個人的体験「指揮を学ぶ事/指揮をする事」
音楽する者 誰も一度は夢想する指揮への憧れ
1961年 4歳のミッション系幼稚園児の時から「正規のpiano教育」を受け、その後1968年小5の頃より「本格的にclassic音楽を夢中で聴く」様になり当時自宅に在った「日コロのおそらく一番安物のstereo-audio set (30c幅の LP-recordを乗せるとplayer部の蓋が閉まらない!! 最低のrim-drive方式のplayer部はワウフラッターが激しくどんどん回転が速くなってしまう代物!! おまけにAmplifierの出力は弱く、speakerはたった一つのsingle-coneの非弱物でした。そんなケチなstereo-setでも当時何故か自宅に存在していた「concert
hall-societyのLP-record等数種」を繰り返し聴いていました。
この後に「合唱部のpiano伴奏者」として市内小学校の合同音楽界等にて、おそらく当時初めて?の男の子の伴奏者として注目されていました。
そんな当時「音楽教師の机の上に在った=クルト-トーマス著 合唱指揮教本」
を借りて読み進むうちに「自然と指揮者への憧れ」と言うのが芽生えてきたと記憶しております。
其の後小5の終わり?「合唱部の練習指揮者? 早い話 顧問の音楽教師のassistant? の様な役目が回り」初めて指揮と言うcreative-worksを経験したのです。
しかしあくまで「assistantの練習指揮者」の悲しさ、、本番のstageでは必ず顧問教師が指揮を振り、自分はとうとう最後までpiano伴奏でした。
❄ クルト-トーマス合唱指揮教本の趣旨
おそらく今日、一体何処まで知られているのか? 古本市にさえなかなか出てこないこの指揮教本は、当時「音友社より全6冊」出ていたそれなりに高価な書であり、自分は最初の一巻のみで小遣いが尽きてしまい、後は顧問教師から借りて勉強していました。この教本の趣旨は?
☆ 如何なる場合(オケ/合唱 人数問わず)棒を捨 て両手のみで指揮を執る これが基本
とにかく写真や図解入りの誠に丁寧な教本で在り、立つ位置や両腕の高さまで細かく指定が在り、指や手の形までも細かく指導されておりました。
この「棒を捨て去り全ては両腕/手に委ねる」事の最大の意味/意義とは?
「表現力における圧倒的な差」だと言うのです。
「右手に1本の棒」VS「5本の指」では、圧倒的に違う筈だし有利だとも言うのです。
実際にクルト-トーマスは自ら「数百人のchorusやオケの指揮であっても、決して自分は棒を持たず、両手のみで指揮を行った」と述べています。
☆クルト-トーマスとは?
Germanyの合唱指揮者 chorus-マイスター &オルガニスト 作曲家であり
元々は「バッハの流れを汲む カール-シュトラウベ」等を師匠に持つ、最もGermanyの正統的教会音楽のマイスターとして、その弟子などにはあの
「カール-リヒター」等も居たと聞き及びます。
(此処で疑問なのは? カール-リヒターは必ず棒を持って指揮をしておりましたので、必ずしもクルト-トーマスの理論の通りには動かなかった?様子です)
☆棒捨て 両手のみの指揮法の利点/弱点
これはもうクルト-トーマス自身も申し述べている様に、、
*「音楽的表現力は確かにダントツに優れてはいる」が
*「大人数の場合、遠くからは指揮指示が視え難い」と。
☆ この当時 棒捨て両手のみ指揮者は極小数
自分の当時の記憶では? およそ世界の指揮者の90%が棒持ちの指揮法だったと記憶しております。
「ストコフスキー ロジンスキー ミトロプーロス シェルヘン クリュィ
タンス」(注=このうち ミトロプーロス シェルヘン クリュイタンス等は
棒持ち指揮の場合も多々在った) 等ほんの少数でした。
当時の日本人指揮者では、まず見なかったと記憶しています。
☆ 世辞にも指揮が巧いとは言えぬ指揮者達
*「ストコフスキー」=若い頃はもの凄く格好良く、その両手のみの指揮はまさに的確な指示とrhythmと高い音楽性を保持堅持しておりましたに、後年から晩年は、実に「手前勝手な、解り難い、何とも言えぬ難解な指揮法を示していた」と。当然出て来る音楽も「orchestraが血迷ったり乱れたりが多々感じられ、オケmember達が面食らっている感じの演奏」がかなり残されております。
この他「日本では山田和夫 ワレリー-ゲルギエフ ユーリー-シモノフ
フォン-マタチッチ あるいはある意味フルトヴェングラー等も此処に入るのかもしれない 」等が代表的な「紛らわしく、滑稽で、指揮の基本から外れ
全然解り難く、一体何処の誰に指揮法教わったのか? 理解に苦しむ」程に視ていて見苦しい指揮者達も珍しい と感じました。
★ 注意!!=「フルトヴェングラーの指揮」は?「振ると面食らう」と言われる程に、何かこう操り人形が指揮しているかの様な形態には、当時のオケがかなり戸惑った様子です。しかしフルトヴェングラーの物凄い処は?
