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憧れのマグカップで、若き祖父とマンハッタンを見た朝

小さい頃、僕は両親に連れられて、よく祖父母の家に帰省していた。

祖父母の家は瀬戸内海に浮かぶ小さな島にあったから、船(フェリー)に乗るのがデフォルトだった。

そのたびに僕は、あのフェリーの重油臭くて、白いペンキが塗られた躯体のところどころが茶色く錆びたり、剥げたりしている無骨な感じに人知れず萌えていた。

普通の人なら目に留まらないか、目についたとしても不快にさえ思いかねないそんなフェリー特有のディテールにどうしようもなく僕が心惹かれてしまったのは、祖父が船乗りだったせいかもしれない。

しかも、祖父は外国航路の船乗りだったから、小さなフェリーに乗りながら、僕は心の中で「うちのじいちゃんの船はもっと大きくて、太平洋、大西洋など世界中の海を航海していたんだぞ」って少し誇らしげな気持ちになっていた。

港から少し離れた場所にある祖父母の家は、その地域特有の黒杉板が貼られた昔ながらの平屋建ての日本家屋だった。

毎朝、僕たちはその田舎のサザエさんちみたいな家で、ちゃぶ台を囲みながら、朝食を一緒に食べるわけだけど、もちろんその朝食は、ご飯とアジの開きと豆腐の味噌汁、ではなくて、トーストとコーヒーとサニーサイドアップだった。

まあ普段から朝はトーストを食べていたから、その時は特段、違和感は感じなかったけど、祖父がコーヒーを飲むときに使っているマグカップだけは、毎朝、目を奪われていた。

それはとても美しいヒスイ色をしていて、厚みが異常にあって、ぼってりとしたフォルムが特徴的なマグカップだった。こんなの今まで見たことないし、それをさりげなく普段使いしている祖父がたまらなくダンディで格好よく見えたのだった。

でも当時は、無口でいかにも頑固じいさん然とした祖父のことがとにかく怖かったから、そのマグカップの真相について尋ねることはできなかった。

でも、大学生になって、夏休みに一人でちょくちょく島に遊びに行くようになってから、祖父と僕は友達になったのだった。

祖父に対して友達というもの変だけど(というか普通に怒られるよね)、今振り返ると、当時の祖父と僕は気心の知れた友達と名付けるのがいちばんしっくりくる関係だったと思う。

だから、今なら大丈夫だろうと思って、僕は、ずっと知りたかったあのマグカップのことを祖父に尋ねたのだった。

すると、僕の想像以上に、祖父は饒舌に、このマグカップを手に入れたときのエピソードを語ってくれた。そのあらすじはざっとこんな具合だった。

祖父は、船がニューヨークに停泊中に、重い病気にかかってしまって、急遽、下船して、現地の病院に2ヶ月以上も入院することになった。尋常小学校しか出ていない祖父はもちろん英語をまるっきり話せなかった。

言葉が通じない世界で、知り合いが誰もいない中、一人で過ごすことがどんなに心細かったか、と滔々と話す祖父の顔を見ながら、いつもは冷静沈着でジェントルマンな彼だからこそ、余計にそのときの彼の気持ちが真に迫って伝わってきた。

あのマグカップは病院で出されていたもので、祖父が退院するときに、それまでずっと彼を看病してくれた看護師さんからプレゼントされたということだった。

つまり、祖父は決してこれがカッコいいと思って購入したわけではなかったのだ。

でも、いつも大事そうにして、死ぬまでずっと使い続けていたから、このときの思い出は彼にとってとても大切なものだったのだと思う。

ちなみに、そのマグカップは、今ではなかなか手に入らないものらしい。

そのせいか祖父が亡くなった時もそのマグカップを親戚のみんなが欲しがっていたけれど、僕は手を上げなかった、というか、上げることが出来なった。だって、あのエピソードを聞いてしまったら、もう無理だよね。

でも、密かにずっと憧れの気持ちは抱き続けていたのだと思う。

だから、最近、自分のコーヒーライフを充実させようとしていた僕の心に

「最後はこれだ!」

と閃いたのだろう。

早速、調べてみると、復刻版が発売されているらしくて、これなら僕でも購入できる価格だったから、迷わず手に入れたのだった。

そして、今、僕は、まさにその憧れの祖父のマグカップでコーヒーを飲みながら、この記事を書いている。

気付いたら、僕は、ベッドから半身を起こして、窓から覗く摩天楼をじっと静かに見つめている若かりし頃の祖父になっていた。

この話のテーマソング
Sting 「Englishman in New York」

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