだ。屋上からは左の島の途中までしか見えなかった。
長い間、感情も無く生きてきた芳本。感情だけでなく好奇心も何の興味も持っていなかった。なのに、赤い橋とそこに揺らめいていた2つの灯りが気になって仕方がない。
自分の中に湧いた好奇心が何であるのかも解らず、数日間は持て余して過ごしていた。

知りたいことがあれば、知っている人に尋ねなさい。
カンタンですね。

自分が簡単にできる事が、誰にとっても簡単だと思うのは間違い。

【看護師がバイタルのチェックを終える。さり気なく窓を開ける。「あの赤い橋はどこに続いているんですか?」】

という手書きのメモがデスクの引き出しに潜んでいる。
何十年も自分から誰かに話しかけることをしていなかった。メモをして何度ももシュミレーションをした。
【天気の良い日、話しかけ易い看護師が担当、さほど興味が無いようなフリ】
その時を待っていた。

「ああ、あれは1の島です」
シュミレーション通りにやり遂げた芳本。やり遂げた感に浸りそうになったが、看護師の答を繰り返した。
「1の島?」
「ええ、歩道もあって緑がいっぱいの公園のような小さい島です」
「その先にも何か?」
「1の島の次ですから2の島」テキパキと器材を片付けながら看護師が笑顔で言った。
「まんまでしょ、なんか良い名前をつければ良かったのにねぇ」
「その先にも何か」
「ありますけど、入れません。2の島までは私達も入れますけど、その先は立ち入り禁止」
何か秘密があるのかという表情があからさまに出ていたのか、看護師が笑いながら続けた。
「2の島から橋を渡ったらラボが所有する植物園になっていて、いや、植物園って言うには広いかな?植物の管理をする人も住んでいる村で、ラボで使う薬草を作っているんです。薬草ですから毒になる物もあって、私達も含めて入れないんです」
その説明は納得させるより、より強く好奇心を掻き立てた。

行ってみよう。

何も無かった人生、それさえも地に叩きつけるような稀有な病気。
生きて行く事を放棄してやって来た場所で今まで感じたかことのない興味に身を任せている。
皮肉なのか、全てを捨てたからのことなのか。

治験休みの日、芳本は初めてラボの裏手から港に降りた。
赤い橋は屋上から見ていたよりしっかりとした造り。
水面からの距離もある。すぐに1の島に上陸、続いて2の島。
看護師の説明以上のことは無かった。公園の海も緑も島も何ひとつとして芳本にとって興味が持てない。 
2の島をぐるぐる周っているうちに植物の島への橋に出た。