「その奇怪な指揮ぶりを超越して、出て来たその音楽の途方も無い巨大さ
物凄さ 迫力 質量 陶酔感の物凄さ」は、全く独自の恐ろしいまでの弧の 世界であり、その結果として表現された数々の名曲は永久に光輝き
何物も失われぬ世界です。此処に本物の指揮者の意味と価値があります。
★ なお本当に少数残された貴重な動画映像から視える観えた事は?
「A-ニキシュ ワインガルトナー K-クラウス E-クライバー
メンゲルベルク レハール シュミット-ゲントナー ルコン クナ
ストラヴィンスキー ヒンデミット トスカニーニ」等の指揮ぶりを観ますと、皆様非常に真面目に、正確な棒振りをしていた事。
感情に流されず溺れず、大げさに動作をせず、非常に正確に拍子を刻む
模範的な指揮ぶりと驚かされました。
★ 自分大石が考える 指揮者とは何ぞや?!
はっきり申しまして、この世間世の中には「指揮者ってぇ、一体あれは何をしているんか? あんな物必要無いのではないのか? 」等の「一見一聴 まともな意見に想えるような暴論?」が巷囁かれますが、正直「二理無くても一理は在ります」ね。別段「指揮者がおらずとも、演奏は可能であるし、実際には一切指揮者を置かない置かせない室内楽団=chamber-orchestra等も幾つも存在」しております。
また優秀なorchestra程、指揮者が無くとも真面以上の演奏は必ず出来るはずだし、出来なくては困るはずなのです。
しかし、自分としてはそういうオケには興味関心は無い。これは「指揮と言うのは個性」であり、指揮者の無いオケ等は「ゴムの無いInnerの様な物=
どうしようも無いもの」と考えております。
★ 話題休題 classic音楽以外の指揮者立ち位置
以前は「雨後の竹の子のごとく乱立していた日本のjazz-band」
「dance-band」「Latin-band」「pops-orchestra」等の俗称「クラシック音楽以外のband/orchestra」の指揮者としての立ち位置ですが?
正直こんな程度の指揮者ってぇ「居てもいなくても全然変わらず」に、せいぜい「最初と最後をしっかり取りまとめて押さえる」事が一番重要であります。何故ならば? 此処には「必ずrhythm隊がおりこの4rhythm隊がしっかりと基本根底の拍/拍子を支え切れれば、別段唯のお飾りの棒振り指揮屋等はまず必要無い」と断言できます。
★ その一つの証拠 指揮者が装着する headphoneの謎とは?!
これは、1975年当時「某 反日権化の国営放送担当者に直接interviewしてまとめ上げた記事内容」です。
*「指揮者の装着するheadphoneには多数の意味が在った」
*「事前のリハやスタッキング(積み重ね)が不十分で、これでは本番が怪しまれる?」等の際には、headphoneを装着する。
*「特に、広大な大会場等でのlive等は、危険回避の為に指揮者は必ずheadphoneを装着し、場合によれば各奏者たちも装着」していた事実。
*「では、はたして指揮者はheadphoneで一体何を聴いているのか?」=
「実は? 指揮者がheadphoneで聴いている音声とは2種類在る様子で在り
まず①「Maine主役の歌手vocalの歌声」を聴いている場合
更に②「意外には、set-drumsや4rhythm隊の音を聴いている場合」も在る
つまりこの「指揮者のheadphone」には? あくまで「指揮者自信がleadする場合よりも、実は自らが歌手に歌に伴奏を合わせる事/更にこの為には?
