XGはなぜ“過小評価されているように見える”のか
知れば知るほど沼るのに、なぜ見つからないのか
不思議なグループだと思う。
XGについて語るとき、私はいつもある違和感にぶつかる。
XGを知っている人ほど、XGを高く評価するのである。
楽曲を聴く。ライブ映像を見る。ドキュメンタリーを見る。インタビューを読む。そうして少しずつ知っていくうちに、多くの人が同じような感想を口にする。
「もっと早く知りたかった」
しかし、その言葉のすぐ後に続く言葉もまた、驚くほど共通している。
「なぜもっと評価されないのだろう」
2022年にデビューしたXGは、すでに世界各地でライブを行い、大規模なワールドツアーを実現し、世界的な音楽フェスにも出演している。客観的な事実だけを並べれば、十分に成功したグループと言っていい。
それなのに、ファン(ALPHAZ)の間にはどこか「まだ伝わっていない」という感覚が残っている。
この感覚はどこから来るのだろうか。
本当にXGは過小評価されているのだろうか。
あるいは、私たちが見ているものは別の現象なのだろうか。
本稿は、XGの軌跡を振り返りながら、その違和感の正体を探る試みである。
そして最後には、一つの仮説にたどり着きたい。
それは、XGが過小評価されているのではなく、「評価の時差」という現象の中にいるのではないか、という仮説である。
発見されにくい設計
今でこそXGの挑戦は語られるようになったが、デビュー当時を振り返ると、その存在は非常に分かりにくかった。
全員日本人
活動拠点は韓国
歌詞は英語
音楽はHIPHOPやR&Bを基盤としている
この説明だけでも、多くの人が戸惑うだろう。
私たちは何かを理解するとき、まず分類しようとする。
J-POPなのか、K-POPなのか。
アイドルなのか、アーティストなのか。
しかしXGは、そのどれにも完全には当てはまらなかった。
さらに特徴的だったのは、デビュー前の物語がほとんど共有されていなかったことである。
多くのK-POPグループは、オーディション番組やプレデビューコンテンツを通じて、ファンとともに成長していく。ファンは努力や挫折の過程を見守りながら応援する。
一方でXGは違った。
オーディションは非公開。
練習生時代もほとんど表に出ない。
デビューした瞬間、多くの人にとって彼女たちは「突然現れた存在」だった。
しかし後に公開されたドキュメンタリーを見れば分かる。
その裏には長い育成期間があり、厳しいトレーニングがあり、数え切れないほどの努力があった。
つまりXGは、物語がなかったのではない。
物語が後から発見されたのである。
この構造は極めて珍しい。
普通は物語が先にあり、作品が後から届く。
XGは作品が先に届き、物語が後から追いついた。
その時点で、すでに「評価の時差」は始まっていたのかもしれない。
K-POPという入口
世界中の多くの人がXGを知った場所は、おそらくK-POPだった。
韓国の音楽番組
YouTubeのリアクション動画
K-POPメディア
そうした入り口を通じて、XGは世界へ広がっていった。
特に大きかったのはGALZ XYPHERだった。
このコンテンツは、単なるアイドルグループの余興には見えなかった。
ラップそのものが評価されていたのである。
特にCOCONAのラップは、多くのリアクターを驚かせた。
新人グループに対する期待値を超えていたからだ。
しかし、ここで一つのねじれが生まれる。
XGはK-POPの文脈で発見された。
だが、XG自身はK-POPという枠に収まることを目的としていなかった。
K-POPは入口だった。
しかし目的地ではなかった。
これは後になって振り返ると重要なポイントである。
なぜなら、多くの人がXGを理解するとき、「K-POPの基準」で評価しようとしたからだ。
しかしXGは、最初からもっと広い市場を見ていた。
そのズレが、理解の遅れを生むことになる。
世界の音楽ファンが反応した理由
2023年、『Shooting Star』と『Left Right』がリリースされる。
この二曲は、XGにとって大きな転機となった。
興味深いのは、その評価のされ方である。
当時のポップミュージックは、短時間で耳を掴むことが求められていた。
しかし『Shooting Star』や『Left Right』には、少し異なる魅力があった。
90年代後半から2000年代初頭のR&BやHIPHOPを思わせる空気感
グルーヴ
ハーモニー
そして現代的なプロダクション
懐かしさと新しさが同居していた。
だからこそ、多くの音楽ファンが反応した。
