臨時寄稿 大石が自ら体験した現代音楽と言うMonster&魑魅魍魎の世界

寄稿をUPするにあたり和田大貴様よりの啓蒙

現代音楽/ジョンケージ等の音楽においても、造詣の深い和田大貴様の記事UPは本当に勉強させて頂いております。
今回、このnoteにおいて「大の現代音楽嫌いで通る大石」の本当に貧しい
現代音楽に対する体験/経験を此処に列記し、恥の上塗りをさせて頂きます。

※「1970年代 題名のない音楽界の与えた               一般大衆への影響」

当時、今よりもずっと刺激的で面白かった「黛敏郎氏 企画/司会のこの番組」は実に様々な影響力を持ち、また出演される皆様も「山本直純先生」始め今日とはlevelの異なる大家巨匠も多々参加されておられました。
中には何かと疑問?を呈する会も在ったり、放送禁止案件も幾つか在った事は間違い無い。
そんな中でも忘れられぬのは「数々の現代音楽を日本に紹介していた」事実でした。この当時、こうした現代音楽を得意とされる指揮者に「山岡重信さん」等がおられ、東響を良く指揮されておられました。
実は大半が、、「highlight/抜粋」でありなかなか全曲通して聴かせて頂ける曲は少なく、此処で初めて「モーツァルトの冗談音楽  ホフナング音楽祭
シュトックハウゼン  ジョンケージ ベンデレツキ」等を知る事になりますのは1970年? (S45年) と記憶しております。
この番組の、もはや曖昧になってしまった自分の記憶から精一杯思い出し絞り出した記憶が、以下の様になります。

(1) 「hand-scratch-polka」=オケの全員が持ち楽器を捨て去り、全て手拍子のみで音楽?=rhythmを叩き出して音楽?にしていると言う迷曲。

(2) 「東西太鼓大合戦の為の音楽」(山本直純先生作曲)=timpani&和太鼓&set
drums の東西太鼓が集結し、音楽的な大合戦を繰り広げると言う曲。

(3) 「ジョン ケージ 4分33秒」=言わずと知れた大変な迷曲!! 当時のこのstageは一生思い出に残る喜怒哀楽 波乱万丈の世界でした。

(4) 「弦楽器を使った現代音楽」=通常弦の部分を弓で弾くのですが、この曲は「弦楽器の胴体自らを叩いたり、中の空洞に声を出して(吹き込んで) その音を出したり  わざと汚い音を出したり」、、

(5) 「timpaniの上に、様々な打楽器を乗せる」=興味深かったのは? 仏教における「お凛」をtimpaniの上に乗せ、そのお凛を叩きながらtimpaniのペダルを上下に踏むと、実に摩訶不思議な音が出る。

(6) 「プリペアードpianoによる音楽」=実に不思議な音を出すpianoもどきで在り、どういった発想で出て来たのか? 真剣に悩むpianoもどきです。

(7) 「電子変調器 (回路  複合機) による電子音楽」=当時の番組を思い出しますとこのmachineは「俗に言うsynthesizer等では全く無くて、単なる発信機
generator  変調器? 」だったと思われます。つまり戦後直ぐに「西Germanyケルンの放送局から流されたと言う,mechanicがぶっ壊れたのではないか?とまで言われた電子音楽そのもの? 」だったと記憶しています。
当然其処には「音楽における旋律 phrase等は存在せずに、唯単なる音遊びに終始していた」としか思えぬ幼稚な物でした。