1の島から2の島へ渡る時は無かったゲートが設けられ、看板に(関係者、居住者以外の方は入らないで下さい。所長・3の島管理)と書いてあった。
迷いなくゲートを通る。

3の島だった植物の島。上陸してから暫くは他の島と変わりないように思えた。しかし、島の中心エリアに進むと温室群、続いて集落のような場所に出た。何より他の島と違うのは香り。
特別な植物があるのか、それらを加工しているのか強い香りが永い年月をかけて土地に染みついている。
人が住んでいるらしい家はどれも古民家と呼べるくらいに年季が入っているが、その間に不似合いな新しく窓の無い建物もある。
変形の温室に興味をひかれ、覗きこんでいる時。
「何か気になりますか?不審者ですか?」
足もとからの声に飛び上がりそうになった。
「こんにちわ、不審者ですか?」
小学校低学年くらいの女の子が芳本を見上げていた。
周りには同じ年頃の子供たちが数人。全員が剥き出しの好奇心で芳本を囲んでいる。
「え!いえ!僕は不審者じゃなくて、あの」
子供たち、大笑い。
「おじさんはどちら様ですか?不審者ですか?」
女の子が口を開くたびに子供たちの笑いが大きくなる。皆でふざけているらしい。何人かの子供は(ふーしんしゃ、ふーしんしゃ!)と囃し立てている。
「違います。僕はラボで島に植物園があるって聞いて…」
「ラボで知ったなら、立ち入り禁止って言われましたよね。どうやら不審者確定ですね」
(不審者かくて〜、かーくーてー)
「違います。ごめんなさい、暇なんで来てしまいました。名前は芳本健と言います。不審者ではありません。ラボの入院患者です」
いくら弁明をしてもMaxふざけている子供たちに効果は無いだろうと思いつつ言った。案の定、大騒ぎは止まらなかった。しかし、芳本に話しかけて来た少女の「静かに!」の一言でミュートをしたように全員が騒ぐのを止めた。
その時になって、子供たちが揃って白い長袖、長ズボンとエプロンを身に着けているのに気付いた。
学校の制服とは思えない。
「入院?最近?」
「そう」
女の子顔が明るく輝く。
「和尚さま!」
「みんな!この人がモモちゃんが言ってた和尚さまだよ!」
さっきまで芳本をからかって大騒ぎしていた子供たちが尊敬の眼差しで芳本を取り囲んだ。
「和尚さま」「和尚さま」
いったい誰と勘違いしているのだろう。
大騒ぎをされている時より居心地が悪い。
「違います。僕は不審者でもお坊さんでも無く、ただの病人なんです」
「だって、だってね」子供たちの中でもひとりだけ小さな、幼稚園児くらいの女の子が顔を真っ赤にして語り出した。
「こんどにゅういんしたひとは、エライおぼうさまだって、モモコちゃんがいってた。セイゼンケンタイはひとさまのためにする、とおといおこないだからから、ソクシンブツさまとおなじくらいありがたいって。だから…だから…」
「和尚さま」「ありがたい」
まとわりつく子供たちに戸惑いながら言われた言葉を、理解しようとする。
生前献体、即身仏…。
確かにそうかも知れない、けど、言いようの無い恐怖に胸の奥を掴まれた。
「あの、ごめんね。確かに僕はラボに入院してるけど、偉いお坊さんでも無いし、即身仏にもならない」
「え〜、そうなの?」
最初に話しかけてきた女の子があからさまに肩を落とすと、他の子供たちも真似をした。どうやらこの子がリーダーらしい。
「で、どうする?芳本くん」突然管理職のような口調で尋ねてきた。
可愛らしい女の子と言葉のギャップがおかしくて、さっきまで恐怖に掴まれていた胸が解放される。
「どうするって、」
「暇なんでしょ、私達が案内してあげようか?島」

リーダーの女の子は(ねこ)と名乗った。
「この子はねずみ、ミコちゃんとハナとトマト」
ねずみと呼ばれた男の子とねこが先頭を歩き、続く芳本に他の子供たちが群がる。
「3の島はね、ひとつの村なのね。他にも地名はあるけどラボの人もみんな、ぶすの村って呼んでる」ブスと言われるような子供はいない。特にねこは際立った美しい少女だった。「君たちはブスには見え無いけど」
子供たち、大笑い。
「芳本くんはモノを知らないね。ぶすにはいろんな意味があるんだよ。いいかい、無学は良くない。学歴じゃないよ、知らなかったモノを知ろうとしなければダメになる。失いたくなければ学べっ」
ねこの発言にねずみがくすくす笑った。
「モモちゃんの口癖」
「モモちゃんはお友達?」
芳本の問いにねこが考えながら答える。
「友達?うーむ、友達かな。友達、たぶん」
子供たちの案内で珍しい植物の群生地、毒草だけが育てられているエリアなどを見て回った。
彼らの白い服は万が一毒が付いた時に分かりやすくするためだという。特別な繊維で出来ていて毒の種類で色が変わるらしい。芳本は子供のうちから毒に触れるようなことをさせるのかと驚いた。
何の役にも立たずに生きてきた自分とは大違いだ、とも。
喉が渇いたという小さなミコちゃんの為にねずみの家に寄ることになった。
土間や本当の竈がある古いけど広くて頑強な家。旅館ほどの長い縁側に座るように言われる。
ねずみは、もてなし好きなようで新製品の飲み物とお菓子を楽しそうに芳本と仲間に勧めた。時代がズレたような古い風景と最新のドリンク類のとり合わせで妙な感覚になる。いつもの事なのか、子供たちは遠慮なく喉を潤している。
芳本は案内されている時に気になったことを口にした。
「村には大人はいないの?」
「いるよ、けど、今はいない」ねずみが無理問答のようなことを言った。
「いつもはいるけど、今の時期は世界にプラントハントに行ってるの」ねこがフォローする。
「その間は君たちだけで暮らしているの?」
「4の島からモモちゃんが時々来てくれる」とハナが言った。ねことねずみが(あっ)という顔をするのとほぼ同時に芳本が「4の島もあるの?」「…」
「う、うん。まあ」はきはきしているねこが歯切れ悪く答えた。
「大人がいない間、君たちは学校へ行かないの?」
「学校へ行くより草を育てたり、薬を作る方が楽しい」小さなミコまでがジュースを飲みながら頷く。 
「大人がいても学校へ行けって言わない」とトマト。
「行っても意味ないし」
「私達はね…」子供たちの断片的な言葉をまとめるのは、やはりねこだった。
「ずっとここで薬草を作って行くから、お父さんもお母さんもずっとそうしてきたから。他所から来る人はいてもここから他所に行く人はいないの」
「よそで違う仕事をしたくなったらどうするの?」
「うーん、いないからなぁそんな人。でも、もしそうなったら外に行くのも自由だよ」芳本はホッとした。
「島の事も村も家族のこともぜーんぶ忘れるお薬を飲んで出ていくんだよ」
芳本の顔がこわばる。
「大丈夫、それ以外のことは忘れないから」
「あ…ああ。そんな事まで僕に言って良いの?」
「だって芳本くんは」言いかけたねずみの手をねこが握る。ねずみは黙り、芳本もそれ以上訊くのを止めた。