常に正確にrhythmを刻んている4rhythm隊の音を指揮者自らmonitorし、
場合によっては、指揮者が4rhythm隊のビートに合わせて指揮を執る事すら
在った」と言う事実も確かに在りました。
つまり「Classic音楽の極めて芸術的な指揮」と「俗称LM等と呼称されている
light-music 軽音楽 商業音楽等の指揮」とは? 根本的に異なるのです。
※ 特殊な形態の指揮者達
(a) 「サーカスbandの指揮者」
これは過去、本家大サーカスのAmerica等で、大変に人気が在り
更に「初見も利き、才能実力に溢れたどんな状態においても完璧な演奏と
対処が可能なcircus -band&conductor」が幾つも存在していました。
現在の様に「computer制御にて、音楽そのものの長さの調整やtempoの変化
更には証明lightingとの同期synchronizeも何も出来なかった」当時は、この
circus-bandと指揮者こそがサーカスの命でした。
この素晴らしいbandと指揮者に認めてもらいサーカス小屋で自作の曲を演奏してもらう事こそ、当時のAmericaの「名も無い貧乏作曲屋」等にとってはひとつの登竜門と言え、此処で認められ演奏された曲のみが現在も相当な名曲として残り演奏され続けています。
この場合の指揮者の立ち位置は「あくまでサーカスを引き立たせ輝かせる為だけに音楽を奏でる存在と責任」であり、主観や自己の感情を抑えひたすら
サーカスの為だけに音楽を奏でた本物のproでした
(b) 「studio-recording専門指揮者」
「映画 television等のtheme曲 BGM等をrecordingするstudio専属の指揮者」も、今はかなり数が減ったものの存在しています。
例えば? 「映画のfilm観ながらの秒数単位での細かい指揮振り」等は、どうしてもconcert指揮者や普通の教育を受けた指揮者では務まりません。
此処には独自の感性と、秒数単位での時間との闘い、それを「初めて来た未知のmusician達を相手に時間以内にまとめなくてはならない」のがこの
STUDIO-conductorの仕事です。何時も時計を片手に持ちながら「score monitor等を観ながらの指揮」は相当に神経を使う指揮者仕事です。
(c) 「二度と出ない 職人指揮者 長州忠彦」
この「長州忠彦」は、おそらく日本の指揮界でもかなり異端な存在と言え「昭和から平成初期まで、TBS中心に日本レコード大賞 世界歌謡祭
数々の歌番組等の指揮や編曲を勤めた、稀な存在指揮者」でした。
元々は「売れない現代音楽の作曲家」として東芝専属であり「現代音楽の為の不知火」等の、非常に解り難い?現代音楽を作曲しています。
後にpopsの世界に転向し、その指揮ぶりを発揮するのですが、
特徴として「何時も白いスーツに指揮棒持ち、一見classic作品を指揮するかの様な雰囲気を漂わせる男」ですが、この男の凄い点は?
「曲の途中でのdirectorから=巻けっ(速くしろ)の支持には、秒数単位で指揮棒を振り必ずまとめ上げる」と言う技を持っていました。
編曲Arrangeもかなりの番組と数をこなし、なかなか優れた結果を出して世に名を残した、おそらく今後二度と出ない職人「長州忠彦」でした。
❄ 指揮者の存在意義と価値について
ぶっちゃけた話 ひっちゃばけた話「指揮者ってぇのは=会社組織で言えば?
重役待遇の人間」と結論付けられます。具体的には?