(8) 「何か? その場の即興でthemeを決めて(一例=きゅうりなら胡瓜の各自のimageで) その場で各楽器を使い即興で演奏する?」

(9) 「grand-pianoを酷使したとんでもない音楽もどき?」=これが一番おかしかった? と言いますか疑問に思ったのですが、、=
通常「piano演奏とは? 前面に並べられた88鍵盤を両手で弾く事」がMaineの筈ですが、この鍵盤を一切使用せずに「内部に張られているpiano線を、
xylophone  vibraphone等に使用するstick(hard&soft) により、piano線を叩いて音を出す」
*「pianoの蓋を上下強く開け閉めして、その音を出す」
*「張られているpiano線を、指で弾いて音を出す」
*「張られているpiano線を、弦楽器の弓でこすって音を出す」
*「G-pianoの下に潜って、ノコギリやハンマーでpianoの内部をガリガリ削ったりハンマーでぶっ叩いたり  音を出す」
*「stage上で、G-pianoを何処までも両手で押していき移動させる」
*「G-pianoの蓋を開け、その中に大声で声を出してその音を拾う」
*「海外の話ですと、上記の様にpianoを散々痛めつけたあげくの果てに
最後は? dynamiteでpianoを爆発させた!!」等の狂気の沙汰も在ったとの事。

*自分のPiano-stageで現代音楽を却下された事

きっかけ/triggerとなりましたのは? ちょうどこの頃 日本/世界の音楽界では
「新何それ」とか「New何某」と言うcatch-phraseを持つ音楽が全面的に流行り、もてはやされていた時代でした。具体的には?
*ピンクレディー=カルメン77
*パーシーフェイス=夏の日の恋77
*ポールモーリア=恋は水色 love is blue77
*ベートーヴェン第五 初めClassicのdisco-version77
上記のこれらの曲は、実は未だに生き残っており中には「大変な名曲 名Arrangeとして記憶継続」されている曲もあります。
この1977年と言う年は、自分大石が二十歳の時であり、その1年半前から本格的な「音楽のproとして、piano奏者&音響PA-engineer/sub-recording-engineer」として、仕事生業をしていた自分にとっても人生で最も忙しくて楽しく良い時代だった? のかもしれません。
此処で思い出されますのは? 何回めかの自分のpiano-stageにおいて、よせばいいのに自分は「上記の現代音楽の模倣copyを企画し、実行しようとしていた時期」があったのです。
当然ながら「ノコギリやハンマー使った物などは初めから頭には無く、piano線を叩いたり、指で弾いたり、あるいは? piano線にお凛を乗せて
それを撥で叩いたり、中で大きく声を出してそれをmicrophoneで拾い
tape式のecho-chamberで録音再生しながらfeed-backの様な効果を出す」
等の企画書を細かく列記して提出したのですが、主催者から明確に却下されました。理由は一言「pianoを痛めるから」と。

実はこうした本来のpiano演奏とは全く異なる「異常な使い方」を申請する場合には「piano所有者と管理者 使用者とが 法律事務専門者立ち合いの下で
保険会社との契約やら非常に大変な取り決めや書類のやり取り」が在る様で
その使用金額も相当に高価になると言います(実は? この事は題名のない音楽界においても 黛敏郎氏も同じ事を言っておられたのでした)
此処で完全に諦めた自分は、代案として「ジョンケージの4分33秒の演奏を
申請」したのですが、これも却下されました。
この理由は?「名も無いpro-pianistが本来やる曲では無く、到底4分半もstageが持たない」と。悲しく悔しかったですが実はこの通りで在り、この時は
確か記憶では「ベートーヴェンのsonataを弾いた? 」と記憶しています。

自分大石の「現代音楽嫌い」は、此の当時からこういう理由もあったのだと
ご理解頂ければ幸いなのですが。
つまり「其処には、音楽する歓びも悲しみも、怒りも涙も無く、唯単に其処には漠然とした音/音響が在るだけ」と。
(否 note音楽家の大和碧様の創られた 海に浮く人 等にはこういう感覚は無く
こういう現代音楽ならば自分は好きなのですが、、、)