何度も3の島を訪れるうちに4の島へ続く道を見つけた。島の端にあるトンネル。
灯りも無く真っ暗な中を抜けると赤い橋が現れた。
思わず足を踏み出しそうになったが、トンネルの向こうから名前を呼ぶねこたちの声が聞こえ、芳本は踵を返した。

その夜。
トンネル先の赤い橋を渡る芳本。島々を結ぶ橋の中でも長いように思うのは夜闇に紛れているからか。
ドキドキする。
子どもたちには4の島のことを聞けない雰囲気があったし、ラボのスタッフは存在さえ知らないようだった。

島に着くと強い潮の香り。
海からの強風が砂を舞い上げ、芳本を押し返そうとしているのか。
かまわず進む。面白い、こんなに何かに熱中する自分。
島民が出てきたらどうする?話しかける?できるものか。いや、今の自分ならできるかも知れない。

「え?」
4の島の中心部に近づいた芳本は、あまりにも想像と違う情景に言葉が出なかった。
小さな店が軒を連ねる飲み屋街。芳本が来た方向と街を挟んだ反対側に小型の船が入れる港があり、次々と客が降りて来る。
これは…。
ボリュームを失った酔客の大声や笑いがドアから漏れ聞こえてくる。
ラボからは周り込んで奥まった場所にあり、光さえ見えなかった。
(なんだぁ?ここ)
フラフラと歩を進める。
どこもカウンターだけの狭い店。
店の外も、酔いをさまそうとする人、好みの店を探す人、あてもなくさまよう人。
清廉なラボに馴れていた芳本は食べ物と酒の匂いだけで酔いそうだった。
歩くうちに一軒の店の前に立っていた。
(桃花)
恐る恐るドアを開ける。先客が帰ったばかりなのか、カウンターを片付けていた女性が振り向いた。
「いらっしゃい」
40代後半にみえる。ふっくらとした丸顔、営業スマイルでも人を安心させる魅力がある。
「あ…」
その時になって芳本は自分が何も持っていないことを思い出した。
ラボに来てから、スマホも財布も持たずに外出するようになっていた。
「ごめんなさい、お財布忘れて来て」
女性は笑顔のまま芳本を見定めているようだった。
「もしかして芳本くん?」
何で知っているのか。芳本は身構えた。
思えばおかしな話だ。3の島まではラボの所有なのにラボの人間さえ4の島の存在を知らない。そして、飲み屋街。薄気味悪い。
「帰ります」
「ねこたちから聞いているよ」
「モモコさん…、ですか」
「そうよぉ。子どもたちが4の島の事を言っちゃったって話してたから、いつか来ると思ってた」
「ああ、そうか」
「座れば?」
「でも、」
「いーから」
強引に腕を取り、カウンター席座らせる。
「村の子たちは芳本くんの話ばっかりだよ。遊んでくれてありがとね」
「いえ…」
子どもたちと話している時には自分を解放できていた芳本だが、大人と2人きりでは街にいた頃の自分に戻ってしまう。情けなくて、ますます言葉が離れて行く。
がたがたと音を立て、ドアが空いて客が入って来た。
「やっぱり、帰ります。お邪魔しました」
逃げるように店を出て、走り出した。