(1) 「大株主 owner 社長」=orchestraの創設者 権限保持者
(2) 「重役待遇者」=指揮者 (音楽的権限のみ保持者)
(3) 「部長 課長 係長」=各Top/主席奏者たち
(4) 「万年平社員」=その他の各奏者たち
こういう具合に、平たく言えば解釈できるはずなのです。
此処から考えられる事は? 「指揮者とは? 言わば中間管理職にも似ていて
ownerや下部管理職たちとの間に挟まって、何かと悩み苦しむ立場」とも
言えますね。大昔の様に「楽員怒鳴りとばしたり、やたらめったら喧嘩売ったりする様な指揮者=今日はまずそんなのは通用しない時代」ですので、
勘違いせぬ様にしたいものです。
★ 指揮者はまず人間性!! その理由とは?
☆指揮を学び振る事は、人生を学び修練で在る
※ 指揮は教えられない! 否 教えられる! 何故?
note御来訪のwriterの皆様なら既にご承知の筈ですが「orchestra chorus等の大きな音楽組織とは? ひとつの会社組織や市町村組織と同じ」で在る事。
此処には「全員お一人お一人の性格も、思考も、感性も 何もかも異なる集合体」であり、ある意味こういった組織は「取りまとめる事が大変難しいのですが、イザ苦心の末に取りまとめが巧く行き、それが循環してきますと非常に強固な集合体に変身」いたします。此処が「一流の音楽集団への道」なのですね。此処で「Topのownerやreaderから権限を委譲され、音楽面での最高責任者となるのが指揮者」です。
かつて「かなり有名高名な指揮者の中でも論議」が在り「指揮は教えられない!!」と断言する人もいれば、「指揮は教えられる」と言う人もおりました。この場合?
*「音楽的 芸術的 技術的な指導」=これは専門音大で取得できる。
*「それ以外の包括的なmanagement手法」が更に強く求められる現代、此処を教えられる個人ってぇ大変難しいと思われるからです。
つまり「指揮者とは? 音楽性 技術性 更にpianoも必要以上に完璧に弾けなければならない」事等はもはや当然当たり前で在り、それだけではもはや「指揮者にはなれない」と。
*かつて、pianist&Arrangeの前田則夫はいみじくも「編曲屋ってのは目薬と尖った鉛筆と何より根気が大切だ」と「この根気が無い為に才能実力が在ってもポシャッていった奴らが余りに多かった」と。この人も最後は指揮ばかりしていた記憶がありますから。
※「この逆説的に!! =才能実力は然程でも無かった様子なのに、何故か?
指揮者として成功した人が何人か居た!!」=代表的な人としては?
「サー トーマス ビーチャム」「ジョン バルビローリ」等が知られております。此の方々は、どうも調べますと「音楽的技術的な取りこぼしを、ご本人の性格や雰囲気でカバー出来、結果を出し得た稀な存在」と言えます。
※「トスカニーニの成功例は? 参考にはならない」=ご承知の通りこの方は元々「cello奏者」であり作曲家志望でした。これが南米concert-tourにて
専任指揮者がtroubleで逐電し、副指揮者もやじり倒される中、、たまたま
「アイーダのscoreを暗譜」していた事から突然指揮台ら上がらされ指揮をさせられた!? 事からその後約70年に渡る指揮者人生がstartしたのですが、こういう例は到底参考にはなりません。これは「トスカニーニ自身、専門的な指揮を学んだことが無かった」事からも明らかです。
❄指揮とは? 他人の人生をも振る事になる
棒振りが、他人の人生棒に振らぬ様に!!
❄ classic音楽における指揮者の重要性
*ひとつの結論=「classic音楽とは? 絶対にscore譜面だけでは成り立たず
必ず演奏と言う芸術的行為により初めて音楽と言える芸術に昇華する」
*此処に「score譜面を解釈しある意味超越する指揮者や奏者の存在」が
非常に大きくclose-upされる。
*「score譜面の解釈とは? score譜面上だけでは絶対に表現できない/書き表せない情報を音楽的に表現できるのが本物の指揮者」
*「いや余計な事はしなくて結構、譜面の通りに演奏して頂ければ良いのです
簡単な事ですよ」とは、あのストラヴィンスキーの言葉ですが、、まぁこう
言っては何だが「ストラヴィンスキーさんよおっ あんたの指揮する自作自演ってぇ実はひとつも感心しねぇんだけんども、どうだんべぇ?」と。
これは誰しもそう思ったはず。此処に我々は「必ずしも、作曲家個人の奏でる自作自演が全て素晴らしく完璧でperfectと言う幻想は捨てるべき」と。
*「本当の本物 心底才能実力在る指揮者なら?=作曲家が100%要求するものならば、120%を出し切る努力と結果を出せる」のが本物の指揮者。
*「本物の本当の真に実力才能ある指揮者なら?=例えorchestraが無名で在り
3流以下のポンコツorchestraであっても、其処から実力以上の素晴らしい音を引き出してしまう!! 魔法を持つ」のが、本物の指揮者。
*「この論理は?=大戦争が勃発した場合、例え自国の軍隊が貧弱で到底勝てないっと思われていたが、実は? 指揮者指揮官がしっかりしていれば?