☆ 同時並行のSynthesizerによる音楽World

自分が、実は「pro音楽家になる以前から密かに開始していた」のが、この
1975年暮れから始まった国産初の「synthesizerによる音楽」なのですが、どういう理由か自分は「pro音楽家時代にこのシンセを使った操作や演奏」はほとんど無かった  と言うよりも需要そのものが薄かった時代でした。
「三ツ矢サイダー とか、、新鮮サイダー」とか言われていた時代、仕方なかったのかも知れません。
国内では?「1968年頃より、大作曲家の木下忠司先生があの水戸黄門TV-BGMの制作録音にシンセを多用され、1970年のexpo70の時点で冨田勲先生等がシンセの存在を知り、後に1971年に「国内初の大型moog-synthesizerの初の個人輸入所有者」となられ今日に繋がりますが、この「現代音楽を語るには、どうしてももうひとつの路=synthesizer-music」が絶対に外せません。

★ Doctor-MoogとSynthesizer-Musician

1950年代 America Princeton university electronic-music-centerにて
H-オールソン等の研究者の手により完成した「super-music
synthesizer  RCA m-2」は、その後「doctor-moog」の手により徹底的に改良され「1V-1 octaveの基本回路」により世界に広まるのですが、実は、、、
doctor-moogでさえ迷っていたは?「自分が改良したsynthesizerと言う物が
はたして楽器なのか?  machineなのか? ご本人様も解らなかった」らしいのです。(RCA m-2もmoog思想に近く、音の模倣は格段に優れていた)
此処に登場して来たのが、

☆ W-カーロス&H-ウールマン等でした

この「ワルター-カーロス=後にsex-changeしてウェンディ-カーロス」は、早くからこのsynthesizerに取り組み、assistantのベンジャミン フォークマンと共に4手4足によるmoog-synthesizerによる「多重録音」に取組ました。
*多重録音=multi-track-recording  複数の録音track&channelを持つtape
recorderに時間をずらして音を重ねて録音させ、最終的に2t/2ch stereoに
mix-downして完成させると言う方式を確立しました。
此処で「W-カーロス&フォークマンは、switch on Bach」等の当時としては素晴らしく画期的な「純Classic音楽をbaseにしたNew-Classic音楽」とも言うべきgenreを確立させた功績は多大なものがあります。
同時期に「H-ウールマン」等は、RCArecordより「モーツァルトやチャイコフスキー等の商品をpickupしたrecord」発売し、それなりの評価をえておりました。(なおW-カーロス等は当時、CBS sonyよりrecord発売されました)
確かに「カーロスもウールマンも、synthesizer音楽には貢献もしたのですが、残念ながらそれを世界的levelにまでは高められなかった」のです。
なおこれ以前「ビートルズの片割れジョージハリスンが、moogを遊びで使って電子音楽の世界とか言うLP recordを遊びで出して」相手にもされなかったのです。

☆WカーロスやHウールマンの致命的弱点!!

これは「既成の楽器のscoreの大半を、シンセの音の置き換えただけ」に過ぎなかった事。これにより確かに音色的には面白いのだが、何しろ音自体に全く「質量が無く、軽くてlight過ぎる」事と、選曲が偏っていた事。
確かに「第九を世界初の電子化させたswitch on Beethoven」等は、自作の
ヴォコーダー等を使い苦心の跡が見えますが、とにかく質量が無かった。
これを解決したのが、、、

☆世界一のsynth奏者 冨田勲先生!!