聞きたいことは、沢山ある。でも、そのどれもが意味を持たないような気もする。
ラボに戻った芳本は、また光と闇の夢を見た。
 
「何で逃げたの?」
数日後、3の島を訪れるとねこが怒っていた。
「モモちゃん残念がってたよ。急に帰ったって」ねこはもっと言葉で攻撃しようとしたが、ねずみが黙って芳本の手をとった。
何も言わずに4の島へ芳本を連れて行くつもりらしい。
この日はねことねずみだけだった。いや、この日に限らず2人だけのことが多い。日によってそこに他の子どもたちが加わる。

ねずみは何も言わず進む。握った手からねずみの暖かさが伝わってくる。
そこから全身に暖かいものが染み渡っていく。

昼の4の島は夜とは全く違った。閑散として、誰もいない。
「ここに住んでいるのは私だけだから」
カウンター越しにモモコが言った。他の店の人達は船で夜だけ渡って来るのだと言う。どこにも許可を取らずにやっている飲み屋街なので公にはできないらしい。ねことねずみにモモコがアイスを渡した。2人は大仕事を成し遂げたかのように満足顔で食べている。
「あの…何でラボの人達はこの島の事を知らないのに、モモコさんは僕が入院した経緯を知ってるんですか?」
何が面白いのかねことねずみが笑った。
「あ〜、そこ気になる?この島だけはラボの土地じゃないからね。ラボの一部の人だけは4の島のことも、何をやっているかも知ってるよ。他の人は3の島にも入れないから何も知らない」
「僕の入院のことは?」
「ラボの人はここに入れないけど、私はどの島も自由に行けるから」アイスを食べながら、ねことねずみも頷く。何だかとても楽しそう。

「さて、気になることは済んだ?」
本当はもっとたずねることはあったが、自分から話すことに馴れていない、うまく繫げられない。
「芳本くんは、何で治療を受けないの?」
余りに突然、核心を突かれて芳本はうなだれた。
何と答えれば良いのか。
沈黙。
ねことねずみは子どもながらに困った表情になっている。
モモコは沈黙を破る手助けをしてくれるつもりはないらしい。波の音が大きくなる。
「…治らない病気ですから」
「治らない、じゃなくて治るか治らないかわからないって聞いているよ」
幼い頃からの状況が蘇る。
「良いんです。僕は要らない人間なので」
「ほ〜」モモコはそれだけ言って再び沈黙。
「生まれてすぐに親がいなくなりました」絞り出すように芳本が語りだす。

芳本健は親の顔を知らない。生まれてすぐに親が健を放置したままいなくなった。近所の人に発見され、何軒かの親戚の家で育った。
親は親戚から疎まれる人間だったらしく、健を通して繋がりができるのを嫌い、血縁でも健を愛する者はいなかった。風船を爆発させるゲームでもしているかのように一刻も早く次の親戚に渡したがっていた。
健は愛され方も愛し方も知らない。
友達もいない。
自分は居なくて良い人間なのだ、そう思って生きてきた。そんな生き方をしてきた。
何でもいい、どうなっても良いとずっと思っていた。
「だから、治療なんて必要無いんです。幸い、そんな僕の身体を使って治験をしたいラボがあって…」
「はあ〜?なんだそりゃ〜」
大声を出したのはねこだった。
「そんなことで命をブン投げようとしてんの?」
子どもに(そんなこと)と言われるほど軽い内容ではないのだが。
「そーゆーのはごうまんって言うんだよ、ね、モモちゃん」
あまりの、ねこの怒りにねずみが止めようとしたが、勢いは止まらない。
「大変でも負けない人もいるし、負けたっていい。じっとすれば良い。頑張れないのに頑張ろうとしなくて良い。でも、自分の思い通りにいかないから投げちゃうのはダメなんだ。クソだよ」
泣き出したねこの代わりに、やっとモモコが口を開いた。
「芳本くんが決めたことだからね」言いながらねこの鼻を拭いている。
「一度も楽しいことなんてありませんでした。何にもない人生なんです。好きな事も、興味も、やりたいことも何もなく、楽しいっていう感情もわからない。嬉しいも好きもわからない!」感情がはじけた芳本、モモコとねこが戸惑うが、ねずみは違った。
「えええ~!玉子食べたことないの?」言いながら芳本の顔を覗く。
「ねえ、芳本くん、玉子食べたこともないの?」
「…食べたことある…けど…」
「玉子食べたら、美味しいって、幸せってなるでしょ」
「そうか、そうだね。美味しいは幸せだね」ねずみの頭を撫でた。
「あー、びっくりした。玉子食べたコトないのかと思った」ねずみが安心したように笑った。