勝てないまでも、かなり有利な条件で(無条件降伏など論外)講和をさせる事すら出来る!! これが本物の指揮者指揮官」で在る。
☆ このnote-writerの大和碧様も指揮科卒
この上に「現代音楽の期待すべき名作曲家」ですので、ぜひ何かの機会に
「指揮者としての指揮ぶり」もぜひ拝見させて頂きたいと強く思います。
いよいよこの日本も面白くなってきましたね!!
「日本人をなめたらアカンぜよっ!!!」
❄ シンセの巨匠 冨田勲先生の壮大な実験
「僕はもしかして、指揮者に憧れていたのかもしれない。しかし僕は人間の扱いが下手で苦手なので、このsynthesizerと言う名の武器を手に入れた瞬間から、僕は「全て自分の自由になるOrchestraを抱え込んだ」と認識した。
これはあの「世界一のシンセの大巨匠 冨田勲先生のお言葉」です。
*「冨田勲先生創作createのシンセ音楽は?=全てclassic大編成のオケ作品」
*「original-scoreの徹底解析分析とシンセmusicへのconvert 此処から新たに
scoreを組みなおし、実に1音/1音 竹細工の様なド細かい作業を組み合わせ重ね合わせ、実にオケの人数分の演奏を何と手弾き(PC等を使わずに) で音を重ねていったと言う緻密さ。
*「指揮者になるとしたら?=おそらくはこの後のmix-down(track-down)の際に行われるmaster-tapeに落とす直前の最終工程作業にて、冨田勲先生は自ら
「指揮者となり、幻想の棒を振りながら=音色を整え、rhythmを整え、音の定位、遠近感を構築し、残響効果を施し、細かい難点を修復しながら完成させていき、あの素晴らしい物凄いシンセ音楽を創造されました。
★ しかし晩年 冨田先生は生オケに回帰された
大変に驚く事に、冨田勲先生は「後年 晩年には、ご自分の贅と全てを尽くしたhyper-private-studioを出られ、生のorchestraに回帰され、自ら人間の奏でる本物のorchestraの指揮をされ、音楽を奏でられ」ました。
この恐るべき心境の変化は? やはりこれだけの物凄い万能とも思える自己の
private-studioの中においても「synthesizer中心のmechanical-orchestraでは
どうしようも無い どうにもならない部分」が視えていた!!? と。
※ 終ぞ指揮者になれなかった大石の根源は?
その性格と根性のド悪さと非協調性!!
ここからnote御来訪のwriterの皆様にお読みいただきますのは?