1971年 苦心して大型のstudio-system機器 moog-3の初の個人所有者となられた冨田勲先生ですが、その道は実に「棘の道どころか、出血多量の血だらけの針の山」だったと言われます。
まず「moogのmanualには具体的な能書きが何一つ書いて無い、、、、これは大変な鉄クズを大金出して買い込んでしまった」と真っ青になられたと。
其処で「某 反日国賊と今批判の坩堝に在る某国営放送局の電子音楽studio勤務の某」に急遽来てもらい電子音楽のlectureを受けたそうなのですが、それでも解らなかったと言われます。大体において「某反日国営放送電子音楽studio勤務」と大きな事を言っても、元々この某は「シンセの専門屋では到底無く、とても冨田先生に教えられる者では無かった」為です。
後に冨田勲先生は大変なご苦労をされ、和室にmoogをsettingしてまず挑んだのが「尺八 琴 笛」等の和楽器の模倣だったと言われます。
こうして血の出る様な大苦労を重ねられ、大半ご自分の努力と独学独立独歩により初めて「国内でのsynthesizer-musicを確立」され、後にTBSブリタニカの依頼による「銀河鉄道の夜」大変な名作を作曲され、着々と布石を打たれ遂に、最初のアルバム「ドビュッシー 月の光」を発売し、冷たい扱いの日本を避けAmericaのRCAとの契約世界発売に繋がり、現代の不動の地位を確立されました。
此処から「現代に続く synthesizerの天下安泰が永久に続く」訳です。

★カーロス&ウールマンと冨田先生の致命的な     相違とは? 一体どういう処なのか!!?

*「選曲が全く異なっている 線が的なBachり色彩的なドビュッシー」
*「音自体の音質 シンセの使い方がそもそも全く異なっている」
*「音自体の質量 音のぶ厚さが、まるで全く違う」
*「残響処理(echo-field) が桁違いに優れている。」
*「シンセ以外の楽器も隠し味に使用している」
*「何よりも音の重ね具合 音の数も桁違いに多い」
当時の冨田勲先生の個人studioは、あまりに貧弱で現代のAmateur以下の設備と言え、そんな中でも「月の光 等では? 弦の音を80数回も重ねると言う物凄さで在り、computer等影も形も無い当時に全てシンセの鍵盤を、手弾きで弾いて音をtapeに重ね、細かい細かい竹細工の様な丁寧な加工で創り出されたこの「新たな電子音楽」が世界で認知されぬ訳が無い!!
おそらく一番喜んだのは「doctor-moog」と言われます。此処で初めて
synthesizerが「楽器として世界認知された」瞬間でした。
此の後「synthesizerは世界中に広がる」のです。

※今も昔も変わらぬAnalog-Synthの宿命

 この開発当時から現代まで「analog-synthesizerとは? 物凄く気難しくて
やんちゃな電子楽器」です。まず
*「やたらデカくて重い」
*「操作が複雑でなかなか思い通りの音が出難い」
*「音の保存memoryが不可能でvolumeが1㎜違っても、全く違う音になる」
*「この為、setting図を写真撮ったり絵に描いたり大変だった」
*「一旦電源を切ってまた入れると音が変化する場合が在る」
*「時間が経過しヒートアップすると、どんどん音が変わる」
つまり、現代の最新digital-synthesizerと比べても物凄く操作が難しく
やんちゃで気難しいのがanalog-synthesizerですが、実は!!!   冨田先生曰く
「この数十年前の古いanalog-moogで無いと、Classic系の音は決して創る事が出来ない!! 」と。これは自分自身もmoogのmodular-synthesizerを入れてみて初めて解ったのですが、冨田先生のおっしゃられる通りでした。
げに恐ろしい!!  moogの底知れぬ実力が此処に在ります。
だからこそ今日でも「moog 他analog-synthesizerは立派に生き残り、最新digitalと併用されて立派に使命を果たして」います。
digitalってぇ、実はつまらない事も在るのですよ。