島に行くようになったのは芳本にとって良かったのか、悪かったのか。
治験以外は殆どの時間を3か4の島で過ごしていた。
時折「芳本さ〜ん、いつもどこに行っているのー?オレも行こうかな〜」と砂住が寄ってきたが、逃げた。

島にいるともう一人の自分が出てくる。
人との交わりを拒まず、話もできる。親に捨てられず友達と過ごしていたら、こんな風に笑えたのかと思う時もあった。

「本当に一度も幸せって思うことなかったの?」
「覚えている限りは、ないです」芳本の答にモモコの表情が曇る。
「それに、とても幸せな人生を送ってきたら今、こんなワケのわからない病気になってしまってとんでもなく辛いと思うし…だから丁度良いんじゃないかって」
「芳本くん、それは本当にダメだわ」
「そうですか?」
「あなたが決めた事は好きにすれば良いけど、その考えはいろんな状況で病気を治そうとしている人に失礼」
ピシャリと言われる。
こんなことも今まで無かった。叱られても誰かと会話をしている。
話をしている自分。
楽しいのか、幸せなのか、その感情を知らずに来たので、言葉に変換はできないけど、何かが心に湧くのはわかった。
あの日が遠からず来る自分にとって良いことなのか?手放したく無い時間は枷(かせ)にならないか?

夏が近づいてきた。
3の村の大人はまだ帰らず、昼はねずみの家で食べることも多かった。
その日も子どもたちと一緒にモモコが作ってくれたにゅうめんを食べていた。
温かいそうめんで、モモコが子どもたち用に小さなかき揚げを作って来ていた。「大きな子どもの健ちゃんはかき揚げ2枚どうぞ」子どもたちがけらけら笑う。芳本も釣られて笑う。今が子ども時代ならどんなに良かっただろう。
開け放たれた縁側で子どもたちと並んで麺をすする。薬草と潮の香りのする風が心地よい。
「ねえ、ね、ごはん食べたらトランプしようか」「浜に行こうよ〜」

かき揚げを口にした時、芳本の動きが止まった。
これって…
「美味しくない?」モモコがきいた。
「いや、びっくりするくらい美味しいです」
「それは言い過ぎ」言いながらモモコが満足げに笑う。
芳本は本当に驚いていた。初めてなのに味の記憶がある。ねずみが言う(幸せの味)。

夢を見た。
いつもと違うのは光の中、子供の健が誰かと話をしている。
「ここにずっといたいな」
「ずっといるんだよ」
「ずっと?」
「ずっと」

目が覚めた。
いつもとは違う涙。

梅雨も開けていないのに蒸し暑い日だった。岸壁で囲まれている3の島で唯一の砂浜で子どもたちと遊んでいた。
少し高い所で日傘を差したモモコが見ている。何か嬉しい。

ちょっと前から風が強くなってきていた。
思いがけない程の高波が浜に押し寄せた。芳本は近くにいたねことねずみ、トマトの身体を引き寄せて守った。ずぶ濡れ。
「みんな、大丈夫?」
「ミコちゃんがいないっ!」
ねずみが叫び、モモコが傘を放り投げ駆けてくる。
海を見るとミコがあっという間に沖に流されようとしている。
一瞬の迷いも無い。
健は泳ぎ出した。

ねずみの家。
全員が砂まみれで意識が戻らない健を囲んでいる。
ミコを助け、浜に戻った健は徐々に意識が遠のくのを感じていた。
「よしもとくん、だいじょうぶ?」ミコが心配そうに泣いている。
四つん這いで何とか家に上がったがそれが限界。
最後に聞いたのは動揺する子どもたちの中にあって、やけに大人びた
「ここはぶすの村だよ。助けるよ」
というねこの声だった。