「全てノンフィクション!! 嘘偽り一切無し 固有名詞のみ匿名仮名ですが
全てこの大石が体験した 悲しい辛いstory」を正直にお話いたします。
なおこれを書くにあたり「PC打ち込みの高梁 女子 supportの喜多村女子
より提案が在り、「どうせ書くなら、あのプレシャスプランナーさんの書いている様なstoryにしたらどうか?」と提案がありました。
自分は「とてもあのプレシャスプランナー様の様なこなれた名文とstory性は持ちえない」と固辞しましたが、「黙って正直にくっちゃべってくれれば
その通りに打ち込むから」と説得され、今回初めて「実話story」として物語形式で書かせて頂きました。大先輩プレシャスプランナー様や和田大貴様の様な「大卒では到底無く、無学歴の自分ですが、大先輩お二人の様なsense溢れる文章は到底無理なれど、最後までお読み頂ければ光栄」です。
*登場人物
*当時中学三年生「大石良雄」
*大石の通う「東京市立三文中学校」
*大石の所属していた「上記 東京市立三文中 吹奏楽部」
*「上記 音楽教諭 助田助平」
*「東京市立六文中学校」
*「上記 東京市立六文中 吹奏楽部」
*「上記 顧問教師 袖之下教諭」
*「上記 市立六文中 教頭 禿山鶴男」
❄ 大石個人の終生忘れられぬ悔しい思い出
忘れもしません、、、あれは「1972年中3の修学旅行の帰りの電車の中」でした。たまたまその電車には「自分の通学していた市立三文中に加えて、どういう訳か? 近隣の市立六文中の生徒教師も乗っていたのです。
此の当時、もう半世紀以上前は? 中一では「林間学校」中二では「林海学校」そして中三では「修学旅行=大抵は? 京都あたりが定番」でした。
実はこの「六文中学校は? 素晴らしい吹奏楽部を持つ名門校で在り全国的にも非常に有名」でした。何せ部員50数名=horn6本 timpani スーザフォンに
oboe fagotto contrabass等など、、自分の通う「三文中学校の吹奏楽部のド惨めさに比べたら天国の様な存在」でした。
此処で自分大石は電車の中で「六文中の教頭 禿山」と親しくなりました。
まず自分は「六文中吹奏楽部の素晴らしさを称え、母校三文中吹奏楽部とは雲泥の差である事 顧問教諭の助田と上手く反りが合わない事 等を正直にお話しし、出来れば夢としてこんな素晴らしい吹奏楽部の指揮を一度で良いからやってみたい!!」と夢を語ったのです。そんな話をつづけながら、、、
其処で自分は、何かと吹奏楽部の方に話しを持っていきその「禿山教頭から
うちの吹奏楽部にぜひ見学に来い もし出来る事なら担当顧問教諭に話しをつけてやるから指揮でもやってみるか?」と まさに夢の様な話が舞い込んで来たのです。「これが偉くなった教頭の権限なのか?」と感激しましたね。
この時は涙が出る程嬉しかった、、、、何せ国内でも最高レベルの吹奏楽団のもしかして「指揮をさせてもらえる?!」と、、、、
自分はこの「禿山教頭に深くお礼申し述べて、近いうちに必ず再会」をお約束して別れたのです。
この後自分は、万全の体制で改めて「クルト-トーマスの指揮教本で指揮の勉強をし直して、自分なりに万全の体制で準備」し、更に、、まぁ初対面の
顧問教諭や部員たちの挨拶にもと「元々ド少ない僅かな小遣い銭しこしこ貯めていたのをはたいて手土産を買い、嬉しさ隠しきれずに市立六文中に向かった」のです。
まぁ、、、、確かに「顧問教師と部員数十人には歓迎のあいさつをされ、それなりに丁寧に迎えられ 手持ちの土産を渡し良い雰囲気の中、皆で音楽三昧の話をしていた」のです。、、、、、もちろん自分は頭っから「指揮したい」等と焦った事は言わず、まず「母校三文中吹奏楽部の不満や顧問教諭の助田の悪口=と言うよりも全て本当の事 を会話の中で話し」たのです。
この「袖之下教諭」は確かに真剣に話は聞いてくれ、「僕の基本的な考えは三文中の助田教諭とは異なる。助田教諭は? 中三にもなって音符のひとつも読み書き出来ないのは恥ずかしい と言う理屈だが僕はそうでは無くて、義務教育課程の音楽授業は如何に音楽を好きになってもらうか?だ」と。
そしてこの結果 経過の結晶がこの「素晴らしい吹奏楽部」であると言うのです。当然何曲か演奏してもらったが素晴らしい!! の一言でした。
ぜひ ぜひたった一度で良いっ この指揮台に立ってみたい、振ってみたい!!
禿山教頭から話が袖之下教諭に通っていたはず? なのに、何時まで経っても指揮させて頂けると言う話にならず、そのうちとうとう部員の下校時刻に成り皆帰宅してしまった、、、、、、
「悲しかったですね、、、悔しかったですね」、、、禿山教頭の話は嘘だったのか? 顧問教諭はその話を知っていながら意図的に自分を無視したのか?