★もうひとつの路 俗称現代/電子音楽への道

1960年代最後期、moog等がsynthesizerの開発に凌ぎを削っていた頃
もうひとりのengineer「ドン ブックラー」がおりました。
この「ドン ブックラー」は、現代音楽作曲家の「モートン サボート二ク」等の助けを借りながら、moogとは違った視点でsynthesizerの開発を進め
ほぼ同時期に完成させ、市販も開始しました。
この「ドン ブックラーのsynthesizer」とは? 開発当初から「純Classic音楽や商業音楽に使用するのでは無く、ほぼ現代音楽=セリー/music コンクレート等に対応させる為のシンセ」と言え、まず特徴的な構造が「鍵盤 keyboardが装着されていない=一部機種や小型にはassemblyされている物も或る」
操作は、当時からの幼稚なcomputerやsequencer(自動演奏装置)及びtouch-board により操作し音を出す」と言う基本的な構想が在りました。
(つまり演奏と言うよりも操作 マニュピレートと)
実は、自分もしばらく前に自己studioにこの「ブックラー シンセ」を入れたのですが、価格も大変に高価の上に操作も全然moogと異なり難しく、ろくさっぽ使えないうちにこんな図体になってしまったと情けない限りですが、
初心者や音楽=melody主体の音楽を創ろうとする方々には、到底この
ブックラー synthesizerは使えませんし推薦も出来ません。
これは自分にとって大失敗だったのかもしれません!!    反省いたします。
(こういうのを馬鹿のやる事ぁ、屁までも臭ぇと申します  反省!!)

どうしても現代音楽=noise  セリー  minimal  コンクレート等に特化されているのがブックラーシンセと推測されます。つまり「matchingする人とそうでは無い人に明確に別れる」と言えるはずです。

つまりこの根底には?「西GermanyのCologne-radioから始まったと言う電子音楽」的な、何と言いますか、、、偶然性  非確実性  譜面scoreさえも無い図形難解楽譜の様な表記で、解る奴らだけが解る様な音楽? を行う為だけの
言わば、各種電気電子回路の集合体? の様な存在がブックラーシンセではなかったのか? と思われてなりません。なお
*Yamaha Roland コルグ  moog  アープ=RCA/moog 系統
*EMS=ブックラー系統     等と解釈されております。

★ この件についてぜひnote皆様ご参加下さい

大和碧様 フンメルノート様 カリーライス様    佐野美知夫様  田中詩苑様  和田大貴様 チェへジン様 月海様 綾クレバーン様 ギブソンりえ様伊藤玲阿奈様 他note音楽制作に携わる皆様全てのご意見ご感想をぜひお待ちいたします!!


         ❄ 今回の最後に  総括 裁断 

今回も自分の駄文に御訪問頂きまして、心より感謝お礼申し上げます!!
このnote writerの皆様  そして音楽目指して音大で勉強されておられる皆様!!
とうとう音大に行けずに誠に不完全なままの姿で「proになってしまい、泳ぎ切れなかった自分」ですが、どうか若い皆様方には「音楽の世界で、必ず成功されて」下さい。幾ら趣味hobbyで多少なりともnamingがUPしてといたしましても、本当のproの皆様に相手にもされず決して対等の位置にすら着けません。音楽する事は決して当たり前ではありませんが、皆様はその世界におられる!! これは素晴らしい事です。周囲や世間が何を言おうと、、、
大石の様に自分に負けて逃げてる様では駄目だ。
自分大石を「他山の石 反面教師」にし、必ずや勝ち抜いて下さい!!
肝心な事は「proになる事と、proになった後の事!!  後の方が遥かに大変」なのですね。「何かを創る時、創った何かを永く保持し保つ事」これこそが
何よりも大切になります。
既にnoteの音楽家の皆様方の中には「世界中で、立派に活躍され、更には
立派に日の丸/旭日旗を掲げられて日本と日本人の名誉を保持して頂いている事は、今この情けないrehabilitation-roomの大石にとって最大の名誉と誇りで在り、感謝に絶えません」
若い皆様には、心より御期待申し上げます!!

🎵「負けて死ぬのは死ぬより辛い  負けて泣くのは死ぬより辛い
        大石良雄はそれより辛い!! 」   


               


*staff
*口述著作=大石良雄
*PC打ち込みvolunteer=高梁 美砂子
*support-volunteer=喜多村 泉




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