健はうす暗い狭い部屋にいた。
暗いけれど、ここは光の中だ。
階段を上がって来る音がする。梅さんが客が少なくなった時を見計らって食事を持って上がって来る。できるだけ
いっしょにご飯を食べてくれる。
何軒目の親戚だったのか、梅さんというお婆さんと暮らしていた。小さな飲み屋の2階、どういう関係だったのかは知らないが他の親戚と違って健を愛してくれた。
軒を連ねる飲み屋街の(おねえさん)達にも愛された。3歳から4歳の途中までだったと思う。
健の好物をよく作ってくれていた。かき揚げが美味しかった。
ずっと光の中にいられると信じていた。
しかし、ある時突然闇に、引き戻された。
飲み屋を離れ、次の親戚に引き取られる朝、見送る(おねえさん)たちの中に梅さんの姿は無かった。
みんな泣いていた。

確かに愛されていた。
何で忘れていたんだろう。
…梅さんがいなくなったのを認めたくなかった。
梅さんはいなくなった?
いやだ、梅さんがいないなんて耐えられない。
梅さんは僕を捨てた。
僕は誰にも愛されたことなんてない。
心が閉じた。

気づくとラボのベッドで目覚めた。
「芳本さん、いくらなんでも無茶しすぎです。次の検査が終わるまで外出しないで下さい」珍しく砂住が医者らしいことを言って部屋を出た。看護師に尋ねた「子どもたちは大丈夫ですか?」
「大丈夫。芳本さんが意識を取り戻すまでに村の大人も帰って来ましたから。心配はいりませんよ」
「モモコさ…、ひとりだけ大人の人もいませんでしたか?」
「芳本さんを助けるようにラボに来たのは子どもたちだけでしたけど」
「そうか、そうですよね」

芳本健はラボを去る事になった。
最後の検査の後、砂住はパソコンのカルテを見ながら首を傾げていた。
「ごめんなさい、芳本さん。どうやら全快してしまったようなんです。決して治療はしていなかったんですが、申し訳ない。おっかしいな。治る筈ないんだけどな〜」患者が完治したのに不満顔。
「もともとわからない病気ですから」
「どうします?病気が無いですけど、こちらとしても」モゴモゴ。
「街に帰ります」

退院の前夜。
芳本は4の島に続くトンネルを抜けていた。
モモコの店は閉まっていた。
「誰か、モモコさんを知りませんか?」誰彼構わわずに尋ねた。
「北の浜に行きなさい」
教えてくれたのは昔、可愛がってくれた(おねえさん)のうちの誰かのような気がした。

北の浜。
大きな月。
廃船になった小舟の舳先にモモコはもたれかかっていた。
「モモコさん、いや梅さん…」
「思い出してくれた」月灯りの中、モモコと梅の姿が自然にだぶっている。どちらも微笑んでいる。
「ごめんね、ずっといっしょにいられなくて」
「捨てられたと思った。他の人には何をされても良いけど、大好きな梅さんがいないのは耐えられなかった。
二度と会えないより、捨てられたと思いたかった。それならいつかは会えるから」
「ごめん。ほんとにごめん」小さな子にするように健を抱きしめ、頭を撫でた。
「また来ても、いつかここに戻って来ても良い?」しゃくりあげながら健が言った。
「ちゃんと生きて、自分の人生をやり切ってからね」
健は何度も無言で頷いた。

「たすけてくれてありがとう」ミコが健に抱きついた。健はさっきまで自分がされていたようにミコの頭を撫でた。
「こちらこそ助けてくれてありがとう」
ねこに向かって言う。
ねことねずみが微笑む。
あの時聞いた「ここはぶすの村だよ。助けるよ」の言葉の意味をお互いに、確認したりはしない。
「街に戻るんだね、芳本くん」
頷いた芳本にねずみが錠剤を差し出す。
拒もうとした芳本の手に握らせる。
「大丈夫、大切な事は忘れないから」
安心させるようにねこが言った。

翌朝、街へ行くバスに乗り込む芳本を驚いた顔で迎えたのは来た時と同じ運転手だった。
「出発しまあすぅ」
時が動き出す。

仕事の合間、芳本健は笑いながらおにぎりを頬張っていた。
「芳本さんって、ほんとにおもしろっ。ずっとこんな感じだったんですか?」
最近入ったアルバイトが言った。
「いやいや、結構ハードな生い立ちでさ、しかも何年か前に変な病気もしたりして、たーいへん。韓流ドラマ並みの劇的人生」
「へー、なのにこんなに明るいってすごいですね」
「小さい頃に一生分、可愛がってくれた人がいたからね。ほら、いつまでも食べてないで行くぞ」残りのおにぎりを口に放り込んで立ち上がった。

#ファンタジー小説部門
#創作大賞2024


いいなと思ったら応援しよう!