こんなつまらないくだらない事に「ド少ない小遣い銭はたいて買った手土産の価値と意味は? 」 半泣きで帰りましたね。無念でした 。
早い話、自分はすっかり騙されたと言うよりも「教頭のその場限りの適当なホラ話を真に受けただけ」だったのです。
其の後自分は、どういう理由か? この話が「通っていた母校の三文中の職員室全員に話しがリークされていて、早速吹奏楽顧問教諭の助田の野郎に呼び出され「大石 お前は一体何しに六文中なんかわざわざ行ったんだよっ」と
どういう訳か大目玉で。 大体助田 お前が「何時かうちの吹奏楽部の指揮者にしてやる」なんてぇ大嘘こいて騙くらかしていたからこういう事になっただろうっと大喧嘩でした。馬鹿はお前だろうっと。忘れられぬ中三時代!!
未だにこの騒動は苦い思い出として心に深く刺さり、決して抜けない心の棘となり、永く自分を苦しませました。
☆大石の最大の問題点は此処だった!!
「piano始め楽器演奏ならともかく、指揮と言うのは? 必ず生のchorus隊や
オケやbandでの実体験による勉強」が絶対です。
幾ら「他人の奏でた音楽聴きながら棒振り回しても何ら全然意味も無く
返って変なクセをつけるだけ」と言えます。
此処は、何としても「何処へでもお邪魔して例え土下座しようと裸踊りしようと、拝み倒し頼み込んでも指揮/勉強させて頂く事」をしなければならなかった。此処を自分は遂に解らずそれが出来なかった、、、、
今後このnoteで「指揮を目指す方」が居たのなら、幾らnetやようつべで
それらしい勉強したとしてもそんな物は一切無駄で何の役にも立ちません。
怪しい先生に附くより何よりも、地元の吹奏楽団やオケにまず参加加入して
担当楽器から始め、何かの機会に振らせてもらえば上等ってぇ位の気持ちで、道を目指すしか無いでしょう。
自分には終ぞこれが出来なかった、、、、残念 無念です。
この瞬間から自分は「指揮者や指揮をする事を完全に諦め放棄し、piano1本で行く」事を決心したのです。
其の後数十年 遂に指揮の話などはその欠片も出ず、苦い思い出ばかりとなりました。15の春は遠かった、、、、、嗚呼っ
❄ その後の自分大石の音楽的変節
☆1975年暮れより冨田勲先生と同じ路を
その過程で得た結論とは?
シンセ音楽課程でのvirtual指揮と本物の指揮は全く異なっていて意味が無い!!
此処で得た結論とは? 「如何に機材 hardwareで固め武装した最強の電子的
orchestraを編成し、その指揮棒振りを猿真似した処で、実は何の意味も無く
唯空しいだけ、、、でした。
確かに「hardwareの電子orchestraとは? 冨田勲先生もおっしゃられていた通り=自分の体力気力と電気の供給が続く限り、何時までも何の文句も言わずに付き合ってくれる」のですが、、、が、、、それ以上でもそれ以下でも無く、「出て来る音 sound 質感 質量 迫力 緊張感」他全てが「生の本物のorchestraとは全くの別物 別腹」で在った事でした。
つまり「其処に初めて 本物の人間が奏でる生のorchestraの存在価値と意義」が在り、その生オケを「ある意味補完 supportするのが電子のオケ」とも
考えられるのです。つまりは「どちらが欠けても成り立たないし、どちらか片方が相手を兼ねる」なんて事もあり得ないのです。
だから「本物の生オケとは?未来永劫決して無くならない」のです。
今回の総括 裁断
指揮者とは? 知らぬ解らぬ者達には意味も無い
しかし知る解る者達には確かな存在意義が在る
それが一見不必要な仕事 指揮者の真髄である
*staff
*口述著作=大石良雄
*PC打ち込み=高梁美砂子 (volunteer)
*support=喜多村 泉 (volunteer)
今回も、駄文雑文にお付き合いいただきまして、心より感謝いたします。