反応したのはK-POPファンだけではない。
ダンサー
ボーカルコーチ
R&Bリスナー
HIPHOPファン
音楽プロデューサー
彼らはビジュアルやストーリーではなく、音楽そのものについて語っていた。
ここで起きていたことは重要である。
XGはまず「推された」のではない。
「聴かれた」のである。
これは強みであり、同時に弱みでもあった。
音楽ファンの支持は熱量が高い。
しかし、それは必ずしも目立つ形で表れない。
静かに聴き続ける人も多い。
だから評価の高さと、世間から見える人気は必ずしも一致しない。
そのギャップが、「もっと評価されるべきなのに」という感覚につながっていく。
日本で理解されにくかった理由
XGは日本人グループである。
しかし、長い間、日本では日本人グループとして認識されにくかった。
その理由は単純ではない。
英語詞。
韓国拠点
海外中心の活動
こうした要素が重なり、多くの人にとって距離のある存在になっていた。
さらに、海外で起きていることは日本では見えにくい。
ワールドツアー
海外フェス
現地での熱狂
それらは確かに存在している。
しかし、テレビやニュースだけを見ていると、その実感は伝わりにくい。
ここに大きなギャップがある。
海外では評価されている。
しかし、その評価が国内に十分届いていない。
その結果、
「海外では人気らしい」
という曖昧な認識だけが残る。
また、SNS時代の音楽消費との相性もあった。
数秒で理解される楽曲やパフォーマンスが求められる時代において、XGの魅力は積み重ね型だった。
一曲だけでは分からない
ライブを見る
ドキュメンタリーを見る
何度も触れる
その過程で評価が上がっていく。
だから発見されても、理解されるまで時間がかかる。
ここにも評価の時差が存在していた。
本当に過小評価されているのは誰なのか
ここで一度立ち止まりたい。
本当にXGは過小評価されているのだろうか。
ファンとしては「もっと評価されるべきだ」と感じる。
私自身もそう思ってきた。
しかし、冷静に事実を見てみる。
世界各地でライブを行う
大型フェスに出演する
海外の音楽ファンやクリエイターから高い評価を受ける
これらは決して小さな成果ではない。
むしろ非常に大きな成果である。
では、なぜ私たちは過小評価だと感じるのか。
おそらく理由は、私たちが評価と認知を混同しているからだ。
認知は広く知られていること
評価は価値が認められていること
この二つは同じではない。
XGは認知が十分ではない場面がある。
しかし評価は確実に存在している。
ただ、その評価が私たちの慣れ親しんだ形では見えていないだけなのだ。
評価の時差
ここで一つの仮説にたどり着く。
XGは過小評価されているのではない。
評価が遅れているのである。
新しいものが現れたとき、人々の理解はすぐには追いつかない。
分類できないものは説明しにくい。
説明しにくいものは評価されにくく見える。
XGはまさにそうだった。
J-POPでもない
K-POPでもない
欧米アーティストでもない
その中間に存在する。
だから理解に時間がかかる。
しかし、一度理解されると評価は高い。
それがXGの特徴である。
知れば知るほど評価が上がる。
この現象自体が、XGというプロジェクトの特殊性を示している。
だから私は思う。
XGは過小評価されているのではない。
私たちの理解が、ようやく追いつき始めた段階なのではないかと。
ALPHAZの一人として
ここまで、できるだけ客観的に書こうとしてきた。
だが最後だけは、ALPHAZの一人として書きたい。
私は何度も思ってきた。
「なぜもっと評価されないのだろう」と。
新曲を聴いた時も
ライブを見た時も
世界で活躍する姿を見た時も
しかし、この文章を書きながら少し考えが変わった。
もしかすると、評価されていなかったのではないのかもしれない。
私自身が、その評価の広がりを十分に見られていなかっただけなのかもしれない。
それでも一つだけ確信していることがある。
XGを知った人たちは、これからも同じ言葉を口にするだろう。
「もっと早く知りたかった」と。
私はその言葉を聞くたびに、少しうれしくなる。
なぜなら、その言葉こそがXGという存在を最もよく表しているように思えるからだ。
そして、こうも思う。
もしかすると私たちはまだ、XGという現象を正しく言語化できていないだけなのかもしれない。
XGを見ながら考えたことの記録